おとつい、あゆみさんともーちゃんと、みさみさと飲んで、
昨日はお勤めに行って、アゴラで星の結び目を観ました。
今日は、15時に起きて、もーちゃんオススメのelephantを観て、読み残していた週刊マンガを読破して今にいたります。今週のモーニングは僕はビートルズが面白くなってきてます。
おとつい飲んだ時にブログ絶対更新しようと思ったのに、
正直、何を話していたのかの記憶がなくて、何を書こうとしたのか思い出せない。
モーサムと、the Bithdayを超プッシュしたことは覚えてるんだけど、
まあ、どうせやくたいもないことを喋っていたのだろう。
観劇をしていて、俳優さんがセリフをとちった時、焦りを見せるのはかっこ悪い、というか、おかしい、と思っているんだけど、昨日のわたしは焦っているのも楽しんでみていた。多分、別に観劇なんかしていなくて、本当は、そこにいる人間をみているだけなんだろうなあ、と、気づかされる。あと、あの前説が好き。あのスタイルで全公演通して欲しい。
elephantは、大学生の時にみれていたら、良かったのに、と悔しく思う。
価値観を変えただろう。
ああ、そうそう、そうです、おもいだしました。
おとついの話、あゆみさんが、わたしに、(くロひげでモノを作るときに)なにをどう考えているのかと質問してきたのです。わたしは、あゆみさんらしい大雑把で答えにくい質問だなあとおもいつつ、いつも何を考えているのか考え始めたのですが、結局彼女が手洗いに言ってしまって話が流れてしまいました。わたしは今それについて考えています。
そもそも、わたしが演出をしようと思ったのはまだぎりぎり10代の頃で、多分7月頃だったと思います。わたしの目には、くろひげが推進力を失っているように思えたからです。やりたいエネルギーだけはあるのに、どこへ進んで行ったらいいのか、何を正義としたらいいのか、わからずにいるように見えました。独善的でも、恐ろしくても、これが正義であると主張する存在が必要で、これはただしいと叫ぶ人間が、いなくては自由になれないと、あの時、わたしは思って、そうなろうとしたのが、始まりだったと覚えています。
で、質問にあゆみさん流に大雑把答えると、暮らしていく中で潰されて、しょうもないと見捨てられて忘れられて、いることをほじくり返して、突きつけたいと思っています。
前回どう思っていたのかはよく覚えていませんが、今回は、離れないでっていうのを、人をみたいです。または、歌うのをやめないで、変わらないで、いかないで、過ぎないでというのもほぼほぼ同義かと。主人公がそこに至るストーリーには興味を感じず、というか、本当は離れないでっていうのを見たいんじゃなくて、離れないでってなってしまった時の人の感覚というか、身体の中にあるものを感じたい、作りたい、感じさせたいです。色に形があるように、文字に色があるように、味に音があるように、あの瞬間の身体に満ちるものにも色が形が音、言葉、温度、ダンス、におい、リズム、演劇があると思います。のためには、先ず先ず、あの時の身体の内を見つめる作業からはいるわけで、27日からくロひげはようやくmtgを始めます。3月末といっていた公演は、どうも4月になりそうです。
でも、いくらのたまっても、俳優のセッションの前でわたしは無力を感じます。あたしが頭の中で考えることや決めてしまうことなんて生まれるものにかてっこないです。そして、そうじゃなきゃ面白くありません。
音響も照明もセッションであったらいいと思うし、演出が指定するんじゃなくてセッションの中で決まっていったらいいと思う。あたしの仕事は、感覚を共有させること、と、作品のバランスをとること、いいときに褒めるぐらいなのかなと思うわけで、アリスの頃は墓標になりたかったけど、今は防波堤になりたいです。
言葉を自分で喋れる人、せめて喋ろうと努力しているひと、自分である人、自由であろうとしている人が好きです。そうじゃない人は嫌です。
母親の従兄弟の訃報を聞きました。訃報をきくとレスリーチャンを思います。
追憶の上海を観た時、プロパガンダ映画だろうが、なんだろうが、魅く人は見る人を魅了するなあと思った人です。今、彼はしあわせにいるだろうか。あの日、携帯を買い換えた種田にあたしはなにを言えるだろうか。
抗えという言葉は空しいな。あたしは、離れないでっていいたいけど、いえない。
追伸
あゆみさんが、アルテリオでやるサンプルの公演に出演するそうです。
みなさん、ぜひどうぞ御観劇ください。