人を好きになったことは無いのかと聞かれ、道也が口を開く。
「かつて好きになった人はいたけど、今はなんとも思っていない」
その言葉にショックを受ける純子。
綾子が言う。「純子先生のこともお聞きしたいわ。
先生も、誰かを好きになったことはあるんでしょ?」
黙っている純子に珠彦が声を掛ける。「純子さん?」
純子「・・・何のことです?」
質問をはぐらかした純子に邦代が怒る。
「何て無作法な!ディナーは洒落た会話を楽しんで戴くものですのよ。
マナー知らずの人が混じると、せっかくの晩餐が台無しですこと」
純子が謝る。「すみません」
その時、純子のナプキンが膝から下へ落ちた。
拾おうとした純子より早く、道也の手がそれを拾う。
邦代がまた怒る。「お客様にナプキンを拾わせるなんて、
恥知らずもいいところですわね!」
道也は邦代に言う。「どうかお気になさらないで下さい」
邦代「本当にごめんあそばせ。
育ちの悪い使用人をこの席に誘った私が愚かでしたわ」
珠彦がたしなめるように言う。「叔母さん!」
部屋で純子は、野菊を見ながら道也の言葉を思い出す。
『かつて好きになった人はいたけど、今はなんとも思っていない』
純子の苦悩が増す。
翌日。
放課後、純子が廊下を歩いていると
向こうから道也が歩いてきた。
挨拶をする道也。
「やあ。今日は校医として予防接種にきました」
純子が会釈をすると、そのまま道也は通り過ぎようとした。
道也を呼び止める純子。
「済んでからで結構です。美術室にいらして下さいませんか」
道也「分かりました」
美術室でじっと待つ純子。
廊下から足音が聞こえてくると、純子は不安そうに扉を見た。
道也が中に入って来る。
純子「いらしてくれたんですね」
道也「何か用?」
純子「どうしても、ご報告とお礼を申し上げたかったんです。
道也さんが置いていってくれたお金で上京し、
師範学校に入り直し、教師の資格を取ることができました。
ありがとうございます」
頭を下げる純子に、道也は笑顔を見せずに言う。
「僕は何もしていない。貴女の頑張りで夢をかなえたんだ」
純子「貴方の援助があったからこそです。
どんなに感謝してもしきれません。
そのお礼を申し上げたくて、貴方に会える日を待ってました」
道也は椅子に座る。
純子「6年前、突然いなくなってしまったのは何故でしょうか?
お会いしてドイツに留学すると言っても私は反対しなかったと思います。
置き手紙ではなく、直接話していただきたかった。
私と会わずにドイツに行ってしまった理由をお聞かせ願えませんか」
口を閉ざす道也。
純子は寂しそうに言う。
「・・・私への愛が、消えてしまったからですか?
どんな風に言われても構いません、本当の事を教えて下さい」
道也は純子を見て言う。「僕とのことは忘れてほしい」
純子のその言葉に打ちのめされる。
道也が立ち上がって美術室を出ようとすると、
扉からマリが入って来た。
「すみません、忘れ物しちゃって」
会釈をして美術室を出る道也。
廊下を歩くその後姿を、綾子が見ていた。
綾子は振り返り、美術室の中の純子の姿を扉の隙間から見る。
その目には、純子と道也への疑惑が浮かんでいた。
夜。純子は部屋で、道也の言葉を思い出す。
『僕とのことは忘れてほしい』
純子がふと振り返ると、扉を開けて綾子がそこに立っていた。
綾子は冷たい表情で言う。「純子さんて怖い人ね。
私も、見たわよ。美術教室で道也さんと二人で会ってたでしょ。
・・・何を話してたの?知り合いだったの?
道也さんに聞きに言ったけど、知り合いじゃないって言うし。
でも知り合いじゃない二人がどうして美術教室で
こそこそ会ってたりするの?!本当のことを言って」
黙っている純子の前に、綾子が歩み寄って言う。
「道也さんを自分の恋人にしようとして誘惑してたのかしら?」
純子「それは違うわ!」
綾子「貴女が廊下で道也さんに声を掛けているところを
見たって友達もいるのよ。
道也さんの事は信じられるけど、貴女の事は信じられない!
貴女私になんていったか覚えてる?
命を掛けて守ってあげる。そう言ったんじゃない!
その貴女が、私の大切な人を横取りしようだなんて。
絶対に許せない!
・・・ねぇ、黙ってないでなんとか言って!」
辛そうに目線を落とす純子。
綾子「貴女と道也さんがどういう仲か知らないけれど、
いずれ、あの人は私と結婚するんだわ。
今まで信頼してきた私がバカだった。
もう二度と貴女を信じたりしない!」
部屋を出て行く綾子。
純子はどうすることも出来ず、苦しい顔をした。
理事長室で道也が辻に言う。
「これからは辻さんのご助言をいただいて、
堂本病院再興に向け努力したいと思います」
辻「お力になれるといいんですが」
道也「病院が人手に渡ろうと知ってからなんです。
父の病気が急に悪化したのは」
辻「お父上のご胸中は痛いほど分かります。
家を継いで行くというのは荷が重いものなのですよ。
堂本病院の経営に協力するための交換条件と言っては何ですが、
道也くん、珠彦の後見人として力になってやってくれますか。
珠彦は理屈は達者だが、人間としてはまだまだ若い。
お願いします」
道也「精一杯努力します」
辻「それと・・・今回は、綾子のことではいろいろと。
言いにくい事なんですが、今回のビジネスは
綾子の事とは別問題と考えていただきたい。
娘をもらってもらうために融資するとは考えないで戴きたいんです。
綾子を幸せにしてやっていただきたい。
それだけが私の願いです」