神雕侠侶 第39話
ネタばれありなのでクライマックスへ素のまま進みたい人はこのあたりからは読まないようにしてくらはい。
出来るだけ伏せたいのですが、楊過と小龍女の関係で特に楊過の心理の変化が話の確信であり、楊過が最終的に取る行動が議論されるべき内容であり、結末でもあります。原作では楊過が主人公でしょう。今回の張さんのドラマは楊過と小龍女二人が主人公、前半は小龍女、後半は楊過が主人公みたいな。
触れたくても触れられないけど触れなくては何も語れない、
この物語の解釈は男性か女性か?原作派かドラマ派か?個々のアイデンティティーがどう違うか、どのキャラが好きかでずいぶん変わると思います。何や難しすぎてようわからん文章になってしまた。
さて今回は郭襄(楊冪)と金輪国師(巴音)のお二人さんのやり取りから始まります。
この回での程英(王嘉)はシュークリーム程英でミッキーよりかわいく見えます。
さすらう楊過(黄暁明)鉄槍廟に、射雕のときと建物が違うような気が。鉄槍廟で父楊康の真実を知り苦悩するのは。
父を思う子の想い、子が親孝行が出来ないのは最大の不徳とでも言う考ええが根底にあり。
そしてもう一つ歴史に残る程の不徳な悪人は死んでも唾棄される存在、決して許される事が無いという考えか方、
が中国的だなと思いました。しかし、ここで悪である父であっても子にとっては大事な父であり、
父の悪行、不徳をを、子である楊過が徳で償う事により、不徳である父が許される、それだけの徳を楊過が返し、又間違った仇討ちをせず
過ちを犯さない事が大事である、そして楊過と名付けられたことを楊過が実践できた事に徳があるとでも言うのでしょうか、だから許された。
徳よりも仇討ちや忠孝が美徳であり、ただ過去の過ちも時間が過ぎれば、許される的発想がある日本人には、なかなか理解しにくい面なんじゃないかな、
それに最近の日本は親への孝行なんて言う考えはシーラカンス状態になりつつあり、
徳を積むより、自分を知ることが大事であり、その自分を知るという行為は自分のやりたい事をするのが正しいと言うような考え方の最近の日本ではさらに理解しにくくなってしまっているんでしょう。
間違っていたらごめんなさい。うまく表現できません。
さて、楊過は郭襄を救うために行動をしながら、、37話あたりから物凄いジェットコースタードラマ展開、百花谷の住人って妙な状態ですよね、
そして、約束の16年後の絶情谷へと、