角川書店ランティエ別冊『料理通信』編集長君島佐和子殿!タダ食いによる偏向取材・偏向報道はいかがなものでしょうか?4 

March 14 [Fri], 2008, 7:12
これに関連して看過できないのは
参考3「すきやばし次郎」の友里氏のブログ本編とは別に
読者が書き込んだコメントである。

この中には料理店や御菓子店の側が
むしろ主体的・意図的に評論家や料理出版社にカネを渡し、
自らに有利に働く記事を書かせていたという告白が載せられている。

    参考3 友里征耶様 『すきやばし次郎』
    ( http://tomosatoyuya.moura.jp/?p=24 )

一部の雑誌編集部名は『料理××』という表記で扱われているが、
私の知るところ、これに該当する雑誌は『料理通信』と『料理王国』しかない。

これが事実とすれば両誌(もしくは、いずれか一誌)に寄せられた信頼と権威は地に堕ちる。

タダ飯・タダ菓子取材でチョウチン記事を書いていたことになるからだ。

つまり、雑誌の中ではまるで正統だの名店だの匠だのといって採りあげていながら、
事実上、タダという形で金品相当を受領し、
それによっていわばヒモつきの記事を書き、
世論を惑わし、世を欺いていたことになる。

これら料理情報誌こそ挙証を徹底すべきであるということになる。

すでに一方の『料理何某』の編集スタッフおよび編集長が
東京都内のパティシエ取材に際しまったくその飲食費用を負担していない
との情報も寄せられている。

この点を含め、『料理通信』と『料理王国』ついてはまた日をあらため御紹介したい。


+++付言+++
料理評論家にしても、料理編集者にしても、そして料理関係者にしても、言ってみればそれぞれがプロである。プロであるならば、「× ×ができて初めてプロ」という面もあるはずだ。同時に、むしろそれ以上に、「プロだからこそ●●をやってはいけない」という面もある。幻冬舎『GOETHE』によるミシュラン / 山本益博氏らをめぐる問題提起は後者の面で「プロたりうるか」に究極の論点がある。派生事項として、奇しくも「マスヒロ氏、タダ飯を強要か」という問題も提起された。これはむしろ妥当な展開であるようにみえる。なぜなら山本益博氏は料理評論家であるからだ。とりわけ言論と表現の自由という権利に庇護される立場にある料理評論家と料理編集者は上記のプロとして「やってはいけないこと」についての厳しいほどの緊張感と責任が求められる。自由に評論し自由に表現する人間が謳歌する社会は、まさしくその本人もまた自由に評論され自由に表現される社会でもあるからだ。したがって、証を立てることの意味はまさにこの自由を謳歌し、謳歌させ、責任を果たせるかどうかにかかっている。責任の希薄な者についていくほどファンも読者も愚かではない。責任の希薄な者を起用し登用する番組や雑誌に対しての態度もそれに呼応して厳しくなるべきだろう。責任希薄な者や責任を自覚していてもその挙証が拙速であったり不徹底であったりした者にはそのうち「この評論家が推奨する▲▲は信用がおけない」とか「▽▽はこの評論家をキャスティングした番組のスポンサーである以上まともとはいえない」などという視聴者の声が容赦なく突き刺さることになるだろう。

角川書店ランティエ別冊『料理通信』編集長君島佐和子殿!タダ食いによる偏向取材・偏向報道はいかがなものでしょうか?3 

March 13 [Thu], 2008, 6:57
『GOETHE』の特集を読むと、これまでの料理評論に明るい方なら
すぐにわかることだが、これまで「山本益博氏とべったりであったか
そうでなかったか」という面からみて、なぜこの人がこういう発言をするのか、
できるのか、というような割り切れない思いをさせられる箇所がいくつか出てくる。

これも『現代』まで読み進めると、記事にちらほら出ていた当事者の一部が
「記憶違い」を言い出し始め、微妙な変節を遂げようとしている様子にも気づく。

まるで政治家の言い逃れのごとく。
評論家などといってもこの程度の人種ということか。

参考1から8まで読んでいただければおわかりのように、一連の経緯は、
現在、幻冬舎と山本益博氏のどちらかが事実と違う話をしているという
ところに差し掛かっている。

いずれかが虚偽を働いたというわけだ。
つまり、あやふやな結末は両者ともに信用を失うことにもなる。

ただ、強要の有無やタダ飯疑惑についても、
すでに山本益博氏自身が参考6で主張しているように
領収書類を明示すれば、ことの真偽は決する。

というより、領収書類の明示による挙証を経て
その正統性を確認できなければ、
われわれは山本益博氏を信頼に足る料理評論家として
今後も認め、そのコメントを受け入れていくことはできない。

なぜなら彼は「おいしいものに目がない人間が、好きものにまかせて
誰が読もうと読むまいと気にせず、思いつくままエッセイを書いた」
という輩ではなく、料理の「評論家」を自称し、それにより仕事もし、
対価も得てきたはずだからである。

表現の自由や言論の自由はあらゆる者に保証されるべきだが、
その行使はこのような場合に速やかかつ厳格に証を立てることによって
社会的に許容される。

山本益博氏は評論家としてその自由を行使したのだから、
挙証もまた当然である。

むしろ、事実を徹底的につまびらかにして
「いわれのない言いがかり」を論破し、
あるべき姿を(場合によっては、右往左往し日和見している"評論家"さんや、
文脈によっては幻冬舎『GOETHE』らに対して)指導していただきたい。

それこそが山本益博氏を料理評論の第一人者と仰ぐ
この業界とファンの切実な願いであろう。


逆に、その点において山本益博氏が挙証資料の公開を渋ったり
遅らせたりするとすれば、業界の内と外とを問わず、
皆でこぞって徹底した責任立証を彼に要求すべきだろう。

あるべき料理評論が存在しうることを念ずる者にとっては、
このような厳格で早急な対処が当事者においてなされなければ、
この挙証を山本益博氏が行ったとされる各料理店 ・レストラン等への
公開質問という形に転じなければならない。
「あの記事であのように好評であったのは評論者による任意であったのか、
貴店が対価を負担した(あるいは、評者を買収した)広告宣伝の類であったのか」と
質し、確かめ、それを公にするためにである。

山本益博氏による対処いかんで本邦料理評論界のみならず、
食の業界全般に公正か否か、不信か否かの根本命題が突きつけられる。


+++付言+++
料理評論家にしても、料理編集者にしても、そして料理関係者にしても、言ってみればそれぞれがプロである。プロであるならば、「××ができて初めてプロ」という面もあるはずだ。同時に、むしろそれ以上に、「プロだからこそ●●をやってはいけない」という面もある。幻冬舎『GOETHE』によるミシュラン / 山本益博氏らをめぐる問題提起は後者の面で「プロたりうるか」に究極の論点がある。派生事項として、奇しくも「マスヒロ氏、タダ飯を強要か」という問題も提起された。これはむしろ妥当な展開であるようにみえる。なぜなら山本益博氏は料理評論家であるからだ。とりわけ言論と表現の自由という権利に庇護される立場にある料理評論家と料理編集者は上記のプロとして「やってはいけないこと」についての厳しいほどの緊張感と責任が求められる。自由に評論し自由に表現する人間が謳歌する社会は、まさしくその本人もまた自由に評論され自由に表現される社会でもあるからだ。したがって、証を立てることの意味はまさにこの自由を謳歌し、謳歌させ、責任を果たせるかどうかにかかっている。責任の希薄な者についていくほどファンも読者も愚かではない。責任の希薄な者を起用し登用する番組や雑誌に対しての態度もそれに呼応して厳しくなるべきだろう。責任希薄な者や責任を自覚していてもその挙証が拙速であったり不徹底であったりした者にはそのうち「この評論家が推奨する▲▲は信用がおけない」とか「▽▽はこの評論家をキャスティングした番組のスポンサーである以上まともとはいえない」などという視聴者の声が容赦なく突き刺さることになるだろう。

角川書店ランティエ別冊『料理通信』編集長君島佐和子殿!タダ食いによる偏向取材・偏向報道はいかがなものでしょうか?2 

March 12 [Wed], 2008, 6:25
このサイトは料理・食に関心のある方、グルメ情報に興味のある方をはじめ、
料理評論家・料理研究家、料理関係の出版編集者の各位に来ていただき、
見て(読んで)いただき、可能であればそれぞれに御意見や事実関係の
情報提供を期待するものです。

その際はこのサイトの「コメント」や「トラックバック」の機能を
お使いいただく前提で進めておりました。


が、昨日、「事実関係の情報提供や意見を出すについては
(1)実名をあげるかどうかの問題、
(2)提供する情報によっては情報元が特定されてしまうという問題などがあり、
抵抗がある。
一般公開に踏み切れないものや情報内容を一部ふせたいものへの
フォローとして専用のメールアドレスを作ってほしい」というご意見をいただきました。

諸般、悩みましたが、今回、下記のメールアドレスを用意しました。


r-tsushin.jugem@live.jp


内容および諸般の事情によりますが、可能な限り対応する所存ですので、
ぜひ有効に活用いただければと思います。




+++付言+++
料理評論家にしても、料理編集者にしても、そして料理関係者にして も、言ってみればそれぞれがプロである。プロであるならば、「××ができて初めてプロ」という面もあるはずだ。同時に、むしろそれ以上に、「プロだからこそ●●をやってはいけない」という面もある。幻冬舎『GOETHE』によるミシュラン / 山本益博氏らをめぐる問題提起は後者の面で「プロたりうるか」に究極の論点がある。派生事項として、奇しくも「マスヒロ氏、タダ飯を強要か」という問題も提起された。これはむしろ妥当な展開であるようにみえる。なぜなら山本益博氏は料理評論家であるからだ。とりわけ言論と表現の自由という権利に庇護される立場にある料理評論家と料理編集者は上記のプロとして「やってはいけないこと」についての厳しいほどの緊張感と責任が求められる。自由に評論し自由に表現する人間が謳歌する社会は、まさしくその本人もまた自由に評論され自由に表現される社会でもあるからだ。したがって、証を立てることの意味はまさにこの自由を謳歌し、謳歌させ、責任を果たせるかどうかにかかっている。責任の希薄な者についていくほどファンも読者も愚かではない。責任の希薄な者を起用し登用する番組や雑誌に対しての態度もそれに呼応して厳しくなるべきだろう。責任希薄な者や責任を自覚していてもその挙証が拙速であったり不徹底であったりした者にはそのうち「この評論家が推奨する▲▲は信用がおけない」とか「▽▽はこの評論家をキャスティングした番組のスポンサーである以上まともとはいえない」などという視聴者の声が容赦なく突き刺さることになるだろう。

角川書店ランティエ別冊『料理通信』編集長君島佐和子殿!タダ食いによる偏向取材・偏向報道はいかがなものでしょうか?1 

March 11 [Tue], 2008, 19:18
料理ファンやグルメ情報に関心のある方ならすでに御存知かと思うが、
幻冬舎の月刊誌『GOETHE(ゲーテ)』が2008年4月号の中で
昨年末に巻き起こったミシュランの評価について非常に厳しい問題提起をしている。

幻冬舎社長の見城徹氏自らが対談にも登場し
『恥を知れ!ミシュラン』を徹底して説いている。

一部の料理評論家や料理人も登場し、
興味深い肉付けを行っているのも印象的だ。

しかし、この中で最も激しく、最も刺激的なのは
『GOETHE』による山本益博氏に対する疑義の表明だろう。
詳しくは『GOETHE』の58ページ以降に展開される特集を熟読されたい。

その際、加えて友里征耶氏による高名な料理(店)評論ブログも
ミシュラン星贈呈先および山本益博氏に関する興味深い洞察を公表しており、
あわせて吟味されることをお勧めしたい。

これらは簡単にいうなら、山本益博氏に料理評論家を名乗るだけの資格や
資質があるのかどうか
をテーマとしており、
このテーマをつうじて日本の料理評論界や料理研究界、
ひいては料理に関する出版・編集界のあり方を再検討する意味で
非常に大きな契機を与えていると思われる。

「職業としての料理評論」や「職業としての料理報道(料理記事の取材・
編集・出版などもこれに含まれる)」がその受け手たる読者にとって
「参照に値する内容」であるのか、
さらにいえば「信じるに値する内容」であるのかという等閑に付すことが
できない議論が幻冬舎『GOETHE』の特集を一つのきっかけとして
巻き起こったことは考えようによってはミシュラン東京ガイドの発刊が
もたらした予期せぬ副産物であったのかもしれない。


これらの内容を御参考に。

参考1 幻冬舎様 『GOETHE』( http://www.gentosha.co.jp/goethe/ )
参考2 友里征耶様 『TOMOSATO-BLOG』( http://www.tomosato.net/blog/ )
参考3 友里征耶様 『すきやばし次郎』( http://tomosatoyuya.moura.jp/?p=24 )
参考4 伊藤章良様・さとなお様 『うまい店対談
( http://taidan.seesaa.net/article/88289934.html )
参考5 マスヒロ・ジャパン様 2008年2月28日 『「GOETHE」誌上の批判記事に関して
( http://masuhirojapan.hp.infoseek.co.jp/info1.html )
参考6 マスヒロ・ジャパン様 2008年2月28日 『「GOETHE」掲載記事で事実と異なっている点
(  http://masuhirojapan.hp.infoseek.co.jp/info2.html )
参考7 マスヒロ・ジャパン様 2008年3月10日 『「週刊現代」にて掲載
( http://masuhirojapan.hp.infoseek.co.jp/info3.html )
参考8 週刊『女性自身』様 2008年3月25日号「ミシュラン日本版"手抜き調査"の呆れた実態」
46〜47ページ
参考9 週刊『現代』様 138〜139ページ


+++付言+++
料理評論家にしても、料理編集者にしても、そして料理関係者にしても、言ってみればそれぞれがプロである。プロであるならば、「××ができて初めてプロ」という面もあるはずだ。同時に、むしろそれ以上に、「プロだからこそ●●をやってはいけない」という面もある。幻冬舎『GOETHE』によるミシュラン / 山本益博氏らをめぐる問題提起は後者の面で「プロたりうるか」に究極の論点がある。派生事項として、奇しくも「マスヒロ氏、タダ飯を強要か」という問題も提起された。これはむしろ妥当な展開であるようにみえる。なぜなら山本益博氏は料理評論家であるからだ。とりわけ言論と表現の自由という権利に庇護される立場にある料理評論家と料理編集者は上記のプロとして「やってはいけないこと」についての厳しいほどの緊張感と責任が求められる。自由に評論し自由に表現する人間が謳歌する社会は、まさしくその本人もまた自由に評論され自由に表現される社会でもあるからだ。したがって、証を立てることの意味はまさにこの自由を謳歌し、謳歌させ、責任を果たせるかどうかにかかっている。責任の希薄な者についていくほどファンも読者も愚かではない。責任の希薄な者を起用し登用する番組や雑誌に対しての態度もそれに呼応して厳しくなるべきだろう。責任希薄な者や責任を自覚していてもその挙証が拙速であったり不徹底であったりした者にはそのうち「この評論家が推奨する▲▲は信用がおけない」とか「▽▽はこの評論家をキャスティングした番組のスポンサーである以上まともとはいえない」などという視聴者の声が容赦なく突き刺さることになるだろう。