引越しました! 

January 01 [Tue], 2008, 1:27
とうとう一年間、何とか走り続けることができたこのブログ。
平成20年突入ということで、引越を致しました。
元旦号からは

http://jijigiri.seesaa.net/

にて、お楽しみ下さい。

yaplog様、大変お世話になりました

今年もいろいろありました 

December 31 [Mon], 2007, 10:17
本年最終回になるこの時事斬りブログ。
これまでに予想以上に随分と浸透したなぁというのが、私の本音である。これほどまでに、楽しみに(?)して下さるものになるとは正直、思っていなかった。それがこの年末までには随分とあちこちで、「先日のブログにあった件ですけどね…」とか、或いは「これはブログに書かれちゃいますね」といった評を戴けるようになった。
さて、余談はさておき、今年も振り返ってみて、10大ニュースだの、放送時間10大話題だのと、この年の瀬にはやたらと1年(2007年)をまとめて、どれが首位か?といった順番づけが恒例となってきていて、また同じように流されている。
ああ、そんなこともあったなぁと思うこともあれば、あれって今年だっけ?ということもままある。この、「今年だっけ?」という、すでに去年以前ではなかったかと思うような事態が、そのままスピード社会の風潮と言える。従って、このように、思える事象が多い人ほどスピードが速いといえよう。逆に、いつ、何が起こったのかということを「正確に」記憶している人達は、むしろ「うん、あれは○月だった」ということになる。
どちらでも構わないが、時代のスピードと共に、新たなる事件・事故がたくさん勃発していることに注目し、自分は、或いはわが社は、同じような過ちを犯すことは考えられない!と断言できることが大切なのである。
特に、企業も行政も、消費者、或いは国民という立場の方々からの信頼を失う局面が多かった一年だと私はくくりたい。これには真摯なる態度で顧客、支持者と向き合うということの欠如がハザードであったと考える。特に日本人の特徴は、言葉や行動、表示等々よりもその態度だとか、言葉遣い、服装などについての批評が先行する傾向が強い。従って、いろんな会見があったが、まずもってその中身よりも「体裁」の審判から入っていくので、この部分を通過できないと、真意が伝わらないという厄介な側面をもつ。
だが、これらの人々と融和していかないと、わが国における商売は成り立たないのだ。
これまで、最終消費者の目の前に出てくることがなかった人達が、最終消費者の目にさらされた一年だったと私は思う。結局、そういう人達が、日々直面していないからこそ、いろんな事件、事故が発生したのだと思っている。工業製品についても、食についても同じである。誰かが購買行動を起こさなければ、売上など立つわけもない。売上がなければ自らの報酬すら出ない。こんな単純な構造を頭から外してしまった経営者たちが、公衆の面前に引っ張り出された構図だと思う。
従って、常にそうであるが、今年一年を振り返った時、同じようなハザードは自らにはないのかどうか、しっかりとアセスメントを実施して、迎える新たなる年には、そのハザードを取り払った、ペリル発生のリスクを回避した目標値を大々的に掲げてもらいたいと思っている。
すべての人達に申し上げ、自分自身にも言い聞かせて本年の締めくくりとしたい。

天然ボケ・キャラを笑う国民性 

December 30 [Sun], 2007, 9:10
このところ、数年に亘って、いわゆるバラエティー番組が茶の間をにぎわせるようになってきている。一時の漫才ブームとは少しわけが違うようだ。
局によってということではなく、ほとんどの局が、バラエティーをもたないことがないほどに、この分野がどうしても視聴率をとるようだ。
中でも最近注目株なのが、いわゆる「天然ボケ・キャラ」。私はこれがウケる状態に、非常に危機感を感じている。
そもそもわが国が平和である象徴であることには変わりないのであるが、要するにクイズをさせてみたり、まともな会話をトンチンカンな回答にさせてみたりして、その天然ボケを「あざ笑う」ような気質が蔓延してきたという印象が危機感を募らせるのだ。
「ネタ」を笑うのは、「笑い」を作り上げているわけであり、その「人を笑う」のではなく、その「ネタ」を笑うわけである。
落語をみてみればよくわかるだろう。これから正月番組などで、日本の文化としての笑いというものを、それこそ伝統的に伝える笑いである。ここでも「人を笑う」ということはなく、むしろ「笑わせる人」はそれなりに修行を積み、尊敬に値するような方が多い。
その路線上を走るのであれば、私はそういった現代文化の一つとして何も取上げるようなことはないのだが、どうしても昨今は「人を笑う」という、人としてあるまじき行為に繋がる部分が見え隠れしているようで、わが国における国民性という観点から、警鐘を鳴らしたいと、ここにピックアップしたわけである。
このように、そのコンテンツ(中身:この場合笑いのネタ)で笑うのではなく、本当に回答できない、或いはコメントが少し常人とずれている人を、何のためらいもなく笑える国民性というものが、果たして今後、インターナショナルに通用するのか?そして、今後のわが国を支えていくであろう、国家を形成していくであろう青少年にとって、どのような影響を及ぼすのであろうか?という点で、もはやこれはソーシャル・リスクマネジメントの対象となるようにすら思えるのだ。
また、これらの「先」に何があるのか?という視点で考えても、それは人という存在そのものを笑うことに、ためらいがなくなっていったとすれば、いずれ笑われていた人は(意図的な場合を除いて)飽きられ、次に進むべき道がむしろ閉ざされてしまうのではなかろうかとすら思うのである。先行きが閉塞的であるということは、発展性がなく、今この場が笑えるからそれでいいという落胆的な思考で、「人を笑う」という行為が蔓延することを、非常に危機的な状態だということが言いたいのである。
気づいておられる方々も、随分いらっしゃることだろう。しかし問題なのは、そのことに気づかずに笑っている人達なのだ。ただ単にマスコミ等芸能界が作り上げたヒットに便乗しているという理由では、将来的に解決できない、非常なる問題になる前に、放送倫理のあり方等、熟考が期待されると私は考える。

本格的年末年始モード突入 

December 29 [Sat], 2007, 11:32
既に街頭では、大掃除用品に並んで、正月の飾りつけ等々が、これでもかと言わんばかりに並んでいる。どこへ行っても、この正月は云々という話ばかり。
しかしまだ仕事をしている人もいるし、年末年始だからこそ仕事という人達も、当然いる。
国民全員が休日にしてしまったら、どこへ行こうが何のサービスも受けられない状態だ。わが国は「ものづくり国家」とよく称するが、ところが実は製造業よりもサービス業に従事する人が上回っているという現実を証明するのが、こういった年末年始などである。結局、どこで過ごそうが、何をしようが、サービス業が休業してしまったら面白くないし、計画など立てようもないのだ。これでも「ものづくり日本」と、世界にうたい続けるのだろうか。
ディズニーのミッキーはねずみということもあって、それがまた干支だという。何周年になるのか知らないが、この年明けには一つの節目としての年を祝うということもあって、何と初詣に行きたい先リストに堂々と入っているから驚く。
もはや、初詣は「神事」ではない!と、国民が言っているということである。従って、相変わらず初詣の人手No.1人気は東京の明治神宮ではあるけれども、まさかディズニーが登場するとは、特に昭和の世代には理解不可解の極みであろう。
しかしこれが現実であることを理解しなければ、時代のトレンド、これからの嗜好というものが読めない。批判するばかりでは、ただの古い人になってしまう恐れもある。流行に乗れと言っているわけではない。そういう人達にこれから支えられていくということを理解せよと言いたいだけなのだ。
自分の価値観を持つことは、非常に大切であると思っている。しかし、同様に、他人の価値観も尊重しなければならないと、私は考えている。要するに、これからの時代には、従来論を振りかざしたところで、通用しないことが増加するであろうことを示唆していて、自己主張も必要だけれども、他人を、周囲を理解するということを意識していかないと、本当に時代に取り残されてしまう。伝統芸能等、トラディショナルな業務についている人は、それを守れば良い。しかしそれでも、今を理解する心は必要だ。
逆に、時代を創造したり、先進的な開発に携わる人達は、無視できない状況にある。
ドッグ・イヤーならぬ、バード・イヤーである。とにかく時間が恐ろしいスピードで過ぎていく。その速度は速まるばかりであり、もっともっとアンテナを高く、そして理解する力を持たないと、そのうち誰も相手にしてくれなくなることは想像に難くない。
これが時代遅れのリスクである。
今、スピード感を仮に感じていない人がいるとすれば、情報が不足しているといえるだろう。確かに情報は氾濫しているが、何を取捨選択すべきなのか、年末年始だからこそ、しっかりと考えてみる必要があるのではなかろうかと、警鐘を鳴らしたい。

判例の脅威 

December 28 [Fri], 2007, 7:30
通常、先に判決が出たものを基準として、事件に対する司法の判断を想像するということは行われていて、判例という言葉からもあるように、まったく前回の判決を無視するということは、考えにくいものである。
私は法曹界の人間ではないが、しかし経営の世界において考えてみると、あらゆる事象が実は特別な要素を含んでいて、二つとしてまったく同じケースということはまずありえないということを認識する。かといって、これまでに起きた事象をベースに応用していかないと、結論は堂々巡りになり、しかも絶対的評価となってしまうために著しく厳罰になってみたり、著しく軽度になってしまったりしても整合性がとれず、不公平感が残る。
これらの中で、必要書類というものが、特にデューデリ等の場合にはある程度限定されてくるが、ほんの一枚のメモが、トラブルを回避することになったり、或いは、商取引における、どちらのミスか?を巡っての解決の糸口となったりすることは否めない。
そんな中、捜査段階で容疑を認める調書を作成されたが、公判で否認した男性被告(59)の事件をめぐり、取り調べた警察官のメモを開示すべきかどうかが争われた特別抗告審で、最高裁第3小法廷は26日までに「警官には捜査の詳しい記録が義務付けられており、これに基づく備忘録やメモは個人的な手控えの域を超えた公文書」との初判断を示した。
堀籠幸男裁判長は「検察官の手持ち証拠以外も開示対象になる」とも判示した上で、メモの開示を命じた東京高裁決定を支持、検察側の特別抗告を棄却する決定をした。
こうしたメモ類に記された取り調べの詳しい状況や内容は被告に有利に働く可能性もあるが、従来開示されなかった。対象を拡大した今回の決定は、捜査や公判に大きな影響を与えそうだ。
私の知り合いに、自称「メモ魔」という人がいる。とにかくメモすることを自分でも止められない状態で、メモを残しておかないと心配で、不安になるというのだ。だからこの人の「持ち歩く」スケジュール帳は、「デスク用」の非常に大きなもので、もう空白がないのではないか?というくらいに空いているスペースを使いまくっている。この人がもし刑法なり裁判なりに関与することになった場合、この「メモ魔」という性分が裁判でどう働くのか、恐らく当人が一番恐ろしくなってくるだろう。
いわゆる落書きというもののたぐいを、会議資料の端であったり、試験の答案用紙であったりといった箇所に、ふと書くということがあるだろう。となると、これらもいわゆる証拠のたぐいになっていくのだろうか。
あくまでも今回は「警察官のメモ」ということに限定されているが、あまりにも発展していくと、警察官がメモし忘れたり、メモすることをためらったりするような現象に結びつかないようにしてもらいたいと思う。そして広く一般にも「メモ」の重要性というものが、過度に意識されるようになると、メモするという行為そのものが怖くなるだろう。
ともすれば、メモをシュレッダーにかけるという行為すら、証拠隠滅という形で遡及されるようなことにならなければいいのだが。
時に有効な手段であろう、この警察官のメモを公文書と位置づけるということであるが、それを意識して公文書を作成するようなことが起きないように願うと同時に、証拠の範囲を広げる際には、その理由と、いたずらに広げることはないという限定意見も沿えて戴ければ有難い。

ようやく原油高騰による景気低迷に動き始めたが 

December 27 [Thu], 2007, 7:28
役所というところは、どうも目先の問題や、それらによってどのような影響が出てきたかが顕著にならない限り、先んじて手を打つことができない体制になっているようだ。本来のリスクマネジメントの対象としては、行政リスクマネジメントという分野はしっかりと君臨していて、わが国のそれは非常に遅れているといわざるを得ない。
そもそも、リスクマネジメントの発祥が、その根源を政策としてドイツやアメリカといった国々が打ち出したところに起因するのに、わが国では単なるいつもの輸入であるから、認識の古い人材は中央に置かないようにしてもらいたいものだ。
経済産業省は26日、原油高や建築着工落ち込みなどの影響を受けている地域経済の実態を踏まえて緊急の拡大経産局長会議を開催、甘利明経産相が中小企業などへの支援対策を徹底するよう指示した。各地の経産局長らが報告した管内経済情勢では、全国10地域のうち関東、近畿、中国、九州の4地域で景況感が悪化。これを踏まえ同省は全体の景況判断を下方修正し、景気減速への懸念を示した。
これでおわかりだろう。各局長からの報告がまとまり、それらを中央で議題にしたところからのスタートなのだ。つまり、景況感の悪化が「まとめられ」「報告されない」と、動き出さない仕組みになっている。むしろ、年末などにおける資金需要が大きくなってきていたり、これだけ原油高騰による波及的影響が出ていることに対して、本来であれば、緊急に中央から指示が飛ぶべきところだろう。これまで苦しんで耐えてきた中小企業にとって、「これから支援対策を徹底するよう指示がでた」ということは、まずもって歓喜の声よりため息が優先するのではなかろうか。
甘利経産相は、政府が緊急原油高対策として取りまとめた中小・零細企業の資金繰り支援などの徹底や、中小企業が素材価格の上昇を製品価格に転嫁できるよう、取引先の大企業への監視を強化することも求めた。
およそこれらの中で、一番期待される部分が「中小・零細企業向けの資金繰り支援」策であろう。一体、どんな「支援」が検討されているのか、ここでは明言していない。ガソリンスタンドなどでは、結局、卸価格が高騰しているから、そこに差益を少しだけ従来どおり、若しくは従来以下にして乗せ、店頭販売価格としている。そもそもの単価が上昇すれば、「仕入れ価格」という部分が膨大になっているということがわからないだろうか。確かに単価が上がるから売上も上がる。しかし利益は「差益」という構造だから、ガソリン等の消費を抑えられれば、その時点で「減益要因」となっているのだ。このような窮地において、仕入れを止めることは不可能であって、そのためには単価の上がった卸値に従うしかない。当然、資金繰りは悪化し、これら資金に対する支援策に対しては喉から手が出るほどすがりたい気分であろう。
また、取引先である大企業への監視というが、結局のところ、このガソリンを見てみただけの範疇でも、仕入れが高くなったのだから、その分は卸会社はスルーするだけで、当然のようにその差額の負担は末端のスタンドへと転嫁しているという実態だ。これをどうやって、何を監視するというのか?
更に、「中小企業が素材価格の上昇を製品価格に転嫁できるよう」というが、このようなことを促進することは、中小企業の維持にはなっても、「家計」にしわ寄せせよ!と言っているようなものであり、どうにもバランスの悪い指示に見えて仕方がない。
経産省は通常年3回、拡大経産局長会議を開催しているが、原油高などを受けて12月に初めて緊急の会議を開いた。
これが実態である。「原油高」がいつから始まったのであろうか。商品への転嫁、家計への圧迫、しかも代替穀物市場への影響まで出尽くしてきて、「初めての緊急会議」と来たものだ。このような時間軸のズレた政府を、我々は本当に頼りに生きていっていいのだろうか?それが法人単位であれ、個人単位であれ、生活の安心と安全という言葉を首相は使っているが、どこにそれが反映されているのか、「筋」を通してもらわないと、納税者としてはクビをひねるどころか、クビが回らなくなってしまう。政府に頼っていてはやっていけないということになれば、行政サービスの対価である税金を納税しないで、自己責任においてでも損害回避、事業継続に充当しなければならなくなることが、中央には見えないようだ。

労働者保護策はどこまでが妥当か? 

December 26 [Wed], 2007, 7:26
人材の採用に関しては、労働者よりも雇用者の方に権利主体が存在することが一般的である。従って、採用するか否かについては、企業側に一存するという形が通常だ。しかし、たとえどのような属性を持つ人材にしても、「頭数」を必要とする場合はこの限りではない。
時間軸を追ってみると、逆に一旦採用された労働者の権利というものはすさまじい。まるで雇用している企業にとっては爆弾のような存在にまでその保護領域というものは護られている。それをいいことに、都合のいい勤務をする労働者も後を絶たない。従って、雇用側の企業は、労働者に振り回されることを嫌う。
労働者派遣制度の見直しを議論する厚生労働省の労働力需給制度部会は25日、日雇い派遣制度の規制強化を求めた中間報告を取りまとめ、日雇い派遣を手掛ける企業に対する派遣料金の情報公開や指導・監督の徹底などを盛り込んだ。厚労省は日雇い派遣向けの指針を新設する方針。
派遣先から派遣会社に支払われる料金水準が公表されれば、派遣会社の手数料が分かり、労働者がより有利な派遣会社を選ぶことができる。
この理屈がよくわからない。どうして派遣会社の手数料がわかると、労働者がより有利な派遣会社を選択することに繋がるのだろうか。結局、派遣会社がいくらもらおうと、派遣会社と労働者の間で交わされた日当等賃金の契約に何ら影響はないはず。
むしろたくさんの手数料をとっている会社の方が、派遣会社そのものの経営の安定ははかれるはず。しかし、たくさん手数料をとっているからといって、それが労働者にとって、より「有利な」派遣会社選択にどうして結びつくのであろうか。薄利の派遣会社は、より多額の売上があれば、確かに労働者に渡る額は多いかもしれない。しかし薄利の企業の安定性を考えると、その会社を選択することが、必ずしも労働者にとって有利であるとはいえないのではなかろうか。
むしろ、派遣先企業から派遣企業にいくら渡っているのかを知らない方がいいという考え方もあるのではなかろうか。私はこのスタンスに賛成だが。先にも述べたように、結局派遣会社がいくらもらおうと、労働者に対して支払われる額は派遣会社と労働者の間で締結されるものであるわけだから、このような公表を強いたところで混乱を招くばかりのような気がしてならない。足元を見られるような派遣会社がたくさん出てきて、結局のところ労働者が直接日払いアルバイト登録をするということを促すのであれば話はわかる。しかしこのような事態は、派遣会社に対する威嚇行為を厚生労働省がとっているといっても過言ではあるまい。
日雇い派遣向け指針では雇用契約をできるだけ長くするよう求めるほか、賃金など就業条件の明示徹底などの派遣企業が守るべき事項を盛り込む。不十分との指摘が出ている日雇い派遣労働者の保護につなげる狙いだ。
「日雇い派遣」がどうして雇用契約において「長く」する必要があるのか?「日雇い」とは、「その日だけ」ということが雇用者も労働者も都合がいいから、成り立っている制度ではないのだろうか?これがそんなにも優先的な課題であるとは信じがたい。
ただ労働側が求めていた、日雇い派遣のような登録型派遣の原則禁止など主要な論点は労使対立で結論が先送りされ、学識経験者による研究会を設けて議論することになった。厚労省は来年の通常国会への労働者派遣法改正案の提出は見送る。
そう、見送るべきである。
これがわが国における労働者の多様化に伴う、優先的課題であるとは到底思えないからである。そして、また出てきた「有識者」。この中に、日雇い派遣を労働者として経験した人は含まれるのだろうか。或いは、日雇い派遣を雇った経験者は含まれるのだろうか。政治家や、学者によって組織されるのであれば、討論に入る前に双方側を一旦「経験」する人が、本当の「有識者」ではないのだろうか。
頭でっかちの連中だけで、現場を知らない人達に、勝手な討論をされたくない。学識を軽く扱うつもりはないが、実体経済を語るには、それなりの「経験」も必要であると忠告申し上げたい。

報道に対する温度差 

December 25 [Tue], 2007, 7:05
参議院選挙が今年の10大ニュースのトップを占めた。
衆参ねじれ国会や、自民党の完敗などを背景とした場面が、この結果をもたらしたという。
果たしてそうだろうか?
およそ、中学の時に「公民」で習ったか、或いは高校において「倫理」で習った程度の国民が、果たして本当の姿を理解しているとは信じがたい。それほどわが国国民は、実は政治に関しては理解があるとは思えないからだ。むしろ、無知に近いのではないだろうか。
低迷する投票率。目先の発言に左右される有権者。田舎にタレント並みに訪れたからと投票してしまう人々。政策など、マニュフェストすらテレビでしか見たことがないという人々…。これで正しくその真の姿が見えていると言えるのだろうか。
特に年金問題などはその顕著な例である。これまでの国会議員選挙において、ずっと話題にのぼっていたが、今になってようやくその実態が発覚し、そこに非難の声が集中している。
チョット待った!である。あなたたちが選出した国会議員を中心に国会は運営されてきたのだ。有権者が指示した人達だ。当然、本来は政府や国会というところを相手取っているけれども、実は自分たちが投票した人達なのだ。筋道論からすれば、有権者たちもその責任があるといえなくもないことを忘れていないだろうか。
ついでだが、年金問題について、判明しない可能性があるものが出てきたという話になっている。「けしからん!」というマスコミや野党。では野党第一党の民主党に、次期政権を任せられるか?ということになる。今は野党だから、声高に与党の批判をしているが、いざ政権をとって、代表辞任でわさわさと揺れまくった民主党が、本当に年金問題を解決できるのだろうか?過去の張本人である管元厚生労働大臣もいる。過去を否定できるのか?真剣に考えてみれば、おのずとわかるはず。誰がやっても突合が不可能なものはあるのだ。それをどうするか?という前向きな与党が誕生するのだろうか。
最終的に、韓国のように政権が他の政党に移ったとして、その運営に文句が出てきたら、やっぱり元々の状態がよかったと、初めて思う人達が少なくないと私は思うがいかがか。更に拍車をかけるように、解散のない衆議院選挙で、与野党逆転をさせたのが国民であり、有権者一人一人の問題だ!となった時、本当に有権者の一人として、個々の国民が我が身を振り返るのだろうか。
私はこの10大ニュースの第1位とは言うものの、無知の結集だと実は思っている。
このブログを通じて何度も訴えてきているが、「正しい理解」が欠如しているのが、現代のわが国であるのではなかろうか。
順番をつけて、年をくくるのは、一見振り返るようで楽しいかもしれない。しかしそれらの中でも反省すべきところは、国民一人一人が「我が事」と、当事者意識を持てるかどうかにかかっていると考える。
知恵のない者ほど吼える。そのように指を刺されないようにしたいものだ。

優越的地位の乱用に注意 

December 24 [Mon], 2007, 11:59
非常に残念なことだが、保険の販売もしくは保険商品そのものが、わが国においては他の金融商品に比べて「低く」見られていることは否定できない。保険を扱うようになっては成れの果てとまで明言する方々すら存在するのが実情だ。
しかしこの位置づけはわが国独特のもので、いかに複雑で、デリバティブ等周辺の金融知識が備わる「以前」から販売されてきたかという点において、その理解不可解な金融商品を直視していなかったという国民の愚かさに端を発していると私は考える。
保険契約を締結する際には「入ってあげる」という高飛車な契約者だが、いざ交通事故を起こしたなり、入院や死亡という事態に直面した時には、「頼みの綱」として都合よく扱う。もちろんそういう時が保険商品の活躍の場ではあるのだが、手金で処理できないから頼りにするわけであって、そもそも契約とは同等の位置関係のものなのである。
銀行による保険販売が22日、全面解禁された。大手銀行は死亡保障、がん、医療、介護保険などに販売商品を広げ、手数料を新たな収益源にすることを目指しており、地方銀行も追随する見通し。
この、銀行による保険販売というものは、保険会社が顧客の財務状況等を把握することなしに勧誘してきたことと比べて、顧客の内情を知りうる立場という、現存する保険代理店とはまったく異なったアプローチとなる。しかも融資等を絡めると、かなり優位に位置した状態からのアプローチとなるから厄介だ。書面にはしないものの、「条件」的な物言いが末端ではなされるリスクを包含しており、その優越的地位を乱用した販売方法に対して、顧客は歴然とした態度で臨むべきであると警鐘を鳴らしたい。
およそこのような新分野への進出という時には、最初の段階で勢い良くスタートを切ろうとするから、そのノルマは半端ではない。保険募集人が頼むのと、銀行員が頼むのでは、伝わるものがそもそも異なるのだ。だからこれまでは、保険会社は銀行とタイアップして銀行顧客を保険に勧誘してきたという実例が山ほどある。そして銀行への謝礼として、通知預金という形で一時的に億単位の預金をしてきた。だからこの方式がとれなくなるということは、保険会社にとっては総枠で捉えることができても、「代理店」や「募集人」からすれば、その手数料で経営していたところに対してかなりの痛手となりそうだ。
保険業界では、第一生命保険が相互会社から株式会社に転換し、総合金融グループへの道筋を探る姿勢を表明。政府も金融自由化を加速しており、銀行と保険会社の間で業態を超えた再編が起こる可能性もある。
銀行での販売が新たに解禁されるのは、多くの生保が主力商品としている毎月保険料を支払う平準払い型の死亡保険をはじめ、がん保険や介護保険といった第三分野商品など。金融庁は「銀行での保険販売が広がれば消費者の利便性が高まる」(幹部)とみている。
非常に高いところから見ると、こういうことが起こる。すなわち本当に銀行が取扱うと利便性は向上するのか?しかも「第三分野」といえば、この度の「不払い問題」の中心になった商品群だ。保険会社の痛手の部分に塩を塗りつけて奪い取ったかのような状態にすら見える。果たして保険会社ですら運用が難しかったことを、銀行がなしうるのか、見ものである。また、同じグループ企業として既に形成されている保険会社と銀行間のバランス、出資関係におけるバランスがどう変化していくかも微妙であろう。
銀行は保険会社から商品供給を受け、販売実績に応じ手数料を受け取る。大手行は生保からの出向受け入れや中途採用で保険販売の拡大に備えてきた。
およそ保険会社本体の「社員」というものは、実際には販売することはまずないといっていい。というより、販売する人々を管理する業務が主であり、実売した経験などないに等しい。
つまり、銀行は「直接販売」であり、保険会社は「間接販売」という致命的な違いがあるにもかかわらず、保険会社から人員を受け入れているというだけで安心を思わせる報道はいかがなものかと言わざるを得ない。
どうしても銀行の圧力販売に屈っしざるを得ない場合には、最期の砦として、その査定能力を確認されたい。先にも述べたように、保険という商品は契約しても何の利もない。その後、長期に亘ってようやく商品の力量が試されるもの。その時期になって「しまった」と思わないためにも、ここがリスクヘッジのしどころであろう。

この週末の期待と成果 

December 23 [Sun], 2007, 9:36
特に、サービス業を中心として木曜〜土曜は熱い戦いの日々だったように思える。
消費者が、その消費行動を最も盛んにすると見込んでの争奪戦は非常に激しいものがあった。時代が既に冷え切っており、この期を逃すと…!という勢いが感じられた。
しかしまだ今年は残っている。ただ、これらの産業からすれば、もう今年は終了したのかもしれない。
まずはクリスマス商戦。直前の週末突入という日程になってはいるが、およそ取り寄せなり、サイズなりという物質的な側面や、三連休も大詰めになってくるからゆっくりと買い物をするならば…という物理的な側面から、恐らくこの週末がピークになったのであろう。
事実、恐らく今週明けのクリスマスには、既にレストランなどは予約されているだろうから、事前に予定している人達が繰り出すという先細り感や、先読みが可能となるだろう。
特に、普段は閑散としているジュエリー売り場などは、一年のうちで最も客足が多い時期であるといえよう。
夜の世界でも、この時期に集客しないと、クリスマスではなかなか集客が不可能。それでもガラガラの店と予約でいっぱいの店が存在している。こういう時に、普段からの営業努力が試されるように思う。
しかし、こういう世間一般が出歩く時期に、普段から出歩いている人達が遭遇すると、比較的ゆっくりとしたくつろぎのような感覚に対して代金を支払っていたものが、半ばオーバーフローしてしまって、店側もてんてこまいになり、結果、常連客へのサービスがおろそかになるという事態がまま発生しやすい。こうなると、費用対効果という観点をよくバランスできている人は、その料金パフォーマンスを考えて、敢えて出かけない。むしろ、こういう時でないと!という人達でごった返すから、新規顧客獲得のチャンスとはいうものの、「お客として素人」を相手にするわけだから、道理も知らなければ、料金やサービスを巡っての論争も絶えない。
夜中になって、いつも行列の中からタクシーを拾っている人達も、どこにもタクシーのいない現象に後味悪く感じる。タクシーにしてみても、一年で最も乗車率の高い時期だから、稼ぎたいのだが、特に法人タクシーの場合は、「就労時間制限」が厳しくなってきたこともあり、ローテーションでこの深夜の時間帯を外された運転手にとっては、面白くない。逆に、折角ありつけても、乗車マナーを知らない人達が増加するから、トラブルが絶えない。
折角、ボーナスの一部を大切に握り締めて、ここぞとばかりに繰り出したところで、慣れていないと使い方や、本当の費用対効果、パフォーマンスというものを知らずに帰ることが多い時期ともいえる。だからこの週末に「開拓した」と思った人は、実は普段の姿ではなく、また、マナーがどういうものか?など、到底知らないわけだから、改めてもう一度、検証を兼ねて、来週も出かけることをお勧めする。
一時的なブームなり、混雑の中に、本当のサービスを知る人は出ないことが少なくない。そして、もし出るとすれば、この時期には何も期待しないのである。
どこからであろうと、一瞬であろうと、売上が立てばいいという発想の事業者であれば別だが、これらの機会をうまく利用して、顧客獲得へ!と思っているサービス業では、むしろ混乱するばかりだったであろう。
これからクリスマス、年末・年始と続くが、サービス業のお世話になる時期はこれで峠を越えたといえる。そしていよいよ普段と異なる景色が、また異なった角度で展開されるであろう。
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