■エマニュエル・ピロ■

May 03 [Mon], 2010, 20:49

1989年シーズン
、ベネトンはアレッサンドロ・ナニーニとジョニー・ハーバートのコンビでシーズンを戦っていたが、前年国際F3000で負った足の傷の癒えぬハーバートが、第6戦アメリカGPをもって解雇され、その後任としてピロが抜擢された。これに伴い、ピロは全日本F3000への参戦を切り上げ、第7戦フランスGPにてF1デビューを果たす。
しかしナニーニに対し大きく遅れを取り、予選では10戦全敗。決勝でも、ナニーニが初優勝を含め4度(ピロと組んだ後に限れば3度)表彰台に立ったのに対し、ピロは入賞も最終戦オーストラリアGPでの5位のみという成績に終わった。結果的には、6戦のみの参戦であるハーバートに対しても、ポイント・最高位共に下回った。
1990年はスクーデリア・イタリアに移籍した。ウイルス性腸炎で開幕2戦を欠場し、第3戦サンマリノGPから参戦するもリタイヤが多く、14レース中完走3回、最高位10位という成績でノーポイントに終わる。
1991年もスクーデリア・イタリアから参戦し、第4戦モナコGPでは6位入賞。しかし、戦闘力の低いマシン故シーズン全体では苦戦、前半には3度の予備予選落ちも喫した。
結局、1991年をもってピロはF1のシートを失うこととなった。

その後はスポーツカー・レースに転向し、1994年・1995年にはイタリア・ツーリングカー選手権、1996年はドイツのSTWカップでチャンピオンを獲得するなどの成績を残す。
特に、ル・マン24時間レースにおいては1999年からアウディを駆り参戦。2000年〜2002年、2006年・2007年と5度に渡り優勝を経験している。
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