1城め 越後国村上城

September 06 [Sun], 2009, 11:33
村上城は標高135mの臥牛山の山上に築かれている。

字面の高さだけで言うとさほどのものには感じないが、日本海が程近いこともあって比高と標高の差があまりなく、この山自体がなかなか急峻である。

山上にもそこそこの平地はあるが、平素の居住空間を作るまでの広さはない。実際、近世においては山麓の居館をメインに使っていたようであるが、残念ながらそちらの遺構はほとんど残っていない。

この城最大の見所は山上ここかしこに積み上げられている石垣である。一番高い所で優に8メートルはある。それにしても、これだけ大量の石材をどこから運びこんだのだろうか。付近から調達できたにしても、この山上に運ぶのには相当な労力と時間、出費が必要であったことだろう。



村上城は中世は当地の豪族・本庄氏の城(本庄城)であった。本庄氏が上杉景勝に従って会津に去ると、越前から移ってきた村上頼勝が城名を村上と改めた。この頃から近世城郭への改修を受け、村上氏改役後に入った堀氏を経て、堀氏改役後に入った松平(結城)氏の時代に完成したという。

松平氏以降も目まぐるしい領主交代があり、最終的には18世紀の初めに入った内藤氏が9代続いて明治維新に至る。

戊辰戦争を迎えて村上藩は藩論が二分したが、庄内、米沢を背後に抱える立地、藩主の切腹などの曲折があり、最終的には佐幕派と新政府派に分裂した。

城は新政府軍の攻撃を受ける前に原因不明の火災で焼失、佐幕派は庄内藩兵と合流し、鼠ヶ関近辺でゲリラ戦を展開。約一ヶ月にわたって新政府軍を拘束した。

庄内藩降伏後、村上藩佐幕派も降伏し、家老・鳥居三十郎がその戦争責任の一切を取って切腹。享年29



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