三沢さんとのお別れ・・・
July 05 [Sun], 2009, 2:23
ディファ有明で行われた、三沢さんのお別れ会に行ってきました。
この種のお別れ会は、ジャイアント馬場さんの時以来、2度目。
有楽町線で豊洲まで行き、ゆりかもめに乗り換えるのですが、改札口で「三沢選手お別れ会の列はかちどき橋まで伸びています」の案内が。
「かちどき橋って・・・?」と思いつつ、ゆりかもめに乗り込みます。
最寄り駅の、有明テニスの森駅は3つ先。
しかし、
新豊洲駅到着前に、もの凄い人の列を見つけて「あれか!」
新豊洲駅で下車して、その列の最後尾を目指して歩きます。

列の最後尾は「かちどき橋」ではなく、「晴海大橋」の真ん中でした。
ここから、ディファ有明まで長蛇の列。。
ただ、動きは早くて30分くらいで、有明テニスの森手前の橋まで移動出来ました。目の前にディファ有明。
しかし、ここからが長かった。。。

ここからほとんど牛歩状態になり、、、
ディファ有明の入り口に到達するまで1時間。
その間にも、最後尾目指す人が結構いました。
一般献花は14時から18時なのですが、ディファ有明の入り口に入った時刻は18時でした。
そういえば、ディファ有明に来るのは初めての事です。
NOAHの本拠地なのですが。。。
会場入り口前に記帳台があり、名前を記帳します。
このテントの上で、森嶋選手とジョー樋口が話してました。
ジョー樋口(元レフェリー)を見るのも、かなり久しぶりだし、森嶋も新人の時以来だし。。

会場入ってすぐに、三沢さんのパネル展。
全日本時代〜NOAHに至るときの写真が。。。

通路を抜けて、アリーナへ。
初めて入るディファ有明。後楽園ホールよりも狭いんですね。
献花台のリングがあり、その後ろにお花。その上に、
GHCヘビーのベルトを巻いた三沢光晴選手の遺影。
6月13日の夜に「三沢急死」のニュースを見て以来、
今日まで自分の中では未だに三沢選手の死を受け止められていなかったのですが、
この献花の瞬間に、ようやく三沢さんの死を受け止められました。
本当に、死んじゃったのか・・・と。

献花後にアリーナを出るとき、名前分かったのは
永源遥、井上雅央、本田多聞、菊池毅、小川良成、斉藤彰俊・・・などの各選手が来場者に黙礼。

三沢さん、、、、ホントに亡くなったんですね。
全日本プロレス時代、2代目タイガーマスクとして活躍。
天龍他の大量離脱後の、三沢がタイガーマスクのマスクを脱ぎ取るシーンは、未だに忘れられない。
「タイガーマスク、マスクを脱いだー。タイガーマスク、マスクを脱いだー。・・・・三沢・・として・・」という実況アナウンサーの叫びは未だに。
フェイスロックでジャンボ鶴田から日本人として初めてギブアップを取った試合。
Sハンセンに勝利して、初めて三冠のベルトを巻いた試合。
川田の超世代軍離脱後の、川田との三冠名勝負。
中でも、1994年6月の三冠戦において放った「タイガードライバー'91」の戦慄。
その後トップに躍進してきた小橋健太との名勝負数え歌。
など・・・・・。
超世代軍〜NOAH旗揚げ後にかけて、
ずっと見てきましたからね〜。
プロレスは物心つく前から全日本プロレスだけを見てきたし。
最後に三沢選手の試合を生で見たのは、
2002年2月の日本武道館大会が最後でした。
この後しばらくしてから、プロレスを見なくなって今に至ります。
別にプロレスが嫌いになったわけではなく、
ただ、なんとなく見たいとは思わなかっただけ・・。
小橋ファンは全日時代からずっと変わらずですし。
たまに、週刊プロレスは見ていましたし。
春頃に、
久しぶりにプロレスを観に行きたいと思うようになり、
NOAHの試合を見に行こうと思っていた矢先の、
三沢さんの急死でした。
なんか、ぽっかり穴が空いたような感じ。
「スパルタンX」が流れる前から会場内に響き渡る「みさわ」コール。
眼窩骨折しても、肩を脱臼してもリングに立った三沢。
週刊プロレス主催興行で、初めて東京ドームで試合した三沢。
タイガースープレックス、タイガードライバー、エルボー、エメラルドフロウジョン・・・・。
試合中に眉毛の汗を「ピッピッ」と飛ばす仕草・・・。
もう、二度と見られない・・・。
三沢さん、
あなたの姿は一生・・・忘れません。
天国から、、
馬場さん、鶴田さん、橋本真也さんらと共に、これからのプロレス界を、
そして、NOAHのこれからを見守っていてください。

この種のお別れ会は、ジャイアント馬場さんの時以来、2度目。
有楽町線で豊洲まで行き、ゆりかもめに乗り換えるのですが、改札口で「三沢選手お別れ会の列はかちどき橋まで伸びています」の案内が。
「かちどき橋って・・・?」と思いつつ、ゆりかもめに乗り込みます。
最寄り駅の、有明テニスの森駅は3つ先。
しかし、
新豊洲駅到着前に、もの凄い人の列を見つけて「あれか!」
新豊洲駅で下車して、その列の最後尾を目指して歩きます。

列の最後尾は「かちどき橋」ではなく、「晴海大橋」の真ん中でした。
ここから、ディファ有明まで長蛇の列。。
ただ、動きは早くて30分くらいで、有明テニスの森手前の橋まで移動出来ました。目の前にディファ有明。
しかし、ここからが長かった。。。

ここからほとんど牛歩状態になり、、、
ディファ有明の入り口に到達するまで1時間。
その間にも、最後尾目指す人が結構いました。
一般献花は14時から18時なのですが、ディファ有明の入り口に入った時刻は18時でした。
そういえば、ディファ有明に来るのは初めての事です。
NOAHの本拠地なのですが。。。
会場入り口前に記帳台があり、名前を記帳します。
このテントの上で、森嶋選手とジョー樋口が話してました。
ジョー樋口(元レフェリー)を見るのも、かなり久しぶりだし、森嶋も新人の時以来だし。。

会場入ってすぐに、三沢さんのパネル展。
全日本時代〜NOAHに至るときの写真が。。。

通路を抜けて、アリーナへ。
初めて入るディファ有明。後楽園ホールよりも狭いんですね。
献花台のリングがあり、その後ろにお花。その上に、
GHCヘビーのベルトを巻いた三沢光晴選手の遺影。
6月13日の夜に「三沢急死」のニュースを見て以来、
今日まで自分の中では未だに三沢選手の死を受け止められていなかったのですが、
この献花の瞬間に、ようやく三沢さんの死を受け止められました。
本当に、死んじゃったのか・・・と。

献花後にアリーナを出るとき、名前分かったのは
永源遥、井上雅央、本田多聞、菊池毅、小川良成、斉藤彰俊・・・などの各選手が来場者に黙礼。

三沢さん、、、、ホントに亡くなったんですね。
全日本プロレス時代、2代目タイガーマスクとして活躍。
天龍他の大量離脱後の、三沢がタイガーマスクのマスクを脱ぎ取るシーンは、未だに忘れられない。
「タイガーマスク、マスクを脱いだー。タイガーマスク、マスクを脱いだー。・・・・三沢・・として・・」という実況アナウンサーの叫びは未だに。
フェイスロックでジャンボ鶴田から日本人として初めてギブアップを取った試合。
Sハンセンに勝利して、初めて三冠のベルトを巻いた試合。
川田の超世代軍離脱後の、川田との三冠名勝負。
中でも、1994年6月の三冠戦において放った「タイガードライバー'91」の戦慄。
その後トップに躍進してきた小橋健太との名勝負数え歌。
など・・・・・。
超世代軍〜NOAH旗揚げ後にかけて、
ずっと見てきましたからね〜。
プロレスは物心つく前から全日本プロレスだけを見てきたし。
最後に三沢選手の試合を生で見たのは、
2002年2月の日本武道館大会が最後でした。
この後しばらくしてから、プロレスを見なくなって今に至ります。
別にプロレスが嫌いになったわけではなく、
ただ、なんとなく見たいとは思わなかっただけ・・。
小橋ファンは全日時代からずっと変わらずですし。
たまに、週刊プロレスは見ていましたし。
春頃に、
久しぶりにプロレスを観に行きたいと思うようになり、
NOAHの試合を見に行こうと思っていた矢先の、
三沢さんの急死でした。
なんか、ぽっかり穴が空いたような感じ。
「スパルタンX」が流れる前から会場内に響き渡る「みさわ」コール。
眼窩骨折しても、肩を脱臼してもリングに立った三沢。
週刊プロレス主催興行で、初めて東京ドームで試合した三沢。
タイガースープレックス、タイガードライバー、エルボー、エメラルドフロウジョン・・・・。
試合中に眉毛の汗を「ピッピッ」と飛ばす仕草・・・。
もう、二度と見られない・・・。
三沢さん、
あなたの姿は一生・・・忘れません。
天国から、、
馬場さん、鶴田さん、橋本真也さんらと共に、これからのプロレス界を、
そして、NOAHのこれからを見守っていてください。

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