花韮 

March 19 [Fri], 2010, 18:33


春ですね、花韮が咲いていました。

近況報告 

March 18 [Thu], 2010, 11:20
ヤフーブログ「「隠れ里のひみ子さん」に最近は投稿しています。

こちらが留守で、ごめんなさい。

迎春 

December 31 [Mon], 2007, 22:28

暑中見舞 

August 07 [Tue], 2007, 9:15

新年 

January 01 [Mon], 2007, 10:58


本年もどうぞよろしく

よいお年を 

December 30 [Sat], 2006, 6:54

暑中見舞い 

August 04 [Fri], 2006, 11:23

うろおぼえの北京1 

August 01 [Tue], 2006, 16:59
創作  鶴野佳子 著 


うろおぼえの北京




厠所 在那儿?
 睡眠中に尿意を催したとき見る夢は、かならずといっていいほど、北京のどこかで遭遇した厠所(CPsu\)が現れる。そこは広漠として扉のかけらすら無い。何列かの溝と、湿った足元と、強烈な匂いが炸裂する。
 わたしの尿意は一時急速に引っ込むが、長続きはしてくれない。前にも増してひどくなるばかりで、夢の中で下腹部が痛みだす。
『厠所 在那儿?(CPsu\ ZHinKr)』(トイレはどこですか)
 別のトイレを夢中で探すが、やっとたどり着いたトイレは使用中で、いくらドアを叩いても出て来てはくれない。顔まで破裂しそうなほどの尿意で、ばっと目が覚める。
いつもこの調子で、夢の中は悲惨である。
 中国への旅に誘われても、悩んだあげくお断りしてしまうのはこのせいである。トイレのことを考えると、どうしても単純に同行できない。

うろおぼえの北京2 

August 01 [Tue], 2006, 16:58
        母
 母が中国で亡くなったとき、わたしは満六歳になったばかりであった。危篤の報で、父に連れられて黒い乗用車に乗せられ、知らない道を走り、病院へ面会にいった。真っ白な壁の、長い廊下を随分歩いた。左側のドアを開けて、父ははいっていき、白くて長い廊下に、わたしはポツンと置き去りにされた。
 どれくらい時間がたったろうか。やっと父が私を病室へ招じ入れた。病室の壁も、掛け布団もまっしろで、その真っ白のなかから、蝋のように白い肌の、目の大きい、うつくしい母が、白い細い手をベッドから出して、
 「よしこちゃん、ここへ、いらっしゃい」
と、わたしの手を握り、わたしを長い間見つめていた。ひんやりと冷たい柔らかな白い手であったが、そのあとの会話は、すっかり忘れたままである。
そして、それが生きた母に逢った最後となった。

うろおぼえの北京3 

August 01 [Tue], 2006, 16:57
 
        母の思い出
 北京での母の思い出は、アカシアの花よりも甘い。その当時では、まだ普及されてはいなかったであろうミシンで、すべて手造りの服を着せてもらっていた。白地に赤の水玉のワンピースは、わたしのお気に入りで、えび茶のビロードのワンピースも自慢であった。
 チャイナドレスがほしいといえば、絹の朱色の縞で縫い上げてくれた。
母は一応国防婦人会の一員で、真っ白な割烹エプロンの上に「国防婦人会」と書かれた襷を掛けて、防火訓練に出掛けた。そのいでたちをうつくしいと憧れれば、そのミニチュアも縫ってくれた。
 多分、溺愛されてわたしは育てられたのであろう。現在のこのわがままなわたしを思うに、想像に難くない。母の年齢の倍近くまで生きてしまったが、こんなわたしを母は望んだであろうか、と思うと心が重い。
 母は、わたしにとって、もっとも母らしい母であった。
 そんな母を、戦争は、奪って行った。
弟たちには、母の記憶さえないのである。せめて、弟たちに、母を返してほしい。

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■阿波野ひみ子■
■趣味/歴史文学散歩・折り紙・イラストなど道楽/文学■
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