塵でも積もる
2009.12.31 [Thu] 00:00

朝起きたら、部屋がやたらと明るかった。
もしやと思い窓の外を見ると、うっすら雪が積もっていた。



(季節感無視)

午後にはすっかり消えたが、今年起きたいろんなことを締めくくるようなよい雪だった。


あとはひたすらおせちづくり。
キッチンでわさわさやっている私と母にはおかまいなく、父は毎年恒例の大晦日単独リサイタル。


なぜかうちの猫たちは、父のギターが大好きだ。


二階で弾いていても、いつのまにか砂かぶり席で聞き入ったり、いっしょに歌ったり(合いの手)と、かなり熱狂的なファンらしい。
まるでハーメルンの笛吹きのよう。

父と私たちに流れる時間の早さの違いに苦笑しつつ、年越しパーティーの準備にも取りかかる。


K-1や紅白をチラ見しながら、おせち料理のラストスパート。

危うく「ゆく年くる年」のオープニングを見逃すところだった。。
来年も、よい年でありますように…


【本年の年越しそば】
・自然薯(隣のおいさんからおすそわけ)のとろろそば
・がめ煮
・ブリとトロのお刺身
・ビール

 

猿でも落ちる
2009.12.30 [Wed] 00:00

塀みがき終了。


父もしめ縄を飾り終え、玄関周りは一足先に正月の準備が整った。

(博多のしめ縄はこんな感じ)

あとは窓拭きだ。


2階は私の部屋だけ(しかも寸の短い窓)なので、取り外して裏庭でまとめて丸洗い。


その隙に、まっぽがしの窓からフサが屋根に出てしまった。
なんか上から鳴き声が聞こえるな〜と思ったら、どうも降りられなくなってしまったらしく、父が梯子を出して屋根のてっぺんで捕獲する大騒動となった。

引っ越す前の家では、ギンをはじめいいちこ家歴代の猫たちは、ベランダづたいに屋根にひょいひょい登っていたものだが、ここにきてフサに屋根づたいの技の継承が行われていなかったことが判明。
ギンよりも猫(野良経験あり)のくせに、なんて失態…

(てへ♪)
 

暗闇でも見える
2009.12.29 [Tue] 00:00

暮れも押し迫り、買い出しも順調だ。
あとは掃除と飾り付けとおせちづくりだけ!


せわしい人間をよそに、猫たちはいつもの日常を紡ぐ。

(最近のお気に入りの体勢。上体投げ出しあんにゅいポーズ)

(遠い目。。)

(フサ、真夜中の散歩中)

ギンの青い目はピンクに光り、フサの緑の目は黄緑に光る。
年の瀬の忙しさに、人間の目は白黒している。
 

隣でも見逃す
2009.12.28 [Mon] 00:00

朝から熱い視線を受けてメロメロ。

(椅子まで占領し、めざしをせしめる気満々のギン)


さて今日は、夜から高校時代の友人たちと飲み会。
待ち合わせ時間まで少ーし時間があったので、話のネタにと、ひさびさの母校訪問。


1929年完成。設計は、旧福岡県公会堂貴賓館などを手がけた建築家、三條栄三郎氏。福岡市都市景観賞にも選ばれたレトロな校舎。


私の38期上の卒業生である父のアルバムを見ても、何の違和感もないくらいだ。(当然白黒写真だが…)


飲み会で披露すると、予想どおりいい反応が返ってきた。

というのも、集まったのは、福岡を離れ今はたまたま帰省中のメンツと、今年東京から福岡に出戻ったばかりの(転勤ともいう)おっさん坊やを交えただけなので、ひさびさの福岡ナイトにかなり浮かれ、望郷の念をかみしめているメンバーばかりなのだ。

わざとらしい博多弁で大騒ぎしながら、大名の隠れ家風飲み屋で、しこたま飲んだ。


そういえば、高校の隣の敷地には、明治3年創業という福岡市唯一の造り酒屋、「石蔵酒造(博多百年蔵)」がある。
酒好きにはたまらん立地だったはずなのだが、当時はやはり興味はいろいろとよそに向いていたようで、麹のにおいをかぎに行くなどといった話もとんと聞かなかった。


校舎潜入レポを次の目標に、ふらつく足取りで別れを告げた。

よーし!
今日は終バス間に合ったぞー!!
 

必死でもみ手する
2009.12.27 [Sun] 00:00

酔っ払ったうえに深夜の帰宅ということで、初日から両親の信用を失った私に、フサもどことなくよそよそしい。

(すっかり父に懐柔されてしまったようだ。。)

今日はおとなしく過ごし、失墜した信頼の回復に努めた。



【本日の母ごはん】
・うにと鯛のお刺身
・たいらぎの酢のもの
・鯛の煮付け
・緑豆春雨の五目炒め
・ビール
 

でも壊される その4
2009.12.26 [Sat] 03:00

…福間駅に到着。


折尾駅の周辺探索よりもこちらを優先したのは、ここも、駅舎の老朽化に伴い、建て替え工事が進められている真っ最中だったからだ。
新駅舎の完成も間近で、歴史的に貴重なアレが保存されているかどうかも不明。
そんな不安を抱え、ホームに降り立つやいなや、隣のホームへと目線を躍らせる。

…あった!

お目当ての貴重なアレとは、「鐵道院」という銘の入った柱のこと。

(2・3番線ホーム)

(1番線ホーム)

向かって右には「明治四十四年 鐵道院」、左には「浦賀舩渠株式會社製造」とある(でも1番ホームの方には「浦賀渠舩」と字がひっくり返っている)。

「鉄道院」という組織名で運営されていた期間は1908〜1920年。わずか12年という短さから、「鐵道院」という刻印がある柱が現存していること自体、鉄道遺産として非常に貴重なのだという。

とある観光ガイドでこの情報を知ってからというもの、大学時代には快速の乗り換えと称してよく福間駅でぶらり途中下車をしてはこの柱をためつすがめつ眺め、そうして今やこの柱のためだけにわざわざ東京から直接足を運ぶ…
ようやく自分も、鉄分を十分に含有していることをはっきりと悟ってしまったのだった。


福間駅開業は1890年。
跨線橋は、柱にもあるように明治44年(1911年)に設置されている。
この年に、駅舎を博多側に100m移動したという。つまり今の駅舎は、そのころには建てられていたと思われる。


時間がないので改札が抜けられない。
改札脇に、さきほど折尾駅でも見かけた東筑軒が入っていた。


天井や入口の意匠から、駅舎はやはりかなり年代を経た建築物であることがうかがえた。
塾で働いていたときに、福間駅もよく利用したものだ。
白い塀で覆われた、あっさりした平屋建ての駅舎だったため、あまり目を引くことはなかったが、それでもなつかしい雰囲気を醸し出していた。
ちなみにホーム上屋も、折尾駅同様、どっしりとした木組みのもの。
この駅も、もうすぐ失われる。

今回ようやく思いを残していた駅をめぐることができて、本当によかった。



さて、博多駅のミスド前という、定番の待ち合わせスポットに滑り込んだのは、約束の時間の2分前。
友人の案内で、呉服町にあるもつ鍋の超人気店「もつ幸」へ。
有名人御用達らしく、店内に無造作に置かれた何冊ものアルバムには、舞台メイクかと見まごうばかりのスバラシキ女将との2ショット写真がしこたま収納されていた。

久しぶりで会話が弾み、くだんの女将から「はよ食べんね」と指導を受けるはめに。。
シメのちゃんぽんまでたいらげたあと、話し足りなかったのでとりあえず近くのバーに入り、そっからさらに4時間コース。
最終バスをうっかり逃してしまう。

帰省初日からやっちまった。。
とりあえずJRでできるだけ家に近づくしかない。
市内に実家があったころは、なんて便利だったろう。。
塾勤務時代、当然帰りの電車やバスなどなく、連日父に二日市駅まで車で迎えに来てもらっていたものだ。

心配性な父は、人もまばらな電車内で若い女性がいねむりして痴漢に襲われることを懸念して、「絶対に寝るな」と厳しく命じていた。
しかし激務で疲れた身では、どんなに目を開けようとがんばっても、いつの間にかまぶたが落ちてしまうこともしばしば。

ある時、ついに都府楼南(手前の駅)で電池が切れてしまい、気づいたときはちょうど二日市を出発するときで、あわてて駅前でスタンバイしている父に電話したところ、第一声は
「なんで寝るとか〜!!」

べそをかきながら事情を説明しているうちに原田の駅を過ぎ、「とりあえず次の駅で降りろ!」という怒号に従い、あわててけやき台駅で下車。
この駅は、平成になって建設された橋上駅舎。
しかし当時は、肝心の3号線側に降り口がなく(たしかそうだった)、父も、けやき台団地に向かう道を発見できず、結局、ひっそりとした住宅地の中の、ひとけのない駅に30分ほどめそめそしながらたたずむという最悪の状況となった。
(帰りの車内でも説教…というより禅問答。心配の裏返しなのはわかっているのだが、なぜ寝ると聞かれても。。)
よく考えると、次の基山駅まで乗っていたほうが全然アクセスがよかったのだが。

今、3号線をまたぐ歩道橋と一体化したけやき台駅を見ると、苦々しい気持ちがこみあげてくる。

今回は、駅から自力でタクシーという、年を重ねただけに無駄にリッチな帰り方を編みだしたのと、年が年だけにもう怒られることもないのだが、それでも自分に対する情けなさでいっぱいのあの時の気持ちは、今でもありありと思い出す。。



…そのわりに性懲りもなく、二日市駅下車後、ふりむきざまにシャッターを押す自分。
改札口へと降りる階段の両脇には、福間駅と同じ鉄道院の柱があるのだ。


太宰府天満宮を意識して、朱色の塗装を施されている。

確かに、跨線橋の雰囲気は福間駅とよく似ている。
二日市駅の建て替えの話はまだ耳に入ってこないので、おそらくまだ安泰だと思われる。


午前1時。
タクシーに乗り込みながら、あのころのいっぱいいっぱいでちょっと滑稽な先生だった私を懐かしく思い返しながら、1ヵ月ぶりの我が家へと向かったのだった。。
 

でも壊される その3
2009.12.26 [Sat] 02:00

…小倉寄りの階段からもう一つの煉瓦通路を抜けて、東口改札のある1番ホームへと向かう。


ちなみに、ここJR折尾駅の地下通路の煉瓦は、「ねじりまんぼ」工法ではない。
廃線となった西鉄北九州線の電車高架橋にはその工法が見られるというのだが、今回は時間ぎりぎりで、駅周辺まで徘徊する余裕がなく断念。

「ねじりまんぼ」…全国に20数例しかないらしい。琵琶湖疎水のトンネルなどもこの工法。
強度を保つために、アーチ部分の煉瓦を水平方向に対して斜めに積むので、螺旋を描いているように見えることがその名の由来(まんぼは「トンネル」の方言)。


それにしても、時が昭和で止まってしまったかのような、なんともレトロな構内。
ちなみにこの木戸の奥は、「JR職員折尾駅構内 福祉理髪所」。だれか利用しているのだろうか。。


東口改札付近。
地面にでかでかと示されたホーム案内が、この駅の複雑さを暗示している。


改札を出ると目につく、待合室の2本の太い柱。
そのうちの1本には柱を利用したベンチが当時のまま残され、今でも現役で活躍中。


駅舎を仰ぎ見る。
来年取り壊しが決まったこの駅舎は、1916年に建てられた、寄棟屋根の木造2階建て。
入口中央の破風にある飾りも目を引いた。




久しぶりに見る駅舎だが、おそらくこれで見おさめだ。


もう少しゆっくりしたかったが、ここで時間切れ。
次のチェックポイント、福間駅へ移動するため、鹿児島本線に飛び乗った。


つづく
 

でも壊される その2
2009.12.26 [Sat] 01:00

…30分ほどで折尾駅に到着。

折尾駅は、東筑軒のかしわめし(駅弁)でも有名。
「かしわ」とは鶏肉のことだが、折尾駅では、昔ながらの手売りスタイルが今も見られる。



(4・5番ホーム上屋は古レール構造)

折尾駅は、鹿児島本線と筑豊本線が交差している。
日本最古の立体交差駅だそうで、ホームを行き来するための地下通路は、建設当時そのままの煉瓦造りで趣のあるもの。




駅の構造は複雑で、1階1・2番ホームに筑豊本線(若松線・福北ゆたか線)、2階3〜5番線に鹿児島本線、そして少し離れたところに、福北ゆたか線と鹿児島本線の短絡線上の駅舎があり(通称「鷹見口」)、そこは6・7番線となっている。


探してみたのだが、昔、NHKの「熱中時間」で紹介されていた、折尾駅案内ボランティアの中学生の姿はなかった。残念。。


2番ホーム手前で引き返し、到着ホームとは反対側の3番ホーム(鹿児島本線下り博多方面)に戻る。
先ほどの東筑軒は、このホームでは立ち食いうどん・そば屋を兼ねた店舗として存在している。
バリアフリー後の今のホームとの高低差は、階段でカバーしている。

(3番ホーム上屋は木造)

大学時代、授業の間が空いたときはたいてい天神に出向いたものだが(そして結局そのまま戻ってこない)、たまに黒崎や折尾まで行って、駅の構内をぶらついていた。
よく利用していた吉塚駅や香椎駅が次々と建て替えられ味気ない駅へと変わる中、昭和の香りを残す駅舎に魅力を感じていたのだろう。
筑豊電気鉄道や廃止前の西鉄北九州線など、なんか目的もなく乗ったりしたんだよな〜。。と思い出をかみしめつつ、次のホームへと移動。


つづく
 

でも壊される その1
2009.12.26 [Sat] 00:00

いよいよ今日から、福岡に帰省。
いつも早朝便で帰るところを、今回は昼過ぎの便にしたので、やっぱりだいぶ楽だった。

自分の部屋をひとあし早く正月バージョンへと調え、いざ出発。

(今年のお添えは小城羊羹)


今日は眠らなかったし空気も澄んでいたので、ひさびさに機上から富士山を拝めた。

(深川製磁の染付さながらの、雲上の美しい富士)


登山路まで手に取れそうにくっきりと見える富士山。
でもひとたび天気が荒れれば、ついこの間大々的に報道された遭難事故のように、あまりにもつらい決断を迫り、突き放す。
自然は決して人間には御することなんてできないんだと、改めて思った。


着陸態勢に入る。
風向きの関係か、いつもなら玄界灘→博多湾→九大上空→二又瀬という直線ルートが、博多湾→大濠公園上空→春日大野城迂回ルートになったようだ。


おかげで通常は富士山側の座席(A)からはちょうど反対側で見えない母校も見えた。
※離陸着陸時には、すべての電子機器の使用はお控えください。

(都市高速と同じ色の屋根が目印)


15時に到着。
実は今日は、夕方から地元の友人と逢うのだが、それまでの時間、来年取り壊しが決定した折尾駅を見に行く予定。

さっそくソニック(「かもめ」系の白いやつ)に乗り、一路折尾へ。
先ほどの母校をまた横目にしばらく進むと、あっという間に名島橋付近へ。



二つともA級近代土木遺産。
奥の橋が、1933年完成、全長204.1m、全幅24m。7径間連続鉄筋コンクリートアーチ橋(白御影石貼り)の名島橋。
手前の橋が、1923年完成、橋長211.8m。阿部美樹志氏の設計による、16連RC充腹アーチ橋の西鉄名島川橋梁。



ブレブレです。ソニック早ぇ〜!


つづく
 

ここでも祝う
2009.12.24 [Thu] 00:00

クリスマス会 in 紅乙女邸。


早めに会社を飛び出して、一路紅乙女さん家へ。

連日のごちそうに、心も弾む。
明日のクリスマスはともかくとして、やっぱり大勢でお祝いするのは楽しいね。

(ローストダック、ホタテのカルパッチョ)

(昨日のサラダの残り、スモークサーモンといくらの親子パスタ)

(鶏もも肉、ケーキ)

青酎ニイサンも帰宅したところで、みんなで乾杯!
サンタに扮した白霧島ちゃんに、めろめろのちばちゃんでした。