今、「生きる」とは
有限資源の相互略奪の戦争なわけで。
(この資源とは、あらゆる世に存在する、目に見えるものから見えないものまですべて)
これを「生存競争」と抽象的すぎる言葉では表現するには、あまりに現実味に欠ける。
が、生きるも死ぬもそれに善悪や意味はなく、そこにはその事実だけがあるものだと思う。
あとそこにあるものは、人々の心の揺れ動き。
生きることや死ぬことに「何かの為」というのは、後付けの理由に過ぎない。
これを意識し続ければ楽になることとがあるが、逆も然り。
近々、我が子が生まれてくる。
苦楽を経験し、理解し、芯の強く優しい知性と慈愛のある人になってもらいたいと早々に考えている。
が、親として不安であることも事実。うん、これからだな。
有限資源の相互略奪の戦争なわけで。
(この資源とは、あらゆる世に存在する、目に見えるものから見えないものまですべて)
これを「生存競争」と抽象的すぎる言葉では表現するには、あまりに現実味に欠ける。
が、生きるも死ぬもそれに善悪や意味はなく、そこにはその事実だけがあるものだと思う。
あとそこにあるものは、人々の心の揺れ動き。
生きることや死ぬことに「何かの為」というのは、後付けの理由に過ぎない。
これを意識し続ければ楽になることとがあるが、逆も然り。
近々、我が子が生まれてくる。
苦楽を経験し、理解し、芯の強く優しい知性と慈愛のある人になってもらいたいと早々に考えている。
が、親として不安であることも事実。うん、これからだな。