September 17 [Thu], 2009, 13:10
何事も、行き過ぎは良くないようです。
食べ過ぎ飲み過ぎ、てきめんですね !
おなか壊します。



大きなとこでは、地球温暖化もそうです。

CO2が増えると、気候が変わり、氷が溶けて、
陸地では乾燥が進み、まあとにかく、
悪い循環が進んでしまい、
ますます良くない状態になります。
東電のホームページの対談で、
養老孟司さんが言っていたのだけど、
そのような状態を、" ポジティブ・フィードバック "
と言うのだとか。
ポジティブと言うと、一見良いとか、
プラスのイメージですが、ポジティブと言う言葉には、
" 今の状態をさらに押し進める " との
意味もあるそうでして、悪い状態であるなら、
さらに悪い状態を引き起こすということらしい。
いわば、不安定な状態をもたらすこと。

一例を挙げるなら、昨年の世界同時不況の引き金になった、
アメリカの行き過ぎた投資と、金儲け第一主義がそれでしょうね。
真逆のことはというと、ネガティブ・フィードバックです。
こちらは、自動制御などに使われてるもので、
安定方向に持って行こうとする制御です。
つまり、望ましい状態に

するということですね。
人の思考もこちらで行けば無難で、
危険も避けられるし、安定した日常を
過ごすということになりますか。
でも、以前の記事で書いたと思うけど、
誰しも、それぞれの冒険する心をもつこと、
前進する気持ちは大事。
良いと信じた道をポジティブ・フィードバックで進むのは
必要なことではないかなー。機械じゃないんだから、
行き過ぎたと思ったら、立ち止まって考えればイイのです。
August 13 [Thu], 2009, 20:52
ソビエト及び、ロシアの誇る現代作家の
アレクサンドル・ソルジェニーツィンの
没後一周年(8月3日)です。
いま彼の短編集を読んでいます。
その中の作品、
『マトリョーナの家』について、簡単ですが、
まとめてみました。こんなあらすじです。
著者自身の分身であろう、イグナーチッチが
マトリョーナの家に下宿した、
短い期間の出来事。
老婆であり、一人暮らしをしているマトリョーナは、
年金ももらえず、村の人々からは
見捨てられたも同然の暮らしをしている。
家はみすぼらしく、愚鈍とも見える
この老婆と共に暮らすうち、イグナーチッチは、
何とも言えない心地よさをこの婦人の中に見いだした。
病身の身であり、先も長くないであろう日々を
無欲な生活態度で、彼女なりに楽しく暮らす。
村人に奉仕し、当然の報酬も受けようとしない。
いよいよ死期も近いと知る村人は、
彼女の地所、家財に関心を向け始める。
そんなさなかに、突然の列車事故により、
彼女は死ぬ。
イグナーチッチは、彼女の過去と、
知る由もなかった彼女への評価を村人から聴く。
愚鈍なんかではなかった。
愚直なまでの善人であったのだ。
しかも、村に無くてはならない
貴重な宝だったのだ。
それを誰も理解出来なかった。
事故現場を通過する列車は、
今もかならず速度を落とすという。
この、いち善人への哀悼を捧げているのだろうか。
この短編の中のイグナーチッチは、
『人は食べ物によって生きるのではない』との、
心情を述べています。その言葉をとおして、
ソルジェニーツィンは
「 無私であり、理想を持ち、
人間らしく生きるべきである 」と、
訴えているのではないかと思いました。
January 03 [Sat], 2009, 22:33
人間は、過去からどのくらい考え続けて来たのだろう。
どの時代にも処世術や、教訓、知恵が語られ、
伝えられて来た。
世界中にそれらは存在し、翻訳され、
今や誰でも知ることが可能となっている。
だが悲しいかな、時代が過ぎ、
世代が交代していくなかで、有用な知恵や、
教えは忘れられ、人類全体として、
向上しているのかは怪しい。
壁(元町裏通り)/HOLGA120N
すでに世界の人々はそれぞれが知恵を見いだしている。
それは何世代も前に解っていた。ところが、
これが答えだとは誰も言えず、
喘いでいるように見えるのはなぜか。
数式は既にあるが、
そこにエックスが加わらない限り、
答えは出ないのである。
時は同じではない。人もそれぞれが違い、
自分自身も過去の自分ではあり得ない。
どんな答えが出、どんな答えを出すのか。
いまや、企業の出す手帳にも、
人生訓の類いが載せられ、書店には、生き方、
処世術、スピリチュアルの本もたくさん並べられる。
あまり枝葉末節な内容のものは好まないが、
思索は有用と考える。それら語ろうとする知恵も
元はと言えば、古代の人たちの長い思索の末にたどり着いた
いくつかの原則の応用である。
この1年、すでに語られた知恵を、どのように
自分は生かすだろうか。
May 07 [Wed], 2008, 17:16
以前もチョイト、
家系をたどるの記事でふれましたが、
母の実家の、本家の本家は、比企(ひき)一族です。
もともとは武蔵の国、今の埼玉県東松山市を拠点にしていた
大豪族で、比企尼(ひきのあま)が源頼朝(みなもとのよりとも)の
乳母を勤めるため、そのころ伊豆に居た
頼朝のもとへ行ったそうです。
そのご、幕府が鎌倉へ打ち立てられ、
一族もそこに住みつきました。
というわけで、比企能員(よしかず)は、
鎌倉幕府の要職、御家人(ごけにん)の1人として活躍。
しかし、頼朝の息子である、頼家(よりいえ)の時代に、
北条時政(ほうじょうときまさ)に、
西暦1203年、屋敷を急襲され、一族は滅亡。
わずかに生き延びたものたちが苦労の末、
故郷の比企の地に戻りました。
その後も、戦国武将として各地に赴きましたが、
最後には故郷に土着し、現在にいたる、
というものだそうです。
もっと時代をさかのぼると、
比企氏もどこからかやって来たのでしょうが、
文字の記録も無いだろうし、
それ以上のことは解からないでしょうね。
でも知りたい気もするな。
ちなみに、源頼家(みなもとのよりいえ)の妻、
若狭局(わかさのつぼね)は、比企能員の娘です。
■以上の記事は、母の話をもとネタに、ネット資料を
参考に書かせていただきました。

参照サイトの1つ→
鎌倉ぶらぶら
February 08 [Fri], 2008, 22:30
昔も今も大海原を航海する船乗りは、
目的地に達するために気を配る。
ある本によると、航海術の極意は、
「すべての方法に誤差があっても、みな同じ方向に
誤差が生じるのではない。絶えずいろいろな方法を総合し
誤差を修正し、結果としては正確に目的の島へ達する。」
ものであると言う。
これは各自の生き方にも言えそうである。
もし人類に、究極のひとつの目的があるならば、
自分なりには大きく捉えて、
" 平穏に暮らすこと " と、思っているのだが、
世界の各人が良い目的意識を持ち、
歩んでゆくならば必ずやその大きな目的は
達せられるのではないか。
そう考えるのである。
アメリカの思想家、ヘンリー・D・ソローは著書、
『 森の生活 』 に、このように書いている。
「今きみが存在する場所で、在るがままの姿で、
もっと価値のある人間に 成ろうとなどと
目指したりせずに、、事を始めるがよい。
親切心を忘れず、充分に考慮した上で善行に取りかかれ。 」
そのように聞くと何か、大それた事をしないといけないのか、
と言いたくなるが、ソローはこのようにも言っている。
「各自がそれぞれの方法で、進んで(生活を)いってもらいたい。 」
だから何がしかの、自分で思い至った意識、
良い考えなどを実行してゆき、
絶えず修正を加えつつ生活していきたいと思うのだ。
もしかしたら、個人的な目的地は遥か彼方に霞んでおり、
達するには厳しすぎるものなのかもしれない。
でも、人類全体としては、
絶えず進んでゆくものであろう。
そう、航海術により必ず目的地に達することが可能なように
きっと、必ずやそれに達するのであろう。
November 16 [Fri], 2007, 22:56
どこかのお寺の住職が、
世相を現す今年の漢字一文字を
書初めするイベントはご存知かと思います。
さて今年は・・・

皆さんは何を予想されるでしょうか?
ウスウス皆さんも頭に思い浮かべているでしょうが、
わたしは、これです!ズバリ
嘘 (うそ)
今年に限らず、世界は、そして日本は、
段々と嫌な雰囲気が増大しているように感じます。
そんな中、ことしは特にウソが目立つ。

今までの日本の問題点が、
一気に吹き出ざるを得ないほど、切迫しているのでしょう。
いいかげん、ドゲンカセナイカン、のだと。
食品、外国製品、マンションほか、政治etc・・・
じつにさまざまな分野で
この、ウソという共通のキーワードが侵食しているのです。
お偉方の記者会見の、言い訳に継ぐ言い訳、
部下社員への責任転嫁、開き直りともとれる尊大な態度、
競争という名の仁義なき合法的ストレス社会 !

歌い手たちがずっと伝えていた、みんなの幸せ、
平和な世の中。
そんな歌を愛した世代がこぞって醜い体たらく。
シャキットせんか〜い、と、
誰かさんに言って欲しいものです。
便利で、安くて、機能満載!
よってらっしゃい見てらっしゃい!
辞書が百本付きました。ソフトが百本プレインストール!
どんどん買い替え、バージョンアップ。
どこまで行けば気が済むの?
壊れてなくても、もう古い。
競争しないと生きられない。
でも私はそんなに使わない、
なんでもかんでもは、必要ない。
影で泣いてる人が居る、
安けりゃ安いほど苦しむ人たち。
彼らを泣かして手に入れる物ってなんだろう。
笑顔でいて欲しいじゃないか。
ルールは人の為にある。
車に乗らない若者と人は言う、
車に乗れないとわたしは言う。
収入低くてなぜ乗れる。
維持費がますます高くなる。
夢は違うところに、物じゃないところに、
きっと在る。
本当にだいじょうぶなのか、私たち。
振り回され、利用され、加担している私たち。
人間社会はどこへ行きたいの?
地球を無視して何するの?
何が目的で動いているの、この世界。
自分なりに探してみるよ、
素敵な何かがあるはずなのさ。
過剰が美徳と宣伝してる、
みんなが恩恵を受けられないものを。
過剰は非情と私は思う。
自然は均整を教えてる。
なんとなく、プログレ音楽の影響大な詩。
ジョンアンダーソンの美声で歌って欲しいな。
同世代のプログレファンなら、解るかも。
October 01 [Mon], 2007, 11:07
いわゆるロハスな人。いろんな意味を含んでいますね。
環境を考えた消費、エコ生活。
なるべくゴミを出さない工夫や、リサイクル。
マイバッグを使うなど。
そして、オーガニック製品を選ぶこと、
フェアトレードなど。
スローフード、スローライフ。
さらには、NPOやNGOなどのボランティアに
関心を持つこと。
人間ひとりひとりのチカラって、
小さくないってことをみんなが思うこと。
どんな活動に感心を持つか、選ぶのか、
それは人それぞれ違うと思うので、
それぞれの選択は尊いものだね。
たとえば、ある難病の個人を助けようと言う運動に
いろいろと批判をする人もいるようですが、
個人がなんでもかんでも、あらゆる問題に対して
完璧に網羅するのは難しいこと。
やらないより、関心を持ってやるというのは、
それだけで素晴らしいと思います。
そうした活動や人々が増えていけばいいね。
マスコミや、チラシやwebで目にすることが多くなり、
マイバッグを持つ人を見かけるのも珍しくなくなりました。
そんなんで、わたくしもこのごろ考えるようになったわけ。
つい最近ですが、マイバッグを極力使うようになったよ。
いろんなサイズのバッグが売っているし、
お洒落なのがいいね。
流行の言葉で、『気づき』なんてのがありますが、
琴線に触れると、
自分的には、と言ったほうがシックリ来るかな。
まずは知ることと、それを自分でどう判断し取捨選択し、
無理なく出来るものを自分の主義と照らして
自発的にしようと思うか、そして実行するか。
どの程度までやるのかは、自分にしか解らないし、
時間とお金と労力も関係してくるしね。
どのような形で活動するにしても、
よーく考えて知識を得るのが
重要だね。思っていたよりも寄付するお金の%が
現地に届いていないとか、
ちょいと怪しい

と思われる
キャンペーンや団体もあるようだし。
そういったことを見極める力も求められます。
こんな世の中なんで、容易ではないが。
身の回りの小さいことでも、
自分のできることをしてみたい。
9月の終わりに考えてみた、今までとは違う生き方について。。
October 19 [Thu], 2006, 12:43
ある文庫本を読んでました。220ページほどの本です。

以下、あらすじを書きますと・・・↓
アメリカ人女性、マルロ・モーガンは、
ある仕事でオーストラリアにいた。
そんな彼女に一本の電話が掛かってくる。
それは、原住民アボリジニの
一部族からの招待であった。。。
それが、120日にわたる失踪劇の始まりだとは、
彼女自身思いも寄らなかった。
文明社会に属する人間と、
あくまで自分たちの道を歩もうとする
アボリジニ「真実の人」族との120日間の
オーストラリア横断の過酷な旅は、
いったいなぜ行われたのか?その目的は?
Demekin Camera/Fuji SuperG100
社会から見下げられる立場に甘んじてきた、
あるいは、そうならざるを得なかった民族アボリジニ。
うまく社会に溶け込むものも、適応できないものも、
文明社会に接しざるを得ない今。
この旅を挙行した「真実の人」は、
ある決断を下していた。彼らにとって、
そして、マルロ・モーガンにとって、
この出会いは運命的なものであったのだ。
アボリジニの生き方と、その精神生活、
それは地球に住むすべての人々に向けられた
重要なメッセージを発している。
いったいそれは・・・
と、そんな感じの本です。
具体的には言いませんが、
かなり示唆に富むものだなと思いました。
「 ミュータント・メッセージ 」
著者 : マルロ・モーガン/角川文庫
March 25 [Sat], 2006, 18:14
人の眼球を使って、写真を撮ったとしたら、
どんなふうに写るものなのだろうか?
ふと、そんな考えが浮かんだ。
最近読んでいる、エドガー・アラン・ポーの小説に
出てきそうなモチーフではある。
まあ、それは無理であっても(そんな気はさらさら無いが)
人の目に写るものを印画紙に焼き付けて
見てみたいと思うのは想像が過ぎるだろうか?
なんの違和感の無い写真が撮れるのかもしれない。
ガラスの目、プラスチックの目を持つカメラは、
撮る人の気持ちや、目線をフィルムにそして、
デジタルに記憶する。
だから、そんな奇怪な思考をせずともよいのだ。
ところで、少々話しがずれるが、
個人の記憶を写真に、欲を言えば、
映像に写し出す。そんな機械が
発明される日は来るのだろうか?
心と連動して脳が記憶し、
さらに作り出すイメージ。
人のおぼろげな、うすれゆく郷愁。
そう、風景ではなく、過ぎ去った郷愁だ。
そして、未来への想い。
そんな感情を映像としてアウトプットできたら。
取り止めのないことを考えた深夜の寝床で。
January 04 [Wed], 2006, 0:28
星野道夫著 『 ぼくの出会ったアラスカ 』を読みました
写真入りの文庫本です。
アラスカに係わるようになった著者が
アラスカの大地を旅し、野性に出会い、
土地の人々との交流を通して
人間が生きることを大自然の中で感じ、
それを言葉にしていく
美しく、豊かで、厳しいアラスカ
大昔からアラスカには、人の暮らしがあった。
太古、アジアから来て住みついたインディアンの部族。
さらにエスキモーたち近代になり、
資源開発のためにやって来た白人たち
さまざまな思いでこの土地に係わり、住みついた人々。
著者はそんな人々に思いを馳せつつ、自分が出会う人を
温かい眼差しで見つめ、将来をも見ようとしている。
アラスカに住む人には、白人がいる。
なぜ彼らは故郷を離れ便利な生活を置いてきたのか。
では、世捨て人なのだろうか?
いや、そうではない まったく文明を利用しないのではない。
人間の喜びは、自然と係わる中に本能的な満足を見出せるの
ではないだろうか?
時代の波はアラスカの原野にも押し寄せている。
だが、自然の恵み、四季の移り変わり、
動物たちとの命の死闘それらは、絶えることなく続くであろう。
ここにも人間の生きる土地
生きるべき土地がある。
人間には多様な生き方、生きる土地があるはずだ
人はみな偉大な冒険者なのだ。
ある元空軍パイロットの言葉はそれを裏付ける。
『 人生とは、なにかを計画している時に起きてしまう別の出来事 』
彼女は、ふとしたきっかけで、
アラスカに定住する事になった。
でも、文明世界から切り離されたのではない。
積極的にさまざまな社会運動にかかわった。
著者も、のちにアラスカに拠点を置く事になる。
わたしも、自分の住みかとなる場所を見つけたい。
それを探す旅をしたいと、心底思う。
文明との係わりを自分なりの基準を定め
決めて生きて行けたら。いわゆる清貧ではなく、
選ぶ人生でありたい。
将来が不安な世の中ではある。
経済的にはたしてどうなるのか?
お金だけではない温かい世界は無いのか?
作れないのだろうか?
もっと人間は、簡単に生きられないのだろうか?
わたしの模索は続く。
あるきっかけで星野道夫の本に出会いました
導いてくれた
池田姫さん、ありがとう、爽やかなアラスカの
空気を満喫致しました。