問題

July 08 [Mon], 2013, 21:11
オーストリアの願いはただ一つ、ドイツのような分断国
家にならないことである。そのために、軍事的には東西両
陣営のいずれにも属さないという意思を表明しつづけてき
た。 一九五二年には、シェルフ副首相が米国を訪間し、オ
ーストリアが統一を守りぬくことを強調し、米国もこれを
支持した。一九五三年夏には非同盟中立のインドを通じ、
中立宣言と引き換えに国家条約締結の可能性をソ連に打診
したが、この努力は実らなかった。
しかしソ連はこのころから西独の再軍備、西欧防衛体制
への参加を阻止するため、オーストリア国家条約を″人
質〃にし、交渉の切り札の一つにしようという考えを持ち
始めていた。
長いことオーストリア問題の討議を避けてきたソ連は、
ようやく一九五四年一月末から四大国外相会議をベルリン
で行なうことに同意した。主題は当然ドイッ問題だったが、
この会議には初めてオーストリア政府代表の参加が認めら
れたのである。
オーストリア代表は、前年に新たに外相になったフィー
グルであった。前首相の肩書を持つ新外相の下には、第二
次大戦中の十二年間、中立国スウェーデンで亡命生活を送
った旧社民党のクライスキー外務次官(後の首相)がつい
ていた。第二次大戦中から、社民党の亡命グループの間で
は、ロンドン、スイス、北欧にいる仲間の中に、スイス、
スウェーデン型の中立を望む声が出ており、クライスキー
もその一人だった。
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