切腹の作法

February 15 [Sun], 2009, 14:52





決して笑い話ではない。

G7閉幕後に中川財務・金融担当相が会見 受け答えが記者の質問とかみ合わない場面も(FNN)


切腹の作法(Wikiより抜粋)

戦国時代や江戸時代初期においては介錯人がつかず、腹を十文字に割いたり、内臓を引きずり出したりといった過激な方法も用いられていたとされ、軍記物にもそのような描写が散見される(医学上は内臓まで到達するまえに失神するとされる)。
近世に入り、武士身分の処刑として切腹が確立すると、切腹にも作法が登場する。切腹する人を切腹人(せっぷくにん)という。切腹人に付き添い切腹人の首を切り落としたり、検視役に首を見せるなど、切腹の補助を行う者を介錯人(かいしゃくにん)という。腹部を切り裂いただけでは死亡までに時間がかかり、死ぬ者に非常な苦痛を強いるため、通常は介錯人が切腹直後に介錯を実行する。江戸時代には、切腹は複雑で洗練された儀式となり介錯がつく切腹の作法が確立した。切腹の作法が制定された時期については諸説あるも、18世紀の初め(享保年間の前後)という説が有力である。
介錯は通常、正副の2人、あるいは3人で勤めた。それぞれ、3人の場合、首を打つ「介錯」(大介錯ともいう)、短刀をのせた四方(4つ穴のある三方)を持ち出す「添介錯」(助介錯ともいう)、首を実検に入れる「小介錯」の三役である。
江戸時代中期には、切腹自体も形式的なものとなり、四方に短刀でなく扇子を置き、その扇子に手をかけようとした瞬間に介錯人が首を落とすという方法が一般的になる(扇腹、扇子腹)。有名な赤穂浪士も、比較的身分が高かった大石内蔵助ら数人以外は、扇子や木刀を使用した。中には「自分は切腹の作法を知らない。どうすればいいのか」と聞いた、という逸話も残っている。ただし、幕末になると、全面的にではないが、本来の切腹が復活したことも記録されている。
切腹の場所は、大名クラスの身分をはじめとする上級武士の場合は預かり人(切腹人の身柄を預かる人)の邸内、やや身分が劣る場合は預かり人の邸宅の庭先、さらに身分が劣る場合は牢屋の中とされた。なお、足軽以下の身分(足軽は「士」では無いとされた)や庶民は切腹を許されなかった。
古式では寺院で、のちに預人の座敷または庭上で、行なわれた。


手順

ここでは、作法が確立した江戸時代の非自発的切腹(多くは刑罰としての切腹)の手順を説明する。
まず、切腹の沙汰が下されると、切腹人にその旨が伝えられる。切腹前の準備として、切腹する者は沐浴を行い、身を清める。この時に使う水はたらいの中にまず水を入れ、そこへ湯を足して温度を調整したもの(生きた人間が身体を洗う際は湯を水でうめぬるくするのが当時普通であった。これはその逆であり、遺体の湯灌につかう水と同じ方法である)を使用する。次いで髪を結うが、普段より高く結い普段と逆に曲げる。つまり元結左巻に四巻、髷を逆さに下に折り曲げる。切腹の際の装束は、着衣は白無地の小袖・浅黄色の無紋麻布製の裃で襞は外襞、小袖は首を打ち落とし易い様に後襟を縫い込んでいる物と決まっていた。遺体に着せるのと同じように左前(着用する人の左の襟を手前)に合わせる。
切腹の場所は上輩であれば6間四方、中輩であれば2間四方に「もがり」を結い、南北に2口を開き、南は修行門、北は涅槃門である。、 そこには逆さに返した畳二畳(土色の畳白縁の物)を撞木に敷き、縦の畳に浅黄色ないしは青色の布か布団6尺4幅を敷き、(場合によってはその上に白砂を蒔く場合もある)、その四隅に四天を付け、畳の前に白絹を巻いた女竹を高さ8尺、横6尺の鳥居形に立て、四方に4幅の布を張る。後方には逆さに返した(あるいは引き方を逆にした)屏風を立てる。
切腹する者の前には盃2組(上が「かわらけ」、下は塗り物)と湯漬け(白飯に白湯をかけた物)に香の物3切れ(「身切れ」の意であるという)、塩、味噌の肴と逆さ箸が添えられる(切腹人にとってこの世で最後の食事となる)。
検使役の座が切腹する者の座の対面に設けられる。切腹人は涅槃門からはいり、畳の白絹の上、北に向かって座する。介錯人は、修行門からはいり、正副の2人、または3人が勤める。介錯人については、首を一刀で切り落とすのは剣術に長けた者でないと勤まらず、下手な者の介錯ではしくじっては何度も切腹人を斬りつけるという無様な事態になりかねない。介錯人は預かり人の家中の者が勤める建前になっていたため、介錯の失敗は武術不心得として預かり人の家の恥とされた。そこで、家中に腕の立つ者がいない場合、他家に依頼して人を借りてくることもあった。
切腹人が銚子は片口の銚子で、左酌、2度に注いで2杯で4度で飲ませるという所定の方法で酒を四度飲んだ所で、配膳係は膳を下げ、切腹に用いる短刀を四方にのせて差し出す、この時切腹人が更に盃をねだっても、酩酊すると不都合なので与えない。 切腹刀は、拵え付きの刀(白木の鞘ではなく、組糸を用いた物を用いる。ただし、先述の通り時代が下ると木刀や扇子で刀に見立てるようになった)を用いる。短刀は9寸5分、柄を抜き、布か紙で28回逆に巻き、刃先が5〜6分出るようにし、柄があれば目釘は抜く。 正介錯人は、切腹人に対して名を名乗り、一礼する。そして、正介錯人は後ろに回り、介錯刀に水柄杓で水を掛けて清め、八双に構える(構えには諸説ある)。切腹人は、検視役に黙礼し、右から肌脱ぎする。左で刀を取り、右手を添えて押し頂き、峰を左に向け直し、右手に持ち替え、左手で3度腹を押し撫で、臍の上1寸ほどへ左から右へ刀で突き立て(臍下深さ3分ないし5分とも)、切腹人が刀を引き回す所で、介錯人は首を「皮一枚」残して斬る。皮一枚残して斬ることを「抱き首」といい、この形に斬るのが介錯人の礼儀とされた。抱き首の形にするのは、首が飛んで落ち、土砂に汚れるのを防ぐための配慮と、「身体を分割するのは親不孝」との儒教思想の影響があるためとされる。ただし、例えば土佐では皮を残さず切り落とすなど、地方によって異なり、切腹人があえて首を切断することを希望する場合もあり、必ずしも「抱き首」にしなければならないということはなかった。
介錯が済むと、表裏白張り白縁の屏風をめぐらせ、死骸を人に見せぬようにする。副介錯人が首を検視役に見せて切腹人の絶命を確認し、切腹の儀式は終了する。柄杓の柄を胴に差し首を継ぎ、敷絹で死骸を包み、棺に納める。
のちに簡略化され、切腹人が裃を着ると湯漬け飯を出し、旗幕を省き、畳2帖白絹敷物白屏風のみとして、肴は昆布1切を角折敷にのせて出されるのを介錯人に会釈して一献受け、介錯人にさし、検視は3間ほど離れて筋違いに座する。介錯人が首を打つと検視は刀を取って左足を踏み出し、左回りに立つ。
  • URL:http://yaplog.jp/ichijihinan/archive/78
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