同化しえないもの

April 10 [Thu], 2014, 15:55
無意識は主体性の特権的な座であるというよりも、ラカンによって理解されているように、それ自体が他者であり、外来性のもので、同化しえないものである。年上のきょうだいにあまりに多くの注意を払って、被分析者には十分に注意を払わなかった父に対する不平、そして、そうでなかったならよかったのにという願望なのだ、と。そしてまた、そのような欲望は、自我のモードにある被分析者が表現する他の諸々の欲望よりも、ある意味では、より真であると考えられるかもしれない。しかし、それでもなおそれはひとつの外来性の欲望、すなわち他者の欲望なのかもしれない。schnobと言う被分析者は、続けて以下のように言うかもしれない。すなわち、彼の父をうすのろschmuckだと感じていて、父が彼を無視していると繰り返し吹き込んだのは、実際は母であった、と。彼は、母を喜ばせるためだけに、父を愛することを止めて、父を恨みはじめたのだと気づくかもしれない。父を非難したかったのは私ではなく、彼女だ、と彼は結論するかもしれない。この意味において、無意識は日々の発話へと侵入することでそれ自体外来性の同化しえない欲望を表現する、と考えることができる。
関係の改善


破綻してしまう場所

April 09 [Wed], 2014, 11:12
分析セッテイングについてのラカンの考え方からすると分析家は良い対象や、ほど良い母、あるいは、患者の弱い自我と同盟を結ぶ強い自我として要請されるのではない。むしろ分析家は、謎としての欲望というポジションを維持することで、主体の幻想のなかの対象という役割を担わなければならない。そうすることで、幻想を組み替え、享楽に対する新たな構えをとらせ、新しい主体のポジションをもたらすのである。それを成し遂げるために分析家が自由に使える道具のひとつが時間である。可変時間セッションは緊張を生みだすための手段だが、その緊張は他者の欲望に対する幻想化された関係から主体を分離させるのに必要なものなのである。ラカンは対象を原因として練り上げているわけだが、彼にとっての原因とは、構造や体系や公理系の領域の円滑な機能をひっくり返し、アポリアやパラドックスやあらゆる種類の難問へと導くものでもある。その原因としての対象は、世界を象徴化するために私たちが用いる言語や枠組みが破綻してしまう場所で出会われる現実的なものである。


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