写真は、
おばぁちゃんに笑顔で話しかけるあゆたです(*´∇`*)
昨日で、あゆたは満4ヶ月、
すでに体重も7キロを超え、特に病気もなく、
斜頚もほぼ治り一見するとわからないくらいにまでなりました。
・・・というか、元気すぎるくらいです(笑)
最近はブログの更新が少なめでした。
仕事がかなり忙しくそれどころではなくなっていたのと、
少し体調も良くなかったり、
ブログというかたちで自分の思いを書くということの
意味や影響を考えたとき、少し考えさせられるようになり。
相変わらず仕事は忙しいので、
更新頻度は今後もきっと似た様なもんだと思いますが、
少しだけ、書いてみたいことがあったので、
今日はPCの前にいます。
あゆたが産まれて、日に日に成長する中で、
特別大きなことは望まないけれど、
とにかく健康であって欲しいとか、
他人の気持ちのわかる心優しい人になって欲しいとか、
親として、少なからず、
子に色々な願いを持つようになりました。
そして、きっと、自分が産まれた時も、
両親は、同じようなことを願っていたのだろうと、
あるいは、何かしらの期待を抱いていたのだろうと、
考えるようになりました。
果たして、自分は、その期待を、
どのくらい叶えて、どのくらい裏切って来たのだろうか、とも。
僕は、母親とは比較的会話をしますが、
父親とは、母に比べれば会話は少ないと思います。
でもそれは、結果としてそうなっているけれど、
意としてそうしているつもりではなく、
思春期以降に抱いていた、
父への尊敬や憧れとそこにいる現実の自分とのGAPによる、
父に対するコンプレックスからだと思っています。
だから、今でも、
幼い頃の父との思い出に限っては、鮮明に記憶しています。
少年野球の練習嫌いだった僕に
キャッチボールをしてくれた父、
ゴルフの打ちっぱなしに連れて行ってくれた父、
トラクターの運転を教えてくれた父、
消防団の夜警で、憧れの消防車に乗せてくれた父、
祭りの稽古で、太鼓の叩き方を教えてくれた父。
骨折した時に、一生懸命足を冷やしてくれた父。
頑固で厳しいけれど、子供思いの誇れる父です。
けれど、高校時代に僕自身がとったとある言動で、
僕の中では、その後の人生においてずっと引きずるほどに、
激しく後悔する出来事がありました。
(多分、他の誰もが記憶していないかもしれませんが。)
それ以来、僕の中では、目に見えない、
とてつもなく重い十字架のようなものが出来てしまい、
そして、一度実家を出てからは、
実家を避けるようになりました。
そういうわけで、産まれて、30ウン年、
両親に心配をかけてばかりの人生ながら、
一度もこれと言った親孝行をしたことはなく、
恥ずかしながら、自分の生活中心で生きて来て、
仕送りやこれと言ったたいした贈り物もしたことがなく。
けれど、自分が父親になり、
親の立場で自分の今までのそんな人生を振り返った時に、
冒頭に書いたように、
果たして、自分は、その期待を、
どのくらい叶えて、どのくらい裏切って来たのだろうかと、
自問自答するようになりました。
これまでの人生で迷惑や心配ばかりかけ、
けれど1人前の大人になるまで育ててくれた両親。
きっと、ぜんぜん期待を叶えることは出来ていない。
30年前の写真に映る父の笑顔の奥には、
こんな将来ではなかったはず。
・・・かといって今から期待に応えられるほどの自信もない。。。
そこで、自分なりの考えで、自分なりの形で、
何とか親孝行できる形はないものかと考え・・・。
しかし、数ヶ月前、そこで自分のとった行動が、
自業自得ではあるのですが、
またしても思っていたかたちとは違う流れとなり、
両親に精神的な負担をかける結果となってしまい、
さらにはその延長で大人げない言動をとってしまい。
結果、高校時代の「十字架」が再び心の中によみがえって来て、
完全に先が見えなくなりました。
そしてそこからは、
何をどうしても、もう軌道修正できないくらいにまで、
自分の中では悪循環でした。
今日、久しぶり(1ヶ月ぶり)に実家に帰り、両親に会いました。
実は、頭の中は真っ白の状態で、
何をどう話せば良いのかも整理が付いていない状態で。
ところが、
こっちはそんなつもりではなかったのに、
色々と僕らの為に手伝ってくれたり、励ましてくれたりと、
暖かく迎えてくれました。
あゆたも交えて、明るく、楽しく1日を過ごしました。
自分がここ数ヶ月とって来た行動が、
どんなに両親を混乱させ、傷つけたことか。
どんなに身勝手で、失望させたことか。
どんなに親不孝者だったことか。
けれど、両親は、それらすべてを受け止めた上で、
これからの僕ら3人の人生について、
理解と応援の言葉をかけてくれました。
そして、
「父親になるのはこういうことなんだな」
と、ようやく理解することが出来ました。
両親への感謝の思いと同時に、
自分のこれまでの人生への後悔、
かつての十字架からの解放などもあってか、
帰宅後、一人部屋にこもって、涙が枯れるほど泣きました。
ひたすら泣きました。
そして、ようやく涙が治まったとき、思いました。
あゆたがどう育つとかではなく、
自分があゆたにとってどんな父親になれるのか。
少なくとも僕は、
自分の父が、自分にとってそうであるように、
自分も、あゆたにとって誇れるような父親になりたい。
そして、そうなれるように、
これからも父の背中を見ていたいと思います。