九十九里心休観音 

2015年08月12日(水) 9時31分
心のやすまる観音様
国道126号線飯岡バイパスから100m南へ入った旭市平松字心休という所の畑の中に小さな森に墓地が見えます。その入口に高さ4mの九十九里観音が法願されました。近くに昔、源義家公が九十九里命名の起源の矢挿八幡神社があります。それにあやかり九十九里心休観音と名がつきました。             国道126号線飯岡バイパスから見える九十九里観音
お顔は、ご当地に川間地蔵という人気のあるお地蔵様ありますのでその顔をモデルになっております。地蔵は童(わらべ)ですが眼とえくぼのとても表情の穏やかです。観ているだけで心がなごみます。ぜひ一度観音様と一緒にお地蔵様をご覧いただければ幸いです。観音様はここへ設置前、旭市七夕市民まつりに出品して多くの願いごとを入れております。



              第61回旭市七夕市民まつりコンテスト特別賞受賞

屏風ヶ浦紀行(4) 佐貫城へ道 

2015年07月06日(月) 19時58分
 再び上永井古老向後菊治郎氏を尋ねた。 初回とは違い少し不快な様子だったがだんだん話のテンションは上がって来た。「佐貫城の要害城(向後氏は有蓋城と言う)跡がこの近くにある。」「呑しょう長恵寺がーーーー」 理解不能の話もあり、こちらはチンプンかんぷんだった。「佐貫へ通じる馬の背と呼ばれる台地に出城があり、二〜三世帯の住居もあった。」いわば、本丸を守るための前衛城・関所のようなものだ。鎌田先生の書と向き合わせると荒井丹波、諸徳寺民部重高、他、片岡常春の家臣と推測されます。

     佐貫城の出城があった馬の背状の台地

 
      出城(要害城)想像図


 道らしきところを探してもわからず、農家の人がいたので声をかけてみた。近づいたら昔、職場(農協)でお世話になった向後与惣兵衛氏であった。「もう何十年も前、うちの親父が鎌田先生と役場の人を案内したよ。」といいながら指を指し説明してくれた。その道跡は谷津がだんだん狭くなり双方の高台に伏兵を置くに絶好の地形になっている。「この高いところから、矢を射掛けて敵の侵入を防いだのか。」 山林や強者どもの夢のあと・・・ここで遠い昔、戦があったのか・・・堅固な自然要塞をじっと眺め、住民は、何百年も語り継ぐ。向後氏も子へ孫へと。それは郷土を愛すると共に地域歴史への誇りのようなものだろうと感た見聞でした。




中央のくぼんだ畑(元水田)屏風ヶ浦佐貫城への道跡

 

  

「ユカをよぶ海」古里の風景旭市飯岡 1 

2015年06月10日(水) 22時22分
古里の漫画小説にちばてつや氏のユカをよぶ海があります。
漫画の内容と言うより舞台となった昭和30年代飯岡、郷愁の風景を振り返ってみます。岸壁の家の最初に出てくる海の風景は、一目瞭然飯岡です。ちばさんは、幼少時代、飯岡に1年ほど滞在していたとの巷説があります。短い滞在であっても実に海や山(台地)ののことをよく熟知していたようです。それは自分自身の体験からと父親の教えからくるものと窺うことができます。。


当時海岸へは、コンクリートの階段から砂浜へ下りました。明治時代に築かれた木製の防波柵が残り、往時の浸食対策の辛苦がしのばれました。ちばさんの家から海までは100mほどで平松浜という海岸があります。そこは「だま」と呼ばれ、海底の砂が崩れて急に深くなる海の中の掘穴が各所にできるところ。子供が落ち命を取られることがあり。地元の人々から「ここは、だまが多いから入るな」と言い伝えられたところです。本では「仙舷だまに落ちたのではないか?」と少年が叫んでいます。又、仙舷神社前のバス停が描かれています。ここもすぐ近くにあります。「江戸時代から頻々たる津波の襲来でーーー浅間神社が創建。」実に嬉しい古里の光景画です。

下総名勝旭市飯岡、玉崎神社と通蓮洞 

2015年06月02日(火) 22時09分
飯岡 市さん会 伊藤實先生講演 「玉崎から通蓮洞」要点

江戸鳥瞰絵師、宮負定雄氏が描いた玉崎明神周辺の風景です。狭い土地にひしめき合うように立ち並ぶ家々、漁船こそ描かれていませんが漁業で潤うまちの様子が窺えます。神社は立て替えられた時期で飯岡全盛時代でしょう。右上の緑の中に当時の銚子街道おに越坂(現在の国道126号ではありません)があり通蓮洞という景勝地を抜け銚子の小浜地区へ通じます。その右が刑部岬。左の山中にあるのが妙見様です。また少し左に描いてはありませんが高い所に戦国時代に伊達城があったと記録されています。今でも古城坂と呼ばれ、国道交差点名称は古城坂下と表記されています。


銚子飯岡の境に洞穴が出来て、下の海水が見えるので通蓮洞と呼びました。絵の中央付近に人が洞を見ているす姿が描かれています。「江戸時代の観光地」と伊藤先生は解説します。旅人は、屏風を立てたような関東ローム層の崖と洞穴・絶景の眺望に旅の疲れを癒したことでしょう。しかし、地元民は怒濤押し寄せる浸食は、「延命姫の怒りだ」と伝説物語に加筆をしたりします。やがて穴は広がり陸地と離れ島ができます。



昭和40年頃の通蓮洞(島の上には緑に覆われていました。私は少年心にあの上に動物がいたらどうなるのか想像してしまいました。)現在は何も変哲のない風景に感動もありません。

八代浩司さん遠山金四郎役ーー旭市飯岡 市さん会歌謡笑劇場 

2015年06月02日(火) 20時43分
}
天保の大飢饉やくざに食い物をせびられた村人の助けに遠山の金四郎登場。「牢にぶちこむぞ!」と謂う。子分は脇差しを抜いたところへ


飯岡の助五郎登場。


渡世人としての仁義を切る。うまくできたので会場より拍手が送られる。仁義を切ったところで、相手が遠山様と解ると「証しに桜吹雪を見せろ。」とすごむ。


「見て驚くな!目ん玉ひんむいてよく見ろ!」見事な桜吹雪に3人驚く。


観客の皆さんにも桜吹雪を。


歌手の八代浩司さんと解ると親分、歌を任せて飯岡へ帰ろう!と退散。


「朝8時に会場にきてしまいました。」とあいさつ


デビュー曲「恋しんぽ」 新曲「愛は永遠に」を唄っていただきました。
この後、芝居では松岸に行くことになります。
八代さん遠路よりありがとうございました。楽しいお芝居になりました。