今の政治屋共に読ませたい「代官の日常生活 江戸の中間管理職」
September 01 [Thu], 2011, 20:37
最近、江戸時代の歴史本にはまってるオレ。どれだけハマってるかっちゅうと、、、、
PCを開いてネットを見る気にもならないくらいさ。。。。
ってのは大げさだけど、それくらい読書に夢中になってる。
で、今回取り上げた本。
タイトル中の“代官”という言葉・・・・・・・・
水戸黄門なんかの時代劇で、ほぼ100%の割合で悪役にされてるが。。。。。
実は、そうではなかったという、目から鱗本。
へえええええ〜と感心した点を、簡単に述べると…
@農民から年貢を好き勝手に絞り取っていたのは、ウソ。
ちゃんと、幕府が決めた税律があり、しかも、災害に見舞われたりして凶作となった田畑は減税し、大雑把に平均すると20%ほどの率。中には、10%しか徴収しなかった例もある。
毎年秋には、検見といって、代官が領内を廻り田畑ごとに税率を決定していた。
そして意外なのは、厳しく徹底的に調べるのかといえば、そうとも限らず、新規開墾地や逆に災害で耕作困難になった土地は実地調査するが、例年と変わりない土地については、村役人の報告だけで済ませていた。
時には、一村を遠目から見て良しといったこともあった。
代官の中には、農民の負担を減らすために「検見だからと言って、特別に道や畑を掃除する必要はない」と御触れを出す人もいたそうな。
また、名代官と慕われ、死後どころか生前に神として神社に祭られた人もいる。
A @と関連するが、名代官は、「農民等の民衆の生活の向上なくしては、作物の増産もなく、幕府財政の基本が崩れてしまう。仁政を敷くことが、ひいては自分の成績アップにもなる」という信念を持っていた。し、幕府が監視していて、制度上も領民を苦しめれば、代官が処分されることになっていた。
特に、5代将軍綱吉の頃、それまで多くが世襲であった代官職をガラッと変え、幕府の辞令一つで全国の天領どこへでも派遣されるサラリーマンとなった。実際、転勤族となり、あちらこちらの代官を勤め、実績を挙げれば、出世していくシステムとなった。
で、具体的な名代官ぶりを見ると……
・飢饉で餓死者が多く出た地方で、当然のことながら間引きや堕胎が横行したが、それをやめさせるために、そういう行為はいけないと、わかりやすい絵本を作り、代官自らが各村々を廻り民衆に説いて聞かせた。何でも、野菜の間引きなどを例に出したそうな。
・また、当たり前の話だが、お説教だけでは効果がないので、妊娠した時点から、撫育手当を支給した。
つまり、現在の児童手当と同様の制度がすでに江戸時代からあった。
このほかにも、困窮している人々には、ごく低利で貸し付けを行ったり、よその領地だろうと関係なく勤勉な農民を呼び寄せて開拓させた。これには、寺も一枚かんでいて、移住先に末寺を建てることを条件にしたそうな。宗教のネットワークがそのまま地域住民コミュニティとして機能していた。
・江戸時代は、案外訴訟社会で、一般民衆でも訴えを起こすことがよくあった。
ただ、その際には、本人だけでなく村役人等も一緒に江戸まで行く必要があり、経済的に大きな負担を負わねばならなかった。
そのあたりの事情を幕府(老中等)もよく理解していて、勘定奉行に「なるべく早く、長くとも6か月以内に判決を出せ。また、農繁期に裁判を実施して農民に負担がかかることがあってはならない」と指示していた。
・地震、豪雨などの災害時にも、一刻も早く領民を救うため、上司である勘定奉行に相談することなく、自らが先頭に立ち復興の陣頭指揮を執り、備蓄米で炊き出しなどしたり、復旧工事が必要な箇所を自分の足で歩きまわった。
・村役人から付け届けをもらい私腹を肥やしていた代官もいたが、受取った物には必ず代金を支払い、賄賂としない清廉な代官もいた。
・ある代官は、部下が年貢の徴収事務が忙しく、徹夜までしていると、自分も朝まで付き合ったそうな。
まだまだたくさんあるが、紹介しきれないので、ここら辺でオレの感想を……
江戸時代の方が良かったというつもりはない。凶作になればすぐ飢え死にしてしまうし、刑罰も厳しかった。また、身分差別も厳然としてあった。生存権など全く保障されていなかった。
しかしながら、農民をはじめとする民衆はしたたかで、代官や幕府の役人の意のままに搾取されてばかりではなかった。
逆に、自治制が発達していて、お役人もなかなか手出しができない部分もあった。対等に渡り合うことも珍しくなかった。
それもこれも、お上に任せっぱなしではダメ。自分達がやらなければ命も危ないという、気構え、能力があったからだと思う。生存権という言葉がなくとも、命の大切さは、現代人よりはるかに意識してたのではなかろうか。
代官など地方官に限らず中央政府(幕府)も、民の暮らしの辛さを肌で感じ、「民なくしては国が成り立たない」という意識を持っていたと思う。
現代社会は遥かに複雑だから、当時の政策が通用するわけはないが、政治家や官僚は中央にばかり閉じこもってないで、庶民の声に耳を傾けるべきだと思う。
それがきちんとできていれば、震災復興や円高対策そっちのけで党内抗争に明け暮れたり、民意を全く理解していない人事を行う事はありえないだろうが。
民意を聞かない政治家達は、いりません。
で、江戸時代の代官は、自分が贅沢な暮らしをしてたわけでもないのに借金漬けの人が多く、任期交代の際に勘定が合わず弁済もできなければ、、罷免されたり、悪くすると島流しや死罪にもなった。
しかも、任地経営のための費用が幕府から十分に支給されなかったことが多い。
そう考えると、全く割に合わない職業だった。
自分が貧乏でも民の暮らしを守るという気概と能力があった代官は、民衆に慕われ、大きな名誉を得ることができた。ただし、不遇な人生を送った代官も多かったが。。。
不正な献金を受け取ったり政党助成金を不正に処理しそれで子分を養ってる某汚澤など、速攻であの世逝きだな。
国会議員半減、歳費も半減、高給の官僚も削減、政党助成金も即時廃止。
政治資金を私的に流用した議員どもは、全財産没収。
これで、弱い者いじめの消費税引き上げせずに、景気対策や震災復興の財源ができると思うが。。。
何だか、堅苦しい長文になってしまい、申し訳なし。
気分直しに、さわやかなバロック音楽でもどうぞ。

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PCを開いてネットを見る気にもならないくらいさ。。。。
ってのは大げさだけど、それくらい読書に夢中になってる。
で、今回取り上げた本。
タイトル中の“代官”という言葉・・・・・・・・
水戸黄門なんかの時代劇で、ほぼ100%の割合で悪役にされてるが。。。。。
実は、そうではなかったという、目から鱗本。
へえええええ〜と感心した点を、簡単に述べると…
@農民から年貢を好き勝手に絞り取っていたのは、ウソ。
ちゃんと、幕府が決めた税律があり、しかも、災害に見舞われたりして凶作となった田畑は減税し、大雑把に平均すると20%ほどの率。中には、10%しか徴収しなかった例もある。
毎年秋には、検見といって、代官が領内を廻り田畑ごとに税率を決定していた。
そして意外なのは、厳しく徹底的に調べるのかといえば、そうとも限らず、新規開墾地や逆に災害で耕作困難になった土地は実地調査するが、例年と変わりない土地については、村役人の報告だけで済ませていた。
時には、一村を遠目から見て良しといったこともあった。
代官の中には、農民の負担を減らすために「検見だからと言って、特別に道や畑を掃除する必要はない」と御触れを出す人もいたそうな。
また、名代官と慕われ、死後どころか生前に神として神社に祭られた人もいる。
A @と関連するが、名代官は、「農民等の民衆の生活の向上なくしては、作物の増産もなく、幕府財政の基本が崩れてしまう。仁政を敷くことが、ひいては自分の成績アップにもなる」という信念を持っていた。し、幕府が監視していて、制度上も領民を苦しめれば、代官が処分されることになっていた。
特に、5代将軍綱吉の頃、それまで多くが世襲であった代官職をガラッと変え、幕府の辞令一つで全国の天領どこへでも派遣されるサラリーマンとなった。実際、転勤族となり、あちらこちらの代官を勤め、実績を挙げれば、出世していくシステムとなった。
で、具体的な名代官ぶりを見ると……
・飢饉で餓死者が多く出た地方で、当然のことながら間引きや堕胎が横行したが、それをやめさせるために、そういう行為はいけないと、わかりやすい絵本を作り、代官自らが各村々を廻り民衆に説いて聞かせた。何でも、野菜の間引きなどを例に出したそうな。
・また、当たり前の話だが、お説教だけでは効果がないので、妊娠した時点から、撫育手当を支給した。
つまり、現在の児童手当と同様の制度がすでに江戸時代からあった。
このほかにも、困窮している人々には、ごく低利で貸し付けを行ったり、よその領地だろうと関係なく勤勉な農民を呼び寄せて開拓させた。これには、寺も一枚かんでいて、移住先に末寺を建てることを条件にしたそうな。宗教のネットワークがそのまま地域住民コミュニティとして機能していた。
・江戸時代は、案外訴訟社会で、一般民衆でも訴えを起こすことがよくあった。
ただ、その際には、本人だけでなく村役人等も一緒に江戸まで行く必要があり、経済的に大きな負担を負わねばならなかった。
そのあたりの事情を幕府(老中等)もよく理解していて、勘定奉行に「なるべく早く、長くとも6か月以内に判決を出せ。また、農繁期に裁判を実施して農民に負担がかかることがあってはならない」と指示していた。
・地震、豪雨などの災害時にも、一刻も早く領民を救うため、上司である勘定奉行に相談することなく、自らが先頭に立ち復興の陣頭指揮を執り、備蓄米で炊き出しなどしたり、復旧工事が必要な箇所を自分の足で歩きまわった。
・村役人から付け届けをもらい私腹を肥やしていた代官もいたが、受取った物には必ず代金を支払い、賄賂としない清廉な代官もいた。
・ある代官は、部下が年貢の徴収事務が忙しく、徹夜までしていると、自分も朝まで付き合ったそうな。
まだまだたくさんあるが、紹介しきれないので、ここら辺でオレの感想を……
江戸時代の方が良かったというつもりはない。凶作になればすぐ飢え死にしてしまうし、刑罰も厳しかった。また、身分差別も厳然としてあった。生存権など全く保障されていなかった。
しかしながら、農民をはじめとする民衆はしたたかで、代官や幕府の役人の意のままに搾取されてばかりではなかった。
逆に、自治制が発達していて、お役人もなかなか手出しができない部分もあった。対等に渡り合うことも珍しくなかった。
それもこれも、お上に任せっぱなしではダメ。自分達がやらなければ命も危ないという、気構え、能力があったからだと思う。生存権という言葉がなくとも、命の大切さは、現代人よりはるかに意識してたのではなかろうか。
代官など地方官に限らず中央政府(幕府)も、民の暮らしの辛さを肌で感じ、「民なくしては国が成り立たない」という意識を持っていたと思う。
現代社会は遥かに複雑だから、当時の政策が通用するわけはないが、政治家や官僚は中央にばかり閉じこもってないで、庶民の声に耳を傾けるべきだと思う。
それがきちんとできていれば、震災復興や円高対策そっちのけで党内抗争に明け暮れたり、民意を全く理解していない人事を行う事はありえないだろうが。
民意を聞かない政治家達は、いりません。
で、江戸時代の代官は、自分が贅沢な暮らしをしてたわけでもないのに借金漬けの人が多く、任期交代の際に勘定が合わず弁済もできなければ、、罷免されたり、悪くすると島流しや死罪にもなった。
しかも、任地経営のための費用が幕府から十分に支給されなかったことが多い。
そう考えると、全く割に合わない職業だった。
自分が貧乏でも民の暮らしを守るという気概と能力があった代官は、民衆に慕われ、大きな名誉を得ることができた。ただし、不遇な人生を送った代官も多かったが。。。
不正な献金を受け取ったり政党助成金を不正に処理しそれで子分を養ってる某汚澤など、速攻であの世逝きだな。
国会議員半減、歳費も半減、高給の官僚も削減、政党助成金も即時廃止。
政治資金を私的に流用した議員どもは、全財産没収。
これで、弱い者いじめの消費税引き上げせずに、景気対策や震災復興の財源ができると思うが。。。
何だか、堅苦しい長文になってしまい、申し訳なし。
気分直しに、さわやかなバロック音楽でもどうぞ。

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、とても堅苦しいイメージがあるし、実際ほとんど活字だけなので、読みづらいかもだけど、内容は、↑のコピペからわかるとおり、とても充実した内容で、翻訳もこなれていて、結構読みやすい。















だけは、憎まれ口もたたかず、ひたすら純粋に甘えてくるね。
」という言葉には、敏感に反応し、喜ぶだよ。












