はじめに 

September 12 [Sun], 2004, 9:00
私達夫婦の大切な宝物、いっちゃん。
月日を重ねるごとに、あなたへの愛情が増していきます。
私達は離れているけれど、
この距離はどうして縮まることはないのかしら?
せめてあなたが今どこにいるのか誰か教えてくれたら、
安心することができるのに...

ママは、この世に舞降りて来てくれたあなたの足跡をこのブログに残します。

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私は、昔から英語が大好きでした。米軍基地に遊びに行ったり、お気に入りの映画のシナリオを丸暗記しようとしたり。そして20歳後半の時、普通だったらもう既にママさんである年頃です。ついに意を決っし海外へ語学留学。海外生活を謳歌し、帰国後は念願であった英語を活かし貿易のお仕事につきました。少し遅い人生の転機でした。
そしてその後、縁があってめでたく結婚。その頃の私は、仕事と趣味であるスポーツに無我夢中で、赤ちゃんのことなど全く無縁でした。
今になって思うこと。身に付けたキャリア、長年憧れていた海外生活体験は決して無駄ではなかったと思うけれど、もっと早くから赤ちゃんに関心をもって、婦人科検診を受けていれば、、、という後悔は一生かけても決して消えることはありません。

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結婚2年目の平成16年夏のことです。
もともと夫婦で走ることが好きだった私達は、前年からさらに水泳も猛特訓し、「トライアスロン」に似た競技「アクアスロン」(ランニング+水泳)のミニレースに2度目の夫婦そろっての参加を果たし、完全燃焼!!!

これを最後に落ち着いて、そろそろ赤ちゃんを!と一大決心をしたのでありました。

妊娠発覚 

February 14 [Mon], 2005, 2:39
激しい運動とお酒は我慢して、仕事も短期でとりあえず妊娠まで働こうと考え毎日ワクワク&やきもきしてました。そして、ついに検査薬で妊娠発覚!もともと心配性の私は、病院で見てもらうまでは、と思い不安いっぱいで近所の産婦人科へ。
妊娠6週でした。

順調に見えたのは、ここまででした。
おめでとうとは誰も言ってくれません。
赤ちゃんと一緒にでっかい子宮筋腫がみつかってしまったのです。

不安を抱えて 

April 01 [Fri], 2005, 2:43
不安を抱えての妊娠。その頃の私は毎日毎日筋腫があっても無事に赤ちゃんを産んでいる妊婦さんのサイトばかり読んでいました。安静にする以外何もできず、買物さえ主人に頼む始末。ほとんど家のなかで安静にしてました。
妊娠中は流産へのリスクを考え、筋腫はあっても経過観察というのが一般的であるようで、私の場合も発見当初から13cm×8cmの巨大筋腫でしたが、痛かったら薬を飲んで安静に、というのが医師からの指示でした。
私に出来た子宮筋腫は、細い茎をもち子宮の外側につながっているという、「有茎性漿膜下筋腫」というものでした。もっともこれは後に手術の為、MRIをとったのであきらかになったことですが。

ど・う・し・て・今まで気づかなかったのか?
全く症状がでなかったのです。生理もきちんと規則的、お腹の出っ張りもなし、筋腫が痛むなんて皆無だった。でも、なにより自分は健康!という過信で婦人科検診をしたことがなかった事が、結果的には我が子をお空に還すという悪夢を招いてしまったのです。

楽しかったね 

May 05 [Thu], 2005, 2:46
妊娠5ヵ月にはいり、この頃からもうお腹の子を壱成(いっせい)君と決め、いっちゃんと呼んでいました。男の子かどうかわからなかったのに。(笑)
心配していた筋腫の変性痛(炎症を起こし、とても激しい痛みを伴う為、子宮収縮が起こり早産の原因になるといわれている)もまだ起こる様子もなく、栃木に嫁いだ妹が生後8ヶ月の赤ちゃんと遊びにおとづれ、両親も加わり我が家でBBQ。私の予定日が10月だったので今度のお正月は賑やかになるね♪なんていいながら私もお腹の中のいっちゃんと楽しいGWを過ごした。こいのぼりを見上げ、甥っ子とお腹の中の我が子の成長を家族皆が祈った。楽しかった。
でも、我が家のカレンダーはこの日の一週間後でとまってしまった。

お腹の火事 

May 15 [Sun], 2005, 2:48
19週に入ったある静かな日曜日、いつものように長椅子にもたれてくつろいでいた。私はこの椅子を妊婦椅子と呼び、サイドテーブルには数冊の赤ちゃん本を備え、いつもそこで安静にしていた。

そうすると突然、本当になんの前触れもなく突然、激しく、呼吸も乱れるくらいの激痛がお腹に走った。ギンギンギンギンと。これが変性痛だと思った。前から処方されていた痛み止めを飲んで痛みが引くのを待った。二時間位するとなんとか治まり急いで産婦人科へ。ウテメリンともっと強い痛み止めをもらい帰宅した。

良かった。
治まって。

でも、違った。

繰り返し襲ってくる激痛、それはそのうち寝返りもうてないほどの痛みに変化していった。
その時、筋腫の変性と同時にその筋腫が、腸と癒着し始めていた事を医師でさえ知る由もなかった。

腸が潰れて、腸閉塞になってしまった。

二重の痛みがお腹を襲い始めた。
まさにお腹が火事の現場になってしまったのです。
すぐ下に赤ちゃんがいるのに!
そして、ごはんもだんだん食べられなくなっていってしまった。

入院...そして転院 

May 28 [Sat], 2005, 2:52
その後2度の外来を経て、診察通り私自身も筋腫が痛んでいるだけと思い、2週間自宅で薬を飲みながら安静にしていたが、痛みに耐え切れず入院した。

けれどさらに状態は悪化し、入院初日からご飯が一切食べられなくなってしまった。何度何度も嘔吐した。1時間おきだった。赤ちゃんがお腹にいて普通だったら二倍に栄養を取らなくてはいけないにもかかわらず、水さえも口に入らない...痛みもいっこうに治まらず、激痛ゆえの不眠の苦しみがさらに私に降りかかった。
こんな体ではいっちゃんが出てきてしまうのではないかと不安に襲われながらも、手術だけは回避せねばと必死に耐え続けた。
医師は「筋腫が胃を圧迫して、嘔吐しちゃうのね」と誤診し、ただベットに寝かされていた。

1週間経った頃やっと、やっと内診。結果、腸閉塞(なんらかの原因で腸が詰まってしまうこと)の疑いがありとの診断。そのさらに3日後、MRIにて腸閉塞が確実になり、その翌日に潰れた腸と筋腫の摘出の緊急手術をもちかけられた。
我が子を守る為、手術だけはやるまいとずっと痛みに耐え続けてきたが、もう選択の余地はなかった。

私の腸は7cm潰れていたのです。
筋腫の方は変性後ブヨブヨに壊死していた。

主人の希望で他の病院での手術が決定。
もっと設備が整い、NICUもある大きな国立病院に転院が決まった。

手術前日 

June 07 [Tue], 2005, 2:54
転院したその日、術前の処置でイリウス管の挿入という処置をした。鼻から胃までチューブを通し、胃液を鼻から全部吸い上げる処置だった。潰れた腸に溜まっていたもの、胃液までも空っぽにしなければいけないという。挿入する時、息ができなくて余計に何度も吐いた。呼吸ができず取ってと懇願したが、無駄だった。吸い上げられた緑の胃液が、鼻の横にぶらさげられた透明な袋に少しずつ溜まり、気持ちが悪かった。鼻からチューブが入っている異物感も。この日から一週間鼻にぶらさげていた。

この時、もう少し意識が遠のいてしまっていたのか、手術を目前にしながらも一切何も考えることができなかった。
大切な大切な我が子のことですらも...

22週目での手術 

June 08 [Wed], 2005, 2:57
最初からこの病院だったら、何かが変わっていたかもしれない。という気持ちは今でも変わらない。信頼できる病院だった。産婦人科医だけでなく、内科、外科などいろいろな担当医師が連携し、私の体を直してくれた。ただ術前に手術による流産の確率は?と何度聞いても教えてもらえなかった。他に症例がなかった、からでした。

でも、「できる限り赤ちゃんを守ります」と約束をしてくれた。
その言葉を強く強く信じて手術室に向かった。


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赤ちゃん無事でした!!!
手術は無事に終わりました。

取り出されたばかりの小腸と筋腫を両親、主人は見せてもらったそうですが、筋腫はゆうに20cmを越える大きさだったそうです。重さは732g。のちに産まれて来たいっちゃんは638g。まるで双子を妊娠していたようでした。
術後に言われたことは、半月以上に及ぶ絶飲絶食による栄養障害等で体の機能が壊れ、心不全を起こす可能性もあったとのこと。とても妊娠を継続できる体ではなくて、手術をしなければ、母子共々死んでたよと言われた。

点滴うってたのに栄養障害?
心不全?
筋腫が原因でなんで死ぬ?

術後もうろうとする意識の中で聞いたので、余計に意味がわからなかった。
でも、赤ちゃんは無事だったのが何よりだった。
やったー!!!!!!!
私は、強運の持ち主だったと神に感謝した。

運命の日 

June 11 [Sat], 2005, 3:01
術後3日後に運命の日は、やってきてしまった。
まだ麻酔もきれず、起き上がることすらできない日々をおくっていた。
それでも我が子が無事だった幸福感。看護婦さんと談笑しながら、足のマッサージをしてもらっていたところ、なんとなく、便意のようなものが...腸の病気だった為、排便障害もありやっと開通?これはありがたいと思い看護婦さんに告げると、まだ動けない体なので医師に相談する為、少し待ってくださいとのこと。そうこうしているうちに何かが降りてくる感じがどんどん高まっていった。
医師が到着して診てもらったところ、それは実はお産の始まりだった。

麻酔が効いた状態の私の体は、陣痛を感じることができず、ただ何かが降りてくる感触だけが私の体を走った。慌てて医療スタッフの方がお産の準備をしだし、私はまた一人残されパニック状態に。もう今にも出てきそうな我が子を我慢するのが精一杯だった。
所要時間20分。
個室を急遽分娩室変わりにして、いっちゃんは取り上げられた。
あっという間に生まれてきたいっちゃん。
体重638g、身長25cm。
やっぱり男の子だった。
アー、アーとものすごくかぼそい産声を二回聞いた。
生きているんだと思った。

恐かった 

June 12 [Sun], 2005, 3:14
お産の次の日は、いっちゃんに会いに行ってあげられなかった。術後4日目、レントゲンを取る為に初めてベッドから立ち上がった日だった。まだフラフラで一人で立つことはできず、必死にレントゲンにしがみついた。その足で、赤ちゃんを見に行きましょうと看護婦さんが言ってくれたのだけれど、その日は髪が汚いからと理由をつけて断ってしまった。
本当は、すぐに失ってしまうかもしれない我が子に、対面してしまうことにより愛情が芽生えてしまうのが恐かった。

母親失格。

病室に戻る前にふと窓の外を見ると、公園でランニングをしている人達がいた。偶然なことにその公園は2年前に参加した「アクアスロン」のレース会場だった。
あの頃に戻ってこの妊娠をやり直せたらと、また悔やんだ。
プロフィール
*名前*いっちゃんのママ
*家族*パパ、ママ、天使のいっちゃん、こうちゃん、ワンコのハナ&マール。
*好きなこと*ランニング、水泳、ガーデニング、海外旅行。
*職業*妊娠後は専業主婦。前は貿易関係のお仕事をしてました。
2004年09月
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