槐は鍵を類子の手のひらに置こうとすると、
すかさずその腕を取り、類子の身体を引き寄せた。
驚きに満ちる類子の目。
槐は類子の背中を抱き、その目を間近に見つめる。
類子が身体を離そうとしても、槐はその手に力をこめて許さない。
類子「・・・何の真似?!」
槐「・・・覚えてるだろう?丁度同じ、この部屋だった」
・・・類子が不破から買い与えられたこの部屋で、
類子は槐の目を見つめて言った。
『貴方はこれでいいの?このまま私があの男と結婚して、
貴方は平気なの?槐』
槐『俺は愛だの恋だの、そんな物は信じちゃいない』
類子『やはり、愛よりお金ってわけ・・・』
槐は掴んだ類子の手に力を入れる。
「あの時、こうしてお前の手を掴んでれば、
そうすれば、今頃俺達は・・・」
類子「よして!そんな、心にも無い事・・・」
類子は槐の目を見て言う。
「分かってるのよ、貴方の魂胆は。
そうやって私を罠にかけて、また不破を殺させようとでもするつもり!?」
槐「違う!そうじゃない!」
類子は槐の手を振り切って言う。
「だったら、証拠を見せて!」
槐「・・・証拠?」
類子「ええ。とても簡単な事よ」
類子はカウンターの電話を取ると、どこかへと電話を掛け始めた。
類子の耳元で、呼び出し音が鳴る。
背後から槐が声を掛けた。
「・・・どこへ掛けるつもりだ」
類子はその声を聞き、口元に笑みを浮かべた。
澪はアトリエで電話を取る。「はい」
しかし、電話は切れてしまう。
電話を見て怪訝な表情をする澪。
類子は既に切った電話に向かって笑顔で話す。
「もしもし。類子です。突然ごめんなさい。
私、今ね、槐と一緒なの。もちろん、二人きりよ」
槐は顔色を変え、類子の傍に駆け寄ってその電話を取り上げた。
「よせ!バカな真似は!!」
槐が弁解しようと受話器に耳を当てると、電話は繋がっていなかった。
類子の瞳が不敵な笑みに満ちる。
槐「・・・騙したのか」
槐の怒った表情を見て、類子は吹き出して笑う。
「ああ、貴方でも慌てる事があるのね!
今の貴方の顔ったら、おっかしい!」
槐「・・・タチの悪い女だな」
類子「それはお互い様よ。
大事な婚約者がいながら私を引っ掛けようなんて。
本当、男ってどうしようもない生き物ね」
類子は槐に冷たい視線を向けて言った。
「いいから、帰りなさい。可愛い澪さんがお待ちかねよ」
槐は類子に近づいて言う。
「あんたがその気なら、俺も容赦をしない。
覚悟するんだな」
槐は鍵をテーブルに置くと、マンションを出て行った。
槐の後姿から視線を反らした類子の目は赤い。
唇を噛み締めて槐の言葉を思い出す類子。
『・・・俺達は互いに金を得る為に手を組んだ。
その共通の目的の為に、心を一つにしようと誓ったんだ。
それこそが、俺達なりの愛し方。
どこにでもあるような、甘ったれた愛など求めちゃいない』
・・・類子はつぶやく。
「そうよ。愛なんて、求めちゃいないわ」
ボートハウス。
背を向けて立っている沙織に、草太が謝る。
「ごめん、この前は。
せっかく誘ってくれたコンサート、すっぽかしたりして。
この通り」
深く頭を下げる草太に、沙織が振り返る。
思い詰めたような顔で沙織はブラウスのボタンを外し始めた。
草太は驚く。「沙織さん・・・!」
沙織は草太に近づいて言う。
「私、本気よ。その事、草太さんにも分かって欲しいから・・・」
草太はそのボタンを掛けてあげながら言う。
「やめなよ、こんな事・・・よくないよ」
潤んだ瞳で自分を見つめる沙織を草太はその胸に抱きしめた。
腕でしっかりと沙織の背中を抱きしめて草太は言う。
「・・・分かったから。君の気持ちは、よく分かったから。
俺がバカだった。ごめん・・・」
草太の胸の中で、声をあげて泣く沙織。
厨房で千津が驚きの声をあげる。
「えっ!?何ですって?今なんて言ったの、草太!」
岩田が千津の顔を見る。
草太は口元をほころばせて言う。
「だから、プロポーズしたよ、沙織さんに」
岩田が立ち上がって言う。
「で、返事は?」
草太「・・・うん」
千津は草太に歩み寄って言う。
「それは、YESって事なのね?そうなのね?」
草太「と、思うけど」
千津「思うって!何頼りないこと言ってるの!」
草太「だって、分かんないよ。プロポーズなんて初めてだもん」
岩田は笑う。「そりゃそうだ。でも、おめでとう、草太。
良かったな、千津さんも」
千津「岩田さん!」
岩田に抱きついて泣いて喜ぶ千津。
そこに、百香の手を引いた類子が入ってきた。
千津「あ、奥様!草太が沙織さんにとうとうプロポーズを!」
類子は驚いて草太の顔を見る。
類子を見つめる草太に、類子は優しく声を掛けた。
「そう、おめでとう」
岩田「よし!今日は早速お祝いだ!
百香、おいで。お前も一緒にお祝いしような。
ジュース飲むか?」
岩田は百香を抱き上げてジュースを飲みに連れて行った。
千津の目の前で、草太は類子に歩み寄り、
その瞳を見つめて言った。
「俺、必ず幸せになってみせますから。貴女が嫉妬するくらい」
類子もその瞳を見つめて言う。
「ええ。是非そう願ってるわ」
草太が厨房を出て行くと、千津が類子に近づいて言った。
「奥様。例の約束、お忘れになりませんように」
類子の表情が曇る。「・・・分かってるわ」
不破の部屋。
読書をしていた不破が、類子とレイの報告を聞く。
「何?草太が柳原開発の娘と?!」
類子「はい」
レイ「あちらは一人娘だし、これで草太の将来は約束されたも同然ね」
類子「それで、あなたにお願いがあるんです。
草太の親代わりになってもらえないでしょうか」
不破「親代わり?」
類子「柳原さんのお宅は由緒ある家柄です。
草太が肩身の狭い思いをしないよう、
せめて金銭的な援助をしてあげたいと思いまして」
不破「それはつまり、俺に金を出せという事か」
類子「そうです」
不破「何でそんな事をする必要がある!
たかが使用人の息子じゃないか!」
不破はデスクに本を叩きつけて言う。
「それともお前、あいつと何か特別なわけでもあるというのか?」
不破と類子のやりとりを微笑んでみているレイ。
類子「いいえ。これは一種のビジネスです」
不破「何?」
類子「考えてもみて下さい。
柳原開発といえば不破ファイナンスにとっては大株主。
大事な取引相手であるとも聞きました。
そこの娘婿になる草太に、今ここで恩を売っておいて損はありません。
こんな事もお分かりにならないの?」
不破は立ち上がって声を荒げた。
「うるさい!小ざかしい事を言うな!」
ソファーに向かう不破を追いかけるようにして類子は言う。
「では、どうしても親代りは嫌だと仰るの?」
不破「ああ、死んでもならん!いいから行け!」
そのやり取りを、槐が秘密の小部屋で盗聴していた。
口元に笑みを浮かべる槐。
類子の部屋に戻ると、レイは言う。
「それにしてもさっきのあれ、どういうつもり?
あれじゃ恒大さんを怒らせるようなものよ」
類子「そうよ。それが狙いだもの」
レイ「へぇ・・・」
類子「あの口ぶりからすると、
どうやら草太の父親は不破ではなさそうね」
レイ「じゃ、確かめる為にわざと?」
類子「もし少しでも心当たりがあるなら、
親代わりを引き受ける気になってもよさそうなものだもの」
レイは笑う。「・・・あきれた!
でも、だとすれば、この家財産はやはり貴女一人の物ね。
他に相続人がいないんだもの」
類子はベッドに座って言う。
「だけどまだ油断は出来ないわ。
あの男がきっと何か企んでるに違うないもの」
レイ「あの男って、槐の事?」
類子「他に誰がいる?」
レイ「やっぱりね。貴方この頃、
何かって言うと槐の事ばかり口にするんだもの。
まるで、彼に恋でもしてるみたい」
類子「恋?!」
レイは類子の隣に座って言う。
「それが証拠に、近頃は宝石もちっとも買わなくなったじゃない?
それって、心が満たされてる証拠だわ」
類子の戸惑ったような横顔の、その頬を撫でてレイは言う。
「肌の色艶もうーんとよくなったみたいだし。
少し妬けるわね」
類子は微笑んで言う。「まさか。考えすぎよ」
そういいながらも類子は、少し遠くを見つめた。
槐は部屋から出ると、
ワインの空き瓶を入れてあったケースにつまずいた。
そこに入って来た草太の顔を見て、槐は笑顔で言った。
「ああ、聞いたよ。ついに婚約だって?」
草太に笑顔は無い。「まあね」
槐「これで君も、ワインを注ぐ側から注がれる側の仲間入りだな。
俺からもお祝いを言うよ。おめでとう」
草太「それはどうも。
けど槐さん、俺はあんたを仲間だなんて思ってないから。
所詮あんたは一匹狼だ。
ここをお払い箱になればまたどこかへ移るしかない。
・・・けど、俺は違う。
柳原開発というどっしり根を持った大木を、
上へ上へと上り詰めて行くんだ。
あんたがどうあがいても届きっこない高みへね」
槐「・・・それは結構。
せいぜい落ちないよう、足元に気をつけるんだな」
ワイン蔵から出て行く槐を振り返って草太は言った。
「あんたこそ、行く所が無ければ言ってくれ。
場合によっては雇ってやる」
槐「それよりこその空き瓶、もっと脇に片付けといてくれ。
歩く邪魔だ」
笑みを浮かべて言う槐を、草太は睨みつけた。
階段を昇りきると、槐は後ろを振り返る。
その視線は冷たい。
ボートハウス。
川嶋がオールを手にしてると、槐が入って来て言った。
「いらしてたんですか。すみません、お待たせして」
川嶋「約束した時間より随分早く着いたね」
槐「それはそうと、お聞きになりましたか」
川嶋「草太の事か」
槐「ええ。我々の成功を完璧なものにする為にも、
この際、柳原開発は味方に付けておいた方が得策です」
川嶋は槐に背を向け、オールを置きながら言う。
「だが、大丈夫だ。心配ない」
槐「・・・何か、策がおありのようですね」
川嶋「まあね」
槐「お聞かせ願えますか」
川嶋「それよりまず、そっちの策を聞こう。
不破社長を社長の椅子から引きずり下ろす為に、
私は何をすればいい?」
槐「それなら、実に簡単です。
川嶋さんには、出来るだけ何もしないで戴きたい」
川嶋は驚く。「何?!」
槐「近々私の手のものが、不破ファイナンスの顧客データを
ネット上にバラ巻きます。
川嶋さんは、その対応に動くと見せかけて、
その実、何もせずにしばらく放置していただきたいんです」
川嶋「そんな事をすれば会社の信用は・・・」
槐「ええ。信用はガタ落ちになり、株価も急落するでしょう。
そこを狙って、我々が買い叩く」
川嶋「なるほど。そうなれば流石に、
不破社長も責任を取って辞任せざるを得なくなるというわけか」
槐「その方向で役員会を動かすのは、川嶋さん、貴方の役目です」
川嶋「・・・いいだろう。だが、それが成功した暁には」
槐「約束どおり、川嶋さんにはお望みのポストをご用意します。
その為にも、大株主である柳原開発は重要なキーポイントです。
それが社長の側については、少々面倒な事になる」
川嶋「大丈夫だ。さっきも言ったとおり、
その辺に関しては私に任せて欲しい」
槐は川嶋に手を差し出した。
川嶋は槐の目を見て、その手を取る。
固く握手する二人。
(2/2に続く)