June 30 [Tue], 2009, 0:11

子供が産まれて分かった事。

いくら泣いても
いくら叫んでも
いくらワガママ言っても

悲しいことや
苦しいこと
腹がたつこと


それよりも

楽しいこと
うれしいこと

しあわせなこと
しあわせを感じれること


家族みんな幸せだとおもうこと

それが今。


せめて20歳までは

子供を残して死にたくない。



母もそうだったかもしれない

そう気付いたのは
子供のおかげ。







母はどこかで見てくれてるかな。


June 18 [Mon], 2007, 21:52

母は病院を何度か転院する。
より高度な治療を求めて。
今ではもう分からないけど、
何かのために生きていたくて。


飛行機で1時間、夜行列車で夜出て朝つくぐらいの距離の病院。
会いたくてもすぐ会えない距離。

私はそばにずっといたかった。
ずっと。
何もしなくていい。
お母さんは寝てるままでもいい。
ただそばに居れたらそれだけでよかった。











小学校から帰ると、家には誰もいない。
父の帰りの早い日は家で待つ。
遅い日は、朝から
『今日は○○さんちに行ってなさい』
と言われる。
学校帰りによると、みんな温かく迎えてくれる。

友達の家や、母の友達の家。

楽しかった。
御飯も食べさせてもらったり本当ありがたかった。
嬉しかった。

でも

父が

お父さんが迎えに来てくれるのをずっと待っていた。




夜。
母に会いたくて涙がでた。











そばに
そばに居たかった。

小学生 1

April 14 [Sat], 2007, 23:27

小学校に入学。
その時の記憶は曖昧な事が多い。







その頃から、娘は他の家に預けられる機会が増えていく。
友達の家
お母さんの友達
近所の家
親戚の家。

母の入院回数も増えていく。





『おかあさんといっしょにいたいーーーー!!!』
病院へ見舞いに行った帰りに泣く娘。
もう何ヶ月も母は入院したままだ。

親戚のおばさんに手を引っ張られて
病院の外に連れ出される。
まだ泣く。
タクシーからは乗車拒否される。

結局、父にわざわざ迎えに来てもらう。








私は母と離れたくなかった。
母は、いつも笑っていた。
怒る事もあったけど
私には最高の笑顔をくれた。

母は、髪が抜けていく。
それを気にしていたけど私は気にならなかった。


母が授業参観や運動会に来てくれたのは
たぶん2回もないと思う。
遠足や運動会、お弁当がいる時は
友達のお母さんや、担任の先生が作ってくれた事もある。

母は、私に色々してくれる人達に
本当に感謝していた。
どうやって感謝の気持ちを相手に伝えるか
いつもいつも悩んでいた。
私は母がいつ家に帰ってくるのかしか考えてなかった。
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出来る事を1つづつ、消化していきたい。
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