1985〜1989ジャイアンツ

March 21 [Wed], 2012, 2:55
1985年3位8月まで首位争いするが、9月以降大きく負け越す。
後の大エース斎藤が12勝と頭角現す。
甲子園で槇原がバックスクリーン三連発浴びたのもこの年。
ドラフトでは清原指名明言しながら桑田指名してまた騒がせる。
1986年2位広島の終盤の猛追で勝率3厘差で優勝逃す。
特に痛かったのは10月7日のヤクルト戦で、ブロハードというこの年で解雇となった外国人にHR打たれて逆転負け。
因みにこの時のピッチャーは槇原あと阪帥oースが7試合連続HRの王監督の記録に並ぶという試合で登板した江川は真っ向勝負挑み5打席目に場外HRを浴びる。
出会い チェルカ敬遠の指示が出ていたとも言われた場面で勝負した江川には感動しました。
1987年6月から首位独走して4年ぶりの優勝。
山倉MVP。
鹿取も山倉とMVP争う大活躍。
日本シリーズは2勝4敗で西武に敗れる。
勝敗差以上に力の差が歴然としていた。
この頃の西武は本当に強かった。
江川引退。
9月の広島戦で小早川にサヨナラHRを浴び、いつも淡々としていた江川が試合後泣いていたそうです。
後楽園球場もこの年で役目終える。
1988年2位クロマティ、吉村が負傷で戦線離脱。
桑田も不振で東京ドーム元年を優勝で飾れず。
王監督辞任。
パリーグはあの1019のロッテー近鉄のブルヘッーがありました。
テレビ朝日が生中継していて、ニュースステーションの時間も中継していたのを覚えています。
そして名門の南海と阪急が身売り。
当時の南海杉浦監督の行ってまいりますのセレモニーでの挨拶には涙しました。
1989年藤田監督で優勝。
クロマティ8月まで打率4割をキープ。
西本とのトレードでやって来た中尾も活躍。
投手では斎藤20勝、11試合連続完投の記録達成。
日本シリーズは近鉄に3連敗するも、近鉄加藤の発言に奮起したのか4連勝して8年ぶりの日本一。
近鉄加藤の問題発言の試合は東京ドームで観ていましたが、あんなこと言われるほどジャイアンツの状態は悪かったですね。
特に原が酷かった。
チケット取るのに前日の夕方から並んで買えたのが翌日午後1時。
挙げ句にあの試合でストレスたまりまくりでしたね。
因みに行列の先頭は雇われたと思われるホームレス風の方々ばかりでした。
今では信じられませんが、当時の東京ドームは広いと言われていました。
まあ、後楽園が両翼90bなかったし、ナゴヤ、広島、遂、と狭い球場ばかりでしたからね。
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