坂口安吾 堕落論(2)

May 04 [Wed], 2016, 20:11

坂口安吾 堕落論(2)

前の記事(坂口安吾 堕落論(1))の続きです。


小林秀雄は政治家のタイプを、独創をもたずただ管理し支配する人種と称しているが、必ずしもそうではないようだ。
…小林秀雄は政治家のタイプを、独創性を持たずただ管理し、支配する人種としているが、必ずしもそうではないようだ。
小林秀雄…文芸評論家であり、本を出版する編集者。

政治家の大多数は常にそうであるけれども、少数の天才は管理や支配の方法に独創をもち、それが凡庸(ぼんよう)な政治家の規範となって個々の時代、個々の政治を貫く一つの歴史の形で巨大な生き者の意志を示している。
…政治家の大多数は独創性を持たないようだが、少数の天才は管理や支配の方法に独創性を持っており、それが平凡な政治家の規範となって、個々の時代や個々の政治を貫く一つの歴史として、巨大な生き物の意思を示している。

政治の場合に於(おい)て、歴史は個をつなぎ合せたものでなく、個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿に於て政治も亦また巨大な独創を行っているのである。この戦争をやった者は誰であるか、東条であり軍部であるか。
…政治の場合、歴史は個人をつなぎ合わせたものでなく、個人を組織に沈めた別個の巨大な生物となって誕生する。歴史の姿において、政治もまた巨大な独創を行っているのだ。政治の場合、例えば東条内閣のように、一人の人間がその組織に入ることで、巨大な生物となり独創性を持つ。

この戦争をやったものは誰であるか、東条であり軍部であるか。そうでもあるが、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。政治家によし独創はなくとも、政治は歴史の姿に於(おい)て独創をもち、意慾をもち、やむべからざる歩調をもって大海の波の如くに歩いて行く。
…この戦争をやったのは東条であるか、軍部であるか。そうでもあるが、しかし日本を貫く巨大な生物(政治そのもの)、歴史のどうしようもない意志(時代の流れ)であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。政治家に独創性がなくとも、政治は歴史の流れにおいて独創性を持ち、意欲を持ち、やむおえない歩調をもって大きな波のように歩いて行く。
ペリー来航で開国しなければならなかった鎖国状態の日本と同じように、歴史はその政治家によるものだけでなく、受動的な歴史の流れによっても一つの方向に歩き出していってしまう、ということかと思います。
東條英機…1941年(昭和16年)10月18日から1944年(昭和19年)7月22日まで続いた日本の内閣の首相。開戦の罪(A級)および殺人の罪にとわれ、死刑になる。
ぬきさしならぬ…刀を抜いたり差したりすることで、どうしようもない、の意。


何人が武士道を案出したか。之(これ)も亦(また)歴史の独創、又は嗅覚であったであろう。歴史は常に人間を嗅ぎだしている。そして武士道は人性や本能に対する禁止条項である為に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点に於ては全く人間的なものである。
…誰が武士道を考え出したか。この武士道もまた歴史がもつ必然性であり、またその利益を見出す能力によるものであったのだろう。歴史は常に人間の本能を見つけだしている。そして武士道とは、人間性や本能に対する禁止事項であるために、それ自体は人間らしからぬものであるが、その人間性や本能に対して考え定義したものである点においては、人間的なものであるといえる。
案出(あんしゅつ)…工夫して考え出すこと。

私は天皇制に就(つい)ても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。
…私は天皇制について、極めて日本的で、従って独創的な政治的作品のように感じるのである。天皇制は、天皇によって生み出されたものではない。時に天皇自らが陰謀を起こしたことはあっても、たいていは何もしておらず、その陰謀は成功したこともなく島流しになったり、山奥に逃げたりして、結局は政治的理由によりその存在の確立を認められてきた。

社会的に忘れた時にすら政治的に担かつぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦(しゃか)家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである。
…社会的に世間に忘れられていた時でも、政治的に担ぎだされるのであって、その存在の政治的理由はその政治家たちの利益追求によるもので、彼らは日本人の性格を洞察し、その性格の中に天皇制を発見していた。それは天皇家に限るものではない。それに代わりうるものなら、孔子の一族でも、釈迦の一族でも、レーニン一族でも構わなかったのだ。ただ代わりになるものがなかっただけである。
孔子…中国の思想家。論語などで知られる。
釈迦…紀元前5世紀ごろの北インド・ネパールの人物で、仏教を始めたとされる人物。
レーニン…ロシア革命を起こした政治家。


すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼等は永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。平安時代の藤原氏は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。
少なくとも日本の政治家たち(貴族や武士)は、自分の永遠の繁栄(実際には永遠ではなく夢に終わった)を約束する手段として、絶対君主の必要を察知していた。平安時代の藤原氏は、天皇の立場を自分の都合のいいように擁護していたが、天皇よりも地位が低いのを疑ったり、迷惑に思ってもいなかった。

天皇の存在によって御家騒動の処理をやり、弟は兄をやりこめ、兄は父をやっつける。彼等は本能的な実質主義者であり、自分の一生が愉たのしければ良かったし、そのくせ朝儀を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、又、自ら威厳を感じる手段でもあったのである。
天皇の存在によって一族で起こる騒動の処理をやり、弟は兄をやり込め、兄は父をやっつける。彼らは本能的な実質主義者であり、自分の一生が楽しければ良かったし、そのくせ朝儀(朝廷が行う儀礼)を盛大にして、天皇をお祝いする奇妙な形式が大好きで、天皇を拝むことが自分の威厳になり、それを感じる手段でもあったのである。

我々にとっては実際馬鹿げたことだ。我々は靖国神社の下を電車が曲るたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさには閉口したが、或種の人々にとっては、そうすることによってしか自分を感じることが出来ないので、我々は靖国神社に就てはその馬鹿らしさを笑うけれども、外の事柄に就て、同じような馬鹿げたことを自分自身でやっている。そして自分の馬鹿らしさには気づかないだけのことだ。
その藤原氏の行いは、実際にはばかげたことだ。我々が靖国神社の下を電車が曲がる度に、頭を下げさせられる馬鹿らしさには閉口したが、ある種の人々にとっては、そうすることでしか自分を感じることができないのである。我々は靖国神社についてはその馬鹿らしさを笑うけども、外の事柄について、同じように馬鹿げたことを自分自身でしている。自分の馬鹿らしさには気付かないだけなのだ。

宮本武蔵は一乗寺下り松の果し場へ急ぐ途中、八幡様の前を通りかかって思わず拝みかけて思いとどまったというが、吾神仏をたのまずという彼の教訓は、この自らの性癖に発し、又向けられた悔恨深い言葉であり、我々は自発的にはずいぶん馬鹿げたものを拝み、ただそれを意識しないというだけのことだ。
宮本武蔵は一乗寺下り松(という京都の松)の決闘場へ急ぐ途中、八幡様の前を通りかかって思わず拝もうとし、思いとどまったというが、吾神仏を頼まずという宮本武蔵の教訓は、自らの馬鹿げたことをしていることへ向け、叱咤している悔恨深い言葉である。そして我々は(宮本武蔵と違い)自発的には随分馬鹿げたものを拝み、それを意識しないというだけのことだ。
一乗寺下り松の果し場…宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘を行ったとされる伝説の舞台。ここの八大神社にお参りをし、拝もうと思ってやめたとされる。

道学先生は教壇で先ず書物をおしいただくが、彼はそのことに自分の威厳と自分自身の存在すらも感じているのであろう。そして我々も何かにつけて似たことをやっている。
道徳にとらわれ、世事人情にうとく融通のきかない学者は、教壇でまず書物をありがたそうに扱うが、彼はそのことに自分自身の存在、威厳を感じているのだろう。そして我々も何かにつけて、似たことをやっている。
道学先生…道徳にとらわれ、世事人情にうとく融通のきかない学者
おしいただく… 物を目より高くささげて持つ。また,うやうやしい態度で物を受け取る


日本人の如く権謀術数を事とする国民には権謀術数のためにも大義名分のためにも天皇が必要で、個々の政治家は必ずしもその必要を感じていなくとも、歴史的な嗅覚に於て彼等はその必要を感じるよりも自らの居る現実を疑ることがなかったのだ。
…日本人のように、人を騙し策略する技巧を得意とする国民には、その技巧のためにも大義名分のためにも天皇が必要であり、個々の政治家はその必要性を必ずしも感じていたわけではないが、歴史的な利益探求の能力において、彼らは天皇の必要性を自覚せずとも、自らの(天皇の下であるという)地位において現実を疑うことがなかったのである。

秀吉は聚楽(じゅらく)に行幸を仰いで自ら盛儀に泣いていたが、自分の威厳をそれによって感じると同時に、宇宙の神をそこに見ていた。これは秀吉の場合であって、他の政治家の場合ではないが、権謀術数がたとえば悪魔の手段にしても、悪魔が幼児の如くに神を拝むことも必ずしも不思議ではない。どのような矛盾も有り得るのである。
秀吉は邸宅に天皇を招き、その立派な儀式に泣いていたが、自分の威厳をそれによって感じると同時に、宇宙の神をそこに見ていた。それは秀吉に場合であり、他の政治家とは別の話であるが、人を騙し利益を得る策略が、例えば悪魔の手段であるとしても、それを使う悪魔が子供のように神を拝むことは必ずしも不思議ではない。そのような矛盾もあり得るのである。

要するに天皇制というものも武士道と同種のもので、女心は変り易いから「節婦は二夫に見まみえず」という、禁止自体は非人間的、反人性的であるけれども、洞察の真理に於て人間的であることと同様に、天皇制自体は真理ではなく、又自然でもないが、そこに至る歴史的な発見や洞察に於て軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでおり、ただ表面的な真理や自然法則だけでは割り切れない。
 つまり天皇制というのも武士道と同種のもので、女心は変わり易いから「貞節を守る女性は二人の夫に仕えるようなことはしない」という禁止自体は、非人間的、反人性的でだるけれども、それを禁止する目的においては人間的であり、それと同様に、天皇制自体は真理でも自然でもないが、そこに至る歴史的な発見(事実)や利益探求における結果において、軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでいる。ただ表面的な真理や自然法則だけでは割り切れないのだ。
『史記』に「忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫を更えず(真心こめて使える臣下は決して主人を変えず、貞節を守る女性は二人の夫に仕えるようなことはしない)」とあり、ことわざになっている。


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本を読むのが好きな大学3年生です。近代小説の現代語訳・解説をしていきます。間違いがあれば、指摘のほどよろしくおねがいします。
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