【連載小説】「プロトコル」:Ver.010 ―シーク― [弐] 

2008年06月28日(土) 19時54分
 三限が終わり、昼休みに勇樹がやって来たら自然と内山さんの自殺の話になった。
「よっ。何か、エラいことになったな。」
相変わらず飄々としている。今度こそ本当に人が死んだって言うのに。
「ああ、午後から記者会見があるから授業カットだってな。」
今日の14時から、マスコミに向けて学長や校長やらが記者会見をやるんだそうだ。ねくろブログのせいなのか、内山さんの自殺について学校に問い合わせが何件も来ているらしい。噂ってのは、どこからか漏れていくもんなのだろう。明日には保護者への説明会も予定されているとか。
「センセーショナルだよねえ。自殺アイドルブログの後は、都内の美少女高校生が本当に自殺だよ。」
本当に真剣味の無いこの男。
「え?内山さんて美少女なの?」
「知らないよ。週刊誌とかワイドショーならそう言うんだろ?」
「そうかもな。こんな騒ぎじゃ、午前放課でも落ち着いてテスト勉強もできないよな。」
「確かに。同じ学校で自殺者ったら軽く滅入るよ。俺たちもモタモタしてたら、校門でインタビューとかされちまうぜ。療、この後どっか行くか?」
「いや、ちょっと四組の小宮と約束してて。例の子と仲良かったって言うから話でも聞こうかと思って。」
「お前がインタビューするんかよ。小宮さんって言えば、確かリストカッターだよねぇ。」
「お前よく知ってんな。」
そうなのだ、小宮はリスカ常習者である。こないだ、頭を過ぎった「自傷行為をする女子」というのは彼女のことに他ならない。
「ほら。あの子、図書委員だろ。カウンターで本受け取ったときに切った跡が見えてね。アレはもしやと思ってたんだよー。」
勇樹は探偵かジャーナリストにでもなった方がいいのかも知れない。意外な目敏さは侮れない。
「ま、いろいろ聞いてくるよ。可愛いかどうかも確認しといてやるよ。」
「はは、よろしく頼むよ。」


(つづく)

【連載小説】「プロトコル」:Ver.009 ―シーク― [壱] 

2008年06月21日(土) 17時14分
 翌日。金曜。俺は昨日にまして上の空で教室の机に向かうことになった。この日の授業は、在って無いようなもので、「テスト勉強」と銘打った自習時間である。教員たちは今朝からずっと臨時の職員会議に出払っており、数少ない非常勤教員が各クラスの自習監督として巡回しているようだ。

 今朝、一限が始まる前に臨時の全校集会が開かれた。壇上に上った学長は長いのか短いのかも分からなくなるほどの沈黙を経て、震える声で搾り出した。
「誠に残念ではありますが、昨日、わが校の生徒が息を引き取りました。」
衝撃的な発言に講堂が思わずどよめいた。すでに事情を知っていたのか、どこからか女子のすすり泣く声も聞こえる。方向からして一年生だろうか。ややもして、教務主任が声を張り上げて騒ぐ生徒を黙らせる。一呼吸おいた学長が再び話し始める。
「将来、医療という人々の命を預かる職務を志していくであろう君たちの中から、自ら命を絶つという手段を選んだ者が出てしまったということは、非常に遺憾であります。」
脂汗のにじんだ学長の頭頂はなんとも寂寞に満ちていた。自殺を遂げたという某女子生徒に黙祷が捧げられ、その後は命の重さについて説教が半時か小一時間ほど続いた。私立医大の付属高校の生徒が自殺だなんて世間体があまりに悪い。学校としても必死なのだろう。そんなことよりも、俺は自殺したのが女子だと分かったときから、気持ちが浮ついて仕方なかった。女の子と自殺との二つが結びついて、昨日どうでもいいと判断したはずの柩ねくろの存在がきっちり思い出された。まさか違うとは思うが、その女子生徒とねくろは関係でもあったか、それとも本人であったとか、いやそれはないかとか。なるべく考えないよう努めて閉じた瞼には、彼女の首の痣と吸い込まれるような眼がフラッシュバックみたいに焼きついていて、急いで眼を開けたら、ネガになった残像が視界に浮かんでいた。なんなんだ。

 教室に戻って間もなく、自殺したのは一年三組の内山実希という子だということは分かった。確かめたところで何になるわけでもないが、その子がどんな子であったのかを知りたくて仕方なくなった。ねくろのことを思い出してしまったから。部活の後輩にでも訊こうかと思ったが、内山さんが所属していたという美術部の副部長がちょうどクラスメートだったので先に当たった。
「内山さんね。何か変わったような感じの子ではあったけど。新入生歓迎の頃しか部のほうには来てなかったから、実のところ僕もよく知らないんだよね。四組の小宮さんだったら、結構仲良かったみたいだから、気になるようなら訊いてみてもいいんじゃない?」
美術部副部長の青木はそこそこの長台詞で次に会うべき重要人物を明確に示してくれた。折角なので、恥を承知で内山さんがブログの首吊り少女なのかと訊いてはみたが、全然似ていないし違うと思うと一蹴された。四組の小宮は家も近所で子供のころから良く知ってる。ひとまず疑問は満たされたが彼女の話も聞いておきたい。RPGか何かのおつかいイベントみたいに四組に行って小宮に内山さんについて聞きたいと言ったら、「駅のモスでおごってくれたら」と言うので、仕方ない。放課後にまた落ち合うことにした。

(つづく)

【連載小説】「プロトコル」:Ver.008 ―フォーマット― [四] 

2008年06月14日(土) 19時24分
「このコミュニティ管理してる人ってどんな人?」
俺は純粋に気になったことを兄貴に訊いてみた。
「どんなって・・・あー、クラブつながりの友達で、皿回してるんだけど。仕事はアパレルの店員だったっけかな。あー、この『へっぷり』ってやつ。」
何とも兄貴らしいつながりだと思う。
「それでー、何か、その、変わったような趣味の人なの?」
「どうだろうな、別に俺からは何とも思わないけど・・・」
「でも、ここのコメントじゃ、グロい方が好きって・・・」
俺の中のモヤモヤを兄貴は瞬時に読み取ったらしく、露骨に眉間を歪めて荒げた声をかぶせてきた。
「あのなー、何をビビってんだか知らねーけど、
死ぬとか死体だとか、そういうもんには誰しも興味を示すもんだろうが。今のお前みたいに。ここの連中はそういう好奇心にちょっとだけ正直っていうだけ。そんだけのことだろ。」
煙草を灰皿にぐしゃぐしゃと押し付ける。長い吸殻がボソっと折れて紙か何かの焦げる匂いがする。
見事に見透かされてしまった。
「別に・・・そんなに怖いわけじゃあ」
とは言ったものの、あの意図の解らないブログ自体は充分に不気味ではある。
「そんじゃ、何?実はブログの首吊りちゃんが好みのタイプとか?気にはなるんだろ?」
「こんな異常なブログは普通気になるだろ?」
「さあ、ネットなら、異常もクソも何でもあるし。でもまー、これは可愛いし良く演出されてるからなあ。」
兄貴は「可愛い」というポイントをやたらと押してくる。
「いや、可愛いとかは、何か、置いといて、異様に強いオーラというかそんな感じの。」
今の俺がねくろに引き寄せられる心境は何とも言い表すことはできない。
「やっぱ好きなんじゃねーのか?メンヘラ女はやめとけ、こっちが疲れる。」
もういい加減その手の流れの話題はやめてほしい。が、ひとまず訊いてみる。
「メンヘラっていえば、リスカとか自殺って何でするんだろ?」
飽きもせずに煙草をまた咥えて兄貴は少し考える素振りを見せた。
「うーん、自殺とリスカは違うしなー。事情だって人それぞれだろ、わかんねえよ。」
兄貴に「わかんねえ」という見解を聞いて、その場は肩の荷が下りたように思った。解らないことをいつまでも考えていたって仕方ない。どこぞのネットアイドルに気をとられていたら、そこらのヲタと一緒だ。
「だな、わかんないね。俺、部屋で勉強するよ。」
「そーだ、学生は勉強しな。」
あんたも学生だろーが、とは思ったが兄貴に勉強しろと言われる有様じゃ次の期末も危うい。昨日集中できなかった分を取り戻さないといけない。夕食の後は意気込んで机に向かえたせいか、その晩は数学の演習や古文単語の暗記が随分とはかどった。床に就いたのは午前4時を過ぎていた。

(つづく)


【連載小説】「プロトコル」:Ver.007 ―フォーマット― [参] 

2007年06月28日(木) 1時40分
mixi
[死体を見る]コミュニティ
トピック:首吊り美少女のブログ

20XX年06月26日21
くちき

今日、インターネットをしたらいきなり知らないブログに飛んだんですが
そこに、女の子の首吊り写真がアップされててビックリしました。

http://blog.deadgirl.jp/necro/

すごいきれいな写真だったので不謹慎ながらドキドキしました。
他に見た方っていらっしゃいましたか?


【書き込み】


20XX年06月26日21:20
1: ネボウ
私も見ました!
本物の死体だったら大変でしょうけど、ずいぶん美少女ですね。

20XX年06月26日21:25
2: かみや
うわー、すごい。
いいもん見ました。

20XX年06月26日21:26
3: mishigan
これは死体アイドルの誕生!?
死んでるのが勿体ないくらい可愛い。

20XX年06月26日21:54
4: ぽのんぱ
ぁたしも、どうせしぬんだったらこの
くらぃキレェにしねたらうれしぃかな。

20XX年06月26日22:16
5: イヌライス
これ、ほんもの?

20XX年06月26日22:30
6: ぱぐれメタル
そこらへんの偽死体写真とは格が違うと思う。顔だけ白くなってる。
よほどの知識のあるプロかほんとの死体。

20XX年06月26日22:38
7: ポルドフ
これ大丈夫な写真なの?
でもこんな綺麗な死体あったら僕も写真撮りたくなるかも。

20XX年06月26日22:45
8: |A・)<0点
おい!逃げろ!
また違う美少女が吊されるに違いない。

20XX年06月26日23:45
9: 電気屋
なんか見入ってしまう目ですね。
もっと見てみたいです。

20XX年06月26日23:59
10: フジャー
首吊りってもっとグロいんじゃないんですか?
あまりにも綺麗で可愛いんで怪しい・・・・。

20XX年06月27日0:08
11: まっつんこ
かわいい死体だ!

20XX年06月27日0:10
12: 青山霊園の陽炎
>フジャーさん
首吊り体は死後間もなければ、生前の姿とあまり変わりないですよ。
多分、これは1〜2時間も経ってないんじゃないでしょうか。
私は本物だと思います。

20XX年06月27日0:12
13: ユックリターボ
急にこんなサイトでてきたからビックリしましたよ!
死体とか見たくない人は災難だったでしょうねー。
正直、僕はワクワクで見ちゃいましたけどwww

20XX年06月27日0:12
14: 南京錠
かわいい!ふつうにアイドルとかなればいいのに。

20XX年06月27日0:25
15: ぼんぼろ先生
これ、ちゃんと瞳孔開いてますね・・・・・。

20XX年06月27日0:44
16: 村田村蔵
明らかに死体ですけど、見てると恍惚としてくる自分が恐い・・・。

20XX年06月27日1:23
18: ハゲ撲滅委員会
さっき、テレビで臨時ニュースやってましたね。
写真は流石にモザイクかかってたけど。

20XX年06月27日1:30
19: |A・)<0点
きっとロリコン殺人鬼がカメラ構えてんだぜ
ガクブル

20XX年06月27日2:03
20: モジャコフ
ニュース見てウキウキでパソコン立ち上げちゃいました。
これ、すごいですね。死体界(?)のアイドルですよ!

変なウィルスとか入ってないかが心配ですけど・・・。

20XX年06月27日2:08
22: パレポリはかせ
最初パソコン壊れたかと思った。
つい見入っちゃったけど。
ブラウザ設定し直せば元には戻るらしいぞ。

20XX年06月27日2:57
23: POB
うわあ・・・・・生で見てみたい。

20XX年06月27日3:33
24: へっぷり
僕はもっとグロいのが好きなんですけど
この子はかわいいいから許す。

20XX年06月27日14:19
25: ホワイトクイーン
学校の法医学の先生が言ってたんですが、
この子、たぶんほんとに死んでるみたいで、自殺の線が濃厚だそうです。
こんな見事に綺麗な死体見たことないって言ってました。

20XX年06月27日17:13
26: ユックリターボ
さっき見たら新しい写真が載ってました!
いけないんだろうけど、次もあるのか楽しみ。



困惑しながらも、ねくろの死体のことを肯定的に受け止めている人が少なからず居るようである。確かにあの写真は気持ち悪いと言うよりも、美しいと称するに相応しい。mixiでこのくらいの話題にはなっているのだから、2ちゃんねる何かではきっともっとスゴイお祭りが勃発しているのだろう。想像するだけで疲れる、わざわざ見にはいくまい。

(つづく)

【連載小説】「プロトコル」:Ver.006 ―フォーマット― [弐] 

2007年06月25日(月) 7時15分
 家に逃げ帰ると、昨夜のリプレイ映像みたいに母さんが夕飯を作っていて、ぐうたら兄貴はベッドに腰掛けてノートパソコンで音楽を聴いていた。
「んー、おかえり」
気配だけを感じて振り向かずに兄貴が言う。
「兄貴も見た?」
「何?聞こえね」
イヤホンを取ってこっちを向いたところで改めて言い直してあげた。
「首吊りのブログ、兄貴も見たんか?」
「ああ、ちょっとビビったけど。何、アレお前の趣味?」
「ちげーよ」
兄貴の傍まで近づいて横に並んで腰掛ける。壁に貼られたカート・コバーンのポスターとちょうど目が合う。アイラインを引いていて、そのせいなのか、やたらと目ヂカラが強い。自殺するような人の目ってのは、こうも何か違うんだろうか。
「兄貴、あの女の子の写真どう思った?」
俺が聞くと兄貴も急逝のロックスターの方を見て応えた。
「あー、病んでるねーとか思った」
「あれって、やっぱり死んでるのかな」
「どーだろな。親父にでも見せてみれば?いちおう医者なんだし」
いちおうどころか、父さんはこの街の大学病院で外科医をやってる准教授だ。
「そんな下らないこと聞けるかよ」
兄貴は、ポケットからタバコを取り出して火を付ける。
「そーだな。ま、お前もちっとは考えてみろよ。これ、ほんとに死んでたらヤベーだろ」
いつの間にかブラウザがホームに戻って例のブログを表示している。
「おい、そのページにするなよ」
昨日と全く変わらずに黒髪の少女が首を吊ってこっちを見ている。紫煙が遺影の前に漂う線香の煙のようでいっそう辛気くさい。
「怖がんなよ、臆病だな。死んだ女の子をのんきに写真取って日記にしてる奴はいねーよ。こういうのはどうせメンヘラーか何かの自己満足だろ」
メンヘラーってのは「メンタルヘルス」な人って意味らしく、精神的にバランスを崩していたり、メンタル面での疾患を患ったりしている人たちの総称らしい。そういえば隣のクラスに、リストカットをして気分を落ち着かせるとか言っている女子が居る。
「なるほどなぁ・・・。確かに死体にしちゃあ綺麗すぎるような」
「だろー?医者の息子が大騒ぎしすぎだってんだ。こんな可愛い死体あるかよ」
兄貴はケタケタ笑いながらマウスのホイールボタンをころころ転がす。

「あ」

兄貴の手が止まる。ブログに新しい日記が投稿されていた。

昨日と同じ首吊り現場のようだが写真のアングルが違う。昨日よりも引いた画で少女が写されていた。がっしりとした広葉樹の枝から少女は一本の縄でぶら下がっていた。この樹は、桜だろう。遠景はピントがぼかされていてよく解らない。写り方からして一眼レフっぽい。写真の下にはまた詩のような文章が添えられている。

知ってる?
桜の樹の下には屍体が埋まっているんだよ。

 土の下のむくろと
 空の下のねくろが
 桜の樹のアンテナでつながりました。

 ケーブルつないで
 初期化プログラムをインストールしたの
 世界が、もっと見渡せるように。

 早く、見つけなくちゃ

かしこ
                                   ねくろ。

桜に首吊り死体とは随分と定番で縁起悪い。この子は文学少女なのだろうか?インストールとか世界を見渡すとか、余りにも比喩が飛躍していて解らない。この子、柩ねくろは今も生きているのか?それとも確かに死んでいてこの世界を見渡しているって言うのだろうか?それも何のために?何もかもが解らない。俺が理解する必要もないのだろう・・・。
「あーあ、電波ちゃんだな、この子。可愛いのに勿体なー」
一枚目のアップ写真を見ながら兄貴も「勿体ない」発言をする。
「インターネットのホームだけど、いつも通りヤフーにでも戻しといてよ」
俺の呼びかけに兄貴はボサボサと頭を掻いた。タバコの灰がキーボードに落ちそうだ。
「うーん、俺そういうのやり方わかんねえから。療、お前がやってくれ」
「そんなんだから、自分のパソコン壊すんだよ。早く修理しろよ」
兄貴の膝の上からノートパソコンを持ち上げ、自分の膝に置き直す。刹那、ねくろの瞳が瞬きをした。

「うおっ!」

俺は思わず声をあげた。もう少しでパソコンを床に落とすところだった。
「どうした?」
「この写真・・・今、瞬きしたんだけど」
「バカ言うな。そういう仕組みなんじゃね?」
そうかも知れないと思って、写真のデータ形式を確認したが、普通のJPEG画像だった。写真を切り換えてアニメーションさせられるような類じゃないと思う。
「うーん、見間違いみたい」
焦る気持ちを落ち着けながらブラウザの設定をし直す。よし、これでいい。
「なあ、あの子のこと気になるんなら、ちょっと調べてみるか?俺の友達がmixiで死体関係のコミュニティやってるから」
余計なお世話だが、ねくろの正体は確かに気にはなる。
「mixi?普通にぐぐればいいだろ?」
「グーグル?検索結果、漁んのが面倒」
mixiとはこのところ流行りのソーシャルネットワーキングサイトってやつで、多数の会員のブログや同好会みたいな掲示板が巨大マンションみたいに集まってて、交流が出来るサイトとでも言えばいいだろうか。兄貴はmixiにログインし、コミュニティのページにジャンプする。トップ画像としてハロウィンのかぼちゃ、ジャックランタンの一部がが欠けて飛び散った写真が掲載されている。赤いかぼちゃの破片は肉片みたいでどことなくグロい。コミュニティ名は「死体を見る」。何ともストレートだ。死体を見るのが好きっていう人々がこの掲示板であれこれ語り合っているということなのだろう。
「ほら、もうトピが立ってる」
兄貴が画面を示すと、そこには柩ねくろについて様々な人の様々な意見が連なっていた。

(つづく)

【連載小説】「プロトコル」:Ver.005 ―フォーマット― [壱] 

2007年06月24日(日) 1時37分
 昨夜は、ほとんど勉強にならなかった。首吊り写真を見た後の疲労が大きく、世界史のプリントを申し訳程度に消化するのが精一杯で、後は布団に潜って目を閉じていた。それでも寝付けたのは夜半を過ぎた頃だったように思う。学校の授業にも思うように身が入らない。ぼんやりと校庭の桜を眺めていると、昨夜見たブログは幻だったかのように思えて来た。このところ根詰めて勉強していたし、疲れて変な夢でも見たのかも知れない。午前中はそんな風に上の空を半ば無理矢理に決め込んでいたが、昼休みには逃れようもない事実が、またねじ込まれて来た。

「お前も首吊りのブログ見たんか?」
クラスメートの飯塚(いいづか)勇樹(ゆうき)にかけられた言葉に耳が凍った。
「勇樹、今、首吊りって言った?」
勇樹の様子はいつもと変わりない。購買の焼きそばパンを頬張り、パックのレモンティーを飲んでいる。その健全な好青年の口から「首吊り」とはいささか穏やかではない。
「そ。首吊り。女の子が首吊ってる写真のブログだよ。今朝のニュース見なかった?」
ニュースという言葉のリアリティが異様に突き刺さる。指先が軽く痙攣する。
「ニュース・・・って、そんな大騒ぎになってんの?」
「ああ、なんでも夕べ世界各地でネットブラウザのホームがそのブログになったらしい」
世界中?大袈裟すぎる。不気味すぎる。
「俺だけじゃなかったんだ・・・。あの、アレって変なウィルスか何かかな。内容があんなのだし、ちょっと怖いよ」
詐欺まがいのセキュリティソフトを売りつける悪徳な方法として、「深刻なエラーが出ました」とか書いてあるでっち上げのホームページに強制ジャンプさせて不安にさせる、いかがわしいアプリケーションがあると聞いたことはあるが・・・。俺の話を聞きながら勇樹は切れ長の目を薄めて飄々としている。相変わらず男前だ。
「別にヤバいもんじゃないみたい。うちのパソコンでもブラウザのホームを設定し直したらもうそこには飛ばなくなったし、ウィルスとか検知されなかったよ。ニュースでも特に実害は報告されてないって」
その言葉に少し安心した。不気味なウィルスでパソコンがポシャったらシャレにならない。家に帰ったら早速設定をし直そう。
「じゃあ、ウィルスじゃないとしたら、いったい誰がどうやって・・・?」
「さあね。高度なハッキングとか殺人事件の可能性もあるから、一応警察が動くらしいよ」
殺人。少女が死んでいるという出来事ばかり気に懸けていて、死んだ理由まで頭が回っていなかったことにようやく気付いた。そこまで俺は動転していたらしい。この騒動の犯人が逮捕されたらどんな罪状になるんだろうか。殺人はともかく、ハッキングについてとかの法律は解らない。日本でも警察が動くのだからFBIとかCIAとか何かスゴイのが海外でも動いているのだろうか。拡大の止まない一抹の不安をよそに勇樹はおしゃべりを続ける。
「それよりか、写真の女の子の方が気にならない?あれ、ほんとに死んでんのかな?」
変死体でなければ、人間の亡骸を見たことくらい何度かはある。上手く説明は出来ないが死者の発しているオーラは生きている者とは明らかに違う。昨日俺が感じたのは死のオーラだ。
「生きた人間じゃないと思う。見てて怖かったし」
「そっか、それにしてもあれ、可愛い子だったな。ほんとに死んでるなら勿体ないよな」
勿体ない、なんて言い方は不謹慎だ。
「馬鹿なこと言うなよ。殺人事件の被害者とかかも知れないんだし」
とは言え、確かに信じがたいくらい美少女だったけれど。
「んー・・・そうだな。しばらく前、殺した女の子を写メに撮ってた変態野郎もいたわけだし、何かヤバい事件かもしんないな。ま、俺には自演にも見えなくないけどな。」
勇樹の言わんとすることも理解できる。写真の子が死んでいるならば日記の文章はなんなのだ。自作自演なのか、愉快犯の演出か・・・・、どちらにしても猟奇的な感は否めない。考えれば考えるほど、不気味で恐ろしかった。わけもなく、そわそわして嫌だった。一刻も早く家に帰りたくなった。

(つづく)

【連載小説】「プロトコル」:Ver.004 ―着信― [弐] 

2007年05月27日(日) 8時47分
 大学ノートを退かしてノートパソコンを机の真ん中に置き、アダプタをコンセントに差し込む。今朝、居眠りして埋められなかった世界史のプリントの答えをこれから調べないといけないからだ。あの先生の文化史はマニアックだからネットで調べるのがいい。兄貴が開きっぱなしにしたブラウザのウィンドウがデスクトップに残されていた。サーチエンジンに飛ぶためにホームボタンをクリックした。いつもの白い壁紙のポータルサイトではなく、見慣れない紫色のサイトにジャンプした。兄貴の野郎、ホントにエロサイトでも見てて、どっかから変なウィルスでも拾ってきたのだろうか。そのページはよくあるようなレンタルサーバのブログらしく、まず目に入ったのはブログに貼られた大きな写真だった。サイズが大きくてまだダウンロード中だが、女の子の顔のアップの写真らしい。どうもネットアイドルっぽい感じがする。黒くしっとりと濡れた髪の毛が、すうっと流れて前髪の下からは緩めに開けた黒い目が現れた。瞳に映り込む青い空色が見えるくらい綺麗に澄んでいて、憂いと艶の両方を含んで潤んでいた。その青が俺の目に飛び込んだ瞬間、ディスプレイの中から覗かれているような、瞳に吸い込まれるような、恐怖にも似た好奇心が沸き上がってきて、写真から目が離せなくなってしまった。画像は下に向かって少しずつ表示され続け、瑞々しい眼窩の下に、透き通るような白い頬を撫でる漆黒の柔らかな毛先と真っ直ぐに通った端正な鼻筋が現れ、俺は瞬きも忘れてそれに見入る。次の瞬間、漆黒と雪肌のモノトーンの世界に紅一点の唇が花開く。それまでの清楚な容色にビビッドなコントラストが挿入されて、俺は思わず息を飲み込んだ。次第に下唇の膨らみがなだらかに消えていき、また白い肌へと続いていく。左右を併走する輪郭線の間隔が徐々に狭まっていき、つんと尖った小振りの顎が現れた。うつむいて空の青を目に写し、憂いの表情を浮かべる少女。驚くくらいに可憐で、清楚で、美しく妖艶だった。ものすごく可愛い、どうしようもないくらいに美少女だった。それなのに、それなのに、それなのに。



どうして縄で首を吊っているんだ。



 当然、俺はその目を疑った。思わず完全にダウンロードされた写真の全貌を確認する。胸の辺りまでしか写されていないが、ディスプレイの中で黒髪の美少女は自らの細い首に古びた荒縄を巻き付けて事切れていた。荒縄に沿って藤色の痣が刻まれていて、袖無しの白いワンピースを来た身体には何の力も入っていなくて、重力しか働いていないことが明白だった。投げ出された腕は柳の枝のように垂れ下がり、露わになった胸元の鎖骨の辺りには細かい死斑らしい赤みが浮かび始めてるように見えた。この子は確かに、死んでいる。少なくとも死んでいるように見える。生半可な疑似写真には到底見えない。こんなこと普通に考えてあり得ない。一瞬にして起こった出来事に合点がいかず、一度ブラウザで「戻る」をクリック。さっきまで兄貴が見ていたらしいどっかの外国のロックバンドのサイトが再表示される。ボーカルの男のヒゲが小汚く、駅前のホームレスか何かみたいで、兄貴はこういうような音楽を好んでいる。一息おいて、高ぶる気持ちを無理矢理に落ち着けて、ブラウザのホームボタンを改めて押す。もう一度、その少女の写真が現れて欲しいかどうかなんてその時は良く解らなかった。でも、ボタンをわざわざ押したのはやはり会いたかったからなのかも知れなくて、震える指の下から、クリック音が俺一人の部屋に小さくこだまし、画面の中で少女は再び迷うことなく首を吊った。見たのは、幻ではなかった。狂ったように逃げ出すようにマウスのホイールボタンを転がす。写真の下に添えられた数行に急ブレーキをかける。


  私、死にました。

  はじめまして、
  死んだ、私。
  これから毎日死に続ける
  私に


  会いに来てね。

  かしこ
                                   ねくろ。


 俺は声にならない叫びをあげていたかも知れない。言い表しようのない戦慄に身を包むしかなかった。写真の横のプロフィールに記された少女の名は「柩(ひつぎ) ねくろ」、16歳。
ブログの名は「★ねくろふぃりあ★」

どこかで読んだことがある。ネクロフィリアとは・・・・「死体性愛」を意味している。この子の死体を見て欲情しろって言うのか。この写真を、この子の視線を見れば見るほど、頭の中をが酷く掻き乱される感じがする。けれど、一向に目が閉じられない、反らせない。写真はその一枚だけで、『初めて』と題されたその日記の日付は今年の今日のもので、他に投稿されている日記は後にも先にもない、全く出来立てのブログだった。どうしてこんな写真が、こんなとこに、いったい誰が何の目的で、何のために死んで、こんな文を、どうして・・・・どうして、こんな。

極めて不可解にして、一瞬にして、俺は彼女に出会い、その存在は脳裏へと焼き込まれた。

(つづく)

【連載小説】「プロトコル」:Ver.003 ―着信― [壱]  

2007年05月26日(土) 12時19分
 期末テストの前の週だから部活はない。図書室で少し今日の数学の復習をした後、真っ直ぐ家に向かった。今朝の雨空が嘘みたいに晴れていて、夕方なのにまだ暖かい西日を背負いながらペダルを踏む。家の近くまで漕いできて中学校の横のガード下の交差点で信号待ちを食らった。向こう岸に渡って左手に入ればもうすぐ家だ。ちょうど、ガードの上を横切る車両のペンキの白や窓ガラスの縁に西日の赤が射して、電車の震動に合わせて瞬く。白と赤との色合いが、今朝の不自然な西空と一致して、線路沿いの鉄柱が夢に現れた鉄塔に重なった。一瞬、西日の反射が眩しくて視界が真っ白になったが、何事も無かったかのように電車だけがいなくなって、信号が青に変わる。ガードを潜って抜けると辺りが異様に暗くなっていて、信号待ちの間に随分と日が沈んでいたのに気付く。いや、眩しさで余計に暗く見えていたのかも知れない。

 玄関に入ると鰹ダシの匂いがした。母さんがお吸い物か蕎麦つゆでも作ってるんだろう。父さんが帰ってくれば夕飯になる。食うとやる気も落ちるから、それまでに少しでもテスト勉強を進ませたい。母さんの背にただいまを呼びかけ、足早に階段を上がる。部屋に入ってバッグを下ろす。取りあえずベッドに横になりたいとこだが、そうもいかない。机に大学ノートを広げて英語の教科書の長文を写す。一ページくらい写したところで、壁の向こうからズンズンとギターリフとベースの音が震動とともに漏れてきた。兄貴だ。廊下に出て隣のドアを開け、一言で伝える。
「兄貴、うるさい」
「悪ぃ」
俺のノートパソコンで音楽を聴いていた兄貴はイヤホンを取り出して、外付けのスピーカーとつなぎ替えた。俺のことにさして興味はないらしい。
「メシ食ったらパソコン使うから」
「ん。後で取りに来て」
答えるなり、イヤホンを耳に突っ込んでこちらには見向きもしない。
「エロサイトとか見んなよ」
「うるせーよ、バカ」
イヤホン越しに捨て台詞はしっかり聞かれていた。部屋に戻ってしばらくしてガレージに父さんが車を停める気配がして、ドアの閉まる音が聞こえた。英文をもう一ページ写したところで一階から母さんの声が響く。
「直(ただし)、療(りょう)、ごはん!」
部屋を出て兄貴にも声を掛けたが、後で食べるというので一人で降りた。部屋着のカーディガンに着替えた父さんに話し掛けられる。
「直は?」
「後で食べるって。部屋で音楽聴いてる」
「そうか」
父さんの返事は父さんらしく抑揚もなく淡々としていた。興味があっても、それを感情に出すのが苦手なのである。続いて母さんが呆れ声で口を挟む。
「しょうがないね。後で直のとこに療が持ってってあげて」
俺は座りながら返事した。テーブルには丼に盛られたうどんが並んでいた。蕎麦つゆじゃなかったのか。三人でいただきますをして食べ始めると、父さんが言う。
「このうどん、ツルツルして美味いな」
「これ?こないだ前橋のお母さんがくれたやつ。水沢うどん」
「ああ、群馬のか」
母さんの実家は群馬県にある。家族でスキーや温泉に行くときは、必ず前橋のおばあちゃんの家に寄る。
「今年、おじいちゃんの新盆でしょ。お父さんも来れるの」
去年、母さんのおじいちゃん、つまり俺のひいおじいちゃんが亡くなった。一応病気だったけれど年齢も年齢なんで老衰と言っていい、大往生だった。
「ああ、休みはちゃんと取る」
うどんを頬張りながら父さんが答えている。行儀が悪い、そういうのが兄貴と似ている。美味しいうどんはスルリと喉を通り、食事はアッサリと終わった。お盆に兄貴の分のうどんを乗せて階段を昇る。
「兄貴、メシ。水沢うどんだって」
盆を置くとイヤホンを外して兄貴がこちらを見る。ひとテンポ置いて、眉間にしわが寄る。
「うどん?伸びちまうじゃん、そういうのは早く言えよなー」
「知らねえよ、そんなの」
文句を言いながらもがっつく兄貴。イヤホンからは音楽がシャカシャカ鳴ったままだ。俺はデスクに放置されたノートパソコンを回収して自分の部屋に戻った。

(つづく)

【連載小説】「プロトコル」:Ver.002 ―発信― [弐]  

2007年05月17日(木) 3時22分
 案の定、世界史の講義は子守歌にしかならず、俺の意識は五分としない内に落ちた。目に見えない真っ黒な地面と闇の上に、さっきの薄赤い西空が拡がっていて、もぞもぞっと音のない雷が光る。空を這う光の筋がある方向に吸い込まれるかのように見え、左に首をもたげると鉄塔が見える。古いファミコンのソフトみたいに黒を背景にした色の少ない世界。これは、さっきの通学中の風景のリミックスか何かだろうかと感じた刹那、思い出したかのように雨が降りだしてくる。それも空の上からでなく視線の向こうの鉄塔の先端から。アンテナから電波が降り注ぐみたいに雨が俺に飛んでくる。撃たれて濡れる。いきなり地面の感触が消えて、足で立っている感覚がなくなる。神経が全然効かなくて頭の先から足の先へと身体の重みは増すのだが、徐々に変な恍惚感に襲われ、ついには重力に耐えかねて頭がガクンと垂れる、机に強かにおでこをぶつけた。

「高野(こうの)、起きたな。起立。今の答えられるか?」
まずい、指名されてたのか。クラスメートと先生の視線が三百六十度隙間無くサックリと俺の全身に刺さる。今朝の雨に比べれば痛くもない。痒いと言う程度。
「・・・すいません、もう一回お願いします」
喉の奥が渇いていて、俺の応答が若干かすれた。
「十九世紀に活躍し、ピアノの詩人とも呼ばれる、ポーランドのロマン派の音楽家、誰だ。」
居眠りのせいか、先生の復唱は若干冷たく聞こえた。ピアノ・・・ポーランド・・・たぶん、あれか。
「えっと、ショパン・・・で合ってますか」
「うん、座って良し」
合ってたようだ。先生が黒板に「ショパン(ポ)」と書き足し講釈を続ける。今日は十八から十九世紀の文化史を駆け足でまとめているのであった。要はプリントの穴埋めだけ。
「この頃の文化で未だに愛されているものもなかなか多いな。僕もショパンは結構好きなんだけども。ショパンっていうと、やっぱり天才薄命ってやつだな。お前たちと同い年くらいの時に妹を亡くしてるんだが、その哀しみにも耐えて学校を主席で卒業している。その後は言うまでもなく数々の功績を残してるわけだ。なんかこう、いいよな。大きな哀しみを乗り越えて生まれる至高の芸術ってやつだな。ぜひ、お前たちも日頃の勉強に耐え抜いて、完璧な答案っていう芸術品を僕のとこまで持ってこられるようにな。」
この先生は話が脱線するとなかなか本線に戻ってこない。が、今日はここでチャイム。
「お、時間だな。今日の文化史、ちゃんとまとめとけな。」
文化史は単純な暗記だ。あとで覚えれば全く問題ない、寝てたことは大した損失でもない。それよりも気になるのはさっきの夢だろ。気持ちよく寝てたのに土砂降り通学の悪夢フラッシュバック。所詮、夢だし不可解な世界や展開自体は何とも珍しくもないけれど、夢の中で雨に打たれながら気持ちよくなって目覚めるってところは変わった感じがした。寝たせいか、頭を打ったせいか知らないが、ぼんやりした気持ちの中、視界だけが妙にスッキリハッキリしたような感覚。何か見えないモノまで見えそうな感じ。気持ちを切り替えて次の授業に臨む。とりあえず教科書も乾いたし。

(つづく)

【連載小説】「プロトコル」:Ver.001 ―発信― [壱] 

2007年05月11日(金) 1時19分

 この雨が止んだら、少しはあたたかくなるだろうか


 松原の交差点を越えた辺りで降り出した雨に止みそうな気配は全くない。今朝の天気予報の降水確率は五パーセントだか十パーセントだったと思うが、そんなこともお構いなしに雫はどんどん重くなる。六月だと言うのに傘も用意しないで出たのが迂闊だったかも知れない。ワイシャツが冷たくずぶ濡れになってから後悔したが、今さら戻る暇もない。濡れた服で一日中過ごすよりは自転車の傘差し運転で生活指導の教員に注意される方が何倍もマシだが、取りあえず今は傘もないし、このままスッ飛ばせば五分で学校には着く。部室に行けばタオルもジャージもある。それに着替えればいい。染みこんだ雨水で背中と腿が特に寒い。ペダルを踏めば踏むほど、雨の糸が細いつららみたいに両の太股に突き立つ。前方に見えた校舎の向こうの西空は、朝なのに雲間が夕焼けみたいに薄赤く染まっていて、そのひび割れみたいな雲間を伝うように一筋の稲妻が南北に拡がった。音はしなかった。

 部室棟前に自転車を停めて部室に急いで避難する。体を拭いて学校指定の緑ジャージに袖を通しながら窓を見れば、雨足はさらに強さを増していて窓ガラスを叩くかのようにボツンボツンボツンと降り注いでいた、「私は雨です」って主張してるみたいに。濡れた服をハンガーに掛け、部室棟玄関に放置されていたビニル傘を差して教室に向かった。さっきは誰も居なかった校門に他の生徒の姿がちらほらと見える。中央校舎東玄関の時計の時刻は…八時二分。席についてバッグを開けると、案の定教科書やノートの端が濡れそぼってヒョロヒョロになっていた。迷惑な雨だ。一時限目の世界史一式だけ机の上に残して、残りはみんな教室の後ろに広げて干した。雨は泣き疲れたみたいに勢いを少し弱めて、グラウンドをガンジス川の水面みたいにピカピカ光らせていた。「五月雨」なんて言えばドラクエの「さみだれ斬り」みたいで格好イイが、要はジトジトジメジメと降りしきる梅雨だ。俺の他、クラスメートでひどく降られたやつは特にいないようだった。俺の家を出るタイミングが最悪だったのか、畜生、あの雨、全く何の恨みがあって…。俺一人だけがジャージでクラスの中で浮いてる。しかしながら拭きたての身体と着替えたてジャージが丁度風呂上がりのような感じで気分はいい。椅子に座ると眠くなってきた。今朝は雨に降られて疲れた。もう今日の世界史は睡眠学習に決定。

(つづく)