明確に意識されている事

March 21 [Fri], 2014, 14:10
ポリュネイケスにおける第二の死、肉体の死の彼岸に露わになる死は、ラカンによれば、同じ死の此岸に折り返されることがありうる。それがアンティゴネーのケースであることは言うまでもない。ラカンが、確実な死とひとつになりつつある生、先取りされたかたちで生きられる死、生の領域を浸食する死、死を浸食する生、と定式化してもいるこの此岸の第二の死の本性は、ソフォクレスの描く登場人物たちによって明確に意識されている。クレオン曰く、さあさっさとすぐに引っ張ってかぬか。そして命じておいたとおりに、丸天井の墓穴へ閉じこめたうえ、そのまま一人きりにしてほうっておくのだ、死ぬものにしろ、またはそうした家の中にいて生き埋めの生をおくにしろ。それで今、これから、私を無理やり、ねやこのように引っ捉まえて連れてくのですわ。婚礼の歌も聞かずに、閨も見ず、夫婦の縁も結ばぬうち、子の養育も許されずに、このように、親しい者にも見棄てられ、みじめな運命に、生きながら死人たちの籠る洞穴に出掛けるのです。このアンティゴネー型の第二の死が、ポリュネイケス型のそれの折り返し、すなわち等価物であることは、アンティゴネーの犯した罪と、それにたいしてクレオンが与える罰とのあいだに想定される等価性によって裏づけられる。







いつどんな形で破局を迎えても

March 19 [Wed], 2014, 21:17
私たちの目に晒される死体は、もはや死を代理してさえいない。それはいよいよ可視化された死のもっとも直接的な提示であり、その意味において視覚に差し出されるもののリミットなのだ。表象から提示へ、という私たちの文化のこの変質は、セクシュァリティからの撤退というもうひとつの打ち消しがたい傾向性と連動している。精神分析がつねに教えてきたように、人間のセクシユアリティは本来、表象の構造の上に成り立っている。私たちの欲望は抑圧抜きには成り立たないからだ。生殖という、生物学的に想定されうる普遍的な目的から切り離されているがゆえに、私たちのセクシユァリティは他者との不安定な繋がりのなかで営まれざるをえない。反対に私たちのセクシユァリティがもし生殖という目的に完全に支配されていたなら他者との関係が一定以上に不安定になる怖れははるかに少ないだろう。私たちは、思いを遂げられる相手にめぐり会うまでに、一連の挫折を経験することを運命づけられている。それどころか、お互いに気に入った相手と結ばれた場合でも、その関係を永続的に保証するものは何もない以上、それがいつどんな形で破局を迎えてもおかしくはない。


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