ちょっぴりつぶやき…(被災地へ自分ができること)

May 22 [Sun], 2011, 0:31
自分が凄い偉いわけでもできる人間でもないけど
自分の気持ちの整理のため
夜中に書く手紙のように書きます。

私の看護経験としては
3年間の内科・眼科・耳鼻科での病棟
4年間の療育センターでの小児整形での手術場経験、小児科・小児整形外来経験
そして今の保健師経験が3年目…
保健師までの間に約1年婦人科外来経験もありますが…

今の職場では保健師経験3年目しか見てもらえません。
あたりまえです。
保健師と看護師は違うから。
だから被災地の保健師派遣の対象外になります。
けど、大阪に避難された方の健康相談業務には従事できるこの矛盾……

きっと世の中には、現地で活動したくてもできない人がたくさんいて
単なる好奇心なんかじゃなく、行けば絶対専門知識や技術を提供できるのに
でも、多忙な業務の中では
どんなに年休が流してしまいそうなくらい余っていても
ボランティア休暇がもらえても
現地に活動できない人間が山のようにいるはず

でも、考えてみると
全てのことを専門職がカバーしようとすれば
絶対マンパワーは足りない。

たとえが極端ですが、
児童虐待に対する見守りを専門職が全てカバーできるわけがない

だったら、専門職は他の力を借りてハイリスクにのみカバーするのがやっとなはず。

協働です!そして地域の支えあいの力です!
私はこの年齢になって
地域の人同士の繋がりがいかに力強いかを目の当たりにさせてもらっている。

私は地域の人達同士が支えあう力を保健師として支える知識や技術をもっと磨きたい。
いつか、また同じように震災が起きたとき
今回の経験を生かせるような保健師になりたい。

たぶん住民方の力を引き出し健康的な生活を支えることは
保健師の強みだと思うから・・・

被災地入浴支援in牡鹿

May 19 [Thu], 2011, 21:09
またまた、
宮城県石巻市の牡鹿町に行ってきました。

今回は、温泉ツアーと泥出し隊に分かれて活動しました。
移動はいざぽんと交代で運転
ハイエースちゃんだけだと超早く着きましたが
それでも1日目は入浴支援に使うバス=前回の泥出しツアーでドロドロのバスをピカピカにするのに費やしました。
温泉ツアーが終わるとその足で大阪に戻り翌日のお昼は通常業務(1歳6か月健診)をする弾丸ツアーでした。
疲れがすっきりせず、とりあえず報告ですみません。。。

牡鹿には総合支所があって(区役所の出張所みたいなの)
そこにはボランティアをコーデネートしてくれるEさんが
私たちの滞在場所やニーズとの調整をしてくれています。

Eさんは保健師の私が嫉妬しちゃうぐらい被災地地域の住民さんのキャラを掴んでて
見た目のチャラい感じとは全然違います
行政はEさんの得た情報の凄さや地域住民さんとの連携などの凄さを
もっと生かしたらいいのに…と勿体なく感じました
仕事辞めて、Eさんがされているような役割をやってみたいって思いもありましたが
いやいや、保健師として仕事をさせてもらっているから
今のいのまがいるわけで
だからEさんが行っている役割を手伝いたいと思うわけで
だから今の仕事をとったら、「ただのいのま」になってしまうので…
2・3か月ぐらい休まないと現地に密着はできないので
諦めるしかないのですが…

さてさて
温泉ツアー当日
集合時刻30分前にはほとんどの方が超おしゃれをしてきてくれました
一応いのまは看護師なので
「体調が悪ければ教えてください」と伝え、私だけ乗り物酔いしました
帰りに聞いたところ、牡鹿はくねくね道しかないから
みんなクネクネ道で酔うわけがないらしい…
おばあちゃんや、おじちゃん、おばちゃん、いろいろな方をお話しをさせていただきました。
みなさんほんと明るくて冗談もいっぱい言って
最初におばちゃんから
「運転手さんは日本人じゃないけど(勝手に断定)看護師さんは神戸の方?(笑)」って聞いて来たり
悲惨な状況も笑い話に変えていっぱい話してくださいました
ソフトクリームや栄養ドリンクをたくさんいただきました。
ほとんど聞くしかできません

たくさんのモノを一瞬に無くし
そして将来の展望が何も見えない
たくさん笑ってくださったけど
温泉地から瓦礫の山の自分のふるさとに戻るときに
なんとなく、みなさんが寂しい表情が伺えて
あーこの方達は片づけたい家もないんや
仕事もなく、明日の予定もないんやなぁって思うと
なんでこんなにも住民さんは優しく明るいんやろって泣きそうになりました。
私自身がいろんなことを学ばせてもらいました。
この温泉ツアーも区長(大阪で言えば連合会長?)さんがニーズを教えてくれたのもありますが
どちらかと言えば胸を貸していただきさせて頂いた感じです。

私のできることを
細くても長いお手伝いを今後も続けていきたいです。

石巻市牡鹿半島調査&物資調達(強いリーダーとの出会い)

May 05 [Thu], 2011, 22:35
GW泥出しツアー2日目は
みんなが泥出しツアー中、私といざぽんは牡鹿半島へ次回のボランティアの調整のため向かいました。
牡鹿半島は、
石巻市市街と比べると被害が大きく
今だライフラインが回復していない地域が大半でした。

牡鹿総合支所を出た後
前回いざぽんが話を聞いた**地域に立ち寄りました。
**地域の区長さん、大阪市で言えば、連合会長さんか、町会長さんかな?が
物資の分配の準備をしていました。
そこは集合避難所自体が危ないので
安全なお宅にみんなが少人数ずつ避難されていて
コンビニで物資を班長が受け取り個々のお宅に分配されていました。
ある種コープさん方法です。

そこはホント地域住民さんの底力がすごくて
災害直後に班長さんに区長が指示し全員の安否確認をし
個々の住める家屋に避難し、
それぞれがあるだけの食材を持ち寄りながら食いつないだそうです。
そして**浜出身のまぐろ漁船の方がたくさんの物資も持ち込んでくれたお蔭で食いつなげれたそうです。

私が印象的だったのは
安否確認中にご遺体を確認したことを話すときには冷静だった区長さんが
まぐろ漁船が来たときの話をされた時に
涙ぐまれていたように感じました。

こんな会話中も
区長さんは他の住民さんから
「区長さんの顔を見てたら花が枯れるで」とか「すぐどっか行って、逃げ足速いな」とか
チャチャを入れられてたのですが

きっと、まぐろ漁船がくるまで
区長さん自身も不安に思いながら
みんなを守らないといけない、
引っ張らないといけないという責任感を持ってこられたんだろうなと思いました。
ご近所さんをよく知っているからこそ
みんなをまとめるのはどんな思いだったんだろう…

ここの浜のみなさんは本当に素敵なチームで
当番制で物資を分配をしたり、各班長が自然とコンビニに集まり交流を図る
模範的な地域です。

おばちゃんは
「3食4世帯分のご飯作らなあかんねん。もう1か月になるから大変やわ」
と笑顔で話ながら私たちが届けた物資から
「ぜんざいやったら喜んでくれるかな」なんて話してくれます。

おっちゃんは
「ほんまやったらよく稼ぐ人は今から2000万、3000万(漁で)稼げるのにみーんな流されてもたわ。
(聞いてないけど)食べたいのは魚やわ。鮭とかサバとか飽きた、メバルが食べたい。
今まで捕れた魚しか食べてないからな」と話してくれます。

みんなが前を前を一生懸命向いてらっしゃいますが
この地域は電気もほとんど通らず
水道も復旧していません。

区長さんが、みんなとの雑談をしながら
「ちょっとでもみんなの気が晴れたらなぁ」とおっしゃったとき
あー、こんな時にみんなを1番に考えられる区長さんこそ
ほんまもんのリーダーやなって思えたし、私はすごい出会いをしたと思えました。
あまりに尊敬し過ぎて、私みたいなひよっこが何か言うのはどうなのかとも思えました

石巻市といっても
復興の進み具合は全く異なります。
漁師さん達はほんと頑張り屋さんで
自分の家を後回しにして港の整備や仕事の準備に明け暮れています

例えば、炊き出しをしようとしても
住民さんが作業真っ最中だったら炊き出しへのニーズは低いかもしれません。
港の整備も
漁師さん達の方が綺麗に上手に片づけられるかもしれません。

けど、支えは必要です。
作業の後でくたくたではライフラインが整っていない中での調理は大変です。
牡鹿半島は高齢化率40%で港の整備や家屋の運びだしは同じ人ばかりに負担がかかるのです。
毎日被災の現状を目の当たりにし、いつが復興のゴールなのか気が滅入るかもしれません。
ニーズへの提供の仕方に調整は必要かもしれないけれど
長い長い復興に支えは絶対必要なのです。

細くても、長い支援をこれからも行っていきます。

GW石巻泥出し隊from関西〜いのま目線より〜 1

May 04 [Wed], 2011, 13:39
ネット環境不安定で3度目の記事・・・トホホ

4月28日夜発5月2日着の泥出しツアーに総勢32名が参加しました。
平日も含むのに有休をとっての参加者も多く
集合場所の梅田旧郵便局前はスコップ、寝袋、テント持参者の熱気でムンムンでした

今回の企画はアウトドアクラブNuts/ナッツベリーとめ組JAPANさんとのコラボ企画
より多くの意気込みと人手を被災地に届けたいという思いは一緒なので
夢の共演が叶ったのですが、
まさか32名もの人が集まるとは思っていませんでした。

というのも、いざぽんや私は色々なところで案内したのですが、
なかなか集まらなかったのが実際です。
め組JAPANさんのてんつくマンさんの協力があって今回の企画が実行できました(感謝)
あまりに集まらないのなら、泥出しを諦めて看護師・保健師として活動するべきか…とも悩みました。
けど、健康相談より人手が一番集まりやすいこの時期は人手がなければできない作業に集中するべき腹をくくりました

石巻市の近くのキャンプ場に到着したのが29日の夕方。移動にほぼ1日かかります。
そこからテントとご飯の準備と班分けにかかったのですが、
「テントを作ったことがないです」って方が続出。
ほぼ屋外でのこれからの生活は大丈夫かしら・・・と不安になった反面、屋外生活を腹をくくって来てくれたみんなに感謝です

活動1日目は早朝にキャンプ場を出発し、め組さんの拠点地専修大学の朝礼に参加
その後泥出し拠点地へ移動

ねこ車とスコップが社協(社会福祉協議会、災害時にはボランティアセンターとしての役割を担います)を提供
社協が調整したニーズ表を元にグループに分かれて移動します。
1班5〜6人に分かれて、私が1日目に参加したのは6班(きんちゃん小隊長班)
大きな納屋があったので5班と合同に活動しました。

お宅へ伺うまでの道のりは
まるでインドのスラム街で、目の当たりにすればするほど非現実的な気持ちになりました。

私たちが伺ったお宅は70代くらいの一人暮らしのおばあちゃんのお家。
おばあちゃんは、白いカーデガンを羽織り、帽子をかぶり私たちを待ってくれていました。
近所の人の荷物が入ってきて困るっと怒ってみたり、
コーヒーを準備してくれていたり、
作業後にご飯でも食べに行ってきてっと謝礼に1万円を準備してくれたり
作業の合間に話かけてくれたり
綺麗に片付いた納屋を寂しげに見つめたり

ごくごくフツーのおばあちゃんでした。

せめて少しでも以前の風景を取り戻したいと
泥出し隊のみんなは本当に一生懸命でした。
絶対1人では途方に暮れる作業でしたが、
全てを1日ですることはできなかったけれど
納屋とお庭には瓦礫がなくなりました。

おばあちゃんが、小雨が降る中、
目に涙をためながらいつまでもお礼をいってくれたのが印象的で、
ごくごく普通のおばあちゃんだったので、
私もいつもの保健師として訪問先におばあちゃんの様に身構えることなくお話させていただきました。

でも、ごくフツーのおばあちゃんが、
毎日被災の現実と向き合わされているんやなと思うと
「何も足りていない」という歯がゆさを感じなんだか眠れませんでした。
PDST(心的外傷後ストレス障害)やこころのケアの必要性をいうのなら
瓦礫を見せないこともとても大切だと思うし、
GWはボランティアが溢れて仕事がないとかいうけど、
実際にニーズはたくさんあります
無いのは情報収集や整理、ボランティアを受け入れる環境の調整のための
裏方を担う人手。
裏方的役割の人で不足は大規模災害であればあるほど著明なのかもしれません。

だから国は、行政は、社協は…そんな批判を考えるのでなく
出来ていない現状から自分たちは何ができるのかを考えることが求められているように感じました。

大きな震災を経験した同じ世代の私たちだからできる細くても長い支援をこれからも……

しばらくコッチはお休みします

November 06 [Mon], 2006, 17:13
世界一周中はコッチに移転します
他の内容と区別したいので・・・

http://ameblo.jp/inomajiyu-jin2006/

九賽溝至る

October 14 [Sat], 2006, 1:27
この旅で1番といっていいくらい行きたかった場所
それが九賽溝であります。
今回、片道10時間バスで移動し、寒いホテルに泊まり、たどり着きました。

やっぱこの景色は、1人で見るのはもったいない
凄く緊張するトイレや、毎食同じおかずでも、高山病でも、この『青』見ちゃうと吹っ飛びます。

でも、ご覧のとおり結構寒かったデス。

今は西安

October 08 [Sun], 2006, 11:09
今日は西安から成都への移動日です。
さて、中国にはじめて来ての印象

「一方的に話してきて恐い。。。

今は、

「笑顔があれば生きていける。」って感じです。

まず、北京ではお釣りを貰うにもドキドキ

投げ返されること数回。

質問をつたない中国語で試みる

すっごい速さで、文章の波が押し寄せる。

しかし、しばらくすると

これはおこってるのじゃないと気づく
西安にくるともっと穏やか
すごく一生懸命つたない英語と中国語ってか、ジェスチャーによりコミュニケーションを図ってくれる。

昨日は宿の近くの革命公園とやらに偶然行く。

そこに、自然の木でできたいわばジャングルジム発見

子どもたちの順番を待ち、恐る恐る、登ってみる

なんか声が聞こえる

上を見ると、子どもたちが「早く降りろよ」って表情で並んで待っている

「上手ね(もち日本語でフォロー)」

チャイナガール、「ヘヘン」と得意げ

多分伝わっていないと思うけど

それもありかなぁって

今は北京です

October 04 [Wed], 2006, 20:10
北京に来ています。
29日に出発し、あっという間です。
神戸から天津へ、その日のうちに北京と移動しました。

しょっぱなからいろんなハプニングが盛りだくさんですが、仲間がいるってなんて強いんだって実感します。
いのまももっとみんなみたく、社交的になりたいなぁっと思いつつ
ゆっくり前進できたらと思っています。

では、また報告します。

骨髄バンク登録お願いします!!

September 26 [Tue], 2006, 18:47
ココにかいちゃっていいのかなぁっても思ったんだけど
私の知り合いの旦那さんが骨髄輸血が必要だそうです。

私は、あんまりボランティアとか興味が無いっていうより暇が無いし、
ボランティアするなら身近な人を助けたいって思うタイプ
それ以上のことをする余裕がなくって、余裕が無いくせに何がボランティアさっ思っていた。

その一つが「骨髄バンク」

最近献血も行っていない。
行かなきゃナァっては思うが、イノマは結構フラフラになるし、採取するんに時間がかかるタイプでしりごんでしまう。。。

またいつか・・・

けど、病気の話というより闘病生活の話やソレを支える家族の話とか聞いちゃうとね、

またいつかってのも罪なように感じた。
助けが必要なってことは、内容だけでなくタイミングも必要なときだなぁって

まだ、脳死になったときの臓器提供もどうしたいかって考えるけど決断できていなくって

後伸ばしにしがち。
旅まで時間あんまりないけど、
でも出来ることははじめてみよっかなって思う。

少しの行動で誰かのハッピーに繋がるなら自分もハッピーになれるもね
http://www.jmdp.or.jp/index.html

みんなに感謝

September 26 [Tue], 2006, 18:23
日曜日は武庫川BBQでした。
いのまは、なんやかんやでバタバタしていたので現実逃避まっしぐらって感じでした。

今回顔見知りが多いためか、かなり楽しかったです。

けど、私自身は、これから始まる世界一周はゆうても6ヶ月って感じで、危険とかはあるかもだけど、
なんだか「チョット間お別れね」くらいにしか考えていなかった。

けど、みんなが
「取りあえず生きて帰っておいでね」
「メールとかまと報告して頂戴ね」とか言ってくれる

しまいにチャー〇ンが「なんか、寂しいわ、辛いことあったらチャーの顔思い出すんやで」

ってマジトーンっでゆってくる

みんなと騒いでるときは、アリガトーって軽く受け止めたけど
あとから

あんなことあったなぁとか
卒業式気分がでてくる

たとえば、まだスタッフとして今以上にへなちょこで、
いっぱいいっぱいで、自分自身全然楽しめなくって
そんなイノマに差し入れしてくれたり、隙を見ては話しかけに来てくれたり

イベント中骨折したときも、
凄い心配してもらって、ご飯とか荷物とか手伝ってくれて、って

ホント後から
みんなの優しさとか温かさやらを実感する
そりゃ、ケンカや口論も沢山あったけど、
だから、よけいかもね。

ホンマ最後にウッ〇ーが「お守り」くれた時には結構ヤバカッタ
イノマはほんと身内大好きっ子だからサ、贔屓目で見ちゃうんだけど
ウッ〇ーがイベント手伝ってくれるようになってから、
今まで見たいにイベントが楽しめるようになったょ
マジ感謝!!

ほんとね、Kさんや、Aっくん・S×2くん、Sさん、Tはん、Nちゃん、Mちゃん、Hねえさん、Aさんにはね、
イノマが弱っているときに助けてもらえたからね、もー特別なわけなのね。

けど、あんまシンミリするとマジで帰って来れなくなったら困るんで、軽いノリで

生きて帰ってくるね

っていっても、いのまは途中帰ってくるんだけどね(笑)
ちゃんと帰って花の大学生になるよ
■『いのま』について■
■代替テキスト■
■仕事■ 元看護師→大学編入→某行政保健師
■経歴■ A看護学校(3年)→B病院(3年)→C病院(4年)→予備校生→世界一周→大学編入2年→ぴよぴよ保健師
■趣味■スノーボード・アウトドア(特にラフティング)音楽
■性格■動物占いではオオカミ☆
■目標■だれも真似できない私だけの『生き方』&かっこいいスーパーおばあチャン
■好きな言葉■一日一生涯☆
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