雨天決行

February 22 [Wed], 2017, 19:47
お久しぶりです。
大分お久しぶりです。

親友がおすすめしてくれたsumikaを聴いています。雨天決行、良い曲です。



書いていない間に、何から書くのかわからないくらい色々ありましたが、元旦という最後の記事で、このタイミングでお酒を飲んで新しいということに気を引き締めたことを思い出して良かったです。

新しいことは、新鮮なのに、気を抜くと、急に慣れ慣れしくなってきて、焦って脅してきたかと思うと、わかったふりしてきて甘えてきたり、私はかなりヘンテコな事象だと思っっていたりします。

そういうものに忙しなく心が震えるのが最近は嫌だと思っていました。


でもこの前は、可愛い後輩の結婚式でした。

彼女のほんわかした姿の中に、全身全霊で決めてきた一筋のまっすぐで大きな決意が見えました。

新しいということはこういうことでなくてはいけない、と改めて心が引き締まりました。


新しいことに、気を引き締めるってことを、私はどれくらいできてるだろうか。


生きていれば、色々な場所で新しいことが始まるし、いやもう始まってたのかもしれないけど。

気付かないことや、気付いていないフリをすることの方が多いのかもしれない。

個人の事情なんか確実に無視して、
どんどん新しいことは始まる。

だから冒険するなら、丁寧に連れて行きたいし、連れていってほしい。

新宝島みたいに。

人生で新しいことに触れたら、そうしていくものなんだとおもう。

咀嚼して生きていけばきっと、新しいことは勝手に楽しく踊り出す気がするんです。



そんなことを考えました。



元旦

January 11 [Mon], 2016, 16:39
元旦という日本酒を飲んだ。
元旦に絞られたから、が由来らしい。

すっきり、さっぱりしているお味。

何かを始めるときに、
一番大事な事は始めることじゃなくて、前のことをちゃんと終わらせることなんだよね、

とカウンセラー講座で先生が真剣に言っていたことを、ふと思い出す。

終わらせること、

あんまり出来なかったなあ。
なんにも終わってない、きがする。

だから終わらせること、はまだ先に送ろうと思うのだけど、

すこしだけ終わったことの振り返り。


カウンセラー講座で取得した資格から得られたもの

・人の話を聴くときの自分の恐怖感を無くすこと(但し、普段感情表現が乏しいので、自分の感情を捉えることで、相手の感情も適切に表現できるので、練習が必要)

・相手が自分や悩みについて自分自身と向き合って考え、味わうことを支える聴き方が出来るようになったこと(自発的に相手が話す話の聴き方の型を学んだ)

・キャリア理論に基づいたワークやコンテンツの作成が出来るようになったこと(意思決定講座という意思決定に関する講座を作った。今回はただ作った感があるが、意思決定の罠や、振り返りも含めてコンテンツを追加したい)

が収穫でした。

ちなみに上の出来るは一応出来るレベルなので、本当に出来るわけではなく、モノにしていきたいのです。

本業に使えた、そしてそれが必要とされた、と味わえた時が終わりなんだと思いこむことにする。

目標としては期限もないし、

名前もないけど、これにする。

今年の目標についてずっと考えていて、

元旦なんかもう呆れてどっかにいっちゃったけど。

この目標の達成ができたら、

愛と言われるものの定義を自分で出すことができたように、

物事の終わらせ方について意見や定義が出せるようになりたい。


ちゃんと終わらせる。

ちゃんと終わる感覚を思い出したい。





ぼんやりとした不安

August 15 [Sat], 2015, 22:54
物凄く有名なこのことばについて今日は考えてみる。

今とても息が苦しいので、必死に考えている。



ぼんやりとした不安とは、

なんと気の抜けた間抜けなことばで、不気味な響きのあることばなんだろう。


対人関係を中途半端にすすめてしまう癖が、社会人になってとても顕著になった。

人間関係が幅広くなったから。

共有する時間が短くなったから。

自分が苦しいから。

言い訳ばかりで、先送りするようになった。

必要とされたら、断れなくなった。

断れなければ、無視するようになった。

今までずっとひとの話をきく練習してきたのは何だったんだろう。

誰の話をききたかったんだっけ。

困ってるひとはだれでもいいんだっけ。





そんなことないだろうに。



ぼんやりとした不安は

いつの間にかうわべを這って、自分を撫で回し続けてる。

辺り一面、自分ばかりになったとき、

自分以外の何かを掴もうとして、自分を掴む。


つっかえたように息苦しいのは当たり前なのだ。







何と無く、は気持ち悪い。

何と無く、は失礼だ。









all day long

July 18 [Sat], 2015, 22:02
お久しぶりです。

最近は色んな心に残ることがあったので、久々に日記をば。
といっても、ひとつひとつ言葉にするとだめになっちゃいそうなので、直近のものを。

あの時、あの瞬間大事だったものは、だんだんと忘れちゃうから。

所有したら、忘れちゃうから。
変化したら、忘れちゃうから。

でも思い出せば、
またそれは感情という生き物になる。

だから思い出すことが必要で、
思い出すことは、私にとって必要で大切なこと。

そんな風に最近の出来事や出会ったものを通して思いました。

感情が震えることを、あと何回経験できるだろう。

感情を震わせ続けたら色んな記憶が連鎖する。
再編集される記憶は、また私をつくってくれる。

人生は、編集だ。

選択すること、編集すること、それを繰り返すこと。



葡萄

April 13 [Mon], 2015, 21:05
お久しぶりです。

このお休みは、祖父が体調がおもわしくなく意識も朦朧としているということで、急遽新幹線にて、祖父と祖母が入っている施設へお見舞いに向かいました。

祖父は前よりは回復に向かったらしいのですが、夢と現実の間を彷徨っているようでした。

たまに目を大きく開いじっと私と母を見てくれるのですが、どんな風に映っているのかわからない。

私は、ずっと言いたいことがありました。

おじいちゃん、色んなところに連れて行ってくれてありがとう。

今更言っても遅いかもしれないけれど、耳に向かっていいました。

祖母にも、おばあちゃんみたいな笑顔の可愛い優しいおばあちゃんになりたいと。

二人はしゃんとしていて、
ずっといてくれるような気がして

私は甘えて何も伝えてこなかったのだと何度もその時思いました。

少し遅くても、大事だということや好きだということ、ありがとうと思ったことは

伝えたかったのです。

祖父は勉強家で、50歳から庭師の勉強を始め、弟子入りして独立して造園業をしていました。

年をとればとるほどわかることが増えるっていうのは嘘だ。

年をとればとるほど、わからない、知らなかった、ということが増えると思う。

と言った祖父は、私たちを色んな場所へ連れて行ってくれた。色んな話をしてくれた。

お見舞いにいって救われたのは私の方だ。元気付けられたのは、私の方だ。

本当は私はこんな風になる前に、会いに行かなければならなかったのに。

部屋には、私の写真もあったのに。


会う、ということは
愛情なのだ。

それだけで、もう愛情を示してる。

あってくれることも、愛情。

その点、今回のお見舞いは、叶わない片思いに似ていた気がする。

後悔の念に駆られて、思い出を反芻しながら、語りかけて、様子をみた。


会うということは、

全身でその人をきくこと。
大事なことを大事なときにいうこと。


そんなことがしんしんと身に沁みた。


坩堝の電圧

March 08 [Sun], 2015, 22:06
ご無沙汰しております。

今年は振り返りの日記を書かないままだったことに気付きます。

今日は、認められたいの正体という本を読んだので、忘れないうちに感じたことを書いておきます。

人間の承認欲求と自由との関係を書いた本だったのですが、

感情を認めることと、
親との関係の中で染み付いた身体化されたルールを客観視すること。
その中で自分は選んで何かをしているという覚悟を持つこと。

勉強会でも学んできたことと重複してたこともあり、特筆して新しいことを見つけた感もなかったのですが、

親との関係での部分については割と細かく書いてあって、面白かった。

私がまだとても小さいころ、祖母が介護が必要な状態のとき、母親の愛が独占できないことに腹を立てて、我儘を言ったことがある。

そのとき今まで愛され怒られたことのない大人たちから怒られた。

多分怒られたのは、それまでもあったとおもうけど、印象深く残ってるのはこの出来事。

私はずっと不思議だったことがある。

私は、一人っ子だし、親族でも一番末っ子なのに何故こんなにお節介になったか。

要因の一つに過ぎないだろうけど、

その時、困っているひとの邪魔をして我儘を言ったら愛されないと考えたからだ。

成長するにつれ、
経験と共にそれをもっと積極的に解釈して困っていそうな人の役に立つようにいきなければならない

と感じたのかもしれない。

自分勝手かつ傲慢だが、そんな気がした。

勿論これはきっかけにすぎないけど

別にこの思い出はいいとか悪いことではなくて、私が頑張ることのできるとき、大体これが裏返しのモチベーションになっている気がするのだ。

そして、苦しむ時もこの動機が大きい気がする。

どんなに切り離したくても、承認欲求は切り離せない。

だから目をつむるのではなく、
寄り添って。

承認欲求と交渉して、
生きて行くしかない。

苦しいときは、多分上にかいてあることができてないときなのだなあと、

ぼんやり思うお休みとなりました。


またゆっくりいろんなこと振り返ってみよう。






長距離走者の孤独

October 30 [Thu], 2014, 18:50
面白い本屋に出会ったので、久振りに日記を書きます。

その本屋では、色々な症状別に処方箋と書いた袋にその本屋おすすめの本が入っています。

何が入っているかはわからない。

もう一度言います。
何が入っているかわからない笑

そういう売り方で、面白かったので二冊もかってしまったのです。

久振りに買い物が楽しかった。

本と出逢える。
っていい売り方だなあと思います。

私が出会ったのは
長距離走者の孤独という本と、快楽主義の哲学という本でした。

長距離走者の孤独には、走り出したくなるような、荒々しい誠実さがありました。

最近NPOの方でも誠実さについて考えることが多いので、誠実について考えたくて読んだのですが、

結局誠実なことは「孤独」なことだと思うのです。

大人なると氾濫している何かを盾にした誠実っぽいものに、

呑み込まれるのは嫌だなあと。

誠実であることは孤独だ、と理解したら、私は優しくなれる気がします。

そういうことを感じさせてくれる本でした。

快楽主義の哲学もがしがし読もうと思います。



海を感じる時

October 14 [Tue], 2014, 19:57
怒涛の三連休が台風と共に過ぎ去りました。

お久しぶりです。
三連休の二日目に海を感じる時、という映画を観てきました。

派手な映画ではないのですが、少女だった主人公の「必要とされること」に対する欲求が大人になってどうなるのか、

についてが描かれた作品でした。

母親との確執とか、不平等な関係だったときの相手へのどうしようもないもやもやとした苛立ち。

そういうものと不器用に対峙し続けてきた彼女は、結局空っぽになった家に帰る。

彼女はぼんやりしながら、今はもう存在しない、ミシンを動かす母親とピアノをたどたどしく弾いている父親を思い出す。

無条件の安寧の記憶。

その家すらも出て、
彼女は海に向き合います。

その眼差しは、
射抜くように海に注がれ、
私に注がれるのです。


人間は、ただ一人。

そして、ただ一人であることに向き合ったとき、彼女の強さは神聖さを帯びる。

たまに少女は神聖だと言いますが、私は真逆だと思います。

神聖なのは、大人になった少女です。

個人的にこの三連休中に、ずっと言えなかったことが言えたのですが、それはこの映画のおかげのような気がしています。

映画に感謝しつつ、現実の世界に戻ります。


コダック

August 27 [Wed], 2014, 0:52
どうして、フィルターを、こえていけないのか。

私は、性別であったり、
いい悪いであったりそれを敏感に第三者に向けて線引きする能力が格段に弱い。

というのも、フィルターが潔い先輩と、同輩にあったからこんなことをおもっている。


人間にはフィルターが誰しも装備されているとおもうのだが、

そのフィルターが潔いほど、
魅力的だ、とおもうのだ。


フィルターが、潔い

とは、自分のフィルターに折り合いをつけている、とも言い換えることができる。

それは、親子関係なり、過去のトラウマなり、その他なんでもであるのだろうけども


潔いひとは信頼できる。

信頼できる、なんて横柄ないいかただが、そんな気がするのである。

横柄な、フィルターは開きっぱなしにするか、思い切り閉じるか、

そういうことをしたほうがいい。

好きな人を好きだというには、
そういう努力が必要かもしれない。

嫌いなひとを嫌いだと認めるには

そういうことをしたほうがいいかもしれない。

永遠にフィルムは続くし、フィルターは常に明るさや絞りが、調節されて、していく。

その折々に潔く、情けなくシャッターをきるのだ。

そのフィルムを少しずつ見返すと、
また調節が変わる。

フィルターをとおざけず、
よりそって。


親指は天高く。

そして、地面に敬意を込める。


シャッターを高速できることが正義ではない。





愛すべき娘たち

July 18 [Fri], 2014, 21:54
性質は覚醒遺伝する。

というのが私の持論なのですが、

それが大袈裟だとしても、
親になる自分というのは、自然不自然を問わず反面教師の姿勢をとるものだ。

その反面教師は、絶対的に正義だ、
という、そういう信念のもとに親の愛は育まれる。

濃度はそれぞれにあるのだろうけれども。

そういうことは私は親になったことがないからわからないけど子の立場から感じることはある。

母の強い想いに表れた躾というのは
よく働くこともあれば、ややもすれば反対の効果を、生み出すこともある。

それは大人になってみて尚更感じるようになった。自分のつくる枠組みに如何に親の影響を受けているか。

支えられ、縛られているか。

寺山修司がしきりに発言している、
「母ごろし」という単語は、そういったものを更地にして捉え直すということなのでしょう。

私がこの本を読んで思ったのは、私の母は公正なひとで私が嫌な目にあおうと絶対にその相手の悪口を言わなかった。

私が小さい頃喧嘩したときも
公正を期した。

そのおかげで、何事も0、100で善悪は決まらず、自らの責めも振り返る癖はついたのだとおもう。

但し、自らの責めー。

これが厄介だ。

これには、いつも甘えが少しだけ調味料のように入っている時がある。

他のものを一方的に責めても
救われない。

公正は味方なのだ。

公正は敵にはならない。

人には人の数だけ歪みがあり、
歪みは愛すべき、対象なのである。


そうして愛すべき娘たちは、やがて母になる。



母と一緒に読んでああだこうだ話したいと思った良い一冊でした。



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貝類全般、海の幸的な匂いのするモノ、悪口、血系列の本とか映画、魚のえら。

苦手じゃ(^ω^)



今年はがんばりませふ。
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