どんぐり 

2005年09月11日(日) 20時23分
来てからちょうど2週間が経った。昨日、日本人の友達が2週間のプログラムを終えて帰っていった。寛子は、まだ2週間しか経ってなくて、徐々に慣れようとしてるところなのに、その2週間で全てを終えた人もいる。果たして彼女たちは、その2週間を充実したものにできたのだろうか…。寛子は帰れと言われても、今はまだ帰れないから。
 
ドイツには、道に木がいっぱいある。それも、どんぐりの木だったりする。少し風が吹いただけで、たくさん落ちてくるの。ハトの糞じゃないだけまだましだけど、頭に落ちると痛い。
落ちているどんぐりをみると、成熟して割れてるのと、まだまだ青いのがある。あぁ、どんぐりも同じだ。まだ成長し足りないのに落ちちゃったのと、めいっぱいおっきくなって落ちるべくして落ちたどんぐり。。どんぐりの背比べなんて言うけど、それはやっぱりどんぐりに失礼だ。どんぐりにもちゃんと違いはある。
寛子は、やっぱり同じどんぐりでも、いっぱい成長したほうになりたい。それが、どんぐりの背比べでも構わない。できるなら、その中で精一杯頑張ろうよ。そしたらいつか、ちょこんと芽が出て、トトロが踊ったら、おっきい木になれるかもしれないじゃん。
そう考えると、落ちてくるどんぐりもかわいく見えてくる。そのどんぐりが、下に止まったベンツを傷つけてたとしても。笑

11/09/05

かばの赤ちゃん母へ 

2005年09月05日(月) 20時47分
ケルン動物園でかばの赤ちゃんが生まれたらしい。。

かば好きの寛子にはたまらない話だね。
友達が週末に動物園行ったらしいんだけど、知らないって。寛子も今度行ってみようかな。ケルン市内全域をカバーしてる定期だから、毎月買えばどこでも行けるの。だから、今度行って写真とってくるよ。

週末は寛子は暇すぎて疲れました。ホントにやることないの。

そうそう、おばあちゃんに思い切って年齢聞いてみた。79歳だって!!44歳の娘がいるらいいけど。すごいよねー。それで38キロもあるシェパードと暮らしてるんだよ。しかも、マニュアル車も乗るなんて日本じゃ考えられなーい!!
土日は朝、一緒に散歩に行ったよ。ドイツ人は知り合いを見つけると、一緒に犬の散歩をするみたい。もう散歩終わりそうな人も、今始まった人がいれば、引き返すんだよ。これも考えられないね。何話してるかよく分からないけど、体調の話とか、日本の話をしてるみたい。ひろことどうやってコミュニケーションとってるか、とか、寛子はいっぱい勉強してるんだよーとか。はわかた。楽しく観察してるよ。
おばあちゃんは、食事のとき寛子が分からない言葉あったら、書いてくれるの。それで、辞書で調べて、わかる、みたいな。でも、新しい言葉以外はわかるようになって、楽になりました。
おばあちゃんの一日は大体毎日同じだから、毎日、この時間は何を言われてるな、って言うのがわかるの。たとえば、夜8時過ぎると「テレビ見てるから何かあったら、言ってねー」とか。

聞いてわかるんだけど、話すのは、やっぱりまだ苦手。耳が悪いから、話せないんだなー。日本に帰ったら、耳鼻科にでも行こう笑

ということで、また今日から学校が始まったけど、まだあんまり難しくないよ。早くクラス上がるといいな。

それじゃあね。

寛子

ドイツより母へ 

2005年09月02日(金) 20時40分
夜勉強してたら、おばあちゃんがチョコレート持ってきてくれるようになったよ。よく勉強してるね、って誉められた。いつも朝ご飯のとき、宿題は全部おわった?って聞かれるんだよ。ユーロセンター(通ってる学校)は高いんだから、たくさん勉強しなさいだって。それから、ラジオ聞いて、聞く練習もしなさいと言われました。部屋にラジカセが置いてある!!スパルタママです。

勉強以外、家でやることがないの。荷物もまだ来ないから、DVDも見れないし。本もないし。こんなに勉強してるなんて、信じられなーい。いろいろわかるようになってきたよ。でも、テストとなると、なぜかできないんだなぁ。。

いろいろ遊びに行ったりも今はしてないの。あ、でも、この前また大聖堂に行ったよ。ガイドさんがいたんだけど、前も来てるから、同じ説明で、新鮮味がなかったけど、ドイツ語の勉強になりました。来週はサイクリングのプログラムに参加してみようかな。ライン川沿いを走るみたいだよ。

それでは。

寛子

じいちゃんが死んだこと2 

2005年08月31日(水) 20時21分
最後に棺を閉じるとき、最期の別れを意味するとき、ばあちゃんが「こわかったねぇ…」と言って涙を流した。私が見たばあちゃんの最初で最後の涙だった。
その涙に、誰もが胸をしめつけられた。最後にかけたその言葉は、優しく悲しい一言だった。苦しみからの解放をいたわる気持ちと、別れという現実。長年連れ添った相手を看取るとき、どんな思いがするのだろう。
誰かを愛すること、誰かと寄り添うこと、それはとても幸せなことではあるけれども、残酷さを併せ持つ。けれども、その悲しみに耐えられる力が愛することにはあったのかもしれない。ばあちゃんはいつも気丈だった。誰もが認める辛抱強い女性(ひと)だった。その分、あのときの涙が重たかった。

「神さんはちゃんとわかってるんだよ」
留学する前に、じいちゃんに会わせてくれたこと、ちゃんと見送れたこと、ばあちゃんの強さをみたこと、お父さんとお母さんに会えたこと。すべてに感謝して、浅田ばあちゃんの言葉に初めて神の存在を感じて。
寛子はここで、しばらく頑張ろうと思う。

31/08/05

じいちゃんが死んだこと1 

2005年08月31日(水) 20時17分
 今日で8月も終わる。ドイツに行くことで、焦りや不安が入り混じっていた月だったが、反対に、ゆっくり過ごした時間でもあった。そんな中、ちょうど一週間前の出来事だ。
 じいちゃんが死んだ。そうだ、まだ一週間しか経ってなかったのか。この一週間はとても長かった。
 
一報を聞いて、旭川に駆けつけるまで1日もかからなかったのに、やっぱりとても長かったんだ。知らないことばかり訪れるお葬式も、見たことがない親戚の顔も、更にそう感じさせる要因になった。

最初に会ったおじいちゃんは寛子を固まらせた。お父さんが「ほらじいちゃんに会って」って。「こんなに冷たくなって」って言った。私の涙はそのときが初めてだった。どうしてだかわからない。ただ、今まで生きていた人が、たった一人が、この世を去った。それだけのことだったけれども、その現実に直面して、涙を流さずにはいられなかった。彼と私の間に強いキズナがあったとは思えない。同じ血が流れていて、6番目の孫。それだけ。ただ、それだけ。
それでも、彼の人生を思うとき、父と彼の関係を思うとき、それは特別な感情へと変化した。
おじいちゃんの体をきれいにする時、右頬を拭いた。これまでで、一番近づいた気がした。隣でおばちゃんが「じいちゃんかっこいいよ」って言ってた。何だろう。寛子はじいちゃんの顔見えなくなりそうだったのに。
納骨のときには人の骨を初めて見た。じいちゃんの骨かと思うと手が震えた。
きっと一番力を入れていた右の骨盤をしまった。彼は戦争で右足を落としていたから。
戦争のことや、棺に巻かれた日章旗のこと、海兵のこと、いろいろ考えたけれども、一番胸に残るのはじいちゃんのことよりも、ばあちゃんのことだった。

 

ホストファミリー 

2005年08月30日(火) 20時22分
29日からにケルンのユーロセンターに通っています。
ホームステイ先にはおばあちゃん一人で、他の留学生はいないみたい。部屋も寛子のとおばあちゃんのしかないし、あとはリビングとキッチンだけ。洗濯もしなくていいって言われたし、バスタオルとかいろいろ揃えてくれたし、いいところです。だって、路面電車の駅が目の前なんだもん!これはいいでしょ!!
あと、いろんな言葉を教えてくれようとします。だから、ご飯を食べるときは、辞書持ってきてって言われるの。やさしいよ。
最初は、全然話せなかったんだけど、徐々に3月のときの感覚が戻ってきました☆おばあちゃんは英語を話さないのか、話せないのかわからないけど、ドイツ語だけだから、余計にいい。

おばあちゃんはいろいろ話してきてくれる。日本人がいっぱいいても日本人とばっかり一緒にいたらダメだよって言われた。笑 犬はでかいけど、黒くてやさしいから、大丈夫です。黒いもの好きだから。
昨日はおばあちゃんの説明だけで朝、一人で学校に行ったの!!ボンのときはみんないたし、もっと近かったのに、ちょっと不安だったけど、何とか着けた。

Gut Flug!! 

2005年08月29日(月) 20時14分
8月28日−8月29日
KLMベルギー国際空港KL862便10時15分

一人でたどり着けるか心配だった。が、東京発の飛行機だから、日本人はそれなりにいるのが当たり前だった。12時間のフライトはあっという間で、一人の時間はとても早く過ぎるものだと初めて気づいた。アムステルダム空港で、入国審査に時間がかかり、ケルン行きのフライトにぎりぎりで、不安だったが、日本人の男の人に話しかけて、何の問題も解決しなかったけれども、安心した。
ケルンでは出迎えの運転手さんがちゃんといて、お家まで送り届けてくれた。
ホストファミリーはおばあちゃん。。。というイメージ以外まだわからない。それは、私が話せないということと大きく関係していると思う。人間性が見えないからだ。
日本人は大抵少し話せば、どんな人か分かる。けれども、おばあちゃんとは話ができないから、その言葉にどんな意味があるのか分からないから、どんな人かまだわからない。まだ。
犬は黒い。レディと呼ばれているから、きっと名前は“レディ”というのだろう。
ドイツは秋。乾燥していて、お肌が怒っている。そのうちピキピキ割れてしまいそうだ。朝はとっても寒いのに、お昼になると太陽がそばでギラギラ笑っていた。そんなにしなくてもいいのにね。女心と秋の空は、ドイツでも同じみたい。

あ、雪虫がいる。
29/08/05

後頭部ハゲ 

2005年08月10日(水) 19時06分
 髪の毛の少ない私は、「ハゲ」という言葉に少々敏感である。より多く見せるように努力を欠かすことは出来ない。最近は、黒髪にしてパーマをかけ、茶髪のストレートよりは確実に髪の毛は多い。と、勝手に思っている。
「禿(はげ)」 @毛髪が抜け落ちた状態。また、その部分。
         A禿頭。また、その人。
         B山などに樹木のないこと。禿山。
 
 私には、1歳になる姪が2人いる。明依(めい)ちゃんと実結(みゆ)ちゃん。この夏、二人は初めて顔を合わせたらしい。お兄ちゃんの長女のめいちゃんとお姉ちゃんの次女のみゆちゃん。歳が同じだけに、よく比較されてしまう。
 最も比較された部分は、髪の毛の量。みゆちゃんはM字型のおでこをしたはげである。めいちゃんのほうが早く生まれているため、ある程度の髪は生え揃っているけれども、めい母曰く、「後頭部ハゲ」らしい。いじわるな寛子おばちゃんは、私より髪の毛少ないといいなーと思ってみたりした。
 
・・・でも、「後頭部ハゲ」ってなんだろう??
 サザエさんに出てくるワカメちゃんは、後頭部を剃りあげていませんか??あの状態も「後頭部ハゲ」に当たるのかなぁ。。。
 小さい頃、お父さんと行った床屋さんで、「ワカメちゃんみたくしてください」って言ったら、とっても変な髪形になっちゃた記憶がある。テレビで見るとショートカットの中では女の子らしくてかわいいって思ったのに、現実には違っていました。
 今になって考えてみると、サザエさんの時代背景は昭和で、髪型もその頃流行ったに違いないものなのに、小さい頃はそんなことも知らずに床屋さんに注文していたのかと思うと、何だかおかしな話だなぁ。今はそれなりに女子大生で、美容室に通って、ハゲとバレないように一生懸命なのに、小さい頃は自ら後頭部ハゲになってみたりして。しかも昔の髪型に。
 
 あの頃の寛子はワカメちゃんの何に憧れてたのかと考えてみると、髪型じゃなくて、ワカメちゃんの女の子らしさとかかわいさにだったんだろうなぁって思いました。それが足りなかったその頃の寛子ちゃんは、その髪型がたまらなくいやで、鏡を見ない日が続いたのでした。

札幌の実家にて 

2005年08月08日(月) 22時49分
今日からブログを始めることにしました。
というのも、8月27日からドイツに留学するから。
自分で感じたことを少しでも残しておきたいなと思います。
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