学習成果を出すにつき重要なものとは「再現するイメージ」「創造するイメージ」と解する。
「再現するイメージ」「創造するイメージ」は、感覚的なものであるから、スポーツ、芸術、勉強など様々な分野において画一的には定義できない。
そこで例をあげる。
(例1)サッカーのテレビ中継において、シュートを決めたところを見た場合
「ボールが来る方向を予測し、相手プレイヤーの位置や体勢や心理を考慮し、シュートを自分がするイメージする。」
(例2)風景をみる。
「適切な絵の具と筆をえらび、絵を描くイメージをする。」
(例3)簿記の問題(解答)を見る。(慣れれば、テキストなどをなにも見ずに電車の中でも)
「必要な指示を確認し、必要な数値を拾い、それをもとに理屈とともに、自分が空欄を埋めていく手順をイメージする。」
これらをするとアウトプット量、すなわち「再現へのチャレンジ回数」「創造へのチャレンジ回数」が格段に増えるため、学習効率が格段に上がる。
これは「理解」の1つ上をいく学習であると考える。
ところで、「再現するイメージ」「創造するイメージ」には、大きく、量と質の要素があると考える。
量とは、再現・創造する回数のことを指す。
勉強において、机で問題集を開けているときにしか再現・創造しない者と、電車の中でも手順を再現・創造してしまう者とでは、アウトプット量の差が生じ、後者のほうが圧倒的に優秀になる。
これは「再現するスイッチ」や「創造するスイッチ」がどれだけ低い位置にあるかに関連する。再現・創造の起因となるトリガーがたくさんあるほど、自動再現・創造してしまう。
絵を描く者であれば、日常生活で何か美しいものを見たときは、頭の中で、絵の具と筆を選び絵を描く。この「美しいもの」が再現・創造のトリガーとなる。人によってはティーカップすら「美しいもの」となる。
受験生であれば、通学電車の中、寝る前の布団の中、夢の中で今日学んだ事項を、可能な限り再現・創造する。例えば財務会計論であれば、ぼんやりしている間にも答案がいくつか完成する。ここでは「合格への執念」や「通学時の退屈さ」等がトリガーとなる。
次に、質とは再現・創造において「ごまかし」がないことをいう。
ここでいう「ごまかし」とは

手順を飛ばしたり、

明確でなかったり、

最後まで再現・創造していなかったりすることをいう。
例えば、絵において、手が難しいから適当にごまかして描く場合は、これにあたる。これではいつまでたっても上達しない。
また、一点パースの絵を見たときに放射状の線をイメージするが、定規をあて、ペンで線をひくまでイメージしない場合も、上達を阻害すると考える。
簿記において、仕訳をかかない、もしくは仕訳だけ書いて空欄を最後まで埋めない等も、それにあたる。
「ごまかし」がない「再現イメージ」「創造イメージ」ほど学習効果が高い。特に重要なのは「通貫して最後までイメージしきる」ことである。
これは、簿記であれば空欄を最後まで埋めることである(仕訳だけや、連結のタイムテーブルだけで終わらない)。
絵であれば、想定した完成度まで、人物や風景を描ききることである。
なお、「再現するイメージ」や「創造するイメージ」の質は、受験界などでいられる「三回まわせ」という呪文と大いに関連していると解する。
一回目と二回目と三回目は明らかに目的が違い、一回目は「触れるため」、二回目は「理解するため」、三回目は「再現するため」と解するのが妥当である。
したがって、自分の答えを出さずに解答を見て、なるほどなるほどと納得する勉強では、何回しても、一回目もしくは二回目と深度が変わらず学習効果が無いと解する。
逆に、一回目に理解すべきところの当たりをつけるために触れ、二回目に再現するための理解をし、三回目にアウトプットをして「ごまかし」「誤り」を探し是正すれば、一回目、二回目、三回目が分断されず学習効果が高いと考える。
本当の意味での三回目に突入したとき(特に自動再現される段階)において、どの世界でも二回目で停滞している人間と爆発的に差がつくのではないか。