日記
February 01 [Wed], 2012, 9:18
「ある女」、今日で東京は終わる。
2年半ぶりくらいらしい新作だったんで
かなりの怯えようだった。
まあでも作れるモノしか作れないし、
作りたいモノしか作れないので、というしかない。
今までのものと違うねーとも言われて、
確かに書いてるときからそれは感じてたけども、
それがなんだかは分からなくて、
稽古に入ってからも分からなくて、
本番に入っても分からんかった。
まだ名古屋も福岡もあるから結論とか全然早いけども、
だいたいにして「あの作品は自分とかお客さんにとって〜〜なものだった」
ってのがなんとなく分かるのが
いつも公演終わって何ヶ月も経ってからだし。
でも、今のところ判明しかけてるのは、
今回はなんとなく、、ある種の「見やすさ」をポイ捨てしてる気がする。
いっつも(過去の作品)はその「見やすさ」、
つまるところの「基本は笑いながら見られる」とか、
「伏線を蜷川さんばりに差し込む」とか。
パンドラでおっぱい掴んだ瞬間に雷なったり的な。
そういうのをポイ捨てして、でもそうしないと
書けないモノな気がして、書けないというか表現できないものな
気がして、そうしてみて、やはりそうだなと感じた。
なんだろ例えば。
例えば、人って、変な倒れ方とかして気を失ったときに
グーグー言い始めるじゃないですか。
あれって凄い怖いじゃないですか。
ああいうのをやりたい、ってなったときに、
やっぱりついつい、その
グーグー
を面白くしちゃうじゃないですか。
「あれ?寝てる!?」みたいにとか。
「意外と健やかな顔してる」とかちょっと笑顔とか。
で、それはそれで面白いし、
そうやって表面的に面白くて、でもその表面剥いだら
そもそもの「人が意識を失い、体の音だけ聞こえている」
という根本的な命のフシギ感といいますか、
そういうものが出てくるわけで、
そっちを見たい人はそっちを見るし、
笑いたい人は笑うわけですね。
それを今までは「見やすさ」ととらえて、大体配置してきたわけです。
でも、きっと僕が見たいのは、そのそもそもの
ただ人が倒れてグーグー言うっていうことだけで、
笑っちゃうのも、そのそもそもの部分だけで充分に笑えるものでして、
だからそこの部分はちょっと自分に素直になろうと。
笑いやすさとか、受け取りやすさみたいなのの丁寧さ?
親切?親切なのかしら。分からんけど、
そういうのをあまり考えないで、
自分が一番感じやすいゾーンのものを、結構そのまんまやってみたんす。
とくに説明なく、誰かの生活と、その生活の分かれ道の様子を
見ていく、というようなのを作りたいので。
それでもちゃんと伝わったのがホント良かったわ。
面白かったって言ってくれる人達のメンツが渋い…
でも母ちゃんの友達もスゲー喜んでくれてたし。
その年代のおばちゃま達がしらけてるというか、
そういう感じで見てる姿だけは耐えられないからね。
おばちゃん達だからと、「若干ハレンチです」って言っておいたけど、
「全然ハレンチじゃなかったわよ!」ってギャギャ言ってもらえ、
そうだよね。だって、何百回もセックスしてるもんね。
何回か叩かれたりもしてるし、叩かれそうになったりもしてるし、
そこにやり返したり、それを期に自分を変えたり、
世界を変えたりしてきたわけですもんね。
その続きが現実の中にちゃんとある、って分かってる人達に
お届けでござります。
それにあのおばちゃま達、火の顔で俺のチンチン見てるわ。。
ほら、最後にこういうことを書いちゃうからダメなの。
それにしても映像凄いよね。
やっと見つけたわ!という感じ。
「ヒドミ」をガッチリ作るぞ。
多動のムーチョを閉じ込めろ!
では、名古屋福岡行って参ります。
2年半ぶりくらいらしい新作だったんで
かなりの怯えようだった。
まあでも作れるモノしか作れないし、
作りたいモノしか作れないので、というしかない。
今までのものと違うねーとも言われて、
確かに書いてるときからそれは感じてたけども、
それがなんだかは分からなくて、
稽古に入ってからも分からなくて、
本番に入っても分からんかった。
まだ名古屋も福岡もあるから結論とか全然早いけども、
だいたいにして「あの作品は自分とかお客さんにとって〜〜なものだった」
ってのがなんとなく分かるのが
いつも公演終わって何ヶ月も経ってからだし。
でも、今のところ判明しかけてるのは、
今回はなんとなく、、ある種の「見やすさ」をポイ捨てしてる気がする。
いっつも(過去の作品)はその「見やすさ」、
つまるところの「基本は笑いながら見られる」とか、
「伏線を蜷川さんばりに差し込む」とか。
パンドラでおっぱい掴んだ瞬間に雷なったり的な。
そういうのをポイ捨てして、でもそうしないと
書けないモノな気がして、書けないというか表現できないものな
気がして、そうしてみて、やはりそうだなと感じた。
なんだろ例えば。
例えば、人って、変な倒れ方とかして気を失ったときに
グーグー言い始めるじゃないですか。
あれって凄い怖いじゃないですか。
ああいうのをやりたい、ってなったときに、
やっぱりついつい、その
グーグー
を面白くしちゃうじゃないですか。
「あれ?寝てる!?」みたいにとか。
「意外と健やかな顔してる」とかちょっと笑顔とか。
で、それはそれで面白いし、
そうやって表面的に面白くて、でもその表面剥いだら
そもそもの「人が意識を失い、体の音だけ聞こえている」
という根本的な命のフシギ感といいますか、
そういうものが出てくるわけで、
そっちを見たい人はそっちを見るし、
笑いたい人は笑うわけですね。
それを今までは「見やすさ」ととらえて、大体配置してきたわけです。
でも、きっと僕が見たいのは、そのそもそもの
ただ人が倒れてグーグー言うっていうことだけで、
笑っちゃうのも、そのそもそもの部分だけで充分に笑えるものでして、
だからそこの部分はちょっと自分に素直になろうと。
笑いやすさとか、受け取りやすさみたいなのの丁寧さ?
親切?親切なのかしら。分からんけど、
そういうのをあまり考えないで、
自分が一番感じやすいゾーンのものを、結構そのまんまやってみたんす。
とくに説明なく、誰かの生活と、その生活の分かれ道の様子を
見ていく、というようなのを作りたいので。
それでもちゃんと伝わったのがホント良かったわ。
面白かったって言ってくれる人達のメンツが渋い…
でも母ちゃんの友達もスゲー喜んでくれてたし。
その年代のおばちゃま達がしらけてるというか、
そういう感じで見てる姿だけは耐えられないからね。
おばちゃん達だからと、「若干ハレンチです」って言っておいたけど、
「全然ハレンチじゃなかったわよ!」ってギャギャ言ってもらえ、
そうだよね。だって、何百回もセックスしてるもんね。
何回か叩かれたりもしてるし、叩かれそうになったりもしてるし、
そこにやり返したり、それを期に自分を変えたり、
世界を変えたりしてきたわけですもんね。
その続きが現実の中にちゃんとある、って分かってる人達に
お届けでござります。
それにあのおばちゃま達、火の顔で俺のチンチン見てるわ。。
ほら、最後にこういうことを書いちゃうからダメなの。
それにしても映像凄いよね。
やっと見つけたわ!という感じ。
「ヒドミ」をガッチリ作るぞ。
多動のムーチョを閉じ込めろ!
では、名古屋福岡行って参ります。
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