mokuji

January 09 [Mon], 2017, 6:36
     目次
      私のあゆみ

         まえがき              1
平成十二年   私の世紀末             5
平成十三年   私の新世紀             8
平成十四年   忙しかった一年           12
平成十五年   社旗がなびく町           15
平成十六年   町内会長卒業            19 
平成十七年   四国八十八か所お遍路の旅に思う   23
平成十八年   老人クラブ(長生会)について    29
平成十九年   高年大学に学ぶ           34
平成二十年   「定年からの道」発刊計画      38
平成二十一年  私のブログ             42
平成二十二年  パソコンで本を作る         46
平成二十三年  軽スポーツの奨励          49
平成二十四年  (書く気力がでなかった)      52
平成二十五年  住めば都 みんなの町は
みんなで作るもの  52
平成二十六年  八十一歳の同級生          56 
平成二十七年  ないものを創る楽しさ
 平成二十八年  パソコン寺子屋          
         あとがき            
                    

H28

January 08 [Sun], 2017, 6:18


平成二十八年
        パソコン寺子屋
 地元町内老人会の副会長を再度仰せつかって四年が経過した。各種行事の案内状作成から会員部数の印刷・配布等、関連作業がいろいろとある。
 年度初め公園広場、桜の下で花見会をすれば事前準備や、進行係をしなければならない。写真を撮影・編集しプリント、記録まとめも必要だ。上部団体連合会の行事も含めると色々な仕事がある。春の日帰り旅行。八月上旬の慰霊祭、毎月の連合役員会へ出席。平日毎朝のゲートボール・グラウンドゴルフの練習や大会への参加。月二回のパソコン教室・囲碁クラブ等もある。学区の編集委員をかねていると、どうしても必要なのがパソコンである。
 十月二日(日)、町内秋の祭礼があった。子供達が遊ぶ射的や輪投げの部署を昨年と同様、二年続けて担当することになった。先回は始めて作った三連発射的の記事を掲載させていただいたが、屋外で行う為、少々の風があっても的が倒れないよう市松模様の防風板を作った。これを試しに使用するのは今年が始めてであった。計画どおり成果は上々である。
 輪投げはその辺の屋台で行う、ちゃちなものでなくシニアースポーツの競技用クロリティーで本式な輪投げリングを使っている。
次のページの写真は祭日の二-三日後には写真を編集・プリントして、担当して戴いた子ども会・PTA・町内組長さん十名の方に配布させていただいた。写真はカラーでA4写真用紙一枚にまとめている。
私の書いている書類や旅行等の写真を見て、「パソコン操作を教えて欲しい…」と要望があった。再三云われたが、今は男一人住まいの所へ女性一人で来るのは、周りの目もあり出来ない。コミュニティーセンター等場所を借りれば部屋代等費用が出る、やむを得ず、自宅の居間で毎月二回『パソコン寺子屋』を行うことにした。



今年二月よりノートパソコン各自持参で開始した。最初は女性四名であった。この四名は学区の女性会の各種役をしている方で、五-六月より老人会の二名が加わり、今は男一女五の六名が参加している。
ある時は、メガネを忘れた―― 私の予備を貸したら  良く見えるとの事
一名は私のノートパソコンを使っていたが、暫くしたら自分で ”ウインドウズ10”

を買ってきた。六人中 XPありビスターやウインドウズ8ありで、こちらのほう頭がこんがらがって参ってしまう。毎回のテーマ・資料は私が老人会で作っている案内状や写真、編集原稿をそのまま使っている。
昨年は同じ宗派の人で仏教のアニメ映画会を六巻、自宅で六回行っている。一巻が二時間位かかりプロジェクターで畳半帖くらいのスクリーンに映すもので、無料ということで行ったら、皆がお菓子を持ってくる、お茶を出したら、そのうちにビールや酒を持ってくる。酒ビールは私の好物であるが何か高いものになってしまった経験がある。
今回の『パソコン寺子屋』は一回一人百円とした。今は貯金箱に皆が来ると自動的に入れている。貯金箱も十一月には大変重くなってきた。このお金で十二月はじめ、駅の近くのすし屋さんで、昼食に上寿司は無理、並寿司にビール、ウーロン茶で忘年会をやることにしていた。
今日はその十二月七日(水)パソコン寺子屋の、一年のまとめ忘年会である。寿司にお刺身、茶碗蒸し等、アルコールの進むに従い話も弾み結構賑やかな宴会で、予定の時間も超過した。

私は八十四才を超えた。皆さんはパソコンの基礎は出来ているので、老人会の「パソコン勉強会」へ入会を進め、これを機会に定期に行う寺子屋はやめることにした。
年末年始はゆっくりとおいしいお酒でも戴いて、来る年が、もし元気であれば又なにをしようか? じっくり考えることにする。

H27年 記

January 07 [Sat], 2017, 9:11

平成二十七年 
       ないものを創る楽しさ
 
 ここ二、三年地域老人会の役員を再度させて戴き、いろいろと考えさせられる事が多い。
 まず老人会の会員募集であるが、主旨説明書を町内各組へ回覧板で廻して戴いてもまったく反応がない。そこで個人的にお誘いを入れても
「まだ老人会に入るには早いよ!」と云って、七十才を過ぎた女性の言、元気なのはありがたいことだ。

 名古屋市・西区でも毎年老人会のチームや老人会の会員数が減少気味で「老人会」と云う名前もイメージが悪く検討中であるとの事。
 昔の老人会の行事と云えば、ゲートボールと旅行のみであった。ここ二十年位前から広場や公園で手軽に出来る、グラウンドゴルフが始まった。その後カラオケ愛好会・パソコン教室も創って来た。昨年暮れから囲碁クラブを思い立ち各種会合また集まりで趣旨説明して囲碁の出来る人を探しては募集説得に二〜三か月かかって、ようやく十余名の会員が集まり、二十七年四月より「囲碁クラブ」を発足させた。新年度学区内広報誌「なかおたいだより」に掲載させて戴いたものが次頁のとおりである。 今では長生会連合会より、わずかな助成金であるが他クラブと同様に援助し魅力ある老人会発展のために活躍している。有段者を含め新しいクラブを創る事が出来てこんなに嬉しいことはない。会員であり発起人である私が一番囲碁の成績が悪いのは残念だが、クラブが出来皆が毎回楽しんでいる姿を見ると、ないものを新しく創ると云うことは本当に楽しい事である。





其の二
 今年の十月四日(日)は私が住む町内の秋祭りである。近年マンションの増加で町内には千世帯近くが住む。今では空き地もほとんど無くマンモス学区で数年前には小学校の教室が増築された。
 昨年は台風十八号で祭礼が中止になったが、今年はみんなが張りきって、町内各種役員関係者、約百名が祭りの主催者となった。其の中に、私高齢になったが八十二歳で祭りの子供関係ゲームコーナーの責任者を仰せつかり子供たちの祭りの遊び、射的や輪投げの担当になった。
 二年前から構想は練っていたが「3連発射的」を今年から採用準備を進めてきた。用具も既に完成、1年前に町内役員へ寄贈しているが、子供たちの使用状況・反応を見るのは今回の祭りが初めてである。
 祭り当日は早朝七時から遊具を取り出し設営、八時から子供たちのお世話をしていただく町内組長三人・小学校PTA三人と子供会三人に、役割分担と遊具の説明・取り扱いを実習していただいた。 準備も整い本番を待つのみとなった。 
 午前十時町内会長の挨拶に続き、打ち上げ花火の合図と共に一斉に子供達が集まってきた。今年は単発式射的と、新しく三連発射的の二箇所となった。実物は下の写真の如くピストル式遊具が三連発射的である。夫々の部署で的に命中、子供達が歓声を上げる。順番待ちで並び始め、嬉々として遊びに耽る子供たちの笑顔を見る事が出来た。大人たちは和太鼓の演奏やみたらし団子に缶ビールで歓談。又最後にお楽しみ抽選会があり、私も米五sがあたった。私の発案した三連発射的も成功裡に終わり,町内の秋祭りは明るく・楽しく、有意義な一日となった。
 

H26年 記

January 06 [Fri], 2017, 6:20

平成二十六年
      八十一歳の同級生

 もう八十才を越えるので小学校の同窓会は、家族に迷惑をかけるのでやめる事にしよう!  と云って三年毎に行っていた同窓会から暫くの年月が経過した。 同郷の四〜五人の飲み会からもしばらく経っている。
 生まれ育った田舎、 三河八橋の「カキツバタ」 (愛知県の花・知立市のメインの花) もさぞかし満開に近いであろう――  碧南の同級生の一人が五月はじめK君の所へ、しばらく遇っていないので 、
「お元気ですか? 近いうちにお逢いしたいですね!……」 と電話したら……  「うちの主人は先日 亡くなりました……」 
「え……」      電話の主はすぐに次の言葉が出なかった。
その電話をした同級生のH君が、私のところへ 「みんなと久しぶりに、カキツバタの花を見ながら一杯やろう」 と思い、K君の所へ電話したが、亡くなっていたと……先の会話を知らせてくれた。 
我々八十一歳を超えた同級生とは、こんな状態に置かれている……と云う現実を思い知らされた。
 それは今までまったく知らなかったこと。  これからK君の所へお参りに行こう。 と云うことになり、知立駅で待ち合わせ、八橋の同級生I君の所へ向かう。
 I君・H君・T(私)の三人が知立市のKさん宅へ数珠持って同級生の弔いに向かう。
 この三人も一人は車にも乗れず、多少認知症の傾向がある。又車で送迎して貰った友も昔はタクシーの運転手の経験もあり、今でも車を利用しているが、歩く時は杖をついている状態。この私もガンと云われてもう八年も経つ、それ以降通院はしているが自分の体はじぶんで管理しなければならない。一人暮らしであるが足腰はヒアルロン酸やコラーゲンのお陰で、なんとか立ち居振る舞いは一人で出来る。ありがたいことである。 三人が知立市の同僚であったK君の家へ、そして一週間前に亡くなった遺影の前で手を合わせ、カキツバタの花見どころでなく、亡き友のご冥福を三人でお祈りした。
 この歳で同級生の多くを亡くしたが実家の町、八橋で「カキツバタ俳句会」 の主催をしている女友達(同級)もいるが、なにか目的を持って、加齢をものともせず頑
張っている同級生もいる。 女性はまったく強い。
 私も八十一才を越えたが地元老人会の副会長をし、学区季刊誌の編集委員であり又この四月より老人会連合会の会計を仰せつかり、今は遊ぶ暇もない位忙しい日々を送っている。 よく考えてみると、これらの仕事が出来る事は誠にありがたいことである。   昨年暮れより、仏教の勉強を始めた。
 仏教とは死んでからのことではない。今生きている時、何をしなければならないか?  これが仏教で、老体に鞭をうち、何とか如来釈尊・親鸞聖人の教え(仏教)を会得しようとしているが、いつ我が身が終えるともしれない事を思いつつー。
 勉強会は西区生涯学習センターや神宮西の浄土真宗名古屋会館である。(寺でない) ビックリしたのは百人集まるとその一〜二割は、いわゆる老人であるが、大半は三十〜五十代の若い男女が殆どで皆さん勤めがあり、実施しているのは日曜日の朝九時半〜十二時・十三時半〜十六時までで、世の中は今、大きく変わりつつある。
この世で人間らしく生き、人のため、良いことをして仏に救われる者で幸せを与えられた者のみが光明を得られる。 善因善果・自因自果、自分が蒔いた種は必ずいつか生えてくる。これが因果の道理で、いくつになっても忘れてはならない大切なことである。 これが仏教の根幹になっている。

其の二
 今まで書いてきたことがらは、小学校の同級生の現状を記したものであるが、これからは高校時代の同級生である。昨年は昔から仲の良かった三人で「下呂温泉へうまい酒でも飲みに行こう!」と名古屋駅西へ昼集合。下呂温泉、旅館さしまわしの直行バス(毎日運行)に乗って一泊旅行を楽しんだ……。これを聞きつけた同級生の一部から、
「おまえ達だけで楽しんでいてはイカン……昨年の同級会で残ったお金もあり、最後の同級会をやろう」と云うことになり、愛知県蒲郡市の竹島ホテルで一泊の同級会が開催された。
 八十才を過ぎると同級会に集まる人数は限られ、それでも八名が集まった。うち一名は若干耳が遠くなったが、後は皆元気である。この歳になってもコンパニオンを呼ぼうとなって二人も来てそれは賑やか、写真を撮ったりカラオケで歌ったり・踊ったりそれは楽しい最後の同級会となった…… これは
昨年暮れの出来事であった。
 今年の七月末、八十一歳の先の仲良し三人組み(岡崎・安城・名古屋私)が又うまいお酒を飲みに行こうと……と云うことになり、浜名湖へS君の高級車でドライブがてら出発した。目的宿泊先はK君が現役時代勤めていたトヨタ紡織の三ケ日の健康保険寮である。夕方四時までに到着すれば良く、途中道の駅に寄って、浜名湖のウナギで昼食をした。また龍譚寺と云う古寺を
見学して、宿泊地・三ケ日の山頂にある、健康保険寮に予定どおり到着した。部屋の窓を開ければ浜名湖が一望でき、下を東名高速が走っている。   風呂もゆったり済ませ、寮の夕食も数組が宿泊しており、まずまずのご馳走に舌づつみを打ち飲みながら歓談していると、「どドンー どドンー」と花火の上がる音が聞こえてきた。
 部屋に帰り窓から三人で杯を傾けながら花火を鑑賞している。今日は7月二十七日(日)この地区舘山寺の花火大会の日で、今日の日を選んでくれたK君の心づかいであり、おいしいお酒で部屋に居ながら花火大会を見させて戴き、この世の極楽である。同級の友とはありがたいものである。夜のふけるのも忘れ、話が弾み高校時代の友がよくも八十一歳まで続いたものである。
 うまいお酒は朝の目覚めもまた楽しい、朝湯・朝食もおいしく戴いて寮を十時に出発。この地区浜名湖の湖西市にトヨタ自動車の元祖・自動織機を発明した、豊田佐吉の生家があると云う。三人でこの地を探索、山の麓生家の地にたどり着く。入口に立て看板あり入場無料数人の先客があった。
 立て看板いわく、
 「    豊田佐吉邸 (豊田佐吉翁生誕地)
     平成元年五月一日  市指定史跡
 豊田佐吉は慶応三年(一八六七年)二月十四日、この地に生まれました。
 ここには佐吉の生家が当時に近い形で復元されており、また、佐吉が四十歳の頃、両親のために建てた母屋、物置が現存し、佐吉に関連した資料を収集されています。
 この地若い頃研究に没頭した納屋や少年時代に遊んだ裏山などもできるだけ当時の姿で残るよう配慮されており屋敷全体が「発明王」豊田佐吉の生い立ちや業績などを、十分うかがえる記念館として保存されています。
 これは佐吉の生涯に親しむうえでも日本の発展を顧みるうえでも非常に重


要な位置を占めています。
      『障子を開けてみよ
              外は広いぞ』  豊田佐吉
                   湖西市教育委員会      」
 とあった。 
    
 小高い山一つが佐吉の生家と屋敷になっている。自動車の開発に当たった佐吉の長男、豊田喜一郎もこの地この家で生まれた、とあった。
 トヨタ系の職員か?史跡を守るため山の除草・清掃に精を出している姿があった。
 この地に豊田佐吉の生家があったことを始めて知った。皆さんこれは一度観ておく必要がある。 良い所を見学できた
 帰路は国道一号線を、西の岡崎へと向かった。
 岡崎でも名の通った一畑薬師如来へ立ち寄り昼食をとることになった。この寺は若い頃にも来たことがある寺で今ではお参りする信者も多く寺境内の中に一般向けの食堂あり可成り安価で利用者も多い。又深い井戸を掘ったら温泉が出て一般者も入浴できるようになっている。このような寺は日本広といえども数は少ない。この境内の中に瑠璃光殿が完成し中に薬師如来の涅槃像が安置されており、「一畑薬師瑠璃光如来純金箔涅槃像(全長8(ヤ)、94(クシ)m)となっている。像の周りには永代納骨の小仏壇が大小ずらりと並んでいる。宗教・宗旨・宗派を問わずお墓を建てる必要はなく管理費、墓地もいらない、

寄付の心配もないと云う納骨堂でかなり人気がありそうだ。一基・三十七万円からで申し込み予約は一万円からでき、最初にK君が申し込み、S君も誘われ、家族内の了承を得て00万円を支払い良い場所を得たとの事、一般には見学できないがK・S君の紹介でお堂の中へ入り、予約者のプレートがフルネームで刻印された納骨堂を見た。今風なお墓のマンションである。竹内もよく考えてみよとの事。(仲良し同級の3人は死んでからも同じお堂の中で…… これには参った!)同級生も八十一歳を過ぎると色々と終活を考えているものだ! お墓を建てるには墓地代が必要だ、それに墓石費、管理費等々大変なお金がかかる。しかも子ども達は同居でなく遠隔地。いつ無縁墓にならんとも限らない。その上命日・春秋のお彼岸・お盆・正月お花を供え墓の管理をしてもらえる人がいつまでいるのか? その点、お寺の納骨・永代供養はお寺の続く限り心配ない。いろいろ調べると名古屋にもこの様な永代供養納骨の寺はあるようだ。
 旅行から帰り数日後、三人で撮った写真と礼状のついでに先の終活、宿題は、私にはすでに何年か前、私の実家の村中にある墓地の一区画を義姉より譲り受け、岡崎産の御影石で建てている旨を伝え、鄭重にお断りしておいた。
 仲良し三人の会は一年に一回では先がない、誰と云うことなしに半年に一回会うことになった。
 

H25 年末記

January 05 [Thu], 2017, 12:36


平成二十四年  H二十四年九月二十六日、最愛の妻が亡くなり、
    年末になっても、何も書く気力や意欲がおきなかった。



 
平成二十五年  
住めば都 みんなの町はみんなで作るもの

 十月六日は我が町内の祭りで、学区内各町内はこの時期秋祭りが各所で行われている。
これは町民が企画し町民のための祭りで、夫々趣向を凝らし行われている。今年は学区の「火消し太鼓」が披露され祭り気分を湧きたて大きな拍手、好評であった
          
毎年行われるこの広場は今年六月常夜灯がつき、中小田井西公園に格上げされた。この学区は西区でも最後に出来た学区で昭和五十四年に小学校が開校。町内区割りでなぜか? 中小田井四丁目だけは公園がなかった。
 平成五年に城北線余剰地を鉄建公団が売りに出した。当時の町内会長の計らいで市会議員に陳情、町内の広場として活用できるよう、名古屋市土地開発公社に買い上げてもらい、町内の広場として活用できるようになった。その後長年この広場の草取り整備は町内会で実施され、平成十五年に広場から

公園にしようと二千余名の陳情書を名古屋市市会議長に届け、平日の朝は町内老人会のゲートボールやグラウンドゴルフに使用、日々の活用と除草を行い広場の活用度をUPし土木事務所より水飲場や排水設備を設けて戴いた。平成十九年十二月に土地所有者は名古屋市になり先に記した如く平成二十五年六月に中小田井西公園として活用できるようになった。
 住みやすい町、広場や公園は町民みんなの努力によって、今は非常用備品倉庫も出来、自分たちで作ると云う事が判った。土地四百七十坪余の広大な広場が今は公園となって、町内子供達や老人会また町内祭りにみんなで活用できるようになり、こんなにありがたいことはない。
 数年前お願いしてこの広場に桜の木を植えて戴き、今では立派に育ちそめい吉野、花見会も出来るようになった。子供たちが嬉々として遊ぶ声を聞き、またさわやかな朝のひと時を老人会の健康維持増進に軽スポーツの場として活用させていただき、町民の声が市会議員を通し役所の人を動かし、広場が公園となり多くの人に喜ばれるようになった。
 今から二十数年前は町内の祭りをするのに広場がなく或る企業の駐車場を借用していた事を思うと町民みんなの力はこんなに大きいものかと思わずにはいられない。住みよい町は住んでいるみんなで作るものであり、子供遊具も出来、暮れには時計もつき益々公園らしくなってきた事を思うと何とも頼もしい我が町の公園である。

     



H23

January 05 [Thu], 2017, 6:18
平成二十三年
      軽スポーツの奨励
 健康の維持・増進と仲間づくりには、なんと言っても同世代の男女が一緒に行う軽スポーツが一番です。
 朝のひと時を共に楽しく過ごせば、一日が明るくなります。軽い運動が体のリズムを整え、健康に最適、ストレスの解消にも役立ちます。
 皆さんも戸外に出て、朝の新鮮な空気を胸いっぱい吸って英気を養って下さい。
 初めての方には用具を揃えています。
◆中小田井学区軽スポーツ実施表
 ●健康維持・増進のため、冬季厳寒・真夏日は一ヶ月お休み。
 ●火・金曜日のグラウンドゴルフ開始時間はサマータイムがあります。
 ●用具は各自持参。初めての方には用具を揃えています。
 ●雨天の場合は中止。

      種  目     場 所  時 間 主 管  備 考
 月曜日 ゲートボール   四丁目広場 八時半 老人会 区大会参加可
 火 〃 グラウンドゴルフ 二丁目公園 八時半  〃  春秋大会有
 水 〃 ゲートボール   二之条公園 八時半 老人会 区大会参加可
 木 〃 グラウンドゴルフ 四丁目広場 八時半 親睦会 費100円/月
 金 〃 グラウンドゴルフ 二丁目公園 八時半 老人会 区大会参加可
 土 〃 ゲートボール   四丁目広場 八時半 老人会 区大会参加可

        
 以上は私が平成二十一年二月に発刊した「定年からの道」に掲載した本の一部です。
 長年学区の老人会に携わり、一部は平成八年から練習会を行い、老人会主催のグラウンドゴルフに至っては二十名位で始めたグループが、今では四十五名位となり、練習会も盛大に行われている。一方ゲートボールは時節柄、一時は二〜三名で衰退の一途をたどってきたが勧誘の結果、今では二チームを越えるまでになった。審判員の有資格者も半数を超え、西区老人連合会のゲートボール大会で二度も準優勝出来るまでに成長した。
 今年七月末、東レグループOB会東レ建設支部より傘寿(八十歳)のお祝い金が送られて来た。まことにありがたいことだ。ここ二〜三年は老老介護もあり、第一線は退き大会等は遠慮しているが、朝の軽スポーツ練習会は、いまだに続け参加している。
 秋深く桜葉の散る公園の清掃も、練習後時折、ボランティァ精神おこたりなく、美化運動で心地よい汗を流している。



H22年末記

December 30 [Fri], 2016, 6:25

平成二十二年
      パソコンで本を作る 

 あなたはパソコンで何をしたいですか?
 今や仕事に、パソコンはなくてはならないものになっています。我々職場の第一線を卒業した者にとっても、文明の利器を活用しない手はありません。
 そこで私はパソコン・デジカメ・ホームコピー機・ホッチキス(大)等を活用し、手作り小冊子に挑戦しました。
 A4サイズを二つ折りにして、四十〜五十ページの手作り小冊子で、ホッチキスで止め表紙をかぶせる。表紙ののり付け部分は両面テープを貼り、わずかな費用で本が出来ました。中日文化センター内の、自分史講座(楽しみながら自分史を書く)では、みんながそれぞれ四〜五枚の原稿を持ち寄り、半年に一冊のペースで「想」と云う本を作りました。

毎回前半は講師の講
座があり、その後は読
書会を行いました。                      
 その後、鯱城学園
(名古屋市老人大学)二
年目の、クラス研究発表
会で「本づくり」の発表
を行いました。
卒業前に発刊した「定年
からの道」をクラス及び
パソコンクラブの皆さんに
配布する事が出来ました。
 卒業後、パソコンで綴って
きた自分史を一冊の本に纏め
たものが「住めば都」です。
平成二十二年十一月五日、ようやく発刊することが出来ました。本の内容
は私のブログにも載せています。
本の原稿と云えば、原稿用紙に書くものと思われるが、それは昔の話。今
や本の原稿はパソコンで書くのが、ほとんどで変換・置換・校正がしやすい。又イラストや写真等はスキャンをして原稿に取り入れ、フロッピーやUSBメモリーに記憶して、A4原稿と一緒に出版社に送ればよい。あなたも自費出版に挑戦してみては如何ですか?
 俳句・短歌の好きな方は、今までの作品を一冊に纏められては如何ですか。料理に自信のある方は、そのレシピと美味しそうな料理の写真を載せて得意の腕を振るわれたら如何ですか?
 まずは費用のかからない手作り小冊子から始めましょう。
 パソコンの活用方法は無限です、あなたはパソコンで何をしたいですか。

追記
「ルーツを探る」は二十三年記 親戚用の本 

H21年末記

December 28 [Wed], 2016, 6:14

平成二十一年
     私のブログ

 三年前の正月、福井在住の息子一家が遊びに、娘夫婦も川崎より年賀にやってきた。我が家も正月は大変にぎやかである。
 パソコンをいじっていた、孫娘が
「おじいちゃん、ブログはね!こうして作るのだよ……」
 と云って、無料サイトの 私のブログを作った。
 この時孫は中学一年であったが、小学高学年で、もう自分たちのブログを作って、友達同士で、交流をしているようである。
 孫たちが帰った後も、教えてもらった孫のブログを開いてみると、絵文字をふんだんに又略単語の羅列で判断や理解に苦しむ見事な? ブログである。
 三〜四ヶ月は続いたが、その後サッパリ孫のブログが、見当たらなくなり、事情をきくと、友達間の誹謗・中傷が見られ、小学校の先生にブログが見つかり、学生間のブログは禁止された、との事。親の知らない間にいろいろな
なことが起こっていたようだ。それ以降、孫はブログのことはサッパリ云わなくなった。
 私のブログは当初、おっかなびっくり、簡単な文章を入れるのが精一杯。あまり時間がかかっていると、全部消えてしまう。また始めからやり直し。しばらくして文章はあらかじめ作っておいたものをコピーして、ブログを開き貼り付けをする事を覚え、作業能率が上がった。見栄えがするようにイラストを挿入・写真を入れる事が何とか出来るようになった。
 地域・学区のホームページが立ちあがったのが平成十八年十月。今ではそれなりに内容も充実?し、町内の方に役立っているようだ。この地域は、名鉄・地下鉄駅に近く、高速道路もあり交通の便がよく、マンションが増え今でも人口が増加している。引っ越しをして来た若い人たちは「中小田井だより」や学区のホームページが役だっているようだ。町内が何をしているか、町の動きを知るのに大変参考になる。幼児の「おたいっ子」から子ども会の動き、女性会・民生委員会・保健委員・老人会の動き、はたまた消防団や町の様子や動きが判るようになっている。

さて私のブログにもう一度戻りますが、ブログを始めて三年目。次表にあるよう今年二月に発刊した「定年からの道」ですがこのブログに掲載しています。本は縦書き、ブログは横書きでやや見づらい面がありますが、写真はすべてカラーです。パソコンをお持ちの方、お暇がありましたら一度開けてみて下さい。以下詳細ご覧ください。


学区のホームページ
西区中小田井学区HP URL http://nakaotai.com/
● 私の地域のホームページです
各種団体をクリックしてください。この中の
老人クラブを担当しています。ご覧ください。
      (担当者 老人会 前田・竹内)    
私のブログ
http://yaplog.jp/jibun_si/

私のブログは定年からの道を公開しています。



H20年末記

December 27 [Tue], 2016, 6:15

平成二十年
   「定年からの道」発刊計画
 高年大学二年生の夏休み、一つの目標を立てた。卒業をする来年は七十七歳・喜寿を迎える事になる。これを機に、「定年からの道」を発刊する事にした。平成四年十一月定年退職してから十六年が経過した事になる。この間の出来事を綴り一冊の本を作る事にした。
 目標が決まったら、さあ実行。今までの作文資料集めと整理・清書。定年になった時より現在までの自分史年表作り。併せて『定年からの道』の目次づくりを行った。発刊に必要な資料・写真集め、不足個所の作文。追加項目やまえがき、あとがき等八月までに書き終えた。
 今回の目標の基礎になったのは、定年になった年から毎年書かせて頂いた、東レ建設OB会々報の作文集めと平成十二年から十七年までの五年間、名古屋市栄、中日文化センターで自分史教室に学んだ事がきっかけである。
参考までに定年からの自分史年表を記すと、

 平成年月     出来事     期間       章と ページ
 H四年十一月  定年退職             第一章 十三
 H四年十二月  岡崎弓道会へ入会          〃  十七
 H六年六月   岡崎弓道場落成・祝賀会・祝射会  第二章 二十五 
H七年八月   岡崎市→名古屋市西区へ転居     〃  三十九
 H七年九月   名古屋市西区・宝弓クラブへ入会  第三章 四十五
 H八年十一月  ねんりんピック宮嵜大会へ参加    〃  五十
 H十年十一月  ねんりんピック愛知・名古屋大会へ  〃  五十五
 H十二年九月  東海豪雨で被災          第四章 六十五
 H十二〜十七年 自分史教室へ(五年間)      第五章 九十三
 H十四〜十六年 町内会長拝命(二年間)      第六章 百十三
 H十七〜十八年 老人クラブ役員(二年間)     第七章 百五十七
 H十九〜二十年 高年大学に学ぶ(二年間)     第八章 百七十六
 
右の如き内容で書き綴ったものを一冊の本にまとめようと、今印刷製本会社の協力を得て実行中で、原稿送付・初稿の実施を終えたところである。今
後再校・三校表紙、帯など検討課題は多いが、原稿完成送付から製本発刊までに六カ月かかる。今までに自費出版した友達の意見を聞き、初稿も自分一人では心もとない。友達と息子の手を借りた。製本完成予定は年明け二月の予定である。定年後お世話になった皆様へ配布予定をしているが、どの様なものが出来るか心配である。なにぶん素人が行うこと、そこは寛大な目でお許しを乞いたい。参考までに目次を紹介すると、
             


H19年末記

December 26 [Mon], 2016, 6:15

平成十九年
 高年大学に学ぶ
 
十一月十五日から始まった、高年大学鯱城学園「第二十二回文化祭」も三日間無事終わって、夕食も済ませほっとした頃であった。
「もしもし… 高年大学のYです…」
学園同級生Yさんからの連絡は、今日の中日新聞市民版に、我々のおこなった文化祭の寸劇の記事が載っているが、読んだか ? との事であった。
「いや忙しくて新聞見てないよ、それはありがとう、早速見るからね…」
と言って、受話器を置いた。
 十一月十七日(土) 名古屋市民版に『美術作品や寸劇 高年大学で文化祭』の見出しで掲載されていた。美術作品の並ぶ会場の写真と共に、我々環境学科の寸劇でマイバッグを使ったゴミ減量を訴えた記事と、健康学科の肩こりや腰痛予防体操のことが載っていた。
 定年退職をして、いく久しい。この年齢(七五才) になって、学校へ行って机を並べて勉強するとは、つい最近まで、思ってもみなかった事である。
今年の二月二回目の挑戦で抽選に当たり、この四月より高年大学一年生として二年間の通学を許可された。
 生活・文化・美術・陶芸……等、十科目ある中、環境学科を選び一クラス四十〜四十五名である。学生全員がクラス以外クラブ活動として二十九クラブの中から一つを選んでクラブ活動をすることが義務付けられている。
 部活は、天文気象・カメラ・コーラス・ビデオ・囲碁……等の中からパソコン研究クラブに入った。これまた一〜二年合同で四十四名が若い女の先生からパソコンのノウハウを教わる。一つ難点は、自分のノートパソコンを毎回持参する必要がある。パソコンを担いで地下鉄への乗り降り、なかなか体力も必要になってくる。
授業は専門・パソコン・教養講座、週三日の通学でボケてる暇がない。
 学生は一〜二年で千七十名程。九月にはスポーツセンターで体育祭があり、十一月の文化祭は毎年計画され、学生会が主催で行っている。夏休みも体育祭、文化祭の練習や展示作品のため十日間は出校になっていた。
 文化祭発表は七百八十名収容出来る鯱城ホールがあり、正面舞台だけでも幅十m×奥行き五mの広さがある。この大ホール舞台での寸劇のため、家庭の居間やス
ーパーの背景、ゴミ減量スローガンの横断幕も、パソコン・プリンターと拡大コピーをフルに使って作製した。寸劇最後の見せ場、スローガン横断幕は畳みの幅で長さは八メートル近くある。
  [22期 環境] みんなで減らそう名古屋のゴミとCO2
カラー写真でお見せできないのが残念だが、拡大コピーA3 用紙五十四枚を貼り合わせて作った。
文化祭は一〜二年各クラスと、クラブ活動全部が、作品展示かホール行事に参加することになっている。
 パソコンクラブは全員がパソコンアートの作品提出。A4サイズ、カラープリントを額に入れて展示。その他Tシャツの柄をパソコンで作り、アイロンで圧写、オリジナルシャツの展示など。その他陶芸・美術・写真・水彩クラブ・水墨画等、これが素人かと思われる作品ばかり、高年パワーをまざまざと見せ付けられた。
 ちなみに高年大学文化祭は三日間で学生が約千百名。名古屋市の広報にも載っており一般の来場者がOBを含め約千八百人、計二千九百余名の方が見学したことになる。
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