詩集より 

2006年12月12日(火) 18時16分
   生きていれば

 悲しいことばかり 続くはずはないさ

 でも生きていれば 悲しく 辛い事も 
 
 この背中に背負わなければ


 
 楽しいことばかり 続くはずはないさ
 
 だから 生きていれば 忘れられない 過去も

 この胸にしまわなければ

詩集より 

2006年12月12日(火) 18時43分
   罪と償い



ぼくのエゴを通すことで いったいいくつの心が

傷つけられて きたことか その罪を背負っていきている


ぼくらはみんな生きている限り 罪を背負っているんだろう

それでもみんな 生きて行くことで その罪を償おうとしてるんだ

Necessary! 

2006年12月17日(日) 17時30分
I want to be helpful for world people through job in the future.
 Therefore it is necessary to train naw.

渡ハワイ 

2006年12月17日(日) 19時09分
もうすぐハワイに住む、渡ハワイは1月10日あたりになる。12月20日(水)にビザの

面接がある、イターネットの体験談を読んでいると面接時間1分ほどであっけなく

終わったと書いてあるが、油断せずに、書類の準備や注意事項など

ぬかりなくやりたい。去年の4月から実に9ヶ月かかった、初めから、半年から

一年はかかると言われていたので、予定どうりなのだが、周りの人は、

なぜビザを取るのにそんなにかかるのか???

と疑問のようすで、いつ行くの?と聞かれてもはっきりした日にちを

こたえられないもどかしさを抱えていた。でもそんなことはもう

どうでもいい、仕事はちゃんとやっていけるだろうか

ぼくは僕を表現して生きていけるだろうか

彼女はできるだろうか

自己を表現する 

2006年12月17日(日) 20時54分
自己表現をしていないと、人は満たされい気持ちでいっぱいになる

 自己表現をすることは自分の魂を愛でることである。

 自己表現が十分に日頃されていないと、エロ(sex)の過食症に

 なったりする。自己表現は自分が表現し、それを受け取る相手が

 いて人と人とのコミュニケーションがあってはじめて成立する。

マスターベーションではだめなのである。

 ゲームをしたり、パチンコをしたりでは自己表現欲は満たされない

 大好きな音楽を聴いても、すばらしい映画をみて感動しても、

本を読んでも、勉強をても、一人でスポーツをして汗をながしても、

自己表現欲は満たされない。

自分が本当に思ってることを言って、表現して、誰かがそれを聞いて、

受け止めて、それに対するなんらかの反応が返ってきたときに人は

自己表現できたことになる。

soulの為の仕事 

2006年12月21日(木) 19時45分
 人はbodyを生かす為の仕事と
 soulを生かす為の仕事を
 しなければならない。
 日本はbodyを生かすための仕事は良くするが
soulの浮浪者が実に多い、僕もその一人であった。そして今日フリーターやニートが増えている、社会現象にもなっている、それはsoulを生かすための仕事だけをして生きたいと考えるがゆえのことでもあるようにも思う、僕もその一人であった。
 bodyのための仕事soulの為の仕事そのどちらかをおろそかにすると両方とも活動できなくなる。

心の物乞いにならない為に、人はsoulを活かす為の仕事をしなくてはならない、
それは表現活動のことである。歌を歌ったり、詩を書いたり、曲をつくったり、絵をかいたり、毛筆をしたり、ブログを作ったり、オシャレをしたり、かっこいい服着たり、表現する活動であればなんでもいくつでもいいのである、思う存分、やりたいだけやればいいのである。そしてその表現活動を自由に自分のやりたいようにやるために、bodyを生かす為の仕事をしっかりやるのである。
 soulを生かす為の仕事だけでは食べていけない、でもbodyを生かすための仕事だけでは、心が寒くて結局壊れてしまう、それは意志力では太刀打ちできない。人は健全に生きるために表現活動をすることが必要なのである。
 ちょっとした趣味とか、受動的な娯楽ではsoulの栄養は供給されない。真正面から表現活動をすることが必要なのである。
 bodyのための仕事とsoulのための仕事は両輪の車輪のように、どちらもが
しっかり活動してこそ、上手く走ることができる。

靖国問題について 

2006年12月23日(土) 0時32分
靖国問題について、コメントを述べたい。小泉元首相が靖国神社に参拝するのは、二度と戦争を起こさないという誓いの意味と日本の戦争犠牲者にたいする追悼の意味であると本人が言っていた。そのこと自体とてもまっとうなことで、いいことである。ではなぜ朝鮮や中国がソレに対して怒るのか?それはその戦争で犠牲になったのは日本人だけではないということ。靖国神社の参拝というのは日本人の犠牲者に対するものに限定される。
その戦争の犠牲者を追悼するなら日本人も相手国の犠牲者も同じように追悼しなければ
片手おちなのである。だから、中国や韓国の怒りを買うんだと僕は考える。自国も相手国も含めてその戦争全体を追悼するという視野が必要なんだ僕は思う。

おやじ おふくろ  論 

2006年12月23日(土) 1時23分
大の大人が自分の親のことをお父さんお母さんなんて呼んでては、いつまでたっても大人になれない。そして親の方もお父さんはな・・・お母さんな・・・で話しててはだめなのである。(もちろん男の場合である、女がおやじ おふくろなんて呼んでたらおかしい)
 昔の日本には元服という儀式があった髪を剃ってちょんまげにして、名前を変えて、大人の男として認める儀式である。15歳前後のことである。
 子の親離れ、親の子離れができない、いつまでたってもお父さんお母さんになってしまってては、子が大人になるタイミングを逃し続けることになる。
 お父さんお母さんはある時期におやじとおふくろに移りかわらなくてはならないのである。
 それは、親のほうも子の方も両方が自覚しなくてはならない、親はお父さんはな・・お母さんはな・・で子に話かけることをやめ、ワシはな・・・ワタシはな・・・と一人の人間大人同士としてはなすようにならなくてはならない。
 お父さんはな・・ お母さんはな・・では子供あつかいしていることになるのである。  
 子の方もお父さん お母さんと呼ぶのではなくおやじ、おふくろと呼ぶことで自分が大人という認識をもつのである。
 そのお父さんお母さんからおやじおふくろにかわる時期だが、15才から20歳くらいが理想である。それに照準をあわせて親は子育ての計画を立てなければならない。
今の時代は大学でたら22歳。大人になるのがズルズルと遅くなっている傾向にある、でもほんとは20才も超えてお父さんお母さんなんて言っててはダメなのである。
 親子ともに親がおやじおふくろであることを自覚する、子をすなわち大人としてみとめる、そして子はおやじおふくろと呼び、親は自分のことをわし、わたしという。そうあることで、大人としての自覚を持つ。呼び方というのはその精神性を顕著にあらわすものである。 これが僕のおやじ おふくろ 論 である。 付け加えて言うなれば、兄のことも、お兄ちゃんから兄貴に、大人同士の関係へと移りか変わる

ダイヤモンドヘッド 

2008年03月03日(月) 15時43分
P R
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