今日は地震、明日は台風、のどきどき感 

2009年08月10日(月) 1時10分
日々の通過速度というのは、その充実度と反比例するものなのだ、
比例ではなく、たぶん。そうなんとなく。
いろんなことをするほうが、時間て足りなくて、あっという間に一日が終わっちゃいそうだけど
(一日単位で考えるとたぶんそれも合ってるけど)
意外とそんなこともなくて、起きて、働いて、帰宅、食事、ああもうお風呂で
お風呂上りの扇風機の前で気づく、もう24時間経っているのだという、この恐ろしさ。

結局のところ、過ぎ去った日々というのは、記憶でしかないのだ。

記憶の濃淡が、日々の加速度を司る。

だから、単調な日々は、加速していく。
メリーゴーラウンド。
回転木馬の、デットヒート。

そうすると、私の一生はどれだけ早く過ぎ去ってしまうのだろう。
何かを成し遂げるというのでもなく、繰り返しの中に忙殺されてしまうのだろうか。

背筋が寒くなる。

けれども、そんな日々でさえ、失うと思うとなんと愛しいことか。
ささやかな喜びと、悲しみと、期待と、裏切りと、愛に溢れた日常。
わたしの、毎日。

そういえば、発売当初から『1Q84』読んでるのですが、
上巻(4〜6月)、下巻(7〜9月)をほぼリアルタイムで読む遅読ぶり。
私の時間はどこへ逃げてしまっているんだ。

容赦なく、春 

2009年04月04日(土) 0時10分
hotmailと向き合い、広告メール云々を只管消す夜長。
気づけば未読も1,000件到達しそうな勢い。
ということは、ほぼ1年間放置状態かぁ。
毎日200ずつ消そう、そうすれば1年の怠惰も1週間で帳消し、継続は力なり。
600になったところで、本日のノルマは十分に到達し、ほっとするも束の間、
この1年まともに継続できたことがfellssimoの注文だけではと思い返し、
再び果てしない脱力感に襲われる。
どうしてか、まともに日々をちゃんとこなすことができない。
それはもう、就職してからずっと続いていることで、
テレビがつまらないから仕方ないとか言いながらも、
連続ドラマを観続けることさえもう何年もしていないわけで。

それでも、時というのはやっぱり、愛しい記憶と同時に、激しい感情も奪い去ってくれる。
心は、少しだけ硬い殻に覆われて、ちょっとのことじゃ動じなくなった。
寂しさは、もう存在ではなく記憶を失うことに起因しているように思う。

今日は、父の退職祝いと諸々を兼ねて、家族4人で居酒屋へ行った。
齢90歳のおじいちゃんが居酒屋にいるという光景は、圧巻。
それはしあわせな時間だったな、まぎれもなく。

ああ、日々は続いていく。儚い幸せや美しさ、少しの違和感を秘めて。
昨日「早稲田文学」で読んだ石渡さこという新人作家の「日々」という作品がなかなかよかった。

ペルセポリス 〜遠い世界のお話に思うこと〜 

2009年02月03日(火) 0時51分
 
年末に行った四国直島の旅も年始に行った北海道の写真も
なかなかまとめられずに時期を逸しておる中、
M氏にお借りした『ペルセポリス』&『大奥』が面白い。 
特にイラン史上初の漫画という『ペルセポリス』にどっぷり心酔し、
アマゾンにて購入。
どこがいいのかというのは、イランの衝撃の歴史を、
その内部に生きた女性の、少女の視点から描くことによる
数多くの発見と自らの無知を塗り替えるめくるめく衝撃的史実の数々。
チャドルはイスラムの伝統だと思ってたら、ここ30年で復活したものだとか・・

でもね、何が一番しっくりきたかって、
その内部にいながら、特権階級であり、革命家である主人公による
「他者の視点」。そこに共感したのだと思う。
「ロックとユーモアとちょっぴりの反抗心を胸に」の映画版キャッチコピーが
示すように、悲劇的なことを軽妙に描いているからこそ
日本という生暖かな国に生きる私が受け入れうることが出来るのだ、悲しくも。
その「現実」を。

お魚かおちゃんから、土曜のパーティーの話を聞いた。
それは、私は住むことができない、遠い国の出来事で、
直視したくてもできない、その勇気も、気力も持ち合わせていない、
そんな現実が、確かにそこにはあるはずで。
かおちゃんの言葉は、それがそこにいた大多数の人々の感想と異なっていようとも、
私がそのパーティのことを、知るのには十分すぎるくらいな言葉で、
それは、マルジの言葉と一緒だと思った。

その言葉によって、直視し得ない、愛することの出来ない現実を、
少しでも笑って受け入れられる、という意味において。

ほんの少しのユーモアと反抗心を胸に。

さよなら、ばいばい 

2008年12月02日(火) 20時33分

最近泣いたのは、益田ミリ『結婚しなくていいですか。』
あと落合恵子の講演も泣いた。
こうしてみると、フェミばりばりで“アラフォー”と呼ばれる人種のようだけど、
そういうことでもなくて。

おだやかで 幸せな日々です
これでいい
これも、また、よかった
と思う反面
結局、こうきたか と思うあたしもいる
(中略)
大学も、会社も、結婚も
選んできたのは、あたし
これから先も あたしは何かを 選べるのかな?
なぜだろう、もうなんにも 選べないような 気がするのは
さよなら、あたし、
もうすぐ別のあたしになる
(中略)
新しい幸せ
だけど、さよならしたほうの
あたしの、
あたしの人生も
「なんか惜しいってゆーか」
ずっと自分で選んできたけれど、
選ばざるを得なかったこともある

益田ミリ『結婚しなくていいですか。』

椅子になりたいなぁ 

2008年10月30日(木) 1時20分

「TOKYO!」を観てきた。
外国人の見た東京を舞台にした、3部作。
なかなかよさそうだと思っていたけれど、とてもよかった。
3つとも、それぞれに、何かが残る作品でした。

@ミシェル・ゴンドリー<インテリア・デザイン>
なんだかんだで一番好き。主人公に感情移入と自己投影、
ちょっとクリエーターかぶれ、周りとはちょっと違うものがすきだけど、
そんなの趣味のレベルで。
それでいいと思えたらいいのだけど、それで足りないと思ってしまったら、
生きる意味を、自分の存在価値をどうして満たせばいいのやら。

クリエーターの人とお付き合いするのはそれを紛らわすひとつの有効な方法で、
自分の叶えられない何かを持った人に受容される、必要とされる、認められることで
代替的に自分の存在価値を見出すという。
その人に尽くす自分もその人の夢の中に住まわせてもらっているからね、
それは自己犠牲とかじゃないくて、ひとつの自己実現のかたちなのだと思う。
東京のビルの隙間に住むお化けの世界に泳ぐことは、きっと幸せだった。
ただ、ときどき忍び寄る現実との間に生まれる違和が、彼女を椅子にしたんだと思う。
現実の世界で、何もなく、自分そのものが受け入れられる幸せというものが、
ほんとうに幸せだったらいいなぁと思う。

Aレオス・カラックス<メルド>
日本語から、フランス語へそして意味不明の肉体言語への3段階の翻訳を通して、
それぞれの文化の間で、言葉の意味が、ものの価値観が、不確かなものとなって揺らぐ。
きっと花と紙幣しか食べない彼の名の「メルド」は美しいものを意味するに違いない、
と熱弁を奮う帰り道。
考えるべきことはいろいろありそうだったけど、せりふがクール、
監督の盟友で分身とも言われてきたドゥニ・ラバンの存在感がたまらなくクール。

Bボン・ジュノ<シェイキング東京>
テーマは、引きこもりではなく、地震、であって、
何かを引き金に、起動する心、その激しい揺れであると、そんな話をしました。
でも、何よりも魅力的なのは、ピザ!!
おいしそうだった〜。というわけで、サルバトーレクオモのピザを食べに行きました。
とてもおいしかったよ。焼き鳥もある不思議なお店でした。

ピザを食べながら、レイモンド・カーヴァーの話をする。
私は「足もとに流れる深い川」が一番すきとか、そういうことを。
カポーティの「夜の木」今度読んでみよう。

毎晩、星が綺麗だな。
 

世界の裏側に触れる 

2008年09月05日(金) 21時50分

私のこぼした水がランチョンマットに広がって
それは意図せずに瞬く間に「し」の字型を成し、
どんなにがんばってももう二度とこの形を成すことはできないのだろうと、
偶然の産物に驚嘆し、でも一方では、
この水はいかなる形かを描かずにはランチョンマットの上に
存在しえないのであり、それがたまたま「し」を描くということは、
至極必然であり、「し」であるがゆえに、
「し」以外の何者にもなれない。

けれど、「し」の世界の外側には、
銀河系のように、「し」に成り得なかった
「し」以外の世界が広がっている。
そこは、とても近くて、でも決して生きることのできない世界なんだ。

世界の裏側に触れたい、少しだけ。


決して人を裏切ってはいけない理由がわかった。

大切な人を裏切ったという経験が、人を信じられなくしている。
大切な場面で、私も大切な人に裏切られるのではないかと思う。
自分がしたように、思考停止の状態で。

平たい言い方だけれど、私に与えられた最大の罰だ。

思考がようやく、働き出して、今ようやくそのことがわかった。


Hello Again 

2008年08月07日(木) 0時16分
語ろうと思う。

一年前の夏の、写真をもらった。
私は至極ゴキゲンな装いで、麦藁帽子を被り、ハイビスカスのレイを掛けて、
只管出店に並べるパインナップルを切っていた。
8月の終わりの暑い日で、職員祭の店当番を終えたら、
metamorphoseに出かける予定だった。

けれど、私は行けなかった。
店当番もできなかった。
家にも帰れなかった。

写真の私は心の底から笑っていた。最後の笑顔。
あれから一年、私はちゃんと笑えていない。

おばあちゃん、、 

2008年03月02日(日) 21時20分
おばあちゃんが亡くなってもうすぐ2年が経とうとしているね。
おじいちゃんは、がんばってるよ。
おばあちゃんの病院に毎日通ったね。今の元気に車に乗り続けているよ。
もう88歳だけどね、やっぱりいろんなところが衰えてくるけどね。

昨日は、事故しちゃってさ、田んぼにくるまが落ちちゃって、
でも無傷だったんだよ。信じられない、本当によかった。
破傷風でも生還したもんね、戦争だって。
あたしはおじいちゃんに結婚式の姿見せるのが夢だからさ、
それまで絶対元気でいてほしいよ。
95歳までがんばるって言ってくれているっておかあさんに聞いたよ。

早くしなきゃね、無力で、泣くだけで、
何もできない自分がつらいよ。なんとかしないとね。

ひさしぶり 

2008年03月02日(日) 2時24分
この一年近く更新もせずに何をしていたかというと、
裏切り、恐れ、逃げ、別れ、弱さを隠し、
嘘に慣れ、大切なものを忘れ、傷つけ、許され、愛して、愛されて、
自己嫌悪、事故も2回も起こして、
喜怒哀楽の感情の起伏と自分がしたことのつじつま合わせに追われ、
忙しく毎日を過ごしていた模様。

それで何を手に入れたかといえば何もなく、
失う、失う、失う、失うだけの徒労。

最近、他人の心の美しさに敏感になっているのは
自分が汚れていると思うからだろうか。

今日なんて、ED BANGERの特集を見ていて、
仲の良さに呆れるも憧れるも、こんなにも他者を信頼し、強い絆を持ち、
野望もなく目先にあることと欲望のままにすることが
世界規模の野望以上の成功に結びついているのだというこの事実、
なんて美しいのだろうと思ってしまったからね。

私の周りにいる人は、みんなおそろしくやさしく、心がきれい。
みんな、この年になっても、心にふわふわとしたあたたかな部分があるの、
何にも汚れていないまっさらな部分があるの。
私には見える。安心してね。

ほとんど更新されていないこのブログに意味があるとすれば、
どうか、来年の今頃、私がどこかに辿り着いていますように。
迷いなく、ただひとつのことを信じていられますように。


欲望するものがほしい 

2007年05月12日(土) 11時41分
春の匂いに咽て
今年も人より1ヶ月早く4月病を患い
初夏の陽気とともに ようやくまともに息ができるようになった

眠りながら生きる毎日の中で
溜息をつき 煙を吐き出し
それでも私は真っ当に職務を遂行した



欲望に突き動かされたか はたまた惰性か
ずっと辿り着きたかった場所には
もしかしたら何もないかもしれない

私が求めていたものは
もしかしたらもうずっと前から 私の中にあったのかもしれない

どこに向かっていけばいいのか その先に何があるのか
永遠の子どもでいたかったのに
永遠の陽だまりの中で 目を眩ましていたかったのに

そう願いながら螺子を巻いたのは私
失うことを知りながら 時を進めたのは私


2009年08月
« 前の月  |  次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
最新コメント
アイコン画像康之
» ひさしぶり (2008年03月03日)
アイコン画像みんなのプロフィール

» ブログをはじめる。 (2005年07月16日)
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:himademahi
読者になる
Yapme!一覧
読者になる