終戦記念日と日本史 

2005年08月15日(月) 20時26分
私の親戚で3名が先の大東亜戦争で亡くなっています。
今、日本の平和と繁栄、自由は多くの犠牲者(関わった全ての国の人々)の上に成り立っていることは皆さん理解していると思います。

しかし、我々日本人が使っている歴史教科書や靖国参拝の問題では他の国々から批判を浴びています。
歴史認識は、世代や地域によっても違っています。我々世代の歴史認識はある程度共有していると思います。しかし、それを覚えていて今でもそのまま理解している人々は少ないのでは。私も今の歴史認識は大人(20代)になってから学んだり、映画・テレビ・書籍などで知識や考えを積み上げていきました。

持論ですが、歴史には3つの見方があると思っています。

まず、「歴史認識」、これは個人や団体が他の人々に伝えていくもの。ある意味では教育や育った環境で変わりうるもので、非常に怖いものでもあると思います。

次に「歴史事実」、これは家族を戦争の中で殺されたと考える人と戦争で死んだと思う人では事実と言えど違った意味になるのではないでしょうか。要するにどの角度から物事を見るかによって(違う「ものさし」で測っている。解釈の違い)変わってしまうものです。これで良いのでしょうか?

最後に「歴史真実」、これは普遍的なものでなくてはいけません。私が一番知りたいのはこれです。これは自国が目を背けたいものや自国の不利益になるものを提出していかなければなりません。一昔前であれば無理なことで戦勝国が全ての情報を握っており敗戦国の情報はないに等しいのが事実です。しかし、ITが進み、戦後まだ60年しかたっていないこの時代では真実を引き出す可能性があると思います。是非貢献したいと思います。

私はJCに入り多くの国や地域に行きました。多くの外国の方々と知り合いました。大事なのは歴史事実を多く知り、相手の立場も理解しながら自分の意見を言えることが大切だと感じます。
JCとして歴史事実を知り、真実を追究し自分の歴史認識を持っていかなければと思います。
是非、この時代に生まれた我々が再度日本の歴史と近代史を勉強してみましょう。

追伸、靖国に一度行った事がありますが、本当に厳かで日本人としてのDNAを感じました。靖国に行った事ある人いますか? 

デンマークの結婚式 

2005年08月15日(月) 13時58分
今回は読んでるメルマガからの抜粋です。
すみません、客観的なものがなくて。

「“幸福度”満点の結婚式」

 以前にも書きましたがデンマークの離婚率は約35%、離婚率の高い国として認識
されています。では、結婚はどうか、というと家族やパートナーを持つカップルの約
60%が結婚という形式を取っているように思います(明確なデータではなく、周囲
からの実感としての数字です)。近年の傾向としては、パートナーシップを形成しな
い単身者が増加しているという報告もあります。結婚式はどうか、というと、最近で
は派手な結婚式は少なくなって来ているようで、宗教上の理由のみならず、経済的な
理由で教会で式を挙げるカップルが年々減少して来ているようです(2004年に結
婚したカップルの42%が教会)。

 デンマークでは、教会か市庁舎で結婚式を挙げるのが一般的ですが、結婚式に呼ば
れるチャンスもなかなかなく(正式にあげるカップルが少ないため)、私もこの8年
間で自分の結婚式しか知りませんでした。自分の時はお互い再婚同士ということも
あったので、まったくラフで気の張らない郊外の市庁舎での式にしたのですが、夫は
ジーンズにネクタイといういかにもにわか正装。私もカジュアルなひも靴にミニスカ
ートというかなり軽いスタイルでした。その上、市長さんは遅刻してくるわ、誓いの
言葉の質問は間違えるわで、かなりお笑いモードの結婚式でしたが、先日夫の実弟が
教会での神聖な結婚式を挙げ、私も滞在9年目にして初めてまともな結婚式のお呼ば
れ体験をしてきました。

 夫の実弟は、今は引退したのですが元近衛音楽隊の一員で、かつてはアマリエンボ
ー宮殿の衛兵交代式でもベアスキンと呼ばれる黒い熊の毛皮でできた大きな帽子をか
ぶり、青いユニフォームを来て太鼓を叩いて行進していたうちのひとりでした。引退
後もフォーマルな場では、近衛音楽隊正装バージョンの制服を着ることが許されてお
り、結婚式にはその黒い大きなベアスキン帽に、赤い正装用の上着と白いストライプ
入りの青いズボン、というデンマークのお土産屋さんに行けば必ず売っている兵隊さ
んのお人形のようでしたが、初夏の光と新緑に囲まれた軍の施設の中にある教会で、
その制服姿はとても美しい対比でした。

 

ちょっと、食べ物の話 

2005年07月21日(木) 0時53分
2001年ASPAC現調の時です。韓国のテグ市で現地の友人と食べたふぐ料理専門店に行きました。前の晩、現地の友人と友人の奥様(超酒豪)と3人で現地の日本食レストランでマズイ日本酒と焼酎をシコタマ飲みあかしました。何だか分らない白身の刺身と赤身の刺身(これはマグロ)の盛り合わせ、ついてくるワサビは明らかに日本のワサビとは別物(辛くない?)で食べて不思議な味付けの焼き鳥(インドネシアのサテに近い)で一晩のみ続けました。(カラオケ有り)
次の日、日曜日でゆっくり寝てようと思っていたら、その友人が酒臭い体でホテルに起こしに来ました。
何かと思ったら朝食食いに行くよって! え〜って感じで一緒に行きました。行った先はふぐ専門店で、入るとまだ11時前だというのに家族連れなどで沢山入っていました。横に長いテーブルに順番に並べられたガスコンロがあり、ハイここに座ってと言われ座るとド〜ンと真っ赤な鍋が置かれました。その中にはふぐの切り身がゴロゴロと。そのふぐも白くなく真っ赤でした。2切れ食べたら体中から汗がダラダラと。鍋は美味いのですがふぐは骨の多い白身魚って感じで、ありがたくも無い具材になっていました。そしてその汗は異様な臭いを発していました。そうです、前の晩飲んだ日本酒と焼酎の混ざった臭いです。よく見ると周りのおっさんも同じように酒臭い汗を出しながら家族と戯れていました。
そうなんだ。この街では二日酔いの朝は辛いふぐ鍋を家族で食べに行く習慣があったのでした。最後に支払いは?一人600円位でした。あれは本当にふぐなのかな〜?そう言えば前の晩の白身刺身も同じよう味が・・・

1996年JCI関係委員会 

2005年07月16日(土) 1時01分
12月の東京 雪が降っていました。今でも覚えています。
本当にドキドキして会場へ向かった。ほとんど誰も知らない中で、ぽつんと席について周りを見ていました
委員長挨拶から始まり、委員会の職務分掌が告げられた・・・・ 
京都会議海外役員アテンド〜〜 なにそれ
ASPAC現調〜〜JBMでマイアミ〜〜
ASPAC金沢に1週間  サマコンにJCI会頭来るから成田出向かえ?
MYEで又マイアミ  世界会議の現調っておいおい・・・
ほんでもって世界会議本番1週間の滞在・・・

本気でビビリました。 こんなこと俺にはできないし時間も金も無いよ〜 
結局は半分もこなせませんでした。 委員会には全部行きましたぜ。 純粋にいろんな人に可愛がってもらったし、俺も楽しかったしね。

仙台にもJCI会頭(こいつは俺の自慢のモスキーノのネクタイを強奪していった)は来るは、JCI副会頭はくるは(こいつは次に向かう韓国のビザを取り忘れていて仙台JCのコネで領事館に頼み込んで2日で出してもらった。俺は半日領事館で発給を待っていた
色々ありました。
今回はここまで。 次回はこの年の活動を思い出してカキコします。

N田先輩、本当にご迷惑をおかけしました。この年も・・・・・・・・(当時JCI関係委員会副委員長)

ついに入会1995年おちこぼれ 

2005年07月14日(木) 22時53分
時の会員拡大委員長はY山先輩で、I股先輩からJCに入るって聞いたけど〜! 
私は「ん?」と思いながらI股先輩との会話を思い出した。
私はJCが嫌いで(飲み屋で大きな顔をしながら値切っている姿とか)30になったら入ります。なんて気軽に答えていました。その言葉が数年眠りながら脈々と伝わり続けてました。怖い団体です。
しょうがなく、申込書を書きますと。その後忘れていて提出の最終日に書き終わった?と明るい笑顔でY山委員長が来ました。ついに申込書を提出しようとしたら、写真がない!悩んでいたら会社に何か無いの〜って。あったのはシカゴに行った時のスナップ写真。それを張って提出しました。後で聞いたら、選考会の際にも問題になってこんな奴入れていいの?って。そりゃそうだわ、俺でも首をかしげるものね。でも、ASPACに向けて拡大の年だったから、入れちゃいました。その後はセミナーに不参加、アテンダンスが足らず、どうしようもない状況で、5月にASPACってあるんだけど、参加したらアテンダンスが足りるよって言われ、なんとなくASPACに参加しました。場所は韓国のチェジュド(済州島)今までの海外ASPACで最大の日本JC参加者を誇ったそうです。(4000名程度)。そして訳の分らないジャパンナイトやLOMナイトに参加して、JCってやはりおかしいと思いながら帰国しました。入会が認められ正会員になりました。その年は前期入会は後期に委員会配属があり、渉外特別委員会へ 委員長はN田先輩でした。地区フォーラムの案内などで事務局に行くと、理事長席に座りIBMのノートPC(当時珍しい・超高い)を操りながら、N田委員長が作業をしていました。よろしくお願いしますと挨拶をしたが、おうって感じで挨拶終わり怖い人だなぁって。例会もサボり気味で適当にその年をこなしていましたが、ある日、N田先輩が来年日本に出向しないかって言われ、何すかそれって感じです。石川君(当時は石川君と呼ばれていました)は東京出張あるんだよねって。じゃぁ決まりね。申込書を書いといてって言われ、Y山委員長に相談したら行きなさい、その為に君はJCに入れたんだからって。そうなの〜そして日々が過ぎていきJCI関係委員会のフォロアーメンバーの予定者会議に参加。恐怖のJCライフの始まりです。

やっと、2回目・・・ 

2005年07月14日(木) 2時33分
本日、例会で久しぶりに野球を見に行きました。応援しているチームはボロ負けですが、楽しい仲間と見に行く野球も良いものでした。サッカーは引き分けでした・・・・・
担当してくれた三浦委員長始めとする、まちの活力委員会の皆様感謝です。
 話は思い切り変わります。
最近、委員会の横の繋がりが希薄になったと感じます。理事会での報告をメンバーにきちんと伝えない。自分の所には協力しないと嘆いていますが、違う委員会にはコミットしていない。おかしいよね。担当の役員(室長・副理事長)でさえ隣の委員会が何をしているか分らない。仙台JCってこんなものかな?我々は遠い違う地域で起こったことに積極的にコミットし、自分たちの地域で起きている事を多くの人へ伝えて、関心を抱いてくれもらう行動が大事なのでは。
大人(社会人?)には行動基準があるはずです。俺らは柔弱・敗北・絶望は嫌いな人種なはずです。混沌と虚無の中からその個人概念(行動基準)の情熱を発揮し、素朴な気持ちを大切にしていけば、おのずと自己の概念が見えてくると信じています。
何かに「同意する」「支持する」だけでは自分の行動基準は見えてきません。その後に必要なのは、「自分はどう感ずる」「自分には理解できない」などをきちんと伝えて納得すべきです。その行動を続けるにはジレンマが出てきます。そのジレンマが大事で、どう解決するかは真実を自分自身とメンバーに伝えることが糸口だと思います。真実とは言葉と行動があります。是非自分の行動基準を明確にしてJC運動をしてもらいたいです。

本日、勢いで書き込みました。暴言を吐いていれば後ほど書き込みか直接連絡ください。反論もしくは軟弱に対応します。(^^)
又次回よろしくです。


その節はお世話になりました。 

2005年07月07日(木) 19時48分
石川 誠です。
1995年入会から、ちょうど10年ですね。皆様、私も今年で卒業ですので来年からはどんな日々を送るのか現在リハビリ中です。
 まずは御礼とJCのありがたさ その1です。
今年の5月末に父が亡くなりました。ASPAC期間中で多くの皆様にご迷惑をおかけし、みんな月末で忙しい中、多くの方々にご参列頂き誠にありがとうございました。その際に多くのJCの友人に助けてもらいました。先輩、タメ、後輩と本当にお世話になりました。彼らは適切な助言と親族への配慮と葬儀関係の交渉と様々なことに尽力してくれました。自分も葬儀の手伝いに行きますが、当事者として関わると仙台JCのメンバーの持っているノウハウやパワーに感動しました。家族も今更ながらにJCって凄いねと言っていました。何が凄いかって、1つの事項が起きると5まで片付けてしまいます。そして残りの5を私や家族に提案してくれてスピーディーに解決をみます。みんななんでこんなことができるのだろうと・・・・ やはり、JCで事業をするため、諸大会に参加するため運営し活動をし、上程を重ねるうちに自然と身についていくのでしょうか。今度は私が頑張りたいですね。
今回は1回目なのでこの辺で。次回からは今までの経験談と苦言に入ります。
よろしくっす!
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