…福間駅に到着。

折尾駅の周辺探索よりもこちらを優先したのは、ここも、駅舎の老朽化に伴い、建て替え工事が進められている真っ最中だったからだ。
新駅舎の完成も間近で、歴史的に貴重なアレが保存されているかどうかも不明。
そんな不安を抱え、ホームに降り立つやいなや、隣のホームへと目線を躍らせる。
…あった!
お目当ての貴重なアレとは、「鐵道院」という銘の入った柱のこと。

(2・3番線ホーム)

(1番線ホーム)
向かって右には「明治四十四年 鐵道院」、左には「浦賀舩渠株式會社製造」とある(でも1番ホームの方には「浦賀渠舩」と字がひっくり返っている)。
「鉄道院」という組織名で運営されていた期間は1908〜1920年。わずか12年という短さから、「鐵道院」という刻印がある柱が現存していること自体、鉄道遺産として非常に貴重なのだという。
とある観光ガイドでこの情報を知ってからというもの、大学時代には快速の乗り換えと称してよく福間駅でぶらり途中下車をしてはこの柱をためつすがめつ眺め、そうして今やこの柱のためだけにわざわざ東京から直接足を運ぶ…
ようやく自分も、鉄分を十分に含有していることをはっきりと悟ってしまったのだった。
福間駅開業は1890年。
跨線橋は、柱にもあるように明治44年(1911年)に設置されている。
この年に、駅舎を博多側に100m移動したという。つまり今の駅舎は、そのころには建てられていたと思われる。

時間がないので改札が抜けられない。
改札脇に、さきほど折尾駅でも見かけた東筑軒が入っていた。

天井や入口の意匠から、駅舎はやはりかなり年代を経た建築物であることがうかがえた。
塾で働いていたときに、福間駅もよく利用したものだ。
白い塀で覆われた、あっさりした平屋建ての駅舎だったため、あまり目を引くことはなかったが、それでもなつかしい雰囲気を醸し出していた。
ちなみにホーム上屋も、折尾駅同様、どっしりとした木組みのもの。
この駅も、もうすぐ失われる。
今回ようやく思いを残していた駅をめぐることができて、本当によかった。
さて、博多駅のミスド前という、定番の待ち合わせスポットに滑り込んだのは、約束の時間の2分前。
友人の案内で、呉服町にあるもつ鍋の超人気店「もつ幸」へ。
有名人御用達らしく、店内に無造作に置かれた何冊ものアルバムには、舞台メイクかと見まごうばかりのスバラシキ女将との2ショット写真がしこたま収納されていた。
久しぶりで会話が弾み、くだんの女将から「はよ食べんね」と指導を受けるはめに。。
シメのちゃんぽんまでたいらげたあと、話し足りなかったのでとりあえず近くのバーに入り、そっからさらに4時間コース。
最終バスをうっかり逃してしまう。
帰省初日からやっちまった。。
とりあえずJRでできるだけ家に近づくしかない。
市内に実家があったころは、なんて便利だったろう。。
塾勤務時代、当然帰りの電車やバスなどなく、連日父に二日市駅まで車で迎えに来てもらっていたものだ。
心配性な父は、人もまばらな電車内で若い女性がいねむりして痴漢に襲われることを懸念して、「絶対に寝るな」と厳しく命じていた。
しかし激務で疲れた身では、どんなに目を開けようとがんばっても、いつの間にかまぶたが落ちてしまうこともしばしば。
ある時、ついに都府楼南(手前の駅)で電池が切れてしまい、気づいたときはちょうど二日市を出発するときで、あわてて駅前でスタンバイしている父に電話したところ、第一声は
「なんで寝るとか〜!!」
べそをかきながら事情を説明しているうちに原田の駅を過ぎ、「とりあえず次の駅で降りろ!」という怒号に従い、あわててけやき台駅で下車。
この駅は、平成になって建設された橋上駅舎。
しかし当時は、肝心の3号線側に降り口がなく(たしかそうだった)、父も、けやき台団地に向かう道を発見できず、結局、ひっそりとした住宅地の中の、ひとけのない駅に30分ほどめそめそしながらたたずむという最悪の状況となった。
(帰りの車内でも説教…というより禅問答。心配の裏返しなのはわかっているのだが、なぜ寝ると聞かれても。。)
よく考えると、次の基山駅まで乗っていたほうが全然アクセスがよかったのだが。
今、3号線をまたぐ歩道橋と一体化したけやき台駅を見ると、苦々しい気持ちがこみあげてくる。
今回は、駅から自力でタクシーという、年を重ねただけに無駄にリッチな帰り方を編みだしたのと、年が年だけにもう怒られることもないのだが、それでも自分に対する情けなさでいっぱいのあの時の気持ちは、今でもありありと思い出す。。

…そのわりに性懲りもなく、二日市駅下車後、ふりむきざまにシャッターを押す自分。
改札口へと降りる階段の両脇には、福間駅と同じ鉄道院の柱があるのだ。

太宰府天満宮を意識して、朱色の塗装を施されている。
確かに、跨線橋の雰囲気は福間駅とよく似ている。
二日市駅の建て替えの話はまだ耳に入ってこないので、おそらくまだ安泰だと思われる。

午前1時。
タクシーに乗り込みながら、あのころのいっぱいいっぱいでちょっと滑稽な先生だった私を懐かしく思い返しながら、1ヵ月ぶりの我が家へと向かったのだった。。