自己紹介
June 30 [Tue], 2009, 13:03
初めまして。 Joshと申しますです。 まずはハンドル・ネームの由来から。

↑ 脈絡もなく故・ダイアナ妃のお写真をUPしたワケではありませんぞ。
我が家は何故か、明治の頃から代々キリスト教でありまして、子供たちは生まれて間もなく、否応なしに洗礼を授けられてしまうのです。
その結果、私のような不信心者が増殖していくわけで、日本人の非宗教化に一役も二役も買っているんですが、Joshというのは私の洗礼名から取っております。
正式名はJoshua(ジョシュア、またはヨシュア)ですね。
で、宗派が、故・ダイアナ妃と同じ、英国国教会なワケです。
まぁ、英国王室と同じだからと言って、私までが高貴になるわけじゃありませんが。
新興宗教の勧誘じゃありませんよ。 念のため。
そいじゃ、今回のネタ「歴史もの」を中心に自己紹介を。
・・・考えてみると、私は歴史に興味のない頃から、なぜか歴史には恵まれた(?)環境に育っているみたいです。
生まれ育ちは信州の上田市。
かの真田幸村公のお膝元ですね。
この方は一般的には「真田幸村」とゆう名で知られていますが、ご本人の書状では「信繁(のぶしげ)」との署名しか残されていません。
なんで「幸村」?
江戸時代には、江戸幕府開祖の家康さんに敵対した武将の名を、例えお芝居でも実名では使えませんでした。
そりで「信繁」じゃなくて、「幸村」になっちゃった?
まぁ、上田の地で活躍したのは真田幸村(信繁)さんじゃなくて、真田昌幸パパの方なんですが。
彼は、上田に押し寄せて来た徳川家の大軍を、2回に渡って撃退し、戦国の世に「真田」の名を轟かせました。
その息子・幸村(信繁)さんは、ずっと後の大坂の陣で大活躍し、家康さんを討ち死に一歩手前まで追いつめたことで、再度 「真田、日本一の兵」(薩摩・島津家の書状より) と賞賛されたのです。

↑ 真田幸村こと、真田信繁さんです。
「戦国BASARA」のイメージとは大分違う? いえいえ、ホンモノはコチラ。
まぁ、私のご先祖さまは真田家→仙石家の後に上田に入部してきた上田松平家に仕えて明治維新を迎えておるんですが。
真田家との関係は不明のままです。 チッ。
・・・思い出と言えば・・・
小学校の頃は、上田城のお堀が凍りまして、体育の時間でスケートに連れてかれたもんです。
コの字のお堀を滑るわけです。 ただひたすら。
こりって・・・恵まれてるのか?
現在は尾張の名古屋市に在住。
今度は織田信長公の地元でございまする。

↑ わが大殿、織田信長公でござる。
んで、ご丁寧にも、引っ越した先のマンションが、織田家臣団筆頭の柴田勝家さんの(尾張時代の)旧城跡に建っていることが判明。
(マンションが建ってるのは三の丸ぐらいの位置で、本丸跡にはお寺と神社がありますけど)
もちろん、今じゃ只の丘陵地なんですけどね。

↑ コチラは、柴田”権六”勝家さん。
そんで、さるメーカーに勤めておるんですが、クライアントが京都にいるんです。
つまり、尾張〜美濃〜近江〜京と、信長公が行き来した織田領国内を動き回って仕事をしてるワケ。
原型を留めているものは少ないけど、この4カ国は歴史の、特に戦国時代の史跡の宝庫なんですよね。
歴史ファンになって初めて知りました。
そりまでは、なんてツマらん所なんだろうと・・・いやいや。
なんか、友人や会社の同僚に言わせると、
「お城とかってさぁ、カタチが残ってなきゃつまんないじゃん。」
だそうですが・・・わたしゃ想像(妄想?)するだけでも結構楽しめますのぅ。
かえって「模擬天守閣」なんてものが建ってたりすると、ガックリきちまいます。
尾張で言うと、清州城とか名古屋城とか岡崎城とか。
でも名古屋市では、空襲で焼けて以来ただの広場のままだった名古屋城本丸に、本丸御殿を復元すんだそうな。
爆撃されるまではホンモノが残っていたので、写真もあれば図面もある、オマケに屏風とか内装品類は早くに疎開させてたので無事だったそうで、御殿ができれば戻すとか。
ウホホホホホ。
ついでに名古屋城天守閣も木造で造り直せぃ!
んーと、まだまだ音楽の話とかアートの話とか色々あるんだけど、初日ってことでこの辺で切り上げます。
LOVE & PEACE !

↑ 脈絡もなく故・ダイアナ妃のお写真をUPしたワケではありませんぞ。
我が家は何故か、明治の頃から代々キリスト教でありまして、子供たちは生まれて間もなく、否応なしに洗礼を授けられてしまうのです。
その結果、私のような不信心者が増殖していくわけで、日本人の非宗教化に一役も二役も買っているんですが、Joshというのは私の洗礼名から取っております。
正式名はJoshua(ジョシュア、またはヨシュア)ですね。
で、宗派が、故・ダイアナ妃と同じ、英国国教会なワケです。
まぁ、英国王室と同じだからと言って、私までが高貴になるわけじゃありませんが。
新興宗教の勧誘じゃありませんよ。 念のため。
そいじゃ、今回のネタ「歴史もの」を中心に自己紹介を。
・・・考えてみると、私は歴史に興味のない頃から、なぜか歴史には恵まれた(?)環境に育っているみたいです。
生まれ育ちは信州の上田市。
かの真田幸村公のお膝元ですね。
この方は一般的には「真田幸村」とゆう名で知られていますが、ご本人の書状では「信繁(のぶしげ)」との署名しか残されていません。
なんで「幸村」?
江戸時代には、江戸幕府開祖の家康さんに敵対した武将の名を、例えお芝居でも実名では使えませんでした。
そりで「信繁」じゃなくて、「幸村」になっちゃった?
まぁ、上田の地で活躍したのは真田幸村(信繁)さんじゃなくて、真田昌幸パパの方なんですが。
彼は、上田に押し寄せて来た徳川家の大軍を、2回に渡って撃退し、戦国の世に「真田」の名を轟かせました。
その息子・幸村(信繁)さんは、ずっと後の大坂の陣で大活躍し、家康さんを討ち死に一歩手前まで追いつめたことで、再度 「真田、日本一の兵」(薩摩・島津家の書状より) と賞賛されたのです。

↑ 真田幸村こと、真田信繁さんです。
「戦国BASARA」のイメージとは大分違う? いえいえ、ホンモノはコチラ。
まぁ、私のご先祖さまは真田家→仙石家の後に上田に入部してきた上田松平家に仕えて明治維新を迎えておるんですが。
真田家との関係は不明のままです。 チッ。
・・・思い出と言えば・・・
小学校の頃は、上田城のお堀が凍りまして、体育の時間でスケートに連れてかれたもんです。
コの字のお堀を滑るわけです。 ただひたすら。
こりって・・・恵まれてるのか?
現在は尾張の名古屋市に在住。
今度は織田信長公の地元でございまする。

↑ わが大殿、織田信長公でござる。
んで、ご丁寧にも、引っ越した先のマンションが、織田家臣団筆頭の柴田勝家さんの(尾張時代の)旧城跡に建っていることが判明。
(マンションが建ってるのは三の丸ぐらいの位置で、本丸跡にはお寺と神社がありますけど)
もちろん、今じゃ只の丘陵地なんですけどね。

↑ コチラは、柴田”権六”勝家さん。
そんで、さるメーカーに勤めておるんですが、クライアントが京都にいるんです。
つまり、尾張〜美濃〜近江〜京と、信長公が行き来した織田領国内を動き回って仕事をしてるワケ。
原型を留めているものは少ないけど、この4カ国は歴史の、特に戦国時代の史跡の宝庫なんですよね。
歴史ファンになって初めて知りました。
そりまでは、なんてツマらん所なんだろうと・・・いやいや。
なんか、友人や会社の同僚に言わせると、
「お城とかってさぁ、カタチが残ってなきゃつまんないじゃん。」
だそうですが・・・わたしゃ想像(妄想?)するだけでも結構楽しめますのぅ。
かえって「模擬天守閣」なんてものが建ってたりすると、ガックリきちまいます。
尾張で言うと、清州城とか名古屋城とか岡崎城とか。
でも名古屋市では、空襲で焼けて以来ただの広場のままだった名古屋城本丸に、本丸御殿を復元すんだそうな。
爆撃されるまではホンモノが残っていたので、写真もあれば図面もある、オマケに屏風とか内装品類は早くに疎開させてたので無事だったそうで、御殿ができれば戻すとか。
ウホホホホホ。
ついでに名古屋城天守閣も木造で造り直せぃ!
んーと、まだまだ音楽の話とかアートの話とか色々あるんだけど、初日ってことでこの辺で切り上げます。
LOVE & PEACE !
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