Do whatever He says

2006年04月27日(木) 17時31分
ヨハネ2章  カナでの婚礼

マリヤが信仰の言葉を、そこに世話人たちに語った後、


イエスは空のつぼに水を満たして、それを管理人のところに持っていきなさい

と命じられた。

そこにいた世話人の人たちは、一瞬あっけにとられてしまったのではないだろうか?

彼らの目から見ると、  イエスとマリヤ は本当に変わった、しかもクレイジーな 親子(母子)だったにちがいない。

いきなり、親不孝な言葉を息子がいったかと思うと

その母親は息子には何も言わずに、自分たちのところにやってきて、

彼の言うことは何でもしなさい!! と命令する。

いったい、どうしたことか?? と思う暇もなく、

今度は息子が

空のつぼに水を入れて、管理人のところにワインとしてもっていけと

絶対に100% 理解不能な命令をする。

理性では絶対に理解することができないことだ。

常識では絶対に考えられない。



神の奇跡も、理性では絶対に理解できないし、私たちの常識は一切通用しない。


逆に言えば、だからこそ、奇跡と言える。


世話人の人たちも、困って一瞬躊躇しただろうが、彼らの前には絶対にこのままでは後ろに引かない、 

覚悟を決めた、母親が立っている。

彼らも後にはひけず、しょうがなく前進するしたかなかった。


私たちが、本当に神の奇跡を体験したいと望むなら、

ある時は 理性を捨て、 常識を否定し、

イエスの言われることに従わなければならない。

覚悟を決めた、中年女性の前にしぶしぶ従った、世話人たちのように。


あなたは神の奇跡と、自分たちの常識、どちらを選んでいますか?

逆境に強い人間

2006年04月26日(水) 17時30分
ヨハネ2章

カナで婚礼があり、イエスと弟子たちもそこに招かれた。

そして、そこには母のマリヤもいた。

ぶどう酒がなくなったことを知ったマリヤは、結婚して新しい人生を始める二人に恥をかかせたくなかったので、

何とかしようと イエスのもとにやってきた。

しかし、イエスは

ヨハネ2:4

「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」

と、一見かなりひどい言葉でマリヤに対して答えた。

普通のお母さんだったら、傷ついて、泣き出してしまうだろう。


しかし、マリヤもただものではない。

そんなイエスの言葉を無視して、世話人たちのほうに歩いていき、

ヨハネ2:5

「あの方が言われることを、何でもしてあげてください」

と信仰の言葉を語った。

イエスもイエスなら、マリヤもマリヤだ。

日本語だと丁寧な言い方で、敬語になっているが、

英語だと

「Whatever he tells you to do, do it!!」

と、かなり有無を言わせぬ、強い口調で語っている。


マリヤの信仰は強かった。 たとえ、自分の愛したひとり息子から、

あなたと私に何の関係があるのか?? と言われても、それに負けない信仰をマリヤは持っていた。

イエスはそんな子ではない。私はイエスを知っている。彼は必ず助けてくれる。

マリヤはそう信じた。そして、信仰の言葉を宣言した。

人間はよく小さなことに傷ついてしまう。 そして、つらくなると、すぐ投げ出して、逃げたくなる。

そのような人は神の奇跡を体験することができない。

どんな逆境にあっても、私たちが信仰の言葉を宣言する時、


私たちは神の奇跡を体験することができる!!

イエス様の心を動かした、マリヤのように。

あなたもマリヤのように、信仰の言葉を宣言していますか?

Follow Me!

2006年04月20日(木) 23時13分
ヨハネ 1:46

「私に従って来なさい。」

英語では Follow Me だ。

イエスはピリポに出会った時に言われた。マタイにも同じことを言われた。

ある人々は、この言葉だけで十分なようだ。

イエスを一目見ただけで、イエスの言葉を聞いただけで、

イエスの後に素直について行ける人がいる。

教会に一度来ただけで、

ここには本当の神様がいる、

聖書の言っていることは正しい

と神様のことを体験できる人がいる。

そのような人々は、イエスの言っているこの言葉の本当の重みを理解することができるだろう。

イエスは私たちにいつもこの言葉を語られている。

時として、イエスの後についていくのが難しいことがある。自分はそれでも、何とか、必死にイエスにくらいつきながら、今までやってきた。

もちろん、落ち込んだり、泣いたり、いじけたりもする。

でも、涙を流して、喜び、感謝することのほうが多い。

これからもイエスの後について行く。

そして、ピリポのように多くの人に、


1:46「来て、見なさい」と語りたい。

Follow Me そして  Come and See

Come & See

2006年04月14日(金) 23時50分
ヨハネ 1:39

「イエスは彼らに言われた『来なさい。そうすればわかります。』」

これは百聞は一見にしかず、ということを示している。イエスのことを知りたいと思ったときに、一番早くて、てっとり早い方法は

実際にイエスの後についていくことだ。

英語では、「Come and See」という言葉が使われている。

来て、見なさい。という意味だ。

うちの教会の歌い文句でもある。

イエス・キリストはいつも、あなたに

来て、見なさい

と呼びかけている。あなたが、ちょっと見学したい、イエスのことをちょっと知りたいから、とイエス様の後を2人の弟子たちのように、こっそりと!?ついてくることをイエスは本当に喜んでいる。

そして、あなたに「何がほしいの?」といきなり振り向いて聞くかもしれない。

そして、あなたの求めている答えは

「私についてくればわかるよ」と言われる。

最近、イエスの後についていくのが本当に楽しい。たくさんの仲間にあえる。 新しく、クリスチャンになって洗礼を受けたいという子をフォローする。本当について来てよかった、心からそう思える。

みんなはどんな風にイエス様の後についてってますか?

何を求めているのですか?

2006年04月13日(木) 23時28分
ヨハネ 1:38

イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」

この前の説で、バプテスマのヨハネがイエスのことを、

「見よ、神の子羊。」

と言った時から、彼の弟子がふたり、イエスの後についていった。

実に興味深い、そのふたりの弟子たちはどんな風にイエスの後についていったのだろうか??

ストーカーのように、隠れながらついていったのか、それともどうどうと後をつけていったのだろうか???

ふつうだったら、どうせいつかはわかるのだから、

先生、今晩はどこに泊まりますか??と自分たちから、どうどうと聞くのが筋ではないだろうか?

しかし、彼らよりも先にイエスが質問した。

「あなたがたは何を求めているのですか」

彼らは一瞬ドキッとして、あたふたしたかもしれない。

そして、今晩どこにいるのか教えてください、と聞いた。


このイエスの質問は、ものすごくディープな質問だ。

イエス様の特徴的な長所のひとつは、質問力だった。(神の子羊なので、すべてが特徴的なのだが、とにかくすばらしい質問力を持っていた!!!)

あなたは何を求めて生きているだろう??

私たち人間はいつも目先のことばかり考えてします。

「何を求めているのですか?」 普通の人なら、それは時と場合によって変わるのが当然だと思うだろう。

しかし、そうではなくて目先のことではなくて、人生を通して求めているものがあなたにはあるだろうか??

幸せ家庭、お金、豊かさ、そのようなことを望んでいるだろうか??

この質問に自分のことではないことを答えることができる人が本当に幸せなのかも知れない。

自分はイエス様に突然聞かれたときに、答えることができるだろうか??

「数え切れないほどの日本人があなたを知ることです!!!」

ラインハルト・ボンケの言葉を思い出す!!!

「地獄ではなく、天国を満たすのだ!!!」

「Hell Empty、 Heaven Full!!!」

あなたはこの質問に何と答えますか??

見よ、世の罪を取り除く神の子羊 2

2006年04月12日(水) 23時56分
ヨハネ

1:29

「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」


最近、この言葉が自分の心に響いてくる。


この言葉がクリスチャンとしての人生を送るための土台であることに気づいた。


1.私たちはまずこの言葉を聴かなければならない。

パッションを見ていて、心に残ったシーンがある。

ピラトが妻に、「真理とは何か??それは聞けば解るものなのか?」とたずね、妻は「聞こうとしない者はそれを知ることができない」と答えた。

信仰は聞くことからはじまるのです。 

と聖書に書いてあるとおり、私たちはまずこの言葉を聞かなければならない。 



2.私たちはこの言葉を受け入れなければならない。


私たちはイエス・キリストにはこの世の全ての罪を取り除く力がある!!!! ということを個人的に受け入れなければならない。 

イエス・キリストが自分のために十字架にかかったことを信じなければならない。言葉を聴くだけではなく、この真理を受け入れなければだめだ。

真理はあなたを自由にする。(ヨハネ8:32)

3.私たちはこの言葉を宣言して、他の人に伝えなければならない。


この真理を受け入れた後は、それで天国へ行けるので終わりではない。クリスチャンになることはスタート地点に立つことだ。あなたのクリスチャンとしての本当の人生はそこからはじまる。

神様はあなたが神様のために、この言葉を宣言して多くの人に伝えることを望んでいる。

この言葉を宣言するのには勇気が必要な時がある。友人に拒絶されることもあるだろう。

そんな時、私たちの信仰がためされる。

あなたはどこまで、この言葉を信じているだおうか??

イエス・キリストだけがこの世の罪を取り除くことができるということにあなたはどれだけ確信を持っているだろう??

この言葉を確信を持って、宣言する時、きっとあなたの伝道が変わるだろう。

伝道は聖書について、神についての知識をシェアするものではなくて、あなたの確信をシェアすることだ。

あなたの聖書についての知識は、他人をより賢い罪人にするかも知れないが、

あなたのイエス・キリストに対する確信は失われた魂を救いに導くことができる。




見よ、世の罪を取り除く神の子羊 

あなたはどこまで、この言葉の真理をどこまで知っていますか?

見よ、世の罪を取り除く神の子羊

2006年04月11日(火) 18時25分
ヨハネ

1:29

「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」

ヨハネはイエスが自分のほうに来られるのを見て、このように叫んだ。

イエスが誰であるかヨハネはすぐに理解した。

しかし、よく考えてみると彼らは従兄弟なので、前からも何らかの接触を持っていたに違いない。

小さなころはよく、一緒にサッカーをして遊んだのかもしれない。

ヨハネはこの時、イエスに今までとは違う何かを感じたのだろう。そこに漂う、神の子羊のオーラを一瞬で察知したのかも知れない。

興味深いことに、その前の説を見ると、パリサイ人がヨハネにイチャモン!? をつけにきた次の日に、イエスがヨハネのもとにやってきた。

私たちの人生でも、大きな問題、困難、テストがやってきた次の日にイエス・キリストがやってくることがある。その問題に打ち勝ったときもあれば、完全に勝利できなかった時もある。

ヨハネはパリサイ人たちに勝利した。そして、その後にイエス・キリストがやってきた。

そして、その瞬間、ヨハネは

「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」

と宣言した。

自分たちの問題がどれだけ大きいか、自分がどのように敗北したかも本当の問題ではない。

そこにイエスがいるかいないかが一番の問題だ。

イエス・キリストは全ての、罪を取り除く神の子羊なのだから。

あなたの全ての罪を赦してくれるイエスは今どこにいますか?

神様の通る道

2006年04月07日(金) 1時51分
1:23
彼は言った。


「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ。』と叫んでいる者の声です。」

バプテスマのヨハネは叫んでいた。

「神様の通る、まっすぐな道をつくりなさい!!!!」

自分の仕事も一緒だ、多くの心に神様が通る道を作ろうとしている。

神様はあなたの心に、まっすぐな道が用意されている時、そこを通ってあなたの心の中へやってくる。

神様は曲がった道が嫌いらしい。あなたの心にストレートに入ってきたいようだ。

「この世で一番遠い距離はあなたの頭から心までの距離だ」という言葉がある。

イエス・キリストを頭で理解しても、心に受け入れないと意味がない。

昔から、よく知っていることだが、気をつけないといつも、頭で説明しようとしてしまう。

しかし、効果はほとんどない。聖霊が働かないと何も変わらない。

最近、少しづつだが、学んでいることがある。まだクリスチャンではない人の前で、その人のために祈ることだ。

すると、聖霊が必ず働いて、暖かかいぬくもりがそこにはある。神様の愛を感じとってくれる人もある。

そして、クリスチャンになりそうで、ならない人には祈ってもらう時もある。自分が神様を知ることができるように、あるときは神様に感謝する祈りを祈ってもらう。

すると、やはりそこには神の愛とぬくもりが生まれる。

心はそうやって、変わっていくものだ。

「神様はいつもあなたの祈りの一歩先で両手をひろげて待っている神様だ。」

あなたと神様との距離は、あなたの祈りだ!!

祈りの力、信じますか?

あなたはどなたですか?

2006年04月05日(水) 18時35分
1:19で、ヨハネは「あなたはどなたですか?」と質問される。

これはよい質問だ。

あなたは誰ですか?? 

あなたなら、何と答えるだろう?

ヨハネは自分の名前を聞かれたのではない。職業を聞かれてはわけでもない。

あなたは一体、何者ですか??と聞かれた。

その質問にヨハネは「私はキリストではありません」と答えた。

そして、なぜあなたは洗礼を授けるのですか?? と質問されると、

(ちなみにこの質問にはあなたには何の権威があるのですか、あなたは何様のつもりですか??という意味がこめられている。)

ヨハネはイエス様のことを伝えて、本当に大事なのは私が水の洗礼を授けていることではなく、イエスに出会うことであると答えた。

一見、わかりにくいやりとりだが、ここにはヨハネの生き様があらわれている。

彼はイエス様のために準備していた。本当に大事なのは自分が何様であるかではなく、何のために生きているか?であることをヨハネは教えてくれる。

私たちは何のために生きているだろう??

あなたはどなたですか??

恵みの上にさらに恵みをうけた。

2006年04月03日(月) 23時19分
ヨハネ1:14
言葉は人となって、私達の間に住まわれた。わたしたちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

イエス・キリストは私達の間に住んでいる。

自分もイエス・キリストの栄光を見てきた。これからも見ていく。イエス・キリストは恵みとまことに満ちている。

これまでに、イエス・キリストによって人生を変えられた人をたくさん見てきた。今も一緒に教会で、神に仕えている仲間もいる。

100%自信を持って宣言できることがある。

これまで、イエス・キリストに関わって不幸になった人にあったことがない!!!

イエス・キリストは必ず、あなたを幸せにする!!!!

ヨハネ1:16
私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。

クリスチャンは豊かである。辛い時もある、悲しい時もある、寂しい時も、楽しい時も、嬉しい時も、私たちは豊かだ。

恵みの上にさらに恵みが注がれている。イエス・キリストの豊さは体験したものにしかわからない。この豊かさを分け与える者になりたくて、あなたにも体験してほしくて、この日記を書いている。

あなたの豊かさはどこから来ているだろう??

満ち満ちた豊かさ、あなたはどう思いますか??

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