報いについての考察

April 06 [Sun], 2014, 18:56
報いについての考察。




他の人がどう考えているのかは
私にはわからないけど、


私は「報い」というものに
人より敏感に生きているのではないか、
と最近考えています。




「報い」という言葉には、
一般的に二つの意味があって


「報いを受ける」とした場合、
いけないことをした時
そのしっぺ返しが返ってくるような
悪い意味で使われる。



反対に「報われる」になると、
「努力が報われる」とか、
結果が実る、成果が出る、といった
良い意味で使われる。




私は物心ついた時から、
悪いことをしたら、
その数倍くらい
自分にとって嫌な出来事が起こると
経験をもって感じてきた。


それをずっと、
「りんごの神様が見てるからだ」と
人には説明してきたし、
それを心の底から信じている。


「りんごの神様が見てるから、
悪いことはしてはいけない。」


そして悪いことが続くと
りんごの神様が怒ってる、
「自分が無意識に、
りんごの神様を怒らせるようなことを
しているんじゃないか」
と考える。


だから、
りんごの神様を
怒らせるようなことをしてはいけない、
と、自分の行動を制御してきた。


でもそれってつまり、
他者評価によって
自分の行動を決めているのであって、
自分自身には
自分の行動を制御する力を
持っていないということに繋がる。




そして。


私は常々、
「努力するからには結果を出したい」
「やってよかったと思いたい」と、
「報いを受けたい」と考えている。


でも、努力したって
報われることばかりではなくて。
その度に私は、
とてつもなくガッカリする。


人はよく
「やらずに後悔するより
やって後悔した方がいい」と言うけれど


私にとってみたら、
やった後に後悔するくらいなら
その時間も労力も勿体無いし、
がっかりするのが嫌だから
絶対にやりたくない。


だからこそ、
やったあとに後悔することがないように
やるかどうかは慎重に決めるし、
やると決めたことは後悔しない。
そして、やるからには報われたい。
から、最大限努力する。




最近思いを馳せているのが、
「報いを受けたい」という想いは、
「見返りが欲しい」と同義なのか、
ということ。


ある人はこのことについて、
「もっとメタフィジカルなもの」と
言っていた。


それを聞いて、
私の「報いを受けたい」というのは、
何か物的な見返りが欲しいのではなく、
自分の自己満足感であったり、
自己充実感であったり、
精神的な満足感を得たい
という想いであると気付いた。


結局は、
「報いを受けたい」というのは
自己肯定感が低いことから来る感情で、


他者評価や他者感情によって
自己肯定感を高めたい
ということに繋がるのではないか。




そんなことをぐちゃぐちゃと考えてたら
結局は私は、
他者評価の中でしか生きられない
のだと気付いた。


それが良いのか悪いのか。
よくわからん。




でもきっと
わたしはきっとこれからも
報いに支配されて生きていくんだろうなぁ



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