役目 

2007年03月31日(土) 15時18分
人には役割があります。
最近強く思ったのは、親の役割です。

離婚、家出、喧嘩、放棄、浮気


珍しくない。
そもそもそれがダメなんです。
じゃぁなんで結婚なんて…

『暴力があれば…』
ここではこのカテゴリーは伏せておきましょう。


子供がいる家庭でも今は離婚が多くみられますよね。

子供に関係ないとお思いですか。
子供に理解できないとお思いですか。


親が思うほど子供は無知ではありません。
『離婚』
という言葉だけで不安になる気持ちも分かってください。

子供の気持ちは無視なんでしょうか
子供にとって『親』は『母親』であり『父親』で、『家族』なんです。
特に心身成長段階の子供にとっては、涙すら流せる内容です。

どうかもう一度考え直してみませんか。

夫と喧嘩した時
妻と言い争いになったとき
心のどこかに子供のことを置いてください。
子供はもしかしたら
知っているかもしれかもしれません。
見ているかもしれません。

誰よりも泣いているかもしれません。

対局の生命 2 

2007年03月08日(木) 3時32分
なぜお別れを前に人間はただ無力なのだろぅ。

涙を流すように記憶も流せたら
どんなに楽になれたろう


黒い服と制服を着た人の柩に収めきれないほどの涙は
今もまだ枯れてはいない

取り戻すことは出来ない。
けれど振り返ることもまた出来はしない。


消えてしまったあなたが望むなら
私はこの涙を枯らさないと誓おう


あなたにとって
ほんのちいさな存在だった私は
悲しみと伝えたかった言葉を飲み込んで

そうして手を振ります。

対極の生命 

2007年03月01日(木) 0時25分
誰かの死とむきあったことがありますか?


とてもつらい記憶。どうしても消えない過去。
どうかその心も含めて考えてみてください。



ヒトは死と対面して何を思うでしょう?

私は、脱力感、苦しみ、悲しみ、そして人・生き物のはかなさを身にしみて感じました。
生きている人には亡くなった方の心は分からないし、理解しがたい。
私たちはただその人へどうか安らかにと祈ることしか許されない。。

そして第三者は声をかけることすら許されずにただ見つめることしかできず。。


そうして死と向き合う方たちもまたたくさんいます。
医者を筆頭にご葬儀をなさる方々、お坊様と。。


そして今私が注目している方々がエンバーマーと呼ばれる方たちです。
医者と葬儀の両方を取り扱うと言われています。
エンバーミングと呼ばれる過程については長くなるのでお話しませんが、簡単に説明すれば『遺体を生前の姿へと戻すこと』

彼らの存在はまだ日本ではほんの一部にしか知られていません。
元は古来エジプトを筆頭に現在ではアメリカやカナダなど幅広く取り入れられている処方です。
現在は日本にも『死とどのように向き合うか』としての心理的な部分でも重要視され、カレッジも登場しています。

亡くなった方と遺族の間には一筋の煙のみが残ります。
ただその中で、最期のひと時を、じかに見て触れてお別れをすることができたなら
死と煙の間に一筋の光が差し込むと思いませんか?


私は批判されやすいこの方たちの存在を知っていて欲しいと願っています。



残された遺族・友人の心に降る重みは人それぞれで二者には決して分からないことです。
だからこそその心としっかり向き合える場があったならと思っているのです。


あなたはもしそれに対面する日が来たら、たった一筋の煙の前に、綺麗な涙を流すことができますか?

 

2007年02月28日(水) 23時53分
久々に考えさせられちゃいました・・w



何故ヒトは寂しくなって、未来に不安を持つのか。。

ネガティブがゆえにポジティブ。
人間どこかしらネガティブになっちゃう部分があるんだと思う。
そういう部分含めて認めてくれる人がぜったいいると思う。
今居ないなら探せばいいだけ。
『でもきっといないから』
不確定の未来を見るんじゃなくて自分から探しにいけたら素敵。
きっとそういう人をつよく生きてるヒトって言うんだと思う。

けれどきっと悩んだ末にぶつかるのはただひたすらな不安。恐怖。
未来は予測できないがために、我々は毎日悩み・苦しみ・考える。

『今が楽しければ』とそれだけを考えていられるならどんなに楽だろうか。
ただそれだけではいられないのが実際です。


十年後の事、一週間後の事、一時間後の事、一分後の事、一秒後の事
もしかしたら次の瞬間、誰かに出会うかもしれない、何かを見つけるかもしれない、自分がこの世から、消えているかもしれない。。。

ヒトはそんな一瞬一瞬を過ごしていて、これからもそうして生きていくんです。
ヒトだけではなく、すべてのモノが。


だからこそ不安にもなる。けれど現実があるからこうして喜ぶし泣いたりもするし、人を愛したりもできる。
未来を考えないことなんて100%はできない。けれど限りなくそれに近いものにすることはできると、思います。
未来を恐れて何もしないまま未来に飲み込まれていくのと、恐れる未来のために少しでも良い現実を見れるように努力するのと、どちらがいいんでしょうか?


ただ私には後者のほうがよっぽどかっこいいと思うのですが。

持てる希望を 

2007年02月18日(日) 21時39分
宮本さん


すばらしい方です。
すばらしい警察官です。
なんだか忘れかけたモノを死と、重い生命の終わりと共に、教えてくれた気がします。




皆さんはいかがだったでしょうか。

助けられた方は自殺志願者だったとか。。。
これも、運命だったのでしょうか。
それとも不幸だったのでしょうか。。

どちらにしろきっと宮本さんは後悔はしていらっしゃらないことでしょう。

人の強さ、改めて知った気がします。
関係のない人でも
どんなに絶望を持った人も
助けられる強さ、残る事実。

助けていただいた方が、それでシアワセかどうかなんてわかりません。
死にたいと。
自分がいやで死にたいと、思っていたならもしかしたら余計に重みになってしまっているのかも、わからない。


でも知って欲しい。
自分も一人なのだと。
人の目に映る1人なのだと。
生きている1人なのだと。独りではないということ。



思いやること。優しさ。心遣い。
ひっくるめて、定義などない。説明書もない。
けれど個人の心の中にある優しさやキモチに誰もが共感できるような、そんな事実だったらきっとだれもがそれを『美しい心だ』と認めるのだろう。

宮本さんはそれを教えてくれました。
どんな仕事をしていたって、どんな外見だって、どんな人間だって、生きている価値
生きていく未来
見えない恐怖も続くのだと。

そしてそれを見えない触れない遠くから助けてくれている人がいることを。


どうかこの事実を胸に抱えて欲しい。
大切なモノを教えてくれたこの警察官のこの死を無駄にしないために
ずっとずっと片隅に置いて
優しさを思い出せるなら。。。




あなたにとって優しさとはなんですか。

報告 

2007年02月15日(木) 9時02分





辛い門の先には何があるのだろうか

ふと知りたくなって

扉を押す

先は暗く

闇だったけど

悲しくはない

辛くはない

闇の中に光を見たから

笑顔を見たから






ブログ再更新始めます☆

どうか。 

2007年01月21日(日) 10時05分
唐突なんですが…

先日風見さんの娘さんが亡くなりましたよね。

そのとき、囲んでいるマスコミが私にとってとても邪魔なよぅな、悔しいモノです。

けれど、マスコミの前で一生懸命語る風見さんを見て、あぁこれで伝わることもあるんだと、心から思いました。

辛い事故で、本当に悔しいことだったけど、こんな思いをしてるのはこうして話してる風見さんだけではありません。

現実に年に何十人、何百人、こういう事故で亡くなっています。
それを少しでも減らすために、分かってもらうために。それが一番の願いだと思います。

どうか。願いが届きますように。

あー・・・ 

2006年12月22日(金) 1時28分

人を励ますことは難しい



自分のことより



なにより難しいのは人の心だと思う

本当に難しい


本気で向き合おうとすればするほど



ワカラナクナル。

どうしたら相手の気持ちにたてるとか



わからなくなってしまった




だからこそ強くなりたいと願ってきたのに





いざ分からなくなって初めて気づいた

弱さは変わっていなかったと−・・・










セイメイ 

2006年12月09日(土) 19時43分
後もう一度だけでも

笑顔じゃなくても

見ることを願っていた未来が

崩れゆく予想図の中で

たった一度だけ
  
振り返った過去は意外にも明るくて暗かった

大切なひとときも

これから自分と一緒に残せるように

苦悩と偽りの階段を上っていく

辛いと分かっていたことも

見るのも嫌だった過去を見て

少しだけ明るさがあったことも分かった

一瞬で過ぎ去った過去だったけれど

その一瞬の為だけに

生きてみてもいいのかもしれないと

少しだけ独りで笑ってみた



意外にも辛い人って今しか見えてないモノで、過去には笑顔があったりします。
今を少しだけ離れてみて、過去を第三者の立場から考えてみてください。
辛いならきっと、見えてくる明るさもあるはずです。
その一筋が辛く苦しい未来の中にあるのかもしれません。
不確定な未来の中で生きることは難しく怖い。
例えばその未来を自分の手で変えていけば何か、待っているモノがあると思います。(自己例より)
自殺するほど思い詰めて、覚悟があるなら死ぬ気でなにか起こしてみませんか?
それがきっとかっこよくて明るい未来の創設者となる道なのでしょう。

今、自ら命を絶っていく人が1人また1人と増えてきていますよね。
私は、そう言う人にこそ生きて欲しいという願望があるんです。
きっと、そういう辛さが分かってこそ、与えられるものってあるのではないのでしょうか。

耐えられなくて書き込みに来てしまいました 笑
そういうことを乗り越える強さがあったなら、何かが変わるのだと思っているのです。

あ、追記が一つの戯言になってしまった気もするが 笑

価値観〜生きること〜 

2006年11月25日(土) 19時25分
死にたいよ──


そういうこと、周りの人から見たらきっとすごくくだらないこと。
私は止めない。

それがアナタにとって最大の救われる道なら。
死にたいなら死ねばいい。
逃げたいなら、逃げるのもまた一つの道。

けれど、それが本当に最善の道かどうかそれは考えて欲しい。
死に甘えることと逃げることは違う。

三年前の私なら『独りじゃない。悲しむ人が居るんだからそんなこと言っちゃダメ』そう、言っただろう。
でも、悲しむ人がいるとかいないとか、そんなことは本当はどうでもいい。
だって死ぬところまで追い詰められてる人が、そんな風に考えられるはずがない。きっと。
むしろ周りに不信感を持ってる人のほうが割合的に多いはず。
私にはそう思えば思うほど、死を引き止める術を持たない。
だから止めたりしない。それがその人にとって最後の砦ならそれも、有りなはず。


でも、死にたいとかそういってる人が、もし私の知り合いなら。
そう言うヒトが私に相談してきたら。
間違いなく引き止めるだろう。
どんなつたない言葉でも。自分のかかわりのある範囲で失いたくないから。そんな矛盾した考え。

その行為自体がその人のためか。
またそれが自分のためなのか。

おそらく両者。止めることによって自分の存在意義を見出す面。どちらかといえば自分のために。
私はもう、失いたくない。そう思うから。

『独りじゃない。悲しむ人が居るんだからそんなこと言っちゃダメ』

そんなこと、もう二度といわない。それは相手本人のために向けられる言葉ではないから。
周りのコトを心配しているようなもの。
その人に、自分を押し殺してでも人の為に生きろと言っているようなもの。
私はどんな人にも、まずは自分のために生きて欲しい。
少なくとも私は、自分のために生きたい。

だからまず言う。
『死にたかったら死ねばいい』

『それがアナタにとって最善の道ならば。』

『よく考えて、それ以外の抜け道がどんなに時間をかけても見つからなくて、暗すぎる未知の未来の中で生きる術さえ見つからないなら』


例え昨日までその人の存在すら知らなくても
隣に座ったり
すれ違ったり
 そんなことでも、関わりを持ったアナタを明日の私の世界で失わないために。


『けれど私は、生きて欲しい。』

『傲慢な意見かもしれない』

『それでも生きて欲しい』

『たとえ隣に恐怖があっても、手を貸すから』

『ともに生きていたい』
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