第7回 研究大会のお知らせ 

2006年01月08日(日) 15時35分
第7回 子どもといのちの教育研究会のご案内
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今年で研究大会も7回目となります。会場は千葉、幕張。この研究大会をきっかけに
子どもといのちを考える輪がまた大きく広がることをきたいしております。ひとりで
も多くの方のご参加をお待ちしております。
日時2006年2月25日(土) 10:30〜17:00(受付開始10:00〜)
会場:OVTA(財)海外職業訓練協会)研修室「渚」JR京葉線海浜幕張下車8分
参加費:5000円 学生2000円 (懇親会参加費3000円)

■記念講演T 牧野恒久(東部病院院長、元東海大学医学部教授)
「不育症治療からみた小さないのち」
■記念講演U 近藤 卓(本会会長、東海大学文学部心理・社会学科)
「いのちの教育の現状と課題〜欧米の現場視察を踏まえて〜」
■ラウンドテーブルディスカッション捧 陽子(公立中学校保健体育科教諭)ほか
■懇親会も予定しております。みなさまご参加ください。

OVTA内の宿泊室で宿泊が可能です。ご希望の方は事務局までご連絡ください。

■問い合わせ、お申し込み先
子どもといのちの教育研究会 事務局 (担当:股村美里)
〒259−1292 神奈川県平塚市北金目1117
東海大学文学部心理・社会学科近藤研究室
TEL&FAX 0463−50−2409 E-mail inochi_no_kyouiku@hotmail.com
http://www.geocities.jp/inochi_no_kyouiku/

体罰・暴力問題 

2005年09月09日(金) 0時32分
最近、教育関係のブログで気になる記事を見つけました。
http://edugarden.seesaa.net/article/6664100.html(記事URL)
http://edugarden.seesaa.net/(きょういくブログ URL)


教師が生徒に体罰を加えることなど、決してあってはならないことだと、それは間違いのない事実なのですが、このような議論を見ていると果たして「教育って」「部活って」と考えさせられてしまいます。

私にははっきりとした答え、意見を持つことができませんでした。これからも考えていかなくてはならない問題だとおもいます。

みなさんはどう思いましたか?(Mさお)

教師=できそこない? 

2005年08月11日(木) 1時16分
●今日(8月10日付け)の新聞の第2面のわりと大きな記事に目が留まりました。見出しはこんなかんじです。
「公立校教員、指導力不足566人 昨年度退・免職など112人、過去最多」

●うーん、やっぱりデキソコナイ教師がたくさんいるから教育は、なんやかんやといわれてしまうのかなぁ、などとぼやきつつ、記事に一通り目を通したのですが、なんだか腑に落ちません。

●そもそも、どのような立場の人に調査して、何人が回答して、どのようなことがいえるのか。そういうことがちゃんと書いていないのです。

●やっぱり気になって、文部科学省のホームページにアクセスしてみました。参照したのは「学校基本調査」。日本全国の学校教員の数を数えて見ました。
小学校  学校数(公・私あわせて) 23.420校
      教員数(公・私あわせて)414.908人
中学校  学校数(公・私あわせて) 11.102校
      教員数(公・私あわせて)249.794人
高等学校 学校数(公・私、全日制) 5.414校
      教員数(公・私、全日制)255.605人

●とりあえず、公立と私立の小中高校(全日制)に勤める教員の数を全部足すと、
 414.908
+249.794
+255.605
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=920.307
つまり約100万人もの先生が、毎日教壇に立って子どもたちと一緒に学校で生活しているわけです。

●今日、私が目にした調査のより詳細な情報はインターネットで検索した結果、すぐに見つけることはできませんでした。はて、どのように調査を行ったのでしょうか。

●確かに、指導力不足の教員の数は566人、退・免職などは112人とこれまでに比べて多い数であるということが把握できたことは意味あることだとおもいますが、「過去最多」という文字にひきつけられてしまうがあまりにデキソコナイ教師のイメージが過度に築かれてしまうのではないかと心配です。

●私の身の回りの先生がたは、子どもと学校が大好きで、教育に熱心な方たちばかりです。ほんの一握りの教師の不祥事のせいで、多数の先生たちがきちんと評価されないということは、日本の教育にとっても危機的なことだと思います。だからちょっと立ち止まって、本質を見極めようと、ここはひとつ呼吸を整えてみませんか?と私は言いたいのです。 

前夜 

2005年08月06日(土) 0時35分
●明日は8月6日。広島に原爆が投下された日です。今年でちょうど60年経つということはいろいろなところで言われていることですので、みなさんご存知のことと思います。

●昨年、私は広島市立大学の夏期講座「Hiroshima and Peace」に参加しました。2週間にわたって、世界各国(多くはアメリカやシンガポール、オーストラリアなどでしたが)から大学生や院生を招いて平和について学ぶというコンセプトでした。海外から招待された学生たちは広島の家庭にステイ先が用意されていましたが、私たち国内からの参加者はユースホステルとリースマンションに入って共同生活を送りました。その自炊生活もなかなかいい思い出です。

●今でも時々広島のあの熱い日々を思い出します。本当に暑いではなく熱いのです。気温もそうなのですが、講義も参加している学生の熱気がすごかった。結局、講義はすべて英語なので、ネイティブではない私たちにとっては全く不可解で内容がどれだけ理解できたのか、振り返るのもイヤになりますが、それでも休み時間に総括して教えてもらったり、予習復習したり、また帰ってからも日付が変わるまでコーヒーとお菓子を食べながら語り続けていたりと、密度の濃い2週間でした。

●授業は午後3時ごろには終わってしまうので、学校の登下校だけでなく夕飯の買出しやおこのみやきを食べに行ったり、カラオケが珍しい海外の人たちを案内するのに繁華街へでていったりと、広島で広島市内の色々なところに出かけていきました。広島で2週間生活した。という感じでした。きっとこれが1週間だったら、また感じるものは違ったかもしれません。

●平和記念資料館へ見学へ行ったのは確か1年前の8月5日でした。。非常にemotionalな体験でした。事前に聞いていたウワサでは夜、うなされるくらいに強烈な資料がたくさん置いてあるということでしたので、本当に朝からなんだか神妙で胃が締め付けられるような緊張を感じていた記憶があります。

●資料館の内容はまた別のところへ譲るとして、私はそのとき資料館にデジカメを置き忘れるという大失態を犯してしまいます。ユースホステルに戻ったとき気がついて、すぐに資料館の事務室へ電話。幸運なことに、私のデジカメは事務室で保管されていました。

空を飛ぶ夢 

2005年07月31日(日) 1時06分
●「尊厳死」、この言葉から連想されるのは、どんな色の人生だろう?

●主人公・ラモンは、世界を旅する航海士。港港で女性と過ごすことを得意とする、魅力的な男性だ。ところが25歳で事故にあい、脊椎損傷。首から下が動かない体となり、彼の生活空間はベッドの上に限られてしまう。

●それから26年。ベッド上ラモンの人生は、灰色一色だったのだろうか?味気なく、惨めったらしいものだったのか?そう決め付けるのは、ステレオタイプの考え方かもしれない。例えベッドから出られなくても、魅力的な人間は魅力的なのだ。彼の周りには、女性の影が絶えなかった。ベッドに横たわる、禿げてシワだらけのおっちゃん、美人弁護士に迫られたり、女性達にチヤホヤされている姿はなかなか見ごたえがある。

●では、ベッドの周りにハーレムを築き上げたおっちゃんの人生は価値あるもので、彼が「死にたい」と考えるなんて馬鹿げているのだろうか?映画を見たら、そう言いたくなるかもしれない。「ラモン、あんたは私よりも充実した人生おくってるよ。せっかくの命なんだから、大切にしなさい」でも、これは私の勝手な言い分だ。

●TVで自分の体を公にすることには応じても、車椅子に乗ることを嫌うように、彼は自分の自由や尊厳を大切にする、哲学的な思考を好んでいる。彼のこの感覚が、尊厳の追求、尊厳死の欲求を強めたのかもしれない。

●物語は確実に死に向かっているのに、映画からは生のエネルギーがほとばしる。見終わった後、死ではなく、生に向かって頭が回転する。そんな、真実の物語だ。

written by けいちゃん

自分が嫌いな子どもたち 心の意識調査 

2005年07月24日(日) 20時54分
■バイトの帰り道、ぼんやりと電車に乗っていたのですが、隣の人が手にしていたこの新聞記事の一面が目に飛び込んできました。慌てて駅の売店で購入。読みました。

■『「自分嫌い」な子どもたち 中学生半数以上 心の意識調査』
中学生の半数以上が「自分が好きではない」ととらえ、小中学生の七割近くが疲労感を、さらに五割近くが「自分はいつかキレるかもしれない」と感じていることが、民間の教育研究団体「麻布台学校教育研究所」(原崎茂所長)が実施した「今子供たちの心の中では」と題した小中学生の意識調査で十七日分かった。山口県光市の高校爆発事件や東京都板橋区の社員寮管理人夫婦殺害事件など、各地で児童生徒による殺傷事件が相次ぎ、そのたびに「命の大切さ」や「心の教育」が繰り返し叫ばれるが、同研究所では調査結果から、子供たちが「自分が好き」という自己肯定感をはぐくむ大切さを訴えている。
全文はこちら→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050718-00000000-san-soci

■みなさんはどう思いますか?
自分がいつかはキレてしまうかもしれない・・・すでに「キレる」という言葉が流行語ではなく日本語としての定着しつつある中、また児童生徒によるショッキングな事件が相次ぐなかでの新聞の一面記事。

■これまでのいのちの教育の基礎的研究の問題関心は子どもの自尊感情の低さにあります。もしこの調査が信頼性においても妥当性においても精度の高い調査なのだとしたら、この調査結果は非常に意味あるものだとおもいます。

■しかし、一方で気になることがあります。このような報道がなされるにおいて子どもたちが「いつかはキレてしまうかも」と心の闇を抱えた特異な存在として強調されるのに終始してはいないでしょうか。

■「最近の子どもは・・・」なんていう話で終わらせてはいけないと思うのです。結局、いつの時代も子どもたちは様々な議論の俎上に上げられてきたわけですから。このまま「最近のキレる子どもたち」を問題にしていては子どもの本質にはいつまでたってもたどり着けない。

いのちを育む ということ 

2005年07月05日(火) 1時06分
●先日、捧先生の生卵保育シュミレーションの授業を参観させていただいてきました。

●暑い暑い日で、なんと東京は37度もあったそうです。私の体温超えてるよ!といつも思います。中学校の最寄り駅にて同行してくれた友人たちと待ち合わせ。Yシャツにネクタイ姿の彼らがなんだか気の毒でしたが、汗を拭き拭き中学校へ。

●校門を入ると左手に広い校庭が広がっています。右手には体育館。ちょうど昼休みでしたので、生徒さんたちが何人もバスケットやったり、走り回ってたり(イマドキの中学生だって走るんです!)、日陰で涼んでいたり。私たちがそれとなく「コンニチワ!」と声をかけると、自然と「こんにちわ」と返事を返してくれています。それは私たちが挨拶したからというわけでもなく、本当に自然なやり取りでした。こういうやり取りが交わせる学校ってとても期待ができますよね。なんてとても偉そうなことをいっていますが。。。

●玄関で靴を脱ぎつつ事務の方に、訪問の旨を伝えました。さわやかに、捧先生のいらっしゃるお部屋までご案内いただきました。玄関からすぐ近くの教室です。

●さわやかルームという名のその教室ではただいま庭になっていたヤマモモの試食の真っ最中。私たちも少しおすそ分けいただきました。初めて食べる味でしたが、なんだかさくらんぼのような、すもものような。とにかく自然の味がしました。私はそんなに食べませんでしたが、一緒に行った二人はたくさん口に運んでいましたね。あまり私の出身地横浜ではみられない光景です。(ちょっと都会っ子ぶっています)

●さてさてチャイムも鳴って5時間目の授業が始まりました。先生とともに、2階の校長室へ。校長先生にご挨拶。異動があり赴任されてきたばかりの校長先生とのことで、初めてお会いしましたが、サワヤカな方でした。捧先生に「頑張って下さいネ」と見せたガッツポーズが何とも熱かった!

●授業が始まる前の廊下を生徒さんたちにまぎれて歩いてみましたが、何とも懐かしい感じが致しました。そうなんです、学校というのは本当に狭い廊下教室にたくさんの熱い熱いエネルギーをもった若者がひしめき合っているところなんですね。生徒がいなくなったあとの廊下ほど「虚ろ」なものはない。(と講義で大学の教授がおっしゃっていたのを思い出しました)

前半はこのへんで。

written by Mさお 

第一回L.E.S 

2005年06月26日(日) 16時53分
去る6月18日(土)文京シビックセンターにて子どもといのちの教育研究会2005年第一回目の勉強会「L.E.S」:Life Education Studiesが行なわれました。

内容は「いのちの授業を体験しよう〜性感染シミュレーション〜」。いのちの授業を実践されている捧陽子先生を講師にお迎えして、いのちの授業を体験しました。
詳しい内容は後日UPする予定なのでよろしくお願いします。
(子どもといのちの教育研究会HP http://www.geocities.jp/inochi_no_kyouiku/index02.)

 〜授業を体験してみての感想〜
短時間のシュミレーションだったにも関わらず、はっきりと結果が見て取れたので大変驚きました。それと同時に「こんなに簡単に感染が拡がってしまうのか」、恐ろしいなとも思いました。

勉強会でも意見交換が行なわれました。
教える側は「どこまでを教えてよいのだろう」という事を悩み、結果的に授業内でさらっと流してしまったり、踏み込んで教えれば周りからの反感を買うこともある。
家庭でも保護者の方が「教えにくい」とか、「まだ早い」とかいって何も教えなければ結果的に子ども降りかかる。
教えられる側は教科書どおりの事を教えられて、実質的なことは何も教えられない。結果的に役に立たない知識を頭に詰め込むことになる。

きちんと知識が必要なことを教える。またそのような意識を共有できる環境をつくるという事が大切なのではないかと思います。
その為にはやはり「連携」といったものが必要なのだと思いました。
家庭-学校の連携、学校の教師同士の連携、等々。
理想論だといわれるかもしれないですが、少しずつでも良いから変わっていかなければいけないというのが正直な感想でした。
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