東十条病院
February 20 [Wed], 2008, 3:59
東十条病院がつぶれたらしい。
ニュースで見た。
東十条病院は、京浜東北線沿いにある、総合病院。
今私の街にある、昭和大豊洲病院と、
どっこいどっこいなんじゃないかと思うくらいの大きさだったと思う。
私達夫婦には結婚して間もない、もう6年も前にそこで悲しい思い出がある。
思い出といっても、もう随分前のことだし、正直あまり正確には覚えてないけど。
その頃は悲しいと思うことさえもないほど、私たちは未熟で愚かだったから、
そしてある意味希望と自由に溢れていたから。
その時は悲しいとういうより、出来事のひとつだった気がする。
思い出話はさておき・・・
つぶれた大元の原因は、病院の院長の座を争って、もめた挙句の惨事らしい。
東十条病院の院長は歴代日大の医師で、働く医師の殆ども日大の医局医だったらしいのだけど、
それをよく思わない人たちがクーデターのように日大の医師でない人を新院長に据えてしまったらしい。
それで、次こそ我が東十条病院の院長だ、と息巻いてた日大の院長候補の医師や、
その周囲の権力者が意地を悪くして、
早々に出張に出ていた、それ相当の数の医師を引き上げてしまったらしい。
当然病院は回らなくなって、そして破綻した。
患者も、そこで働く多くの人が路頭に放り投げられた。
医師として人を救うために学び、長年働いてきて、ふんぞり返ってる賢人ぶったオヤジが、
凡人以下に心の貧しく、子供染みた仕返しをするものだと、胸が悪くなった。
クーデターを起こした新院長もアホだ。
日大を追い出し、自分の大学の後輩たちに、いい出張病院を確保してやりたかった、
と大義名分をふりかざしても、
自らが院長の椅子に目がくらみ、二兎追ったがゆえに、一兎も得られなかった・・・
そして、それ以上の惨事を生み出したと思う。
自分が院長の座に腰掛けるより先に、患者やそこで働く人のことを考え、
やるならもっと周到に準備だててやればよかったんだ。
出張命令を取り下げられた多くの日大の医師たちも、とても複雑であったと思う。
受け持ちだった患者さんのことも。そして自分自身の生活のことも。医師としてのこれからも。
大学に戻ったって、そんなに大勢の医師の出張先をすぐに大学側が用意できるはずがない。
大学に戻った医局医は、大学で働いても無給だ。
大学病院では基本的に、教授や助教授など役職のある人以外は当直費以外無給だ。
だから、こうやって、東十条病院のような出張病院をいくつか確保して、
2年目くらいのひとり立ちが出来る頃になると、
週に何回か、もしくは、1〜2年という形で、大学からの出向ということで出張に出して
生活費を稼げるように差し向けている。
大学はあくまで学ぶ場所だ。
金儲けなら自分でよそでやれ、と。
私の主人が以前いた病院もやはり同じような出張病院。
区立病院で公務員扱いだった。
そこは代々慶応の出張病院で、眼科以外は慶応出身者ばかりだった。
院長も含めて。
しかし、そこの創設に大きく関わった地元の市議会委員が、
主人の所属していた大学の出身者で、地元の眼科医でもあったので、
眼科だけは慶応ではなく、彼の望む、自らの出身医局医を迎えることが通例となっていた。
どこでも権力争いだ。
そこそこ大きな病院の院長の椅子も、
医局医のためのより安定したよい出張先も、大学側も確保に必死だ。
自分たちは医局医に給料を払えないから。
そんな風に、多くの、いえ、ほとんどの区民病院、総合病院はどこかの大学が出張病院として、
その病院と強く強く結びついている。
大学のまずまずの地位の医師を院長にすえ、医局医を労働力として回してもらうのだ。
今のように派遣会社がそこここになかった時代、
どこの馬の骨ともわからない医師を募集するより、信頼はあるし、とっかえも利くから、
医師を回してもらう病院側も助かるし、
医局医の方も、安定した生活費が入るので、お互い助かる。
当然、出向先が変われば、御給料も待遇もかわる。
あるときはアルバイト。運がよければ、公務員。
それが上の先生の匙の振り加減で、いやおうなく変わる。
医局医として働くのは、そんな風に少し大変なこと。
無給で働き、当直をこなし、
休み返上で論文の為の実験をし、論文を仕上げ・・・・
医局医がなんで、そんな不便な思いをして大学に残りたいかといえば、
肩書きが目的の人もいるかもしれない。「○○大学教授」。
でも、学びたいという人が多いに他ならないと思う。
今回この病院がつぶれたことは、患者さんはもちろんのこと、
そんな風に大学に尽くしてきた人や、この病院で一生懸命働いてきた人を
踏みにじったと思う。
ま、大学から見れば、学ばせてやってる、いやなら出て行け、ということなのでしょうけど。
権力におぼれた、つまらない椅子取りゲームの代償はあまりに大きかったと思う。
私を診てくれたあの先生はどうしているだろう、
あの先生はベテランだったからどこにでも転がれるし、
ひょっとしたらもう開業してるかもしれない。。。
あの時、私に退院指導をしてくれた初々しい新米の看護師はどうしているだろう、
もう中堅の働き盛りの看護師になっているだろう。
だからきっとすぐに良い働き先が見つかるだろう。
それとも、もう結婚して、あの病院にはいなかったかもしれない・・・。
色々な思いが頭をよぎる。
ニュースで見た。
東十条病院は、京浜東北線沿いにある、総合病院。
今私の街にある、昭和大豊洲病院と、
どっこいどっこいなんじゃないかと思うくらいの大きさだったと思う。
私達夫婦には結婚して間もない、もう6年も前にそこで悲しい思い出がある。
思い出といっても、もう随分前のことだし、正直あまり正確には覚えてないけど。
その頃は悲しいと思うことさえもないほど、私たちは未熟で愚かだったから、
そしてある意味希望と自由に溢れていたから。
その時は悲しいとういうより、出来事のひとつだった気がする。
思い出話はさておき・・・
つぶれた大元の原因は、病院の院長の座を争って、もめた挙句の惨事らしい。
東十条病院の院長は歴代日大の医師で、働く医師の殆ども日大の医局医だったらしいのだけど、
それをよく思わない人たちがクーデターのように日大の医師でない人を新院長に据えてしまったらしい。
それで、次こそ我が東十条病院の院長だ、と息巻いてた日大の院長候補の医師や、
その周囲の権力者が意地を悪くして、
早々に出張に出ていた、それ相当の数の医師を引き上げてしまったらしい。
当然病院は回らなくなって、そして破綻した。
患者も、そこで働く多くの人が路頭に放り投げられた。
医師として人を救うために学び、長年働いてきて、ふんぞり返ってる賢人ぶったオヤジが、
凡人以下に心の貧しく、子供染みた仕返しをするものだと、胸が悪くなった。
クーデターを起こした新院長もアホだ。
日大を追い出し、自分の大学の後輩たちに、いい出張病院を確保してやりたかった、
と大義名分をふりかざしても、
自らが院長の椅子に目がくらみ、二兎追ったがゆえに、一兎も得られなかった・・・
そして、それ以上の惨事を生み出したと思う。
自分が院長の座に腰掛けるより先に、患者やそこで働く人のことを考え、
やるならもっと周到に準備だててやればよかったんだ。
出張命令を取り下げられた多くの日大の医師たちも、とても複雑であったと思う。
受け持ちだった患者さんのことも。そして自分自身の生活のことも。医師としてのこれからも。
大学に戻ったって、そんなに大勢の医師の出張先をすぐに大学側が用意できるはずがない。
大学に戻った医局医は、大学で働いても無給だ。
大学病院では基本的に、教授や助教授など役職のある人以外は当直費以外無給だ。
だから、こうやって、東十条病院のような出張病院をいくつか確保して、
2年目くらいのひとり立ちが出来る頃になると、
週に何回か、もしくは、1〜2年という形で、大学からの出向ということで出張に出して
生活費を稼げるように差し向けている。
大学はあくまで学ぶ場所だ。
金儲けなら自分でよそでやれ、と。
私の主人が以前いた病院もやはり同じような出張病院。
区立病院で公務員扱いだった。
そこは代々慶応の出張病院で、眼科以外は慶応出身者ばかりだった。
院長も含めて。
しかし、そこの創設に大きく関わった地元の市議会委員が、
主人の所属していた大学の出身者で、地元の眼科医でもあったので、
眼科だけは慶応ではなく、彼の望む、自らの出身医局医を迎えることが通例となっていた。
どこでも権力争いだ。
そこそこ大きな病院の院長の椅子も、
医局医のためのより安定したよい出張先も、大学側も確保に必死だ。
自分たちは医局医に給料を払えないから。
そんな風に、多くの、いえ、ほとんどの区民病院、総合病院はどこかの大学が出張病院として、
その病院と強く強く結びついている。
大学のまずまずの地位の医師を院長にすえ、医局医を労働力として回してもらうのだ。
今のように派遣会社がそこここになかった時代、
どこの馬の骨ともわからない医師を募集するより、信頼はあるし、とっかえも利くから、
医師を回してもらう病院側も助かるし、
医局医の方も、安定した生活費が入るので、お互い助かる。
当然、出向先が変われば、御給料も待遇もかわる。
あるときはアルバイト。運がよければ、公務員。
それが上の先生の匙の振り加減で、いやおうなく変わる。
医局医として働くのは、そんな風に少し大変なこと。
無給で働き、当直をこなし、
休み返上で論文の為の実験をし、論文を仕上げ・・・・
医局医がなんで、そんな不便な思いをして大学に残りたいかといえば、
肩書きが目的の人もいるかもしれない。「○○大学教授」。
でも、学びたいという人が多いに他ならないと思う。
今回この病院がつぶれたことは、患者さんはもちろんのこと、
そんな風に大学に尽くしてきた人や、この病院で一生懸命働いてきた人を
踏みにじったと思う。
ま、大学から見れば、学ばせてやってる、いやなら出て行け、ということなのでしょうけど。
権力におぼれた、つまらない椅子取りゲームの代償はあまりに大きかったと思う。
私を診てくれたあの先生はどうしているだろう、
あの先生はベテランだったからどこにでも転がれるし、
ひょっとしたらもう開業してるかもしれない。。。
あの時、私に退院指導をしてくれた初々しい新米の看護師はどうしているだろう、
もう中堅の働き盛りの看護師になっているだろう。
だからきっとすぐに良い働き先が見つかるだろう。
それとも、もう結婚して、あの病院にはいなかったかもしれない・・・。
色々な思いが頭をよぎる。
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