環境主義の死?
2005年06月14日(火) 2時05分
私が勤務している会社のHPには「WEEKLY COLUMN」なるものがあって、主任研究員以上が執筆しています。
今週掲載されているコラムは「環境主義の死」です。
環境問題を生業としている私は思わず目が釘付けになってしまいました。同じ社内の人が書いている内容ですが、恥ずかしながら知りませんでした。
細かいいきさつはコラム原文に委ねるものとして、キーと思われる部分のみピックアップします。
米国の著名な環境運動家達は、新たな戦略を環境主義の「第三の波」として位置づけ、それは「保護」や「規制」ではなく、「投資」の概念を中心として形成されていくであろうと、主張しはじめているとのことです。
日本においては、産業振興政策(「産業の環境化」・「環境の産業化」等)の一環として経済産業省が環境問題に注目しています。
また、環境保護・環境規制の観点から環境省が指導的立場にあります。
更には、CSR(企業の社会的責任)に代表されるように、企業の経済活動の一部として「環境」への取り組みが重要視されるようになり、すでにいくつかの「環境投資」の事例も見られることは事実です。
しかし、「投資」の概念から環境主義が形成されていくとは、いかなる考えによるものなのでしょうか?
SRI(社会的責任投資)に代表される環境等に配慮した投資活動が、環境問題解決の救世主になるというのでしょうか?
私見ですが「環境は経済とは別の世界で守るべきものである」という持論があります。
確かに経済活動による環境へのインパクトが非常に大きい昨今、産業界が環境問題に取り組まなければ、環境問題の解決はおそらくありえないとは思います。
それでもなお、美しい環境とは本来あって当たり前のものであり、我々の子孫に受け継いでいくべき貴重な財産なのです。
「環境主義の死」について、当コラム以上のことは未調査なのであまり多くを語れる状況ではないのですが、米国の環境運動家が「保護」という視点からの環境主義から脱却しつつあるという状況にやや虚無感を感じます。少なくとも、向かうべきは「投資」ではないと感じるのは私だけでしょうか?
「環境」は社会経済を活性化させるための道具ではないのです。
今週掲載されているコラムは「環境主義の死」です。
環境問題を生業としている私は思わず目が釘付けになってしまいました。同じ社内の人が書いている内容ですが、恥ずかしながら知りませんでした。
細かいいきさつはコラム原文に委ねるものとして、キーと思われる部分のみピックアップします。
米国の著名な環境運動家達は、新たな戦略を環境主義の「第三の波」として位置づけ、それは「保護」や「規制」ではなく、「投資」の概念を中心として形成されていくであろうと、主張しはじめているとのことです。
日本においては、産業振興政策(「産業の環境化」・「環境の産業化」等)の一環として経済産業省が環境問題に注目しています。
また、環境保護・環境規制の観点から環境省が指導的立場にあります。
更には、CSR(企業の社会的責任)に代表されるように、企業の経済活動の一部として「環境」への取り組みが重要視されるようになり、すでにいくつかの「環境投資」の事例も見られることは事実です。
しかし、「投資」の概念から環境主義が形成されていくとは、いかなる考えによるものなのでしょうか?
SRI(社会的責任投資)に代表される環境等に配慮した投資活動が、環境問題解決の救世主になるというのでしょうか?
私見ですが「環境は経済とは別の世界で守るべきものである」という持論があります。
確かに経済活動による環境へのインパクトが非常に大きい昨今、産業界が環境問題に取り組まなければ、環境問題の解決はおそらくありえないとは思います。
それでもなお、美しい環境とは本来あって当たり前のものであり、我々の子孫に受け継いでいくべき貴重な財産なのです。
「環境主義の死」について、当コラム以上のことは未調査なのであまり多くを語れる状況ではないのですが、米国の環境運動家が「保護」という視点からの環境主義から脱却しつつあるという状況にやや虚無感を感じます。少なくとも、向かうべきは「投資」ではないと感じるのは私だけでしょうか?
「環境」は社会経済を活性化させるための道具ではないのです。
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