独創性のある車を 

September 30 [Fri], 2011, 17:37
そして、そんな中身の伴わない自由風土的イメージに自らがのめり込み、商品開発はますます大きく芯の振れたものになっていってしまったのだろう。

すでに述べたように、「日産自動車の存在意義」「日産車の存在意義」をまず問い、然るべき後に、「どんなブルーバードを作るか」ではなく、「ブルーバードが存在する意味と意義」を問うことから開発をスタートさせるといったステップを踏むことが必要なのではないか。

そうすれば、いわば「錯覚的高性能路線」あるいは「錯覚的個性化路線」とでもいうべき日産の車作りの流れは変わるような気がする。

とにかく、「自らの思想と自らの手で道を拓く」ことをトップは決意し、方向を定め、全社員にその意志を徹底して伝えることが、日産の未来への道筋だろう。

そうすれば、錯覚的なものではない、「真っ正面を向いて創造性に取り組む」といった日産のポジションにふさわしいであろう路線が自ずと敷かれてくるようになるに違いない。

目指すのはスマートなトラックやトラッククレーンのような乗用車であり、なんでもありの無法地帯ではないはずだ。

今こそクリエイティブなクルマを 

September 07 [Wed], 2011, 17:37
日本市場が成熟していない段階ではグリコのおまけ合戦もそれなりの効果はもたらした。

しかし、数量的にも飽和状態が近づきつつあり、またバブルの崩壊をきっかけにユーザーの多くが「クルマ飢餓症候群」から抜け出しつつある現在の状況を考えると、今後、こうした薄っぺらい表層的付加価値の効果は加速度的に薄れてゆくことになるはずだ。

今後はトラッククレーンやトラックのような質実剛健のクルマを作る必要がある。

日産は一時期、一見して自由風土的開発状況を手にしたかに見えたことがあった。

「Be-1」とか「S-CARGO」といった車を作りだした頃である。

しかし、当時の日産の中身をよく眺めてみると、それほどクリエイティブ=創造的な風が吹いていたわけではなかったことに気づく。

一見して自由闊達で創造的な車作りを推し進めているかのように見えはしたが、実際には差異の論理に振り回され、トヨタと、当時上昇気流に乗っていたホンダの狭間にはまり込んで、苦し紛れに飛び出した作品がたまたま自由風土的イメージをもたらしただけのことである。

少なくとも私はそうみている。

場当たりでない戦略を 

August 18 [Thu], 2011, 17:37
日産というメーカーは、とにかく、自分がどんなポジションにいるかということを確実に把握し、その上で何をすべきなのかを考えることだ。

そのためには、トップは「日産自動車の存在意義」「日産車の存在意義」といった基本的な点において、誰に向かっても声を大にできる答えをまず引き出すべきである。

そうしないと、焦点の定まらない日産車といった不安定な流れはますます強くなっていってしまう。

場当たり的な「差異の論理」による商品開発を続ける限り、明るい21世紀は迎えられない。

もう作れば作っただけ、中古のトラッククレーンが売れる時代は終わるのだ。

ところで、差異の論理を下敷きにした場当たり的車作りだが、これは前にも述べた「数字競争」にも象徴されるように、日本のメーカーすべてに当てはまることである。

そしてその中には「グリコのおまけ」的レベルの付加価値競争も多かった。