あと7秒だけそのままで 

October 04 [Sat], 2014, 23:27
 朝起きて、まず始めにすることは、腕時計がずれていないか確かめることだ。
 ただの一秒の狂いもないように。
 彼と過ごせる最後のその一秒まで、彼と同じ時間を過ごせるように。




 あまりはめを外さないように、担任のひとことで今学期最後の授業は五分だけ早く終わった。ざわつく教室の中、最後だから、そう思って声をかけた。

「や、ぎゅうくん」

 柳生くんに話しかけるときはいつもこうだ。少しだけ緊張して、頭の中で必死に話題を探して、裏返った変な声になって、でも精一杯笑顔で。少しでも、彼がわたしを見てくれると嬉しかった。きっとテニスでいっぱいの彼の中に、わたしの存在が入り込む隙間なんてないんだけど。
「なんですか?」
振り返る柳生くんはいつもみたいに微笑んでいる。紳士と呼ばれるだけのことはある、惚れ惚れするような笑顔だ。
これはただの挨拶だ。席が近いから。何度かノートを見せてもらったりしたから。2年半、同じクラスだった人間が、別れの挨拶をしたって、おかしくなんかないはずだ。

わたしはただのクラスメイトで、それ以上でもそれ以下でもなくて、だから好きだなんて言っても柳生くんは困るだけなんだってわかってた。
みんながこっちを見ていなければいい。
誰もわたしの気持ちになんて気づかなければいい。


「今まで、ノートとか見せてくれてありがとう。大会、がんばってね」
「ありがとうございます」
「応援に行くね」
「今年の全国大会は東京ですから、できれば決勝を見に来てくださいね」
「うん、今年も優勝できるといいね」
「もちろんです。立海は負けませんから」

 にっこり笑って柳生くんは前を向いた。わたしは柳生くんの白いシャツの背中を見る。


 この学校で過ごす最後の席は、柳生くんの後ろの席だった。わたしって意外と運がいいのかもと一瞬考えて、転校してしまうなら運がいいも何もないだろうと思い直した。本当なら、エスカレーター式のこの学校なら、少なくとも高校までは一緒の学校にいられたのだ。
 それでも嬉しいことには変わりない。最高の席だといってもよかった。だって後ろなら、授業中ずっと柳生くんを見ていられる。転校が決まってから、わたしはこれまでにも増して柳生くんを見つめるようになった。夏服の半袖から伸びる腕とか、日に日に焼けていく首筋とか、一見すっきりしているように見えて他の男子よりも明らかにたくましい背中とか、目に焼き付けるように飽きるほど柳生くんを見ていた。
 柳生くんの、色素の薄い髪が好きだ。プリントを回してくれる時に見える実は鋭い目が好きだ。切り揃えられた爪が好きだ。手を上げるときに張る腕の筋が好きだ。
 柳生くんは用もなく後ろを振り向くことなんてなくて、だからたまに話しかけられたときには舞い上がって、とんちんかんなことを言った。話しかける話題を探して、それだけで一日が終わるのを何度繰り返したことか。だから、いつも見てただけ。授業中の、ぴんと伸びた背中。

柳生くんとは1年生の時から同じクラスだった。席が近くなれば話はするけど、特別仲がいいとは言えない、良くも悪くもただのクラスメイトだ。
テニス部レギュラーで秀才で、人気者な柳生くんのことを好きだなんで、身分不相応な気がして誰にも言えなかった。テニス部の中では誰が好き?なんて会話にも良くなったけれど、よくわからないなんてごまかしていた。わたしはただ見てただけ。授業中とか、休み時間とか、テニスをしているところとかを、こっそりと。ストーカーみたいだとも思いもしたけれど、それ以上のことはできそうもなかった。彼女になりたいなんて恐れ多いこと、友達にだって言えなかった。


 つまるところ、わたしは単なる柳生くんのファンだということになるんだろう。その証拠に、柳生くんのファンなら誰でも知っている(逆に言えば、ファンじゃなければ気にもかけない)柳生くんのことを、わたしはたくさん知っていた。柳生くんは定期テストで3位以下の成績は取ったことがないこと。柳生くんはテニス部では仁王くんとダブルスを組むことが多くて、その関係で仁王くんのモノマネが得意なこと。柳生くんは風紀委員をしていることや、推理小説が好きなこと、実は特撮のヒーロー番組が好きなこと、柳生くんは男女問わず誰にだって優しいこと。柳生くんが打つテニスボールは、まっすぐにのびていくこと。柳生くんを好きな女の子なら、誰でも知っていること。


 ひとつだけ、ファンの子だって知らないはずの柳生くんのことを、わたしは知っていた。
 柳生くんの腕時計は、いつも正確な時間を刻んでいるらしい。入学祝いにお祖父さんからもらった電波時計なんだそうだ。2年の終わりの2月だったと思う。その時わたしは柳生くんの左隣に座っていた。
 部活仲間だというきれいな顔立ちの男の子と話すのを、わたしは次の授業の準備をするふりをしながらこっそり聞いていた。


「チャイムが鳴り始めるのが、7秒だけ早いんですよね」
「その7秒をつい数えてしまうんです」


 その帰り道に、わたしは腕時計を買った。電波時計には程遠い、雑貨屋さんで2000円の安物だ。柳生くんの髪と似た色の細いベルトを左腕に巻きつけて、ゆっくり7秒数えた。
 時計が狂っていないかを毎朝必ず確かめて、学校でチャイムが鳴るたびに7秒数えるのがくせになった。柳生くんが数えたであろう7秒を、同じ教室の中で数えているのはきっとわたしだけだ。チャイムが鳴るたび、柳生くんのことを考えた。7秒ごとに、柳生くんのことがどんどん好きになった。



 もうすぐ、最後のチャイムが鳴る。秒針が進むたび、また好きな気持ちばかりが風船みたいに大きくなる。
 破裂させることもできないまま、わたしは目を閉じて、柳生くんと同じ時間を過ごす。




 1、2、3、4、5、6、7





title にびいろ

さよならはこころで跳ねる 

November 14 [Thu], 2013, 3:00
映画でも見に行かない?って誘われた。土曜日の朝だった。
あいつの部活が体育館が使えないだかなんだかで休みになって、暇を持て余すのを見越してわたしを迎えに来た。
チャイムも鳴らさずに家に入ってきて、当たり前みたいな顔して冷蔵庫を開けて勝手にわたしのジュースを飲んで、お母さんにあら健斗くん来たの、お菓子あるわよなんて渡されたままわたしの部屋に入ってきて、気持よく寝ていたわたしをたたき起こした。
わたしの寝起きが悪いのは知っているから、わたしを起こしてから目が覚めるまでの間に、勝手にクローゼットを開けてわたしの着る服を用意して、俺はもうちょっとひらひらした下着が好きだななんて言った。
わたしの下着はあんたを満足させるためにつけてるんじゃないし、あんたの好みなんてしらないよって寝ぼけたまま言ったら、もごもご何言ってるかわかんねえよって笑った。
その日見に行ったのは人気のある海賊の映画で、人出がすごくてはぐれないようにって手をつないだ。あいつがふたりぶんのドリンクを持って、わたしが大きな容器に入ったポップコーンを持った。前にあいつが手を滑らせてポップコーンをぶちまけてから、それを持つのはわたしの役目だった。
映画が終わったら昼ごはんを食べて、買い物とか、ぶらぶら寄り道をして、それでその日はあいつの家で晩ごはんを食べた。早苗ちゃん、好き嫌いはだめだよちゃんと食べなさい、なんてあいつのお母さんに言われて、むりやりしいたけを飲み込んだ。
それからふたりでゲームをして、眠たくなったら家に帰って、じゃあまたあしたって言った。
それが健斗とふたりで過ごした最後だった。またあしたは来なかった。

その次の日に、健斗は女バスの誰だかに告白されたらしかった。浮かれた健斗は即答でOKを言って、それからあいつの彼女はわたしが知ってるだけで4回変わった。
わたしの知らない所でもっとたくさんの女の子があいつに告白をして、付き合って、そして別れていったんだと思う。
いつの間にかあいつの周りにはわたしの知らないきれいでかわいい女の子がいっぱいいて、ちゃらそうな男の子の友達が増えて、わたしを誘いに来ることもなくなった。
大人になるってこういうことか、とわたしはここ二年で身を持って知った。



変わってしまった世界になんて興味はなかった。
変わっていく世界を遠くから眺めるだけだった私は、眺めるだけにも飽きて、見ることをやめた。


おさななじみなんて簡単なものだ。
家が近いから、歳が近いから、それだけで縮まっていた距離は、あっという間に離れてしまう。
人見知りが激しくて控えめな私と、バスケ部のエースのおさななじみ。
友達も多くはなく、いつも教室の隅のほうにいる私と、いつも大勢の人に囲まれて、中心にいるおさななじみ。
話もしなければ、会うこともなくなって、誰も私達がおさななじみだなんて知ることもなくなって、簡単に私達のつながりは途切れた。


ときどき目が合う彼は、私に話しかけてくることはない。
それがすべてだ。


世界は変わってしまった。
閉じた扉の向こうから、ボールが跳ねる音がした。




title by kou

春は来ませんでした 

August 13 [Sat], 2011, 23:24
あしたになったら先生とわたしはどうなるのって、喉まででかかった言葉を温かい紅茶と一緒に飲み込んだ。
りんごの香りのする紅茶は初めて出されたもので、蒸らし過ぎて少しだけ苦い。





わたしの恋を知りませんか 

October 24 [Sun], 2010, 3:40
いつだって声高に恋の素晴らしさを説く彼は、やっぱりいつだって恋をしているらしかった。
相手がどんなひとかなんて私が知るところではないけれど、わたしのところへやってくるとき、彼はいつもあたりまえのように恋の話をしていた。

彼はいつだって恋の話をするけれど、彼のいう惚れた腫れたは絵本の中のおとぎ話のようにふわふわしていて、だからきっと本気ではないだろうことを、わたしは知っていた。
彼の中に消えないひとがいることも、それを隠すようにたのしいだけの恋の話をすることも、わたしはそのたのしいだけの恋の相手にすらなれないんだということも、知っていた。


またわたしのところへやってきた彼は、新しい恋をしている。
好きな人ができたんだよ、なんて彼が幸せそうな満面の笑みで言うと、かなしいとかくるしいとか、そんな感情よりも先に、からだがぎゅっとちぢこまる思いがする。
彼から溢れてくる恋心が、わたしがおなかのなかにこっそり隠している気持ちをさらにからだの奥へ奥へと押しやっているのだろう。

彼の言葉にいつもとは違う熱を見つけても、悔やむことも、嘆くことも、泣き叫ぶこともできない。
わたしは、誰にも言えない恋をしている。
報われない恋は、彼がする恋の話とはかけ離れていて、ただただつらいだけだった。




title by kou



・女子大生。
・逆トリしてくる慶次。
・あまりに突飛すぎて誰にも相談できない。
・フリーの時には逆トリしてこないタイミングの悪さ。

コインロッカー・ラバーズ 

October 23 [Fri], 2009, 2:51
「優勝おめでとう」
ロッカー室にいた神楽坂に声をかける。
神楽坂はまだユニフォームにジャージを羽織った姿のまま、ベンチに腰掛けていた。

大会は、大方の予想通り神楽坂の優勝に終わった。佐野は、惜しくも準優勝だ。ただ、ブランクを考えれば快挙とも言える。辛うじて跳んだ佐野と、軽々と自己ベストを更新した神楽坂。二人の差は圧倒的だった。

「思ってもいねぇことよく言うよな」
「なんだよそれ」
振り向いた神楽坂は、瑞稀の顔を見ると鼻で笑ってそう言った。こいつはいつもそうだ。いつも人を見下したような顔をする。

「オレはちゃんと本心から…!」
「あー、はいはい」
おざなりに言うと、神楽坂はユニフォームに手をかけた。思わず顔を逸らして背を向ける。
くっ、と吹き出す声が聞こえた。
「何、着替えを見んのは恥ずかしいの」
「だって…!」
「毎日見てんだろ?佐野が着替えてんの」
「見てない!」
気配が近い。
感じた瞬間に耳元で声がした。
「着替えなんかよりもっと恥ずかしいことしてんだろ?」
俺と。ぺろりと神楽坂は瑞稀の耳を舐めた。
「なっ…!」
顔に血が上っていく。今、絶対耳まで真っ赤だ。肩を引かれて背中をロッカーに押し付けられる。
「上くらい着ろよ…!」
「だから俺の裸なんてもう見慣れてるだろって」
神楽坂が顔を近づけてくるから、瑞稀はぎゅっと目を閉じた。

「佐野に優勝して欲しかったんだろ?悪いな、優勝が俺で」
神楽坂は唇が触れるか触れないか、ぎりぎりのところでそんなことを言うから、唇はすぐに塞がれてしまって、瑞稀は否定も肯定も出来なかった。


慣れない。神楽坂の裸を見るのも、キスも、触られるのも、見つめられるのも。神楽坂に抱かれるのはもう片手じゃ足りないくらいなのに、瑞稀はそのたびに心臓が壊れるんじゃないかと思って、何も考えられなくなる。

神楽坂の手はいつも妙に優しくて、だから瑞稀は最初戸惑った。ほとんど無理やりの行為だったのに、丁寧に繊細に、まるで壊れ物でも扱うかのように触れられて、瑞稀の体は熱くなって、簡単に達してしまった。

今だってそうだ。気付かないうちに瑞稀の体の下には神楽坂のジャージが敷いてあって、堅い床の上でも少しでも痛くないように気を使われている。
優しいやつなんだろうと思う。佐野の練習を見に行ったときにもそう思った。思うように跳べない後輩に声をかけ、アドバイスをする。佐野を練習に誘ったのも神楽坂だ。いいやつなんだろう、ただ、わかりづらいだけで。

もっと、ひどくしてくれればいいのに。そうすれば、神楽坂のこと嫌いになれるのに。

神楽坂は優しく瑞稀の髪を撫で、耳元で瑞稀の名前を呼ぶ。
瑞稀はそれを心地良いと思う。
神楽坂に触られているあいだ、瑞稀は佐野のことを忘れる。


神楽坂はもう慣れたのかな。
私の裸とか、私に触るのとか、慣れちゃったのかな。そもそも女の子の体とか見慣れてるんだろうなぁ。

そう不安に思う意味を、瑞稀はまだ気付かない。





放物線描いた恋愛グラフ 

December 01 [Mon], 2008, 13:25
このひとどんな顔で笑うんだろう。
由紀は左斜め前の席を見て思う。原くんはどんな顔で笑うんだろう。どんな声で話すんだろう。

執行猶予はあとわずか 

November 21 [Fri], 2008, 11:11


近づいてくる姿を見て、本当に悪目立ちしてるなと改めて思う。
普通に歩いてるだけなのにみんな彼を見て黙るのだ。目をそらして、廊下の端による。おまえはモーセか。海を割るのか。しかしここまで怯えられるのもすごい。一種の才能だ。まじめな生徒が多いだけにあの金髪じゃ浮いてしまうのは仕方ないが、だからといって普通はここまでじゃないだろう。どれだけ態度が悪いんだ。女子に冷たくしてるんじゃないのか。無駄に睨みつけたりしてるのか。中学のころには考えもしなかったが、彼は存外人相が悪い。威嚇すればそりゃ怖れられもするだろう。

「やだ、こっちくるよ…」
隣にいるアユミが怯えた声をだす。さっきまで大きな声で笑っていたとは思えない顔だ。
ここまで怯えられるなんて、噂って怖い。彼と話しでもしたら、明日には私も噂の的かもしれない。ヤンキー、援交、少年院くらいは言われるかも。ああめんどくさい。いつか借りは返してもらおう。そういや中学のころ貸したゲームまだ返してもらってないぞ。

「私のマリオカート返せ…」
「は?」

アユミに不審な目で見られた。







「五十嵐、古典の教科書貸して」
「……」
「何その顔キモイ」
「誰のせいだと思ってんのよ…」

ああ視線が痛い。アユミの怯えた青い顔が見える。友達が校内一の不良と話し始めたんだもんね、そりゃ逃げたいよね、その場から離れたいよね、かわいそうに。
対して原はいつも通りだ。周りの視線なんて気にならないみたいに、平然と立っている。
前の原なら、きっとここで冗談のひとつでも言って、見ていた女子はくすくす笑って男子はラリアットでもかましにきたんだろう。
それなのに、今のヤツの澄ました顔と言ったら。

ああ、ため息がでる。



教室に戻って持ってきた教科書を渡すと、原はどうもと言って目を伏せた。

「…一組に借りに行けばいいのに」
「そうだな」
「ずっとこのままでいるつもり?」
「そうだな」
「意地張ってんなよバカ」
「…そうだな」

眉を下げて笑う。
そんな笑い方似合わないのに。

ああ本当にため息がでる。こんなこと言ってあげられるのも、この学校では私しかいなんて。




「さっさと仲直りしないとマリオカートの貸しをトイチで請求するからね」
「は?マリオカート?」


こいつ忘れてやがる。
ああまったくもってため息だ。ままならないいろいろを憂いて、原のすねに一発お見舞いしてやった。








title にびいろ





すくわれやしない 

November 20 [Thu], 2008, 3:52
雪が降る。
昨日まで見えていたアスファルトは、もう見えない。

暗がり 

August 16 [Sat], 2008, 18:47
心のなかに溜まった膿を 吐き出すにはどうしたらいいんだろう
人を避けて 好きになることを怖がって
ひとりになるのは嫌なくせに ひとりでいたいと思う
誰かが私から離れていくくらいなら自分から離れたいと思う
どうして毎日は続くんだろう
この先に希望なんて無いのに
きっと誰もいないのに

泣き顔は珍しかったかな 

February 28 [Thu], 2008, 13:34
庭には桜が舞っていた。広い庭の中でも際だった存在感を感じさせる、祖父の自慢の桜だ。

縁側に座ってちらちらと花が落ちる様を見ていた。大人達は葬儀の準備におおわらわだろう。どうしてもあの騒がしさの中にいる気分にはなれず、この離れに逃げてきた。

夜になるとこの縁側に座ってひとり杯を傾ける祖父を思い出す。気難しいところもあったが、俺には優しい祖父だった。

『弦一郎、飲むか』
祖父はいつもそう言って杯を持ち上げた。いたずらを思いついた子供のような、にやりとした笑顔は幼心に刺激的で、母親には内緒で祖父に付き合った。幼い頃には、舐めるだけ。小学5年の時に初めて一杯飲み干した。祖父は嬉しそうに大声を上げて笑った。祖父と共有する秘密は、少しだけくすぐったかった。


ぎしりと床が軋んだ。
「弦ちゃん」
ぺたぺたと足音を鳴らしてやってくると、カンナはすとんと隣に座った。

「来てたのか」
「うん、弦ちゃんに会いたくて」
「…そうか」
「桜ももう終わっちゃうね」
きっとすぐ夏が来るね、そしたら、またテニスばっかりの毎日だね。今年の大会も楽しみだな、だってテニスしてる弦ちゃん、いちばんかっこいいから。おじいちゃんも弦ちゃんテニスしてるの見ると嬉しそうだったよね

顔が上げられずに、俯いたままカンナの声を聞いていた。カンナの細い手首が見える。
唇を噛みしめると、手首が動いた。カンナは目の前にきて、そっと腕を引いた。抱きしめられる格好になる。カンナの肩に頭をのせた。

「弦ちゃん」
「弦ちゃん、誰も見てないよ」
「だから、我慢しなくていいんだよ」
「悲しいなら、そう言っていいんだよ」

カンナからはほのかに甘い匂いがした。昔カンナからしていた匂いとは違うような気がした。

「…こんな時ばかり、年上ぶるんだな」
「だって私弦ちゃんよりふたつも年上だもん」
「そうだったか。忘れていた」
「もう、もっと年上を敬ってよね」
笑おうとした声がかすれた。喉の奥が苦しくて、言葉が出ない。熱くなる瞼を隠すために、カンナの腰に腕を回して引き寄せた。

泣いてもいいよ。
そう言いたげに、カンナの手が、ぽんぽん、と二回頭を撫でた。




title : にびいろ