中央委員

August 20 [Tue], 2013, 13:11
毛沢東はいよいよ王明の追い落としにかかった。しかし、党の結束を乱すことはモスクワから厳重に止められていた――それに、面と向かって攻撃すれば王明が反撃に出る可能性もある。そこで、毛沢東はおなじみの手を使った。王明をはじめとする反対勢力が立ち去るまで会議を延々と長引かせ、彼らがいなくなったあとで攻撃に出る、というやり方だ。毛沢東は、中央委員会全体会議を二ヵ月近くも延々と引きのばした。これほど長い中全会は例がない。しかも、武漢だけでなく国民政府軍の最後の港湾都市広州までが日本の攻撃を受けて陥落し国家が重大局面を迎えている時期に、である。日本軍の後方に樹立した共産党根拠地にも危機が迫っていた。「こちら緊急事態、彰徳懐司令官、大至急帰還されたし……」といった切迫した連絡が次々に飛び込んでた。しかし、毛沢東は自分の目的を達するまで軍司令官らを解放しなかった蒋介石は、首都をさらに内陸の重産に移した。

 一〇月二八日には重慶で国民参政会が開かれることになっており、王明はこれに出席しなければならなかった。毛沢東は王明が重慶に発つ日にまだ中央委員会全体会議が続いているように日程を引き伸ばした―― 一九二九年に福建省の革命根拠地を乗っ取ったときと同じ手である。会議を引き伸ばすために、毛沢東は政治局のメンバーひとりひとりが事実上同じ演説を一回は政治局会議で、もう一回は全体会議の場で、都合二回ずつおこなうことを主張した。毛沢東自身は政治報告を二週間も遅らせ、そのあいだ参加者たちは無為に時間をつぶして待つしかなかった。ようやく毛沢東の政治報告が始まったが、これが途方もなく長い演説で、しかも毛沢東は昼ごろまで眠る習慣だったため、演説が終わるまでに三日以上もかかった。
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