南スーダンの歴史

November 17 [Sun], 2013, 11:34
かつて南部の黒人達はアラブ系やダルフール(バール・エル・ガザル)などの奴隷商人によって奴隷売買されていた。1821年にスーダンの北部はエジプトが、南部は1877年にイギリスが占領した。1898年にイギリスとエジプトによる共同統治(英埃領スーダン)が始まった。南部を支配していたイギリスはその南部のウガンダとの統合を望んだが、1947年のジュバ会議(英語版)での合意により南北スーダンの統合が決められた。
1955年に南部で反乱が起き、第一次スーダン内戦(英語版)が起きた。1956年にスーダン共和国として北部と南部が統一して独立したが、北部の政治的・経済的支配に南部の住民は不満を抱いていた。1972年にアディス・アベバ合意(英語版)により南部に制限付き自治権が与えられ、将来の南部の分離独立を問う住民投票も認められ、南北の内戦は一時終結した。
1974年にシェブロンが油田を発見し、その多くが南部に分布していた。民族イスラム戦線の圧力も受け、1983年にモハメド・アン=ヌメイリ政権は南部の自治権や将来の分離独立の住民投票を取り止め、イスラム法シャリーアを導入してイスラム勢力の取り込みを図り、また石油資源の独占を図り、南部の3つの州をそれぞれ分割した。そのためキリスト教徒も多い南部などで反乱が起こり、南部最大の民族であるディンカ人の出身のジョン・ガラン大佐を中心としたスーダン人民解放軍/運動 (SPLA/M) が北部の政権に対して反乱を起こし、第二次スーダン内戦が起きた。政権が交替しても内戦が続き、1989年にオマル・アル=バシールが政権を握るとイスラム政権に反対する政治勢力を抑圧し、SPLAを始めとする南部の反政府組織に対する戦争を拡大していった。
南部での内戦は激化していったが、2002年にケニアで南北の和平交渉が成立し、2005年1月9日には南北包括和平合意(英語版) (CPA) が署名された。南部は行政上の自治を6年間与えられ、そして北部で適用されているイスラム法シャリーアも南部で適用しない事となった。さらに2011年1月にはスーダンの一部として北部と統一するのか分離独立するのかを決める住民投票も南部で行うこととなった。
ウガンダとコンゴ民主共和国軍による神の抵抗軍掃討作戦ガランバ攻勢(英語版)(2008年12月14日 - 2009年3月15日)に南スーダン自治政府が協力する部隊を派遣した。
2010年1月20日、スーダンのバシール大統領は、南部スーダンの大統領サルバ・キール・マヤルディも出席したヤンビオ(英語版)で開催の南北の内戦終結5周年を祝う式典にて、「住民が選択(分離独立を)した場合にはスーダン政府は南部の独立を承認する」と発言した。南部の住民は独立志向が強く、2011年1月の住民投票では予想されたとおり分離独立を選択した。しかし、南部の石油の利権や、同時にディンカ人のンゴック氏族の先住地アビエイの帰属も問われることとなった。 2011年7月9日に、スーダンから分離独立した。新政府を形成するSPLM(スーダン人民解放軍)は元来軍事組織。

参照元:ウィキペディア「南スーダン

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南スーダンの政治

November 17 [Sun], 2013, 11:34
南スーダン議会の定数は170議席でほとんどの議席をスーダン人民解放運動が独占している。 主な政党はスーダン人民解放運動 (SPLM) で、ジョン・ガランが結成した。現在の大統領はサルバ・キール・マヤルディ。

参照元:ウィキペディア「南スーダン

南スーダンの国民

November 17 [Sun], 2013, 11:33
○民族・宗教
アニミズムの伝統宗教とキリスト教を信仰するアフリカ在来の諸民族が多数を占める。北部スーダンでイスラームを信仰するアラブ人が多数を占めているのとは対照的である。この信仰の違いは、南スーダンの独立運動が過激化した理由の一つでもある。
民族構成はディンカ人が最も多く、約100万人。他にもシルック人やヌエル人などのナイル系の民族がいる。西部はアザンデ人とジュチャル人、南部からウガンダにアチョリ人やロツフ人がいる。南スーダンは、ナイル系の民族が国家の主流派を占める初の独立国家である。例えば、ウガンダやケニア等も、ナイル系の民族が国民の一部分を占め、かつ国の指導者がナイル系の民族から誕生したことはあったが、国家の主流を占める民族はあくまでバンツー系の民族である。
イスラームを信仰する民族はカリギ人Kaligi(17000人)、インドリ人Indri(1300人)、バンダトグボ人Banda Togbo(2300人)以上、アダマワ・ウバンギ語族、アジャ人Aja(300人)、ドンゴトノ人Dongotono(1100人)以上シャリ・ナイル語族、ンジャルグルグレ人Njalgulugule(2200人)マバ語族など、きわめて少数の民族である。南スーダンは周辺諸国と比較しても例外的にムスリムの人口比率が極めて低い。
各民族は敵対関係にあるものも多く、特に東部のジョングレイ州では複数の民族が土地をめぐって武力衝突を起こしている。スーダンの内戦時に流出した武器が出まわっており、多数の死者、負傷者、難民が発生している[18]。

○言語
イギリス統治時代の影響で英語が公用語であり、教育や北部との取引などで幅広く使われている。ナイル系が多数派であり、母語としてはディンカ語、ヌエル語(英語版)が主な言語である。共通語として、ピジン言語であるジュバ・アラビア語(英語版)がジュバ周辺で話されている。

参照元:ウィキペディア「南スーダン
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