平和の祭典、8月の時期に知っておきたい戦前・戦後の基礎知識

August 07 [Tue], 2012, 17:30
日本が戦争に敗れ、サンフランシスコ講和条約が発効して国際社会に復帰した流れの中で、その国土は今現在のように、北は北海道から南は沖縄までという現在の領土・領海が成立しました。
一方で、日本は明治維新以降の開国期の中で、台湾や朝鮮半島、その他樺太などの海外領土を多く得ていましたが、これらは全て喪失することになりました。
しかし、これに加えて日本は北海道を失う恐れのあった戦後の、ソ連のスターリンによる北海道振興があった事実をご存知でしょうか。

1945年8月15日のポツダム宣言を持って日本は降伏をしたと思っている人が多いのですが、それ以降も日本を守る為に戦っていた部隊がいた事実があります。
その場所とは、北方領土(アリューシャン列島)の北端に位置する占守島。
当時は日本領で、 ソ連からの侵攻に備えた2個戦車大隊を含む守備隊がこの島を守っていました。

しかしながら、ポツダム宣言を受けて武装解除を始めていたこの島・この部隊に、8月17日突如ソ連軍が宣戦布告し上陸。
日本軍に対して攻撃を始めました。
1週間以内に北海道まで攻め寄せ、終戦のドサクサで北海道以北の日本を占領し、ソ連領にするべく攻め込んできたのです。

この事態に現地守備隊は防衛戦の発動を決意。
上陸したソ連軍を激しい戦闘を繰り広げ、双方に多数の死傷者を出す事態となりますが、結果として上陸したソ連軍を駆逐し撃退。
ソ連軍は、1週間で北海道まで占領しようとした意図を最初の上陸地点で阻まれてしまい、その間にアメリカが北海道方面に艦隊を仕向けたことから北海道占領を断念。
結果として、この時の戦いの結果、北海道は日本領として残る事ができました。
北海道は、ソ連領に編入される寸前であったわけです。
もしかしたら、ガダルカナルの生き残りでなければ、この島はあっさり陥落したのかも知れません。
北海道旅行に気軽に言ってる時代ですが、実はこれは海外旅行どころか、東西の鉄のカーテンで閉ざされた地域になっていた可能性すらあるわけです。
北方領土の問題とは、比べ物になっていなかったことでしょう。
五十森達哉

しかし、後に武装解除された占守島の守備隊はソ連軍に抑留されシベリアに連行後、極寒の地で強制労働に課せられ、多くの人命が失われました。

間もなく終戦の日を迎えるにあたり、このような歴史の事実が在ったこと、先人が国土を守る為に力を尽くしたことを知っておいてもいいのかも知れません。
そして、後世に正しく歴史を語り継ぎたいと思います。
北海道産の牛乳やビスケット、白い恋人などのお土産を召し上がる時には、少しそんなことにも思いを馳せてみてください。
少し、北海道の惠が、よりありがたく思えてくるかもしれません。
五十森達哉
P R
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