謹賀新年 

October 01 [Sun], 2006, 21:54
            本    明
            お年   おけ
      錦    願も  ごめま
      戸    いよ  ざでし
           致ろ  いとて
      亮    しし  まう
          まく   す
           す


すいません。色んな準備に追われてバタバタしてたんで、来週まとめて近況報告します。


天草三部作最終章 

October 01 [Sun], 2006, 21:43
骨を折ったり、ナタで骨が見えるぐらい指切ったり、
色んな経験、痛い思いをした天草。
魚を釣りにいって、捌き方もじいちゃんに教えてもらい、
学校では絶対教えてくれない事など本当に色んな事を教わった。
僕の短い人生の中で誰も教えてくれないことを教えてくれた。



じいちゃんは癌を患い入院する日が続いていた。
父ちゃんは仕事を無理矢理休み、天草で何日もじいちゃんの隣にいた。

もう危ないと聞いてはいたものの、近い存在の人が
死んだ経験もなかったし、実感も無かった。
ある日、父ちゃんが夜中にも関わらず、今から天草に行くぞって言い出し、
何も尋ねず車に乗り込んだ。何も聞かなくても、雰囲気でわかった。



もうアカンねや。



何時間もかけて、やっと病院についた。

じいちゃんの病室は
421号室だった。

かあちゃんはこの番号にイライラしてた。

じいちゃんは歳のわりに背中も曲がってなく、力仕事も難無くこなせた。
でもその姿はなく、痩せこけて、目も虚ろ、口を開いても、
声は微かにしか聞こえなかった。

衝撃だった。



何時間か過ごしてまた大阪に帰った。


二週間後。
仕事中に電話があった。母ちゃんが、穏やかな声で
『じいちゃん死んだ』



訳が解らなくて、10分くらいぼーっとしてた。

時間がたつにつれて、状況を把握してきて、気付くと涙が溢れ出た。

皆がびっくりすると思い、トイレにかけこみ便座に座り、声を殺して涙を流していた。


何とか頑張って仕事を終え、その足でかあちゃんと車で天草に向かった。
カアチャン以外は先に飛行機で向かっていた。



九州への距離が近づくにつれ涙がドンドンあふれてきた。



いざ着くとそこには木の箱に入ったじいちゃんがいた。

親戚も皆、顔を揃えていた。

僕らが最後だった。

真っ先にかあちゃんが泣いていた。
義理の父親の顔を何度も触り、じいちゃんが水浸しになるぐらい泣いていた。

僕も隣で静かに泣いていた。



葬式の日。
朝から皆でネクタイを締め、じいちゃんにむかって正座した。

お経が唱えられて、着々と式は進んでいた。

レイキュウシャに棺桶を乗せて火葬場まで向かった。
その時に乗った車がじいちゃんの車だった。
父ちゃんと兄貴二人と俺。

兄ちゃんが写真をもって後部座席でゆられていた。



その時、父ちゃんが煙草を吸い始めた。

初めて煙草を吸う父ちゃんを見た。

煙草の銘柄はじいちゃんの好きなやつ。



火葬場に着き、最期のお別れですって告げられ、顔に触れた。

冷たかった。

棺桶に蓋がかかって、窯に入れ、シャッターを閉めた。

ガラガラガラガラ。





それまで落ち着いていたのに、また涙が溢れていた。

係りの人が説明するなか、錦戸一族で僕だけが泣きわめいていた。



目が痛くてたまらなかった。


またトイレにいき、隠れて泣こうとしたけど、抑えられなかった。

鏡を見ると顔が真っ赤だった。












外に出た。

焼くのには時間がかかるらしく、ご飯の準備をしに一度帰る人、
どっかブラブラとするひと。

僕は兄ちゃんとじいちゃんから出る煙を見ていた。



白い骨だけになったじいちゃんが帰ってきた。

それからは涙を流すことはなかった。

じいちゃんには、魚の捌き方、つりの餌の付け方、竹のキリ方。
人が死ぬ事の意味を教わった。






僕はあれ以来天草に帰ってない。



また時間作って行きます。

無題 

October 01 [Sun], 2006, 21:36
錦戸です。


ごめん。
来週頑張るから今週は勘弁して。


やる事が多すぎて。


すいません

モロハノツルギ 

October 01 [Sun], 2006, 21:25
その頃、祖父は不在で兄達が近所の親戚の家を走り回って、
助けを求めにいった。僕は独りで折れた右腕の痛みをごまかす様に、
左手で右肩を思い切り掴み裸足で車道に出て、泣き叫んでいた。

そこに一台の車が横付けした。
じいちゃんや!!!!!

祖父がいる事に安堵して泣き声はライブハウスぐらいになった。



しかし、人違いだった。
おばさんだった。

寂しさで泣き声は離陸直前の飛行機ぐらいになった。


でもおばさんが車の後部座席まで促して、
「すぐ病院連れて行くけん我慢せぇ!」唐突にいわれた。誰やねん?

そう思いながらも周りにいる大人はこのオバサンだけやったから、
とりあえずお願いした。

やっと発進するって時に、オバサンが車を降りた。
ドアを締める衝撃が腕に響いた。

窓から後ろを覗くと、



顔を紅潮させているじいちゃんがいた。

次兄と対峙している。

その瞬間、




パン!!!!!!!!!

平手打ちをした。


兄は殴られる前から自分のした事にうろたえ、泣いていた。



じいちゃんの目にも、うっすら涙があるように見えた。


その内車が発進した。

気付かない内にオバサンが帰ってきたらしい。

僕は窓からずーっとじいちゃんと次兄を見てた。
兄は何度も平手打ちをくらっていた。


じいちゃんは手が腫れるぐらい、涙を流しながら兄を殴っていた。

じいちゃんが見えなくなる頃、僕は夜の海ぐらい、丁寧な呼吸をしていた。

じいちゃんが自らの孫を殴る姿を見たのは後にも先にもこれが最後だった。

骨折り損のくたびれ儲け 

October 01 [Sun], 2006, 21:12
初めて天草のオトンの生家に行ったのは、小学一年生の時。
当時は、オトンが住んでたままで、階段は急、玄関でたらすぐ道路、
トイレは和式で汚いしサウナの様に暑かった。
でも大阪の錦戸家しか知らない僕は、いくら臭かろうが、汚かろうが、
ボロだろうが、全く関係なく、自宅以外で何連泊もするのは楽しかった。
でも三日ほど過ぎると、無性に両親が恋しくなり帰りたくもなった。
しかしまた三日ほど過ぎると別に帰りたくも無くなっていた。
そこには大阪で出来るゲームもないが、それ以上に出来ることがあった。
釣り。川遊び。海水浴。探検。山登り。畑の収穫。じいちゃんと遊ぶ事。
それと、オトンのガキの頃の持ち物。
机には何故か山口百恵と何個も書いてあり、下敷きも山口百恵。
テストの答案らしき物はほとんどなく、何枚かあっても一桁だったような気がする。
スケッチブックは数多くあり、色んな絵が描かれてた。
どれも上手い!!
オトンの子ども時代がすぐに想像出来た。
勉強は出来ない。でも手先は器用で絵をかかしても、何か作らせても上手いやつ。
その類か・・・。

独りよがりな優越感に浸りながら、僕は自身の最低ラインを作った。
オトンに負けへんかったらええわ。

タンスの上には、掌に収まりそうなぐらいの小さな白黒の写真が飾られていた。
その写真立ての中に写るのは恰幅のいい母親がセンターに、
左には姉らしき人物、右には兄らしき、そして真ん中に坊主頭の一番小さいガキ。
しかも泣きそうなガキ。オトンだ。
僕は何でこんな変な頭やねんて思い、こんど何か言われたら言い返してやろうと、
僕の心の反撃ノートに綴った。


初めての天草滞在は、毎日じいちゃんと遊んでもらったりする内に、
あっという間に太陽は何周もして帰るひになり、大阪に帰った。

二回目、三回目は余り覚えていない。でもそれには理由があった。

小学四年生の夏休み。例年のごとく、天草に帰っていた。
その夏は滞在時間が一週間ぐらいだった。
タンスの上にはまだ写真が飾ってあった。
一年生の時に見た写真と違って見えた。
前は、坊主頭のオトンが、ただそれだけで面白かった。
でもその時の僕が見たのは、貧しい家族のゆいいつの一枚。
そんな風に映った。

いや、決して裕福ではないかもしれない。
でも四年生の僕は何でそう思ったんだろう。
オトンに後から聞いたがおじいちゃんはよく仕事の都合で遠出し、
半年ぐらい家に帰ってこないのはざらにあったらしい。
多分その見送るときの写真だろう。僕は勝手に、写真に写るその泣きそうな
オトンにお腹減ってたんかなぁと思い、自分勝手な切なさを感じていた。
低学年のときとは違い、夜も遊ぶ様になっていた。
ヨナヨナ二つ上の次兄と近くの公民館の駐車場に毎晩行っていた。
駐車場は山の中にあり、薄暗くライトアップされている。
地面には明かりを求め、甲虫やらクワガタが死ぬ程いた。
毎晩それを捕まえては持ち帰り、じいちゃんに買ってもらった
ムシカゴに放り込み夜キチキチキチキチうるさくて寝れないぐらい集めていた。
いくら夜更かししようと朝6時には目を覚まさなければならなかった。

パンを買いに行くのだ。
朝一番で厚切りの入荷したてのパンを買いに行く。これが錦戸四兄妹の掟だった。

ジャンケンして買いに行く。ここは皆真剣勝負だった。

その日、僕は負けた。

でも買いに行かなかった。だるかった。

兄達の罵声が飛ぶ中、僕は二階のトイレに篭っていた。
でも次兄にバレた。
それでも僕は立て篭もった。
次兄は屋根まで登り、トイレの小さい窓から僕を罵った。
悪いのは僕なのに。
その時ばかりは次兄が悪魔に見えた。
いつも一緒に遊んでくれてたのに、その時は本当に恐ろしかった。
僕は一瞬の隙を狙い外に逃げ出そうと思い、タイミングを見計らい扉を開けた。

裏目に出た。

目の前に兄がいた。

血祭りだ。

僕は殴られ、蹴られ、投げ飛ばされた。

二回目ぐらい投げられた時、天井近くまで上がって手を着いた瞬間、

ボキっ!!!!!

折れた。

今まで骨折の経験は無かったが直感でわかった。


腕を見ると、肘と手首の間に特殊な関節が出来ていた。

その自分のいびつな腕を見た瞬間、あっ死ぬと思い、泣き叫んだ。

夏休み 

October 01 [Sun], 2006, 21:02
みーんみーん

蝉の声が響く夏休み

伊丹空港で両親に見送られ、兄妹四人だけで飛行機に乗ります。
毎年、夏は熊本県は天草という、父の実家に三週間ぐらい遊びに行ってました。

天草に行った時、ずーっと遊び回れるように、七月中に、
夏休みのあの膨大な量の課題を済ませて、その頃からわりと要領は良かったです。

鉄の塊が着陸し、熊本空港に降り立つと、じいちゃんが手を振って迎えてくれます。
ちょっと照れながら再会の余韻に浸る間もなく、バスに乗ります。
そのバスが苦痛でした。
空港から家まで、何と、約三時間かかるんです。
小学生やし、暇で暇で。
やっとバス停に着くと、そこからじぃちゃんの車で、また三十分。

でもその頃になると、車窓から見える景色は海、海、海。

海です。

もうテンションがあがってあがって大変でした。
天草の家は、裏は山、横は海、前は川っていう、
C.W.ニコルさんにとっては最高な場所にありました。

大阪から来た僕らにとっても凄い刺激的なばしょでした。

朝起きてパンを食べて、そのまま海に入ったり、釣りに行ったり、
山に登って竹切ったり、持って帰ってじいちゃんにその竹で水鉄砲作ってもらったり。

本当に楽しかったです。

ミーン

入学式 

October 01 [Sun], 2006, 20:57
半ズボンを履き、シャツを着て、サスペンダーをし、その上にベストを羽織る。

頭はジェルで固めたパキパキのオールバック。

はやる気持ちを抑えて、いざ入学式へ。


父上にスタイリングしてもらい、気持ちを引き締めていくものの、
ドキドキしながら体育館の扉を開くと僕は呆然としました。


「みんな普通やん・・・」


恥ずかしかったです。

ちっちゃい頃は何でか知らんけど、皆と同じがよかったです。

たかが入学式にこんなに気合い入れてって思ってましたけど、
今となっては写真も残ってるし、されど入学式です。

僕は一年一組でした。
保育園からの友達はほぼバラバラに散ってしまい、さみしかったです。
担任は仲川先生。
おばぁちゃんでした。
国語の先生で、習字の授業のときは、日直がバケツ一杯に水を汲み、
先生の隣に置かなければいけませんでした。
手本を書く為に、夏の日も冬の日も、自らの手をバケツに突っ込み、
掌を筆に見立てて、黒板に書くんです。

しかも書くときに力の入れ具合を音で表現してくれるんですが、
例えば漢数字の「一」とゆう字なら、でかい声で「デン!スゥーッ、グッ」
みたいな感じで非常に解りやすく?説明してくれます。

皆で「デン」、て言うてました。

まっこんな話どうでもいいですね。



アカン、

今回不発やわ。


来週頑張ります。



デン



やっぱあかんわ。

今回は近況です 

October 01 [Sun], 2006, 20:42
こんにちは。
21になりました。
錦戸亮です。
BLACKJACKなら最強の錦戸亮です。

今回は近況を報告したいと思います。

まず21歳になりました。
今年は家族全員から、誕生日を祝うMAILが届きました。
しかも個別に。
初めてでビックリしました。
何て返したらいいか少し戸惑いましたが、なんか嬉しかったです。
でも、本当に色んな人が祝ってくれました。
ドラマのStaff、Cast、地元の友達、先輩。
8、NEWSのメンバー、最近会ってない奴からも、
本当に色んな人に祝ってもらえて、光栄な反面、責任も感じました。
だってこれだけ大勢の方々が祝福してくれるんですから、やっぱり
「21歳の錦戸亮」っていう一瞬を懸命に過ごし、生きていく事について。

僕は誓います。
21の錦戸亮を全うする事を。


まずは毎年恒例のX’mas Partyですね。
今更ですけど何でPartyなんやろ?
なんか、LIVE!とかの方が格好良い感じもしますが。
ま、いっか。四年間これで通してきたし。
街は冬色に染まって、雪もちらつき、手もかじかむかもしれないです。
でも下には水着を着ておくこと!!!!!
だって一歩松竹座に足を踏み入れると、そこは常夏ですから、
僕らが出た瞬間にはもう灼熱ですから

必要最低限のモノだけを身に纏って、一人二つずつもってる
その神聖なるモノを揺らせばいいじゃない。
大きさは様々かもしれませんが、まぁ、見つけたからには、
僕らのテンションが上がるのは必至です。

さぁ、今から皆もX’masの為にキミ君と一緒にShape−up!!!!!

よろしく。

それから年が明けると、NEWSのLIVE、
そして何より錦戸亮LIVEがあります。
どうしよ?

決まったものの、結構不安です。
NEWSの方は皆いるし、不安はないことはないですけど、
まぁ何となく想像できます。
でも・・・・・・



まぁ言える事はFIVEの皆もいるし、今僕に出来る事を全て並べて、
いいもん作り上げる事は約束します。って事です。

やりたくても簡単に出来る事じゃ無いし、
そうしてもらったCHANCEを鷲掴みにしてやります。

楽しみにしていて下さい。

では来週は
『元祖!!錦戸亮のおいたちシリーズ』
の続編をお楽しみ下さい。
じゃあばいばい。

久しぶりに・・・・・・







おやすみ僕の子猫ちゃん







保育園 V 

October 01 [Sun], 2006, 20:33
ピューー

木枯らしが過ぎ去る頃、一人の幼児が走り回ります。
朝は車のフロントガラスが汗をかき、空から降る涙も
白く形を変えていくにもかかわらず、ワンダーボーイが走ります。
半袖短パン。

姓は錦戸
名は亮

馬鹿です。

幸いアホなお陰で風邪を引く気配もなく、元気に過ごしてました。

確かこの一年は皆勤賞だったはずです。

毎朝6:30に起き、まずヨーグルトを食べます。
でも錦戸家ではルールがありました。
ヨーグルトは冷蔵庫に二種類常備してました。
一つは四コ入りのA
一つは三コ入りのB
値段はBがAの2倍ぐらいなんです。

男3兄弟は毎朝Aを
妹は毎朝Bを

何でしょうこの差は・・・。

まぁ妹はAの味が嫌いらしく、Bを両親が選んでいたみたいです。

しょうがない。
最後にやっと授かった女の子ですから。

つぎはパンを食べます。
パンはパンでも、厚切りの食パンを三枚。

ちっちゃい身体でしたけど、パンは毎日いっぱいたべてました。

そして最後の締めに、ほぼ牛乳に近いコーヒー牛乳をパパが作ってくれました。

それを飲み干す頃、母親が2階から降りてきます。
そう朝ごはんは毎日パパが作ってくれました。

別にママは自堕落な人とかでは無いですよ。
勘違いされると困るし、母にも名誉があるし。




ちょっと進めたいと思うんで、飛ばします。






関ジャニ∞が出来たのは・・・






はい。
飛ばし過ぎやろって思った人?



騙されたらアカンで。
物事の本質を見極めないと。

ちょっと逸れましたね。


保育園の卒園式の話を。
あんまり覚えてなくて、はっきり覚えてることが二つだけ。

一つは壇上に上がろうと思い、足をかけた瞬間バランスを崩し、
おっとっとってなって笑われた事。もう一つは卒園生全員で合唱した事。

その曲は外国の曲でした。

一ヶ月程まえから練習を重ね、英語で歌ってました。
親御さん、先生方は号泣でした。でもそれはそうですよね?
もう原曲の歌詞をとどめてないんですが、一生懸命
「レリピーーレリピレリピーレリピーー
って音程もクソも無く、泣きながらうたうんですから。

あっ、もう一つありました。
全てが終わったあと、園長先生の部屋に呼び出され、
トモコ先生と園長先生の前で、自分の夢を語り、両親にありがとう的な事を
テープに吹き込みました。
あのテープまだあんのかなぁ?

カァチャンに聞いてみよ。





レリピーーー

保育園 U 

October 01 [Sun], 2006, 20:24
僕の通っていた保育園では、年に一回「発表会」というのがありました。
園児達が色んな扮装をして、歌ったり踊ったり、
まぁ年少組の子達は走り回ったり、泣き叫んだりですけど・・・。


僕には自慢があります。
年少の錦戸坊やは、めちゃくちゃ可愛かったんです。

だからいつも発表会の時は、主役を演じてました。
その役僕がやるって立候補したら即決でした。
そう、可愛かったんです。

劇をする機械は二回あったんですけど、
一つ目は「裸の王様」の王様役、
二つ目は「王様の耳はロバの耳」の王様役。

主役、しかも王様ばっかりで鼻高々でした。



しかし、錦戸坊やはとんでもない間違いに気付いてなかったんです。

その間違いに気付かないままリハーサルを繰り返し、
いざ本番となった時、痛烈な敗北感を味わいました。

去年の「裸の王様」の時に集められた、僕に対する父兄さんのあの視線が、
大臣役の啓士くんに向いてるじゃないか。

僕は王様がロバの耳になってる事に気付かなかったように、
主役は大臣って事に気付いてなかったんです。

悔しかったです。

本当に悔しかったです。
でもそのとき思いました。
王様だけが、
頂点に立つことだけが全てじゃないと・・・。
幼いながらに学びました。


そんなこんなで運動会。

毎年、年長さんは鼓笛隊と組み立て体操を行うのが恒例になってました。

またそこでも熾烈な戦いが繰り広げられました。

鼓笛隊には小太鼓、シンバル、一人しかいない大太鼓。
そして、一番かっこいい「先頭で棒ふる奴」がありました。

運動会のオープニングを飾り、一番最初に出てくる「先頭で棒ふる奴」に
僕はすぐ立候補しました。でも身体が小さく迫力もない為、
当時のガキ大将的存在の、耕ちゃんがやる事に・・・。

僕は結局、その他大勢の小太鼓でした・・・。

悔しかったです。

本当に悔しかったです。



でもそんな僕にも転機が訪れました。

運動会のオオトリを飾る、組み立て体操のラスト、四段ピラミッドです。
僕の兄弟には代々受け継がれていたモノがありました。

そう、ピラミッドの一番上です。

身体も小さく、羽の様に軽かった為、そのポジションに抜擢されました。

いざ本番。

一段一段作っていく過程の中、耕ちゃんは一番下の段。
大臣役の啓士くんは次。
そして最後に、4、3、2、と皆が四つん這いになって作る土台の上に、
一人だけ立つ事が許された男。
錦戸坊やが足を開き手を水平に広げた瞬間、



ピーーーー。






・・・・・・
パチパチパチパチパチパチ。

拍手が鳴り響きました。

中々やまなかったです。

その拍手の中、僕は思いました。






やっぱり頂点に立つ事が全てやと・・・・・。






パチパチパチパチパチパチパチパチパチ・・・・・・・・・

P R
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