YES 

2008年07月16日(水) 0時14分
すっかり夏で、打ち水が気持ちいい。
日差しとすだれとぬれて光る地面。

クーラーがない我が家には、後は風鈴が必要でしょうかね。

とかそんなこと思っている橘です。どーもどーも。

今日も、夏は美しかった。



そうそう。
ワタクシMI○Iなどやっておるんですけれども。

最近ね。
はじめましての方からトントンと、○IXIの方でメッセージを頂くことが続きました。

それが最近の私を後押ししてくれたものですから
それについて書いてきたくなったのでやんす。

続けての三連投。
皆様のご登場お待ちしております、なんてえらそうにいえるめったにない機会だ。
いっとこう。(笑)


しかしねほんと。


鴻田さん
中島さん
蕪木さん


あなた達と出会ったときの私は
きっと今みたいな心のウキウキを感じていたんだよ、きっと。




ってことでね。

すごく久しぶりに、まじめに何時間もかけて文章を受け取り
文章を練り相手に送る、という作業をすることを出来る機会に恵まれました。
有難いことです。


メッセージを頂いた方からもらったメールを何度も読み返し
お返事しようと打った文章を何度も読み返していたら

「あぁ、そうだよなー」と
反芻しまくって消化しやすくなりまくった食べ物のように
自分にフィードされることされること。






私はきっとここ数年
変わらない自分という、抵抗力の低下に蝕まれていたのだと思います。
アップデートされない、ソフトウェアのように。



そこでぶつかり、私の深くに入り込んできた、変化。


低下した力しか持たなくとも
それでも体は
熱を帯び痛みを帯び
それを害でないものに変えようとした。


新しい抵抗力を身につけようとする体と
その抵抗力の証として生まれる膿。


膿を体の中に抱え、熱を持っていた部分が
ささいにでも触れればそれを吐き出そう、というところまで力を蓄えつつあったときに
棒を投げてくださった方がいた。


棒にあたって
膿は、あふれた。


後は、私が自分でそれを濯ぐだけでよかった。



双方向にコミュニケートする、ということは
作用しあう、ということであって
それは予想外のことを生むこともある。


ただ足跡を残して一方的に受け取っているだけでは絶対に起こらない変化がある。


作用しあうその可能性を、私はもっと欲していいんだ!と
頭の中に風が吹いて窓の曇りが晴れたみたいに
  スカッ  と
感じました。



新しく知っていくこと。

それがつれてくるこういう気持ちは
呆れるくらいに子供のころからまるで変わっていなくて

それは、いつも
うぶでやわらかくでみずみずしい。


きっと死ぬまでこうなんだ
年を取る、ということも侵すことが出来ない
生きていること自体の綺麗な水のようなエネルギーは

死ぬまで私を裏切ることがないだろう。


そう感じて
この頼りない己という
あやふや極まりたる存在に
それでも少しだけ
YES
と、言いたくなったのです。



幸せなことです。


有難い。
ありがとう。

そんなこんなで、これからもどうぞみなさま
こんな私ですが、懲りずにかかわってくださいますよう
お願い申し上げます。


好きだと感じる人たちとかかわること以上の
娯楽など、ないよ。


ではでは。


七夕の真夜中 

2008年07月08日(火) 3時16分
こんばんは。

まったく現れないかと思ったら
こんな風に二回連続で更新なんてことをやる人間、橘です。どーもどーも。


気が狂ったかのような雷鳴の夜が
梅雨の通り過ぎ、夏がやってきた姿だったということで。
いやはや、夏とはいつも騒がしいものだな、との認識を新たにしたところでございます。



七夕ですからね。
恋の話をしてみようかな、なんて思いまして。


つい先日ですが夢を見ました。

ワタクシが四年ほど前に
わが身を焦がし、その煙でその人の姿が見えなくなってしまったように感じ
一人相撲を取っている間に私の目の前から物理的にいなくなってしまった
期間にすれば、ほんの数ヶ月しか私のそばにはいなかった人。
ずいぶん引きずった恋に落ちた人の夢を見ました。


その人の夢を見ることが
私の目の前からいなくなってからもずいぶんありました。

そのたびに
目が覚めた後に
いつもなんともいえないやりきれない気持ちになるのです。


今はもう遠く離れた人であることだし
連絡も頻繁には取らない人でもあることだし
電撃的結婚をし、子供も生んであることだし
叶うことのない恋であることは学んだのであるし
何より、色恋ではないにせよ
一時期私には彼女より、関心をもつ人々がいた事実があるのです。

はっきり言って
ここにあるシラフな現在の私は
あの薄紅の姿を、少し鼻にかかった声を
もう好きなのかどうかなど分からないにもかかわらず。



夢の中の私は
心底彼女のことを好きでしょうがないのです。

いつ見る夢の中でも。
 


好きで好きで好きで
ただただそれだけしかこの身の中にはなく
溢れすぎて泣きそうな子供のような
彼女と共にいる喜びに満たされているのです。



もうほんとにね。
意識がこちら側で覚めるたび
落差にうんざりですよ。

目を開けないといけないこと
この先を見つめないといけないこと。

もう
未来なんてもうどうでも良いから
このまま、その夢と心中したいような。

うんざりだ。



最近は、たまらないのです。


このまま
一人で生きて行くのだとしたら私は
ぱらぱらと落とし続けてしまって
残るのは
逃れることは絶対に出来ず枯れた不自由な老体たるシワを刻まれ
そのたびに、失ったことを思い知り続ける
手のひらだけなのではないか、と。

たまらないのです。



恋がしたい恋がしたい恋がしたい。
恋がしたい。
恋が。


そして誰かと手を繋ぎたい。
同じように、しわしわになっていく
いろいろなものを取りこぼして行くけれど
それでも、繋ぐことが出来る手と。


自分勝手なだけのものではなくて
ゆっくり育てて行くようなことをしたい。

投げ出さないだけの強さをもって
生きることに踏み出したい。


経験をフィードして行かなくて
何が成長なものか
という風に思う私は
あの子と一緒にいたときや
別れ別れになってしまってから知ったことを
この先、生かして生きていきたいのです。




相手はあなたでなければ絶対に駄目だ、などと思う相手は今はいない。

件の夢の彼女も
手を繋げないならば、どうしようもない。
それはもう、砂をかむような
脳髄に響く渇きやザラツキだった。



君の望む幸せは
私には絶対あげることが出来ない。



特定の誰かでなければ駄目なのではない。

この手は、何かとつながりたいのに
なのに
もてあます。

それが一番困った話なのだ。




今でも君に恋心を抱いてはいるが
手をつなげない以上それは
私にとっては不十分なんだ。


体中にあふれかえる好意だけでは
君をつなぎ止められない。


手をつなぐことが出来る相手を
探して
でも、未来のランダムさが骨身にしみて怖くって
今日もヘテロセクシャルの女の子の前で
心は二の足、三の足。



同じ痛みを知っている人と
出会わなくっちゃいけないのかもしれない。



恋がしたいです。
そして、その先で手をつなぎたいのです。



また思春期のような時期がやってきてしまったようです。
まいったなぁ。



私は
一人でこの傷む世界を生き抜いていく自信なんて
もてないんだよなぁ。



流れ弾に当たってしまいがちだから
誰かに弱いといわれようが、なんといわれようが
徐々に弱って生きることを続行できなくなるのなんて、多分、結構、簡単だ。


生きていたい、と思うことが出来るくらいの
明確な、何かをくれ。


それには恋や愛が、一番
具体的なんだ。

あなた、というゆるぎない形を持つ。


理想や才能は
あいまいな姿しか現さないから
不安になってしまうんだ。



あぁ。
恋がしたいなぁ。


という、日記でした。
というより、切実な呟きみたいな文章だなぁ。


真夜中なのテンション、という魔法の言葉にすがって書き逃げ。(笑)

橘でした。

自覚ない偽善者 

2008年03月17日(月) 2時42分
うむ。みなさま、「別れる」についてご意見どうもありがとーう。
お言葉、ちくいち重みがあるわ。

私は、なんというか、人はやはりエゴで行動するように思いまして、
「つきあう」というのは、それの露出全開な状態に陥りやすいものの
ように思います。だから、
そのエゴが許されれば許されるほど、相手が好きなような気がするし
許されれば許されるほど、相手が憎いような気もします。
だから「別れる」のは、半身を失うような気持ちになるのではなかろうかー。
とか。
ああそれは蕪木君の言っていた自己否定ということだと思います。
ちなみに、笹野は、対外的には、すっきり落ち着いて別れたーとか
言っていたので、本当に十人十色で、エピソードによるんだろうな。これは。
そいで、たぶん、どこをクローズアップするかで全然違ってくるんだよね。

孤独はさ、大好きだよあたし!!
ウソですごめんなさい。。。
最近は、自分が孤独であるとは全く思えなくて。
しかし一人ではおります。
職場で人と話すと、それなりに楽しくて、
コンビニで、ありがとうございましたーと言うと
それなりに、人と対峙している気はします。(オイ)
流されやすい体質のあたしは、たぶんその孤独感は薄くて、
しかしもっと強烈に、東京にいるという不快感が強いです。
自分を愛してくれる人とか良く知った友人が身近にいないことよりも
なんか、あの山が近くにない、とか、5月にはドシャ降りで夏にはカミナリが落ちる気配が、ない、とか
そんな、環境に対する孤独感?、言うてみれば。それの方が強い、たぶん。
どうもヘンタイな方向に行ってしまいましたよ、はははん。
かつては、
確かに孤独感で居ても立ってもいられなかったように思います。
この衝動を表現せずにはおられなくて、
この感情を伝えなければ、おさまりがきかなくて、
それはもう、若さを失う自分を感じて、あらゆる手をつくさんばかり
だったような気がします。
そうして、マイノリティな友人を得て、やっただけのことはやって、
それでたぶん、自分の限界を知るとともに、満足したんだな、あたしの場合。
了解したのです。
自分がマイノリティであることが、まず非常に大きな孤独だったと思うのですが、
それが、同じような感情を持つ人がいることを知り、会って、今も、
時々会って阿呆な話ができるくらいの関係を保っている。
それがたぶんうれしくてしかたない。
その大きな障壁が崩れたのならば、あとの孤独は、あの山が近くにない、ぐらいでしょう(笑)。
あと、そうだな、だいたい自分はどういう人が好きなのか、わかった。
そいで、そういう人とは、決してうまくいかないことに気づいた。
自分をどう動かしていいか、全くわからなくなることに気づいて、
そいでー、そう、自分の限界を了解したわけよ、要は。
そいでさー、ある日山にのぼったらさ、野に花が咲いていてですね、目を奪われるとする。
非常に美しい花でさ、もうメロメロな訳よ。
でもつんで帰るわけにはいかなくって、さよーなら、って山を下りるのよ。
で、何年かたって、同じ花を、別な場所で見たとするよ。
したらさー、あたしの場合、ぜったいその花を美しいと思うわけよ、こりもせず。
家に、はちうえで持ってた花なんて、もう全然比じゃねーわ、って思うわけよ。
そんな薄情な人間だからさー、試しに恋、とかもう掟やぶりなのよ。
あれ?何の話をしてるんだっけ?
まあ、全然ちがう話になってましたけどね、
そう、メンタルな孤独は、彼らによって埋められてしまいました。
ついでにあの山も持ってきてください(笑)


このブログ、やばくないですか?自画自賛になってるよ、あたし(笑)
次から気をつけーる。
中島でした。

パンチの効いたブルース。(文責:鴻田) 

2007年10月21日(日) 11時12分
どうもどうも。
下の書き込み、途中までたちばなさんかと思って読んでました。
ギンギンギラギラのカブラギッシュさんでしたか。
たちばなさんかと思わせる内容でした、途中まで。
どーしたよ、おい!!
と思いつつ、結局みんな似たもの同士なんだなあとも納得しました。


別れるってどーよ。
というハナジですけれどもね、中島さんの。

事後もいい印象を与えたいのかとか、憎まれたいのかとか。
人によって違うんでしょうけれど、相手をどれくらい好きだったかによると思うんですよね。
好きであれば好きであるほど好かれていたい。
かと思いきや、好きであった分だけ憎まれたい。
特に法則はないようにも思います。
きっと、その間の細かいエピソードによるんじゃないかとも思うのですけれども、
すでに老婆となっている私には、そんなフレッシュな気持ちはもはや分かるべくもないのです。
というわけで、無性生物の冠は私が一番ふさわしいんじゃないかと思います。
どうでしょうか。私に譲りなさいよ?


そして、孤独の話。

孤独なのでしょうか。
私は。
今悩んでいるという蕪木さんは。
妹に支えてもらっている橘さんは。
いつも健やかに柔らかい中島さんは。

分からないけれども、孤独なんじゃないかと思います。

孤独という病は、幼い頃から私についてまわるもので、
孤独ゆえにある種の衝動を与えてくれることもあるけれども、
その衝動に失敗すると、ますます孤独に陥るという罠も仕掛けられているので手に負えません。

孤独です。

時には、世の中で一番孤独なのは自分ではないかと思ってしまうことがあるくらいに、
私は孤独と手を取り合って生きています。

インターネットによって、人と出会い、むやみな孤独感は消えたように思うけれども、
蕪木さんの言っていたように、それは傷の舐めあいです。
けれども、傷の舐めあいも悪くないですよね。うん、悪くない!!
傷の舐めあいだって、熟すれば暖かいものへと変化していきます。
その暖かさが、私は好きだ。
傷を舐めあえる人の顔を一つ一つ思い出せば、不思議な安堵感を得られたりします。

それこそ、意図せぬ結果のバックアップ。

私の築いている人間関係は、いつもそれなような気がします。
インターネットを介在しなくとも、自分が好きで選んでつきあっている人々との関係は。
意図せぬ結果のバックアップの優しさと大きさに、時に泣きたくなるくらいの気持ちになるのです。
いてくれてありがとう。
私の友達でいてくれてありがとう。

シャイニングガール鴻田なので、そういうことを口に出さないけれども、
友人たちへは、いつだってそう思っているのです。

そしで、やっぱり孤独でした。

孤独と仲良くなりながら、どこまで行けるのか。
自分の精神力はどこまで続くのか。

思わずやっかいなこの性質と、いつまで付き合うのか。
そればかりを最近では考えているのです。

そしてそろそろ、橘さんの言葉も聞いてみたいと思う今日この頃。

右の画像、そのうち変えます。
お待ちあれ。

個人的なよしなしごとと、なかしまさんへの回答と、たちばな報告 

2007年10月08日(月) 23時01分

パイオニアは常に孤独でしょう?
ならばこの孤独感は、
自信がパイオニアであることの証として、
理解して良いものなのだろうか。
少なくともパイオニアの可能性の証として、
理解して良いものなのだろうか。

人が永遠に孤独ならば、
必ずや発狂してしまうでしょう?
ならばパイオニアと思わしき者たちで、
お互いの価値を了解し合う確認行為は、
気休めでも傷のなめあいでも決してないはず。
開拓する上で、絶対的に必要な行為なんだ。
ゴッホはアブサンに逃げた。
しかしそれは後に、おそらく芸術の必要条件として容認された。
ゴッホは運が悪かったんだ。

インターネットはすばらしい。
出会いには事欠かない。
仲間をみつければ、
われわれは狂うことなく開拓していける。
孤独であることにかわりはないけど、
開拓であると信じる行為を理解してくれる同志がいる。

ひとりでどこまで行けるのか。
ひとりでしか行けないところ。
君らの意図せぬ結果的なバックアップで、
私の侠気はいよいよすごみを増していく。

---------
なかしますわん

ギラギラ銀蠅カブラギでっす。
あなたね、結構水面下でギラギラ活動してっから、
無性生物の冠は授けられません(笑)。

笹野さんの話、ぜんぜん知らんかったよ。
おどろきもものきやね!
シェフって、笹野さん流石多彩やね!(←驚きのポイントがずれてる)

別れるということは、、、(遠い目)、
基本的にはもう会えないってことですかね。
私にとっては。
別れても良いお友達とか、私にとってはないな。
別れた後はサイテーと思うし、大好きと思い出したりもします。
アンビバレンツです。
相手も両方なんじゃないかなと思う。
だから会えない。会いたくない。
あのね、今、いろいろ悩んでるんで、
明快なこと言えません。かたじけないです(笑)。
たちばなさん辺りのコメント期待しましょ。。
自分に対する希望と、相手に対する願望とか、
そういうのはあんまりないかな。
下手に抱くと傷つくけん、そういうことはあんまり思わないかな。最近。
この時点ですでに恋愛から遠ざかりつつあるって噂ですが(笑)。
相手がそばにいて、相手がハッピーなら私もハッピー。それだけです。
でも、往々にしていつの時点かで、その確信は薄れるんだな。
理由はいろいろなんだろうけど、
それは一面ではまちがいなく自己否定でもあって、
だから別れはつらいんすよ。
ふっても、ふられてもね。
めちゃめちゃ自己中な別れ方じゃない限り、
やっぱりお互いが閉塞しちゃったものってのがあるんじゃないかと思う。
孤独感を持った2人が、特に孤独感をなぐさめあうわけでもなく、
しかし共に生きているってのが、たぶん私にとっては理想なんだな。
そうなれば別れなどという概念は存在しない。
それを恋愛とは呼ばないって話もあるけどね(笑)。

私の結論:別れはどうあったって棘です。
思い出さないように努める。忘れたことにする。
でもたまに思い出してしまう。
そのときは解釈しないように努める。終わったことだから。
いつしか思い出したことも忘れてしまう。

そんな感じでしょうか。私にとっては。
お答えになっていないでしょうか。
でもこれ以上、質問は受け付けませんからヨロシク(笑)。
回答は十人十色じゃないかな。
なかしまさん色の回答、また聞かせてくださいね!?

--------------
たちばんさんに会いました。
歌がめっぽう進化してました。
野望を抱いていました。
孤独でした。
妹が結果的に支えていました。
妹がやせてかわいくなっていました。
素敵な人たちに囲まれていました。
食べ物が美味しい土地だなと改めて思いました。
時代が変わりつつあることを予感しました。
壮絶な連休だったけど、ここを更新するくらいのエナジーをもらいました。
髪型が面白かった。

以上!

後悔の嵐 

2007年10月03日(水) 2時43分
ご無沙汰しております、中島です。
無性生物とは、いいね、それ。
あたしそれで行きたいわ、蕪木っちはギラギラしてるのが
似合ってる気がするけどなー。無性生物の冠はあたしに譲りなさいよ?(笑)

あのさ、別れるってどうかねー。
違う人が二人、一緒にいれば、
何かしら物事のとらえ方とか行動とかが違って
そこから摩擦があったりするのは誰もが承知よ。
自分と同じ人間がいたとしてもあたしとかは
摩擦が生じると思いますが。
煮詰まりに煮詰まって、この状況では一緒にいても
なんらお互いに良いことはないという結論に至るので
別れる訳ですが、たぶん。
なんかさー、別れると、その後どうなんだろー、とか
考えてしまうのは、経験浅薄な若人の思考ですか?

別れたあとは、相手には憎まれたいですかね?
それとも別れてもなお、あの子はサイコーだったと思われたいですかね?
憎まれる方がたぶんいい人なんだろうね。
自分の中ではどうですか?
あいつはサイてーだと思う方がいいか、
今でも大好きだと思う方がいいか。
経験浅薄な若人の意見としては、別れても
大好きな方がいいんですよ。
だって自分の中に、棘のようなマイナスの要素があるって
居心地が悪いじゃないですか。要は楽だからです。
自分に対する希望と、相手に対する願望ってちがうね。
うん、このへん、もうちょっと掘り下げてみたいとこです。
それともこの話もうしたっけ?
すでにアルツハイマーにおかされているようです。

いやー今ね、夜に眠れんわ、と思って、よく行くラブピースクラブの
コラム「フジモトマミと笹野みちるの往復書簡」を見たら、
いつも毎週きっちり更新されてるのが、されてなくて
主催の北原みのりのブログに、二人が別れたってのが書かれていたので。
いやーほんとびびった、最初ピーちゃんにメールしようかと思ったよ(笑)
笹野みちるねー、フジモトマミのやっている赤坂のファンソン・カフェ
というとこでシェフしてたんだよねー。これももう言ったけ?(←アルツ)

まあ、人の別れる別れないの話に、あたしが言えることなど何もありませんが。
かつて、笹野みちるのファンだったので、
こんなことなら、ファンソン・カフェ行っとくんだった!!!と。
下世話な締めくくりですみません。

またたび日記 (作文:蕪木) 

2007年07月28日(土) 1時22分
あのー、この不気味なプロフィールの写真(→)は鴻田氏のご趣味でしょうか。
ちょっと怖いかなー、と声にならない小市民の願いを大奥に投げかけてみる。。

さて、こんばんは!蕪木です!
何を隠そう素敵に放置プレイされている10.5の発案者でっす!
みんなさー、ブログとかミクシーとかさー、まめに更新してんだからさー、
ここも更新しよーよー。ねーねー。
と、責任を無責任に転嫁してみたりしますが、
みなさんお元気ですか。

最近すっかり焼けて、妙に外見が男染みてきている今日この頃です。
数ヶ月前から新しい環境に居るのですが、
あいつは男みたいだと、いつ言われるかと冷や冷やしています。
男みたいと言われるのが嫌というよりも、
そういう発言は得てして棘のある批判的な発言なので、
ナイーブなわたくしは意味もなく傷ついてしまうのですよ。
批判に弱いのです。ええ。意味もなく。

しかしねえ、まだそのような発言は耳にしていないのですねえ。
ボーイッシュとかいう単語もまだ聞かん。
周りに気を使われているだけか、
むしろすでに私自身がアンタッチャブル領域になりつつあるのか。

わたくし基本的に恋多き人間で、
新しい環境ではかなりすぐ誰かにフォーリンラブなんですけど、
今はそういうことがなくて、
前は女子と2人で旅とかだと、
特に好きでなくても割りと緊張したりしてたんですけど、
今は意識しないどころか、一切気を使わなくなりまして、
ほとんど相手の子をオカン扱いして、
終いには「ちょっとアンタみかん剥いて」状態になったりする始末です。

この話と、先ほどの、男みたいと言われない現在のシチュエーションを総合して考えると、
なんだかもしかして最近あたくしめっきり無性生物?
なんてことを思うのですよ。
つまり、女ではなく、男ではなく、
好きな女がいるわけではなく、好きな男がいるわけではなく、
女みたいではなく、男みたいではない、
とかなると、逆にこの人もしかしてゲイ?とか、そんな疑いすらもたれないようになる、
のではないかしらと、最近ちょっと思ったりするのですよ。
実経験をおもむろに踏まえつつ。
しかしそれって、赤ちゃん、じーさんばーさんレベルに色気がないっていう
結論にも容易に繋がる気がしまして、
最近の自分自身の方向性に少々、というかかなり疑問が。。
しかしどの方向性に進んだら良いかも良く分からんちん。

一方で、無性生物=無害生物な部分がきっとあって、
友達作ったり、つるんだりする際にはむしろ結構良かったりする。

つーことで、新しい環境で青いお目目をしたギャルとの色恋沙汰報告は
できそうにありません。かたじけないっす。

以上、なんのかんので元気にやってます。
そいでは、また!

EZ to live. (文責:鴻田) 

2007年02月16日(金) 5時33分
大変なことに気付いてしまいました。
小刀なんです。
小力じゃないですよ。
小刀です。

コウダ、カブラギ、タチバナ、ナカシマ。
繋げてコカタナ。
つまり小刀。
座りが悪いので、蕪木さんには濁っていただきました。

そんなわけで、小刀です。
小さいながらも、社会に刃を向ける、アグレッシブなゲイ集団です。
嘘です。
己の性と、今後どのように共存していったらいいのか。
そんなことばかり考えている私が大家をしている、その程度のかわいい集団です。


さて。
2週間ほど前に退職したワタクシは今、
久しぶりにリラックスした状態で毎日を過ごしています。
テレビを見て料理をして漫画を読んで音楽を聴いて眠って…。
追ってくるものが何一つない、ゆるりとした時間の流れの中で、
ぼんやりと毎日を過ごしております。

世の中の成人のほとんどが会社員というものをしているけれども、
私は、“会社員”という立場が苦手な人種です。
もともと小手先器用貧乏なので、
自分で選んだ職種ならば、仕事はできます。
問題ありません。
どこの会社に行っても「有能な社員」として扱ってもらえて、
仕事量も、ハンパなく与えられるそんな人だったります。

でも、会社員生活の肝は仕事ではない、と気付いたのはいつだったか。
その肝がどうしても苦手な私には、会社員は難しい身分でした。

人間関係。

三十路を過ぎたいい大人が、いつまでも、
「人との距離の取り方がわからない」
と発言しなければならないことに、大きな羞恥を感じますが、
事実なので仕方がありません。
人との距離の取り方がわからないのです。

自分で選んだ人間関係の中でも、時折苦しくなってしまうのに、
会社を選んだらついてくるオマケとしての同僚たちとの関係など、
上手にこなせるわけがないのです。
毎日、仕事だけでも体力を使うというのに、
更には、望まない人間関係まで。

必要以上に気を使い、気を配り、
どこまで踏み込んでいいのやら、どこにバリアを張っていいものやら、
苦しみながら働いたこの数年を、私は誇りに思うのです。

普通に会社員をこないしている周囲の友人たちを、
何度、羨ましいと思ったことでしょうか。
どうして、そんなに自然に会社員をやっているのか。
どうして、日常の延長上に、会社員生活を置けるのか。

私にとって、会社は別世界です。
日常の上に成り立つものではなく、日常を離れた修羅の場所でしかありませんでした。



(次へ続く)

EZ to live. (文責:鴻田) 

2007年02月16日(金) 5時31分
(前からの続き)



さらにもう一つ、
毎日の健やかな時間を、会社にとられてしまうことが、
私にとっては、不条理なことなのです。

生きていくには、お金が必要です。
お金は労働の報酬として与えられるものです。
そんなことは分かっています。
分かっているのだけれども、
限りある私の時間を、労働に取られてしまうことが、
私には不条理で不条理で不条理で不条理で、
時折、仕事中に、
「白昼堂々、私はなんで仕事なんてしているんだ?
 お金欲しさに、己を殺して、昼間っから何をしているんだ?」
と、普通の人が聞いたら、
「お前こそ不条理だ!」
と、罵られてしまいそうなことを思っていました。

 毎朝、同じ時間の電車に乗る。
 同じ場所に行って、天気がいい日も悪い日も、
 1日の、太陽の出ている時間のほとんどを仕事をしてすごす。
 気侭な外出を制限されているコンクリートの箱の中で、
 うれしくない人間に挟まれて、気を使い仕事をする。

息苦しい毎日の積み重ねで、私の心の中には澱がたまって、
黒くよどみ、気持ちが砕けそうで、誰かを攻撃したくなったりして、
たぶん、私は自分が思っている以上に弱い人間なのでしょう。

でも、退職しました。

会社員ではない生き方をしている人も沢山います。
会社員だけが、自分をサヴァイブする手段というわけではないと思うのです。

人はそれぞれ別の人格で、別の性質を持っています。
だからこそ。
世の中には、会社勤めをしなくても生きていけるようなからくりがあるわけで、
そんなからくりを使えば、
誰だって、自分がもっとも自分らしくいられる生き方を望むことができるのです。

私が今望んでいて、そして目指しているのは、そんな生き方。

もっと楽に生きていいのです。
自分を苦しめなくてもいいのです。
自分が自分である生き方を探す権利が、誰にだってあるのです。
人それぞれ、その生き方は違います。
自分と違う生き方を見て眉をしかめたり、糾弾する資格は、誰にもありません。
その生き方が犯罪ではない限り、選択肢は無限にあるのです。

だから決めました。
私は私として生きることを。
自分を追い詰めずに生きる生き方を模索することに決めました。
楽をしようというわけではないのです。
己を殺さず、無理をせず、自分の手の届く範囲の行き方を。

少しくらいの背伸びはします。
階段なんかも、登ってみたりします。
かんたんなジャンプはするけれども、
大ジャンプなど、望みません。

すべて、自分の視界に入るものから願うのです。
その中で、最も手前にある小石を拾うのです。
小石を拾って、日光を浴びせ、肥料をやって、水をやって、
育てていけば、その小石もきっと何かの種になります。

色々な世間をめぐって来たけれども、ようやく辿りつくことができました。
自分を自分らしく保てる生き方という思考回路を、
ようやく手に入れることができました。

自分らしく、というのは、欲や憧れではありません。
ものすごく現実的な上に則っているもので、
もしかすると、全く夢のない形かもしれません。

でも、自分の幸せは現在の己の延長線上にあるとしか思えないので…。
少なくとも、私にとっての幸せは、自分の延長線上にあるもので、
日々、大ジャンプをし続けなければならないようなものではないのです。
私にとっては。

昔から自分の内省ばかりを見ているというのに、
ここまで来るのに、10年以上の月日を使ってしまいました。
まわり道をした分だけ傷ついたけれども、
傷ついた分だけ、得たものもありました。
傷ついたからこそ、
自分の延長線上の一番遠くにあるものにも、手を差し伸べられるように思います。

同性愛の中に身をおく私たちのような人は、
人生について考えることが多いのじゃないかと思うのです。

でも、それも同じ。
自分にとって一番無理がないことを選べばいいんじゃないかと思うのです。

カミングアウト。
クローゼット。
同性結婚。
偽装結婚。
普通の結婚。
楽しい恋人。
一夜の恋人。
親愛なる恋人。

どんな形でもどんな場合でも、
仕事もプライベートもどんなものでも、
自分がリラックスできるものを選べたらいい。


最近は、そんなところにいるのです。


2007/02/15 03:04

起承転結の後。 (作文・蕪木) 

2007年02月16日(金) 5時29分
自分がずっと好きだと分かっている女性がいて、
でも別に思い出に縛られているわけでもなくて、
私自身は彼女から前向きに一歩踏み出したと思っている。
ただ時の流れに身を任せたのではなく、
私は自ら行動して、起承転結の転を呼び込み、
そして当時、自らの若い信念で結びをつけた。
彼女を永遠に手に入れられないということ、
それが私の結末だった。
決着はついていたし、たまに会える良い関係性も作られた。
可愛いくて気立ての良い女の子なんて、この世の中、
嬉しいことにゴマンといるし、
別に誰が相手でも単なる偶然な出会いと、その後の文脈で、
その相手は私の中で特別な人になり、
そういう過程の中で多少の努力をもってすれば
恋も愛も手に入れられると思っていた。
それはきっと間違いではないし、
世の中の大半は、そういう仕組みで動いているんじゃないかと思う。

でも、たまに会う、私の特別な人は、
特別の中の最上級で、
やはり唯一無二だと思わされる。
すごく久しぶりなのに、
興奮して気分良く色んなことを一生懸命しゃべってくれる貴女も、
同じことを私に感じてくれているのではないかと希望的に予感する。
でも貴女には旦那も子供もいて、
私からはこれ以上、貴女に近づくことはできないし、
貴女にも私に近づきたいとは、思って欲しいけど、
良く考えてやはり思って欲しくない。
心配しなくてもそんなことは起こらないけど、
貴女じゃない誰かと、ずっとやっていける気がしない。
恋愛を繰り返すことの意味ってなんなんだろう。
使い捨てられた恋愛の意味ってなんなんだろう。
エゴと幻想の麻薬が効かなくなったのは歳のせいか。
成長か老いか。
それともあの頃からすでに
貴女のせいで効かない体になっていたのか。


2006/12/02 19:51
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