手首から血を流す綾子に驚く純子。
邦代が悲鳴を上げる。辻は立ちすくんだまま何も出来ない。
綾子が再び手首にナイフを当てようとしたその時、
純子が駆け寄り、その手首を掴んだ。
綾子の手からナイフが落ち、辻と邦代の足元へと転がる。
そして珠彦が駆けつけた時、
純子は綾子の手首にハンカチを巻きつけていた。
純子「しっかりして!」
純子にすがり付いて泣く綾子を、純子はしっかりと抱きしめて言う。
「大丈夫よ。私が命をかけて守ってあげる!」
玄関。
綾子を診た医者が帰りがけに辻に言う。
「傷は大した事はありませんが、
興奮状態がひどいので鎮静剤を打っておきました」
辻は二階を心配そうに見る。
ベッドで寝ている綾子がうわ言のように「純子先生」と言う。
純子は包帯の巻かれた手を握ってそばに付き添っていた。
純子「ここにいるわよ、綾子さん」
綾子が弱弱しく目を開けて言う。「ごめんなさい」
優しく首を振る純子。「もういいの。眠って」
綾子は小さく「ありがとう」と言い、再び眠りに落ちた。
純子は綾子に初めて「先生」と呼ばれた事に喜びを覚える。
夜。
辻が客間で純子に言う。
「今回の事で、やっとふんぎりがついた。
綾子が死ぬほど学校が嫌なら、もう無理強いはするまいと。
あの子の好きなようにさせてやる。
家にずっといたければそれでも構わない。
君の綾子への接し方で気付いた。
あの子のあるがままの姿を受け入れてやるのが真の愛情だと。
私はこれまで、綾子と真正面から向き合っていなかったのかもしれない。
いや、どう接していいのか分からなかったというのが
本当のところかとも思う。
妻が亡くなって子育てに自身の無い私は
事業に没頭して子供達を避けていたのかもしれない。
君にだけ綾子を押し付けていた自分を反省している」
純子は辻の話を黙って聞いている。
辻「君は、すごいな。
血を流す綾子をためらいもなく抱きしめてくれた。
きっと君は、理屈よりも愛情で人と接するから
あんな風に傷ついた人間を抱きとめることが出来るんだと思う。
綾子は無事に帰ってほっとしたものの、
顔をみた途端頬をぶっていた。
初めてだよ。あの子に手をあげてしまったのは。
でも不思議なもんだ。その事については後悔していない。
あの子ときっちり向き合えた気がする。
久しぶりに娘の肌のぬくもりを感じた瞬間だった。
あれほど熱くなれた自分が、なぜか嬉しかった。
娘の幼い頃は抱いてやったりもしたのだが、年頃になると
父親というのは、娘を抱きしめてやることも出来ない。
情けない話だ。
愛情はあるのに、それをどう表現すればいいか分からない。
もっと早くこういう気持ちになってやれば、
綾子をあそこまで追い詰めることはなかっただろう。
綾子の体調が回復したら、今度はちゃんと向き合って、
私の気持ちを伝えるつもりだ」
その日、純子は寝ずに綾子の傍で朝を迎えた。
美術室でマリが純子に言う。
「今日も綾子さんお休みでしたね」
純子「そうね」
マリ「一度綾子さんの家に伺ってもいいですか」
純子「きっと喜ぶと思うわ」
自分が不登校だったことを考えて綾子を思いやるマリ。
理事長室で純子は辻に言う。
「このまま下宿させていただいていいのでしょうか。
元々私は綾子さんを学校に通わせるということで
下宿させていただきました。
しかし綾子さんを学校に通わせないというのであれば、
私が辻家でお世話になる理由が無くなります。
私は綾子さんとちゃんと向き合いたいんです。
どうか、綾子さんの傍にいることを許していただけないでしょうか」
頭を下げる純子に辻は言う。
「今の綾子に君は必要だ。
・・・いや、私だって必要としている。
父親の愛情だけでは補いきれるものではない。
子供には父親と母親が違った愛情を注ぐのが望ましいでしょう」
辻は立ち上がって言う。
「君なら、母親のいないあの子の寂しさを理解し、守ってくれる。
結果的に母親代わりを頼むようで、
君には負担をかけすぎてしまうかもしれないが
私に協力してほしい」
純子「精一杯、力を尽くしてみます」
綾子がベッドで上体を起こし、
包帯の巻かれた手首をみていると
そこに邦代がメロンを持って入ってきた。
邦代「綾子さんの大好物を持ってきたのよ」
綾子「食べたくない。出てって」
邦代「まあ。人の好意は素直に受け取るものよ」
綾子「いらないって言ってるでしょ」
邦代「冷えてて美味しいわよ」
綾子「お願いだから、ドアを開けるときはノックして」
邦代「何を水臭いこと言ってるの。私はお母様の妹じゃないの」
綾子は語気を強める。
「お母様はノックをしなかったことは一度もないわ!」
邦代は驚きながらも笑顔で言う。
「分かったわ。これからはノックしてから入るわね」
邦代はベッドの端に座って言う。
「綾子さんは、純子さんの事をどう思ってるのかしら」
綾子は口を閉ざす。
邦代「あの人に辻家をかき回されたくないのよ。
綾子さんや珠彦さんの為を思って言ってるのよ。
今回の件だって、全ては純子さんのせいでおきたことじゃありませんか。
あの方には早々に出て行ってもらうつもりですのよ。
辻家はまた穏やかな暮らしが戻ってくるでしょう。
私が綾子さんを命を賭けてお守りするから、安心してちょうだい」
邦代はそう言うと部屋を出て行った。
綾子はベッドから出ると、
机の上に置いてあるカオリの日記帳を手にした。
純子の部屋。
日の光がまぶしく部屋に差し込む。
純子は引き戸を開けると、庭に小さな小菊が咲いているのを見つけた。
道也の診療所に小菊を飾ったことを思い出して微笑む純子。