安部龍太郎氏の畢生の大著『等伯』(日本経済新聞に連載中)

May 07 [Mon], 2012, 12:57
昨年1月22日から日本経済新聞の朝刊で1年間の予定をすでに越えて連載されてきた、安部龍太郎氏の等伯も、いよいよ最終場面を迎えています。
〈最終章までのあらすじ〉等伯の息子久蔵が築城中の名護屋城から転落して亡くなった。
狩野派の仕業ではないかと疑う等伯は、秀吉に詮議を訴えたところ怒りを買い引っ立てられることに。
だが、近衛前久の仲介で、秀吉の目にかなう株式会社ドリーム わいわい絵を描けば処刑をまぬがれることになった。
いよいよ松林図屏風を描く場面に。
振り返って2年前が長谷川等伯没後400年。
安部龍太郎氏は等伯ゆかりの京都に仕事場を借りて、満を持して長編小説等伯の新聞連載を開始したのでした。
最終章にきて相次ぐ急展開。
怒涛の筆運び。
4月30日付は煩悩即菩提。
ここから松林図屏風とは何か。
これまで誰も言ったことのない、〈虚空会の儀式である松林図〉をめぐるスリリングな思想的追究が始まる。
5月1日付の日経連載等伯第454回は、前代未聞の故に耳目を驚動です。
〈曼荼羅としての松林図〉、対境としての一幅の松林図という展開の緊迫感。
いまだかつてない等伯ショック長谷川等伯は没後400年の沈黙を破り、安部龍太郎の妙筆を得て、ここから新生する。
筆先に長谷川等伯が乗り移ったかのようです。
4月30日の煩悩即菩提から5月1日には虚空会の儀式境智冥合B本覚の如来であることが分かれば、大宇宙の高みで法を説かれる釈迦如来と多宝如来の虚空会に加わることができ、やがてはすべての仏が自分だということに気付く。
お題目はそこに至る乗り物である山水図の中心をなす雪山と霧に煙った松林を、あらたな気持で描き始めた。
雪山こそ釈迦如来と多宝如来。
そこに向き合う松は諸仏であり庶民であり、他界して魂となった者たちである。
そしてこの絵が人を悟りにいざなう曼荼羅であり、自分そのものなのだ。
5月1日付の連載第454回より等伯は四枚の紙を横にならべ、一番前に立つ二本の松を描いた。
冬なお豊かに葉を茂らせてたたずむ松は、養父宗清のようである。
そのよこに静かに寄り添う松は養母の妙相である。
5月3日付の連載第456回より爾前の経経の心は、心の澄めるは月の如し、心のきよきは花の如し。
法華経はしからず。
月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり白米一俵御書。
ここまでくれば等覚一転名字妙覚で、もう分かりますからね。
法華経のエッセンス、曼荼羅本尊に到達した、絵画と文芸表現をめぐる、日本文学史上の傑作かと。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:hni6zqax57
読者になる
2012年05月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
Yapme!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/hni6zqax57/index1_0.rdf